4
「お目覚めですか、アリーシャ様?」
「うーん⋯⋯」
寝返りを打ってハッとした。
ここ、どこだっけ?
ああそうだ、私は『すり替えられた令嬢』の中に生まれ変わったんだ。
えっと⋯⋯、兄のヴィクトル・フォン・アンドレ公爵とお茶をして、椅子から落ちて、でも助けてもらえなくて⋯⋯、そうだ、それから疲れ果ててお昼寝したんだ。
ふわふわのお布団に大きな羽毛の枕、気持ちいいなぁ。
「さあ、そろそろ起きましょうね、アリーシャ様」
侍女のバネッサが私を抱っこして窓辺に連れて行く。
「お兄様はちょうど今、騎士団の陣営にお戻りになるところですよ、ほら、あそこに」
え?
あの——三歳児が椅子から落ちたのに大丈夫かの言葉すらかけない冷酷非道な——男が、陣営に戻ったの?
ってことは屋敷からいなくなるってこと?
うわー! よかったああ!
涙が出るほど嬉しいよお。
ヴィクトルとモルト伯爵が馬を並べて遠ざかっていく姿が見える。なんて素晴らしい光景だろう。
もう帰ってくるなよぉー!!
私はブンブンと大きく手を振った。
「そんなにお悲しいのですね⋯⋯」
バネッサは誤解してしんみりしてる。
「アリーシャ様、気分転換に苺畑をお散歩いたしましょうか?」
「はいでちゅ!」
『虐げられた令嬢』の舞台はフラーグン王国。
フラーグン王国は豊かな農業国で特に苺の栽培技術に優れているの。
たくさんの苺の品種があって、品種によってはものすごい高級品で、金と交換できるぐらいなの。
だから公爵家の広い苺農園はものすごく大事な収入源。
「お散歩、大好きでちゅ」
ああ、ほんとうに『お散歩』ってお金持ちの特権だよねワクワクするよ。
お日様が眩しいなあ⋯⋯。風が気持ちいいなあ⋯⋯。
「ご機嫌ですね、アリーシャ様」
「はいでちゅ!」
ニコニコ気分で苺畑を散歩していたとき、ふと、考えなければいけない大事なことが二つあることに気がついた。
一つ目はトム・バルタリンおじさんのこと。
三年前、激しい雨が降る地方の田舎道で、一台の馬車が大きな事故にあった。
乗っていたのは旅行中のヴィクトルの父と、旅先で密かに電撃結婚をした若いブロンドの女性、そして生まれたばかりの赤ちゃんだった。
ヴィクトルの父と女性は死亡、赤ちゃんだけが生き残った。
トムおじさんはこの馬車の事故現場に居合わせ、生き残った赤ちゃんを公爵家に送り届けることになったんだけど、偶然にもおじさんには生き残った赤ちゃんと同じ月齢の姪がいて、姪の母親である妹が亡くなっていたの。
この偶然がトムおじさんを悪魔に変えたのね。
ヴィクトルの父親が結婚のことを誰にも知らせていないらしい——と知ったトムおじさんは、赤ちゃんをすり替えて、自分の妹がヴィクトルの父と結婚したことにしたの。
おじさんの仕事は公証人(公正証書の作成や認証などを行う法律の専門家)で、書類を作る専門家だったので、結婚書類や出産記録を偽造することができたというわけ。
赤ちゃんのすり替えにまんまと成功したトムおじさんは、今、公爵家の親類の立場で領地の管理人をしている。
そして公爵家の財産を横領している。
十五歳になったアリーシャが自分がほんとうの公爵家の令嬢ではないと気がついたとき、『事実がバレたらおまえは貧民街で体を売ることになるぞ』と脅して、ほんとうの妹のルイーザを殺させようとしたのも、このトムおじさんなの。
アリーシャを悪の道に引き摺り込む悪いおじさんなの。
「そうならないように、トムおじさんをなんとかしなくちゃでちゅ⋯⋯」
「え? 何かおっしゃいましたか、アリーシャ様?」
「なんでもないでちゅ」
だけどどうしたらいいんだろう?
横領していることをヴィクトルに知らせたらいいかもしれないけど、三歳児の私がどうやってそれをするの?
十歳ぐらいになったらできるかな?
そうだね、十歳になったらトムおじさんの悪事をみんなに知らせよう。
二つ目の大事なこと——。
それは、十三年後にほんとうの妹のルイーザが現れた時に私がどう行動するかということね。
『すり替えられた令嬢』の中のアリーシャは自分が偽者だとバレないためにたくさんの悪いことをしたの。
だからヴィクトルに殺された。
「⋯⋯怖いでちゅ」
「え?」
「ううん、なんでもないでちゅ」
つまり私が生き残るには悪いことをしなければいいんだよね。
本物の妹のルイーザが現れたらすぐに、「どうぞどうぞ、私はお屋敷を出ていきますわ!」って屋敷から出て行ったらいいんでしょう?
そうすればヴィクトルも私を殺さないはずだよね、悪いことをしていないんだから。
そうだ、そうしよう!
本物が現れたらさっさと出て行こう。
そう決めたら気持ちがスッキリした。
残り十三年の間、ヴィクトルの機嫌を損ねないように気をつけて可愛い妹を演じて、揉め事がないように平和に暮らしていこう!