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ヴィクトルは二ヶ月に一度ぐらい屋敷に帰ってくる。
領地を管理する書類に目を通してサインする必要があるらしい。
それ以外は帰ってこないので、私は平和で楽しい日々を過ごせていた。
だけど、
「あいつなんかいない方がいいでちゅね」
と思いながら眠りについった夜、ふかふかのお布団とふかふかの枕に埋もれて眠りかけていると、騒がしさで目が覚めたの。
「まだ朝じゃないでちゅよね?」
いったいどうしたんだろう?
私は可愛らしいネグリジェとお揃いのナイトキャップ姿でベッドから下りてそっと扉を開けてみた。
すると侍女さんたちや従者さんたちが慌てた様子で廊下を行ったり来たりしている。
なんだか大変なことが起きているみたい⋯⋯。
バネッサを見つけたので駆け寄った。
「何があったんでちゅか?」
「まあ、アリーシャ様、起きてしまわれたのですね。さあベッドに戻りましょう」
バネッサは私を抱っこして寝室に向かう。
「じつは、ヴィクトル様が戦場で怪我をされたのです。だけど大丈夫でございます。お医者様がいらしてますから」
そう言いながらもバネッサの顔はすごく暗い。
もしかしてヴィクトルの怪我って命に関わるほどひどいのかな?
ベッドに戻されて、バネッサが寝室から出ていくと私は考えた。
「お芝居の話と違うでちゅ⋯⋯」
『すり替えられた令嬢』ではヴィクトルは怪我をしなかった。
これってどういうことだろう? 私の未来が変わるってことかな?
「あいつの様子を見に行くでちゅ」
部屋の外に出ると廊下には誰もいなかった。どうやら医者は帰ったようだ。
ヴィクトルの部屋は二階の一番奥。
扉を開けるとプーンと薬の臭いがした。
「怪我は酷いでちゅか?」
薄暗い寝室の真ん中に大きなベッドがあった。
「よいちょ⋯⋯」
三歳児には大きすぎるベッドだ。頑張って上るとヴィクトルの顔が見えた。
うわぁ⋯⋯。
顔が真っ白で血の気がぜんぜんないよ⋯⋯。
右肩から右腕に白い包帯がぐるぐるに巻いてある。
「生きてるでちゅか?」
手を伸ばして青白いほっぺたをツンツンしてみる。
ぜんぜん動かない。
「死んじゃったでちゅか?」
息をしているかな、と思って顔を近づけた。
すると、
「⋯⋯ッ」
ヴィクトルが苦しそうな声を出したよびっくりだ。
そしてヴィクトルの切れ長の目がぱちって開いた。
どうしようこの状況⋯⋯。
ヴィクトルが、何してるんだおまえは——って目でじーっと見てるんですけど。
こうなったら仕方がない。
「お兄ちゃま、死んだらダメでちゅー!」
私はぎゅーってヴィクトルに抱きついた。
「⋯⋯」
ヴィクトルが戸惑ってる。
だよね、戸惑うよね、私だってものすごく戸惑ってるもんこの状況。
包帯だらけのヴィクトルに抱きついたまま必死で考えた。
ここからどうしたらいい?
悩んだけど最後までお兄ちゃん大好き設定でいこうと決心。
「ふ⋯⋯、ふたりっきりの家族でちゅ! 元気にならないとダメでちゅ!!」
もっとぎゅーっと抱きついた。
だけどヴィクトルはやっぱり黙ったままだ。
白々(しらじら)しかったかな⋯⋯。
私はそっと手を解いてヴィクトルから離れようとした。
すると、
「ふたりっきりか——。たしかにそうだな、アントワ公爵家にはもう俺とおまえしか残っていない」
ヴィクトルがそう言って、怪我をしていない左手で、私の頭をポンポンと軽く叩いたの。
ほら、お母さんとかお父さんとかが子供の頭を愛しそうにポンポンって叩くでしょ?
あんなふうにポンポンって私の頭を叩いたの。
ものすごくびっくり⋯⋯。
「えっと⋯⋯」
戸惑いながら顔をあげるとヴィクトルはまた目を閉じていた。
私はそーっとベッドから下りて部屋に戻った。
翌る日もヴィクトルはずっと眠っていて、執事さんも侍女さんたちも従者さんたちも、心配そうな顔をしていた。
だけど三日目にはヴィクトルは元気になって、包帯だらけの体でまた戦場に戻って行った。
「お兄様は命をかけて私たちの安全を守っていらっしゃるのですよ」
執事のおじいさんがそう教えてくれた。
「お無事をお祈りしましょうね」
バネッサもそう言う。
「⋯⋯はいでちゅ」
お父さんやお母さんに頭をポンポンされている子供を見て、孤児の私はいつも、いいなあって思っていた。
ヴィクトルにポンポンされてすごく嬉しかった。
冷酷な男だって知っているけど、それでも嬉しかった。
だから私はこの夜から、寝る前に、「あいつが怪我をしませんように」って祈ることにしたの⋯⋯。