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「お兄様がいらっしゃらないとお寂しいですね」
屋敷の使用人の人たちはみんな言うけど、もちろん私はそうは思わない。
冷酷なあいつがいなくて最高だ!
パンが焼けるいい香りで目が覚めて、かわいいドレスを一日で何回もお着替えする。お昼も夜もお腹がはち切れそうなほど美味しいご飯を用意してもらえるし、夜になって冷えてきたら暖炉に火が入ってとっても暖かくなる。
ああ、本当に最高に幸せだ!!
「アリーシャ様、何を描いていらっしゃるのですか? その金色の袋は何ですか?」
「これは金貨の袋でちゅ」
「金貨の袋⋯⋯?」
お昼ご飯のあとで私はお絵描きをしていた。
子供部屋のふかふかの絨毯の上に寝そべって、クレヨンで描いている。
画用紙の真ん中にいるのは可愛いピンクのドレスを着た女の子。もちろん私。
両手に大きな黄色い袋を持っている。これは金貨の袋。私の将来の生活資金。
「貯金するでちゅ」
「貯金でございますか?」
「はいでちゅ」
十六歳になってここから出ていく時の準備をしなくちゃね。
「字を教えてほしいでちゅ」
「まあ、アリーシャ様はほんとうに賢いですね。もちろんお教えしますよ。でも私よりも家庭教師の先生から教えていただいた方がいいと思います。執事さんからお兄様に頼んでもらいますね」
「計算もしたいでちゅ」
「計算もですか、素晴らしいですね!」
だって、文字が読めて計算ができたら、いろんなお仕事ができるでしょ?
孤児の私は文字も読めないし計算もできなかったから苦労したの。
「アリーシャ様、そろそろ午後のお散歩はいかがですか?」
「行くでちゅ!」
お散歩、だーい好き。
だけどこの日、バネッサと手を繋いで楽しいお散歩をしていたら、遠くから蹄の音が聞こえてきたの。
なんだかいやーな予感がするんですけど⋯⋯。
「まあ、お兄様がお帰りですよ!」
ああ、やっぱりね。
あいつ、また帰ってきたの?
ヴィクトルは白馬に乗っていた。黒い騎士服の上にマントを羽織っている。
私とバネッサの横で馬を止めると、いつものようにテンション低めに聞いた。
「何をしているんだ?」
「アリーシャ様と苺畑を散歩しておりました。アリーシャ様は苺の生育が誰よりもよくお分かりになるのです」
「金の手ということか——」
「はい」
私が金の手——植物を育てる天性の才能を持っている——というのはどうやらほんとうみたい。
苺畑を散歩しているだけで、この苺は肥料が足りないとか、この部分は受粉がうまくいっていないとか、そんなことがなぜかわかるの。
私が触った苺達はものすごく成長が良かったりもするの。
自分でもびっくりだよ。
「苺が好きか?」
「す⋯⋯、好きでちゅ」
ビクビクしながら私が答えると、バネッサがそーっと離れていく。
え? もしかしてまた『兄と妹だけにしてあげよう』って思ってる?
やめてよ、この人は危険人物なんだからね!
「ではこの苺をどう思う?」
馬上のヴィクトルが苺畑の一角を指差した。少し葉っぱに元気がない。水が足りないようにも見えるけどたぶんそうじゃない、これはきっと病気だ。
「⋯⋯病気でちゅ」
「うむ、そうだ——。萎黄病だ。その幼さでわかるとは『金の手』というのはほんとうのようだな」
これって褒めてくれたのかな?
ありがとう、ってお礼を言った方がいいのかな?
考えているとポツッって頭の上に水滴が落ちてきた。
雨だ!
ポツポツはすぐにザーッてなった。土砂降りだ、わー、大変!
「やはり降ったな」
ヴィクトルがサッとマントをかぶった。
「⋯⋯雨でちゅ」
いきなり降り始めた激しい雨に、可愛いおリボンも金色の長い髪もピンクのヒラヒラがいっぱいついた大好きなドレスも、ぐっしょりと濡れていく。
ヴィクトルは自分だけマントの下⋯⋯。
三歳児が濡れてるんですけど?
「アントワ公爵家の人間ならすべてに備えておかねばならない。黒い雲が見えれば雨が降る——つまりそういうことだ」
どういうこと?!
と、思ったけれど私は弱々しく頷くしかなかった。
「わかりまちたでちゅ⋯⋯」
そしてしっかり風邪をひいた——。