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鋼と小麦  作者: 井ノ下功
step 5 あなた/君でなければ
77/80

extra step 壁裏の散歩者 scene 2/2

 しばらく待っていると、壁裏スキッパーより先に軍警の男性二人がやってきた。片方は日中の勤務を終えてきたところらしく、制服のままだ。髭を生えるがままにしている彼は、何度か会ったことのある人だ。もう一人は休みだったのか私服で、初めて見る顔だった。

 髭のほうが片手を上げて、ずかずかと近寄ってきた。


「よお、リドル。それに飼い主ちゃんと――」


 と、彼はサルバトールにひょいと顔を寄せて、驚いたように瞬きをした。


「こっちも女か! びっくりした」


 びっくりしたのはこっちよ、失礼ね、とカトラだったら言っていたところだが、大人しいサルバトールは肩を縮めて硬直しただけだった。そんな彼女を歯牙にも掛けず、彼はベルに向き直った。


「お前の両手に花とか、明日は雪か?」

「うるせぇな」

「で、何やってんだよ」

「壁裏スキッパーを呼んでる」

「は? あれって呼ぶとかあんのか?」

「あるらしい」


 首を傾げた髭面と入れ替わりに、背の低いほうがベルを見上げた。


「なぁベル、今夜暇か? ヴォルパーやろうぜ」

「今日は遅番だから無理だ。それよりガイオ、お前はもう少し強くなってからやろうとか言え」

「うるせぇな、次はぜってぇ勝つし」


 ガイオと呼ばれた私服の男が、唐突に聞いた。


「で、どっちがお前の女?」

「こっち」


 ベルが答えるより先に、髭面の男がカトラを指さした。途端にガイオが顔をしかめる。


「ニーコ、お前それマジで言ってる?」

「信じられねぇだろ?」

「まずコイツに女がいるってところから信じられねぇのに。あーあ、なぁニーコ、次のヴォルパーは組んでコイツはめようぜ」

「お前込みなら三対一でもやってやるよ」


 吐き捨てるように言ったベルに、ガイオは「ちぇっ、うざい奴め」と舌を打った。


「あっ」


 サルバトールが急に身を乗り出した。


「皆さん、お静かに。来ました」


 見ると、皿の中の酒がぴちゃぴちゃとしぶきを上げている。室内だから当然風はなく、雨漏りを受け止めているというわけでもないのに、だ。


「壁裏スキッパーは普通、人間には見えないようになっています。姿を見せるのは何かを盗むときと、酔っ払ったときだけなのです」


 言い終えた途端、まるで図ったように壁裏スキッパーの姿が現れた。一見すると毛むくじゃらのイタチのような姿だ。大きさはちょうどベルの手ぐらい。長い爪のある手で器用に皿の縁を掴んで、顔を皿に突っ込み、酒に夢中になっている。自分の体と同じくらいの大きさの、ふわふわの尻尾が、思い切り左右に振れていた。今は後ろ足だけで立っているが、四つ足で走ることもできるらしい。

 皿の中身をすっかりなめ尽くしてしまうと、ぺろんと大きな赤い舌を覗かせながら顔を上げて、そいつはそのままふらりとしりもちをついた。猫とも犬とも違う顔には三つの石ころのようなものがついていて、それらのうちどれがどれなのかは分からないが、目と鼻であるという。長い耳が後ろに垂れて、その先端がぴくぴくと、ご機嫌そうに震えていた。


「もう良いですね」


 サルバトールがそっと壁裏スキッパーに近寄った。そして、酔って頭を揺らしている壁裏スキッパーを両手で持ち上げると、


「カトラさん、すみませんが、この尻尾を少し揺らしてもらえませんか」

「尻尾を?」

「はい。そうしたら、盗られた物が落ちてきますので」


 そういうことなら、とカトラは自分の膝を尻尾の下に置いて、左手を構えた。


(落として割れたり壊れたりするような物が盗られていたら、大変だもの)


 そうして右手で尻尾を揺らす。見た目どおりのふわふわな尻尾だが、妙に感触が軽い。あまり触っているという感じがしなかった。


「――まぁ」


 二度、三度と振ったときだった。

 ぽとりとカトラの手の中に落ちてきたのは、年代物の懐中時計だった。


「あっ、それ俺のだ!」


 とニーコが声を上げた。

 次は万年筆。金の指輪。白い花柄の、やや重たい紙袋。使い込まれたシガレットケース。ロケット付きのペンダント。凝った装飾のついたライター。宝石のついたネクタイピン――。


「ずいぶんとたくさん盗っていましたね。住み着いて、二ヶ月は経っていそうです」

「もう出てこないみたいだわ。どれが誰の物か分かるかしら」

「だいたい分かるぜ。これだけ見覚えねぇけど」


 ニーコが紙袋を指さした。


「どう見ても女からのプレゼントだな。ジッロか?」

「いや、ジッロならしまっとかねぇよ。使うか捨てるかしてるぜ」

「だよな。じゃあ――」


 と、言いかけたニーコの後ろから、ベルがついと手を伸ばして、その紙袋を取った。


「ああ、お前、誰のか知ってんの?」

「……まぁ、うん」

「……まさかお前のか?」


 ベルは本当に嘘をつけない性質だ。顔の怖さにさえ惑わされなければ、それは火を見るより明らかである。

 カトラの胸がきゅうと縮んだ。


(あたし、知らないわ、あんな紙袋。あたしのあげた物じゃない。それじゃあ、あれは、やっぱり、昔の恋人の……?)


 いや、それならばいい。それならまだいいのだ。けれどあの紙袋は、どこからどう見ても新しい。三年も四年も経っているような物ではない。だとしたら、その事実が導き出す答えは――。


「へぇー、お前、幸せもん――」


 言いさして、ニーコもふと何かがおかしいと気が付いたらしく、声色を変えた。


「――待った。お前それ、誰に貰ったんだ? 場合によっちゃ俺が殴るぜ?」

「違う、違う! 貰い物じゃない」

「じゃあ何なんだよ」

「……貰ったんじゃなくて……」


 ベルはちらりとカトラを見てから、そっぽを向いて、ごくごく小さな声で「あげるために買ったんだ」と言った。


「は?」

「だから、これは俺が買ったんだ。あげようと思って」

「……なんで渡してねぇの?」

「……タイミングが分からなかった」

「てめぇは十四歳か! んなもん買った直後に渡せよ!」

「うっせぇ、いいだろ別に!」


 ぎゃあぎゃあと罵り合う男たちを尻目に、カトラは床に膝をついたまま、なんだかぼうっとしてしまっていた。安堵と、情けなさと、嬉しさが入り混じって、妙に頬が火照っているような気がした。

 サルバトールが隣に膝をついて、そっと耳打ちをした。


「カトラさんの恋人は、とっても素敵な方ですね」


 カトラははにかみながら笑って、頷いた。

   fin.

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