第1話「家族」
朝、目が覚めた。
見慣れた天井。白くて、少しひび割れたペンキ。
だけど――何か違う。
理由は分からない。ただ、空気の流れがいつもより冷たく感じた。
階下から、母の声がした。
「早く起きなさい、朝ごはん冷めちゃうよ」
その声を聞いて、私は安心した。
少し安心したはずだった。
階段を下りる途中で、ふと足が止まった。
リビングのドアが半開きになっていて、その隙間から母の姿が見える。
母は背を向けて、味噌汁をよそっていた。
――髪が短い。
昨日までは肩まであったのに。
それに、背中の線が違う。
まるで別人のように、姿勢が良い。
「おはよう」と声をかけると、母はゆっくりと振り向いた。
にこやかな笑顔。
でもその目の奥が、少しだけ濁って見えた。
「おはよう。今日はよく眠れた?」
「うん……」
私は頷きながら、父の方を見た。
テーブルの向かい側に座って、新聞を広げている。
見慣れた光景のはずだった。
だが、父が新聞を下ろした瞬間、私は息を呑んだ。
――目の色が違う。
昨日まで黒かったはずの瞳が、ほんのり灰色がかっている。
それが妙に透明で、光を反射しているようだった。
「どうした?」と父が言う。
声も、どこか低くなっている気がした。
私は慌てて視線を逸らした。
食卓には、焼き魚、卵焼き、味噌汁。
全部、いつも通りのはずなのに。
湯気が立っていない。
箸で触っても、温かさがない。
妹の席が空いていることに気づいた。
「ねえ、今日、菜々は?」
母が笑いながら言った。
「菜々? 誰のこと?」
一瞬、言葉の意味が分からなかった。
「妹の……菜々。まだ寝てるの?」
母と父は顔を見合わせて、同時に首を傾げた。
「あなた、一人っ子じゃない」
「……え?」
笑って誤魔化そうとしたけれど、喉が乾いて言葉にならない。
食卓の上の箸が震えていた。
私の手じゃない。
それなのに、箸が勝手に動いていた。
まるで、見えない“誰か”が一緒に食べようとしているみたいだった。
私は急いで部屋に戻った。
机の上には、昨日までつけていた日記帳がある。
震える指でページを開く。
そこにはこう書かれていた。
「今日、父が亡くなった。菜々は泣き疲れて眠っている。母も声が出ないらしい。」
読み返しても、間違いなく私の字。
日付は――昨日。
頭が痛い。視界が歪む。
私はそのまま机に突っ伏した。
気づけば夜になっていた。
家の中は静まり返っている。
1階から、テレビのノイズのような音が聞こえた。
リビングを覗くと、家族が揃ってソファに座っていた。
母、父、そして……妹。
テレビの光に照らされたその顔は、全員“同じ顔”をしていた。
私の顔だった。
彼らが一斉にこちらを向いた。
「おかえり」
その声が重なり、空気が震えた。
私は逃げた。
玄関のドアを開けようとするが、ドアノブが異様に冷たい。
外には、真っ黒な空。
月が二つ、並んで浮かんでいた。
ドアを閉め、階段を駆け上がる。
自分の部屋に戻り、息を殺す。
スマホを取り出す。
画面には自撮りのフォルダが開かれていて、そこに“今日の写真”があった。
撮った覚えはない。
家族全員と私が並んで写っている。
笑顔で。
中央には“もう一人の私”が立っていた。
その私だけ、笑っていなかった。




