第14話 最終試験
嵯峨野さんに連れてこられたのは、宿舎の裏手にひっそりと佇む研究施設だった。中に入ると、ひんやりとした空気が肌を包む。
そしてすぐに、肌に染み込んでいくような、あの感覚。
「……メタ粒子?」
「そうだ。さすがにこれくらい濃ければ、感知できるようになってきたか」
「昨日の模擬戦で使ったメタ粒子排出機も、ここのですか?」
「ああ。わざわざ本館から持ってくるのは手間だからな」
そんな会話をしながら、通路を進んでいく。
やがて嵯峨野さんが立ち止まり、頑丈な扉の前で鍵を開けた。
「ここだ」
扉の先には、小さめの体育館ほどの広さの空間が広がっていた。
高い天井。無機質な床。
その中央に、巨大な金属の塊が静かに佇んでいる。
「……な、何ですか、これ」
「昨日戦った模擬生体の大型版だ。アルミ合金製だな」
それは、獣のような四肢を持ち、低い姿勢で待機していた。
高さは優に二メートルを超える。
「こいつで卒業試験を行う」
「――え、いや、ちょっと待ってください。こんなのに攻撃されたら……死にますよ?」
「安心しろ。動きは制限してやる」
淡々と嵯峨野さんが続ける。
「こいつは表面温度が600度に達すると、安全装置が働いて動作停止する。お前の任務は、過熱によってその状態に持っていくことだ」
「……いつも通り過熱すればいいんですよね?」
「ああ。ただし、プラズマ化は厳禁だ。停止状態になったら、そこで能力を止めろ」
「わ、分かりました」
「ほんとに分かってるか?」
声の調子が少しだけ厳しくなる。
「昨日の個体とは比べ物にならないほど質量がある。過熱には時間がかかる。しかも、加熱し始めれば、止めるのも大変だ。見極めろ。ギリギリで止めろ。……絶対に暴走させるなよ」
ドクン。
心臓がひとつ、大きく跳ねた。
「が、頑張ります……」
そのとき、後ろの扉がバタン、と音を立てて開いた。
振り向くと、そこには心配そうな表情を浮かべた久遠寺さんの姿があった。
◆◆◆
「では、始めるぞ」
嵯峨野さんは部屋の片隅にある机へ向かい、置かれていたパソコンを開いてカタカタと何かを打ち込む。
そして――Enterキーを叩いたような音が微かに響いた。そんな気がした。
ブゥン。
低く唸るような起動音。
目の前の大型模擬生体が、ゆっくりと動き出す。
鋼の四肢をゆっくり持ち上げ、まるで狙いを定めるかのように、じりじりとこちらに迫ってくる。
一歩ごとの質量が空気を圧迫するようで、思わず足がすくみそうになる。
……それでも、何とか踏ん張る。
視線の先、嵯峨野さんの横で立っている久遠寺さんが見える。
不安そうな目でこちらを見ている。
(久遠寺さんの前で、みっともないところは見せられない)
息を吸い、静かに吐く。
緊張に固まる体をほぐすように一歩踏み出し、模擬生体に近づいていく。
そして、鋼のボディにそっと手を置く。
「核熱爆散」
能力を発動する。
けれど、模擬生体はすぐに後退して距離を取った。
あれ? こんなに複雑な動き、昨日の小型個体にはできなかったはず――
これは嵯峨野さんが遠隔で制御してる?
今度は模擬生体が前脚をゆっくり振り上げ、こちらへ押し付けてくる。
だが、動作は遅い。僕は身をひねってそれを躱す。
再び接近して、もう一度――
「核熱爆散」
手応えがない。
相手が大きすぎるせいか、それとも僕が出力を抑えすぎているのか。
模擬生体は大きく体をひねり、僕の体を跳ね飛ばす。
地面に背中を打つ。
けれど、抑えられた動作のおかげで、痛みはほとんどなかった。
すぐに立ち上がり、再度異能を発動する。
……だが、何度繰り返しても、温度が上がっていく感覚が弱い。
頭の中に、どこかでブレーキがかかっている。
嵯峨野さんの声が響く。
「暴走させるな、とは言ったが、その程度の力じゃ日が暮れても過熱されんぞ! もっと大胆に行け!」
分かってる。
けれど、どうしてもストップしてしまう。
相手はデカすぎて、どれくらい出力を上げればいいのか、感覚がつかめない。
過熱すればするほど、止めるのは難しくなる。
……あれ? 暴走を防ぐためには、徐々に加熱して、慎重に止める――そう、思っていた。
でも、違うんじゃないか?
それじゃ間に合わない。この模擬生体に触れてられる時間は10秒程度だ。
(この試験の本当の意図は……)
であれば、今の僕がやるべきことは。
一気に上げて、一気に止める。
ギリギリを攻めて、その刹那で制御する。
覚悟を決めて、集中を高める。神経が研ぎ澄まされていく。
「核熱爆散」
僕は模擬生体に向かって踏み込んだ。
前脚が振り上げられるが、視線を逸らさず、すれすれで躱す。
迷いはない。恐れもない。
そのとき、視界の端で久遠寺さんと目が合った。
「透真君!!」
その声が、反響するように響く。
「止めてください!! 透真君の左目が、また赤く――」
「大丈夫だ。いざとなったら俺が何とかする。乗り越えさせるんだ」
嵯峨野さんの声が、遠くで、けれど確かに聞こえた。
僕は走り、模擬生体の横腹に手を置く。
瞬間、空気が振動した。
足元の地面が波打ち、熱の波が広がっていく。
模擬生体の装甲がじわりと赤みを帯び、きしむような金属音が鳴った。
(焦るな。恐れるな。今までの訓練を、信じろ――!!)
模擬生体が一歩踏み出しかける――その瞬間、動きがピタリと止まる。
静寂が、辺りを包んだ。
僕はゆっくりと手を離し、膝に手をついて、呼吸を整える。
肩で息をしながら、顔を上げた。
背後から静かな声が届いた。
「よし。よくやった」
嵯峨野さんの声。
初めて聞いた、優しい響きだった。
その時――。
ヴォーーーン、ヴォーーーン……。
重く、腹の底に響くような警報音が静寂を引き裂いた。
空気が一瞬で張り詰め、肌に冷たいものが走る。
『凶の襲来!! 凶の襲来!! 全員、ただちに全力警戒――臨戦態勢を取れ!!』
スピーカー越しに響く、小値賀先生の声。
怒鳴るような叫びに、ただ事ではない雰囲気が滲んでいた。




