中編
翌日。
「ふぁ……んん……」
「香月、また寝不足ー?」
香月の前列に腰掛ける女生徒が、朝からおにぎりを頬張りながら香月の寝顔を覗き込む。香月はブランケットにくるまると小さく頷いた。
「相変わらず無気力だなぁ」
「未空こそ、朝からよく食べられるわね……」
未空こと、久瀬未空は常に明るく天真爛漫な性格で学年問わず絶大な人気を誇っている。香月は鞄から一通の手紙を取り出すと未空に差し出した。
「ん? ラブレター? 私に?」
「違うわ……三年の桐生って男に渡してほしいの」
「え! 香月って桐生先輩が好きだったのッ?」
未空は手紙を振り回して大声で捲し立てる。香月は飛び起きると未空をブランケットで抑え込んだ。
「静かにして。未空を信用して頼んでいるのよ?」
「う……ごめんなさぁい……」
一瞬にしておとなしくなった未空を解放し、改めてブランケットにくるまった香月は視線だけを未空に向ける。
「任せていいかしら」
「いいけど……いつ?」
「今日中にお願い」
「わかった。じゃあ昼休みに渡してくるね!」
香月から受け取った手紙を大切そうに鞄にしまう未空を見て一度頷き、香月は本格的に寝息を立て始めた。今日の時間割りでは昼休みまで移動教室はない。四時間は仮眠が取れる。教師の退屈な授業を聞き流し、いつの間にか熟睡してしまっていた香月は未空にブランケットを奪い取られて目を覚ました。
「んん……今何時……」
「昼休みだよー! ご飯食べよ!」
「手紙は?」
「渡してきた!」
想像以上に仕事が早い。香月はゆっくりと上体を起こした。
「私の名前は、出さなかったわよね」
「うん、友達からって言っておいたけど……」
「それでいいわ。ありがと」
そして予想以上に仕事ができる。素晴らしい友人を持ったものだ、と香月は満足げに頷いた。
「そんなことよりさー、また菓子パン? 飽きない?」
「そういう未空はいつもおにぎりね。飽きないの?」
「具は毎日違うから!」
「私も味は毎日違うわ」
香月にとって、食事はただのカロリー摂取。必要カロリーさえ満たしていれば内容は特に気にならない。
「もー……あ、そういえば今日の体育、女子はバスケだって! 楽しみだね!」
「いいえ、全く」
未空には当然言えないが、香月は医者である。突き指で手が使えないなど許されない職業なのだ。パソコンのキーボードを叩くのも、時にはメスを用いた簡単な手術をするのもすべて指。出来る限り隅でおとなしくしているのが賢い選択だろう。
「えー、なんでー? 香月、運動神経悪くないじゃん!」
「それとこれとは話が別よ。ボールは一切私に回さないで」
「はーい……でも同じチームにはなろうね!」
「なれたらね」
未空のめげない性格は羨ましい。香月は鞄を手に取り一足早く立ち上がった。体育館近くの更衣室ではなくトイレで着替えをするためだ。
「香月も更衣室使えばいいのにー」
「あんな女のテリトリー争いに巻き込まれたくはないの」
「じゃあ私もあとから行くね!」
「えぇ、急がなくていいから」
教室を出て右に曲がり、階段前のトイレに足を踏み入れる。鏡を占拠している女子生徒の後ろを縫うように進み、最奥の個室に入って鍵を閉めた。素早く着替えを済ませ、教室に鞄を置きに戻ると見覚えのある少女が立っている。梨子だった。
「あ、東雲さん……あの」
「学校では私に接触しないで」
「でも、あの……」
「営業時間外よ」
机の横に鞄をかけ足早に教室をあとにする。梨子は追いかけて来なかった。未空と面倒極まりない体育を終え、更衣室には寄らずに教室へ直帰して体操着を脱がずに上から制服を着る。未空は友人と談笑しながら自分の席に着くと既にブランケットにくるまっている香月の頬を指で突っついた。
「やめなさい……未空」
「次数学だよ。怒られるよ? 横山先生怖いじゃん」
「問題ないわ……」
あんなものは無視していればいいのだ。寝ていようが起きていようが、テストで赤点を回避し出席日数さえ満たせば単位はもらえるのだから。予想通り、授業開始と同時に教室内には数学科教師の怒号が響いたが香月は寝たふりでやり過ごした。そして放課後。
「香月、一緒に帰ろー」
「悪いわね、今日は予定があるの」
「えー! 珍しい! あの香月に予定ッ?」
「失礼な……」
未空の、思ったことをすぐ口に出してしまう性格は直した方がいいと香月は常々忠告しているのだが人はそう簡単に変われない。香月は鞄を手に取ると未空に手を振って教室から飛び出した。自宅兼診療所に戻り制服から私服へ着替え、顔がバレないようにフードを被る。
未空に渡してもらった手紙には学校横の神社に午後五時に来てほしいと書いておいた。桐生が来るかは一か八かの賭けである。待ち合わせより早めに神社へ向かうと一人の男子生徒が周囲を見回していた。手には香月が書いた手紙が握られている。
来た。香月は慎重に桐生へ近づき声をかけた。
「桐生さん、ですか?」
「そうだけど。これ書いたのアンタ?」
桐生は手紙をヒラヒラと振って見せる。香月はゆっくりと頷いた。
「一つ、お願いしたいことがあって来ました」
「お願い?」
「二年の宇佐美梨子に告白してください。何も聞かずに」
「は?」
桐生が訝しむのも当然だろう。だが香月も無策ではない。
「もちろんタダとは言いません。1万でいかがでしょう」
「アンタ、本気か?」
「えぇ、何も一生付き合えと言っているわけではありません。一週間で別れていただいて結構です。一週間、1万で宇佐美梨子と付き合っていただけませんか」
桐生は少し考え込んでから口を開いた。
「一週間2万ならいいぜ」
足元を見た交渉。が、そのくらいは香月の想定範囲内だ。
「わかりました。この場で2万お渡しいたします。明日、お願いしますね」
桐生の目の前で封筒から2万円を取り出し、香月は桐生に握らせる。
「けどよぉ、何でここまでして俺にコクらせんだ? 一週間だけでもその女に夢見せてやりてぇとか?」
「……何も聞かずに、という約束です」
「へいへい、ま、いいバイトだわ」
そして桐生は去っていった。




