extra scene ドライフラワー
「はぁー、聞いてくれよ子猫ちゃん。俺もう負けっ続けでさぁ」
「あらあら、またヴォルパー?」
「その通りさぁ」
ジョルジャはくすくすと笑いながら、軍警の男のグラスにワインをついだ。ヴォルパーと呼ばれるカードゲームについては詳しくないが、この軍警がいつも負けていることは知っている。
「どれぐらい負けちゃったの?」
「これで十五連敗だ。ちぇっ、相手がアイツでなけりゃあなぁ」
「いやいや、ベルじゃなかったらお前、今頃身ぐるみ剥がされて川の中だぜ」
「間違いねぇな。十万くらい負けてるだろ」
横から別の軍警たちが口を挟んだ。とすると、賭けの相手はベルだったらしい。カトラの恋人はカードゲームが強いのね、とこっそり思う。
「もう無理だよお前は。諦めて支払っとけ」
「いいやまだだね! 絶対に勝てる! 勝つまでやってやる!」
「ベルからすりゃいいカモだな」
「噛み応えのねぇカモ肉だな」
がはは、と響く男たちの大きな笑い声に、ジョルジャはそっと自分の笑いを混ぜ込んだ。
「ジョルジャ」
こっそりと後ろからやってきたクララが、ジョルジャの羽織の裾を引いた。
「あら、なぁに?」
「お客さんなんだけど……」
と、クララは入り口のほうを振り向いて、眉の辺りをくもらせた。
「立ち話でいいって言い張るから、案内してないわ」
「あら、そうなのね。分かったわ。それじゃあ、私の代わりをよろしく」
「はぁい」
テーブルに断りを入れて、クララと入れ替わる。
入り口の脇に寄りかかっていたのは、ここ一年ほど熱心に通ってくれている男だった。ジョルジャが近寄ってきたことに気づくと、彼はおもむろに居住まいを正した。いつもどおり、小綺麗なスーツで身を固め、黒い山高帽を深々とかぶっている。顔立ちは平凡で、人好きのするような感じだ。どう見ても普通の紳士なのだが、どこかに見えない壁があって、絶対に踏み込めないと感じさせてくる。実際、勤め先や日常生活の話は一切しないのだった。あんまりにも正体がはっきりしないものだから、スパイじゃないかとか、暗殺者じゃないかとか、好き勝手な憶測の格好の餌食になっていた。けれどそこがジョルジャの気に入っているところだった。向こうがジョルジャを気に入っているのも、おそらく同じ理由だったろう。聞き上手な男だったから、アマンダやコルネリアともよく話していたけれど、ひとしきり話し終えた後には必ずジョルジャを呼んで、静かに酒を飲んで帰るのが常だった。
「やぁ、ジョルジャ」
「こんばんは、セシリオさん」
彼は微笑んで、帽子を取ると、
「この町での仕事がさっき終わったんだ。それで、明日の朝一番で中央に帰ることになってね」
「まぁ」
なんとなくそんな気がしていた。だからジョルジャは形だけ“驚いた”という顔を作っておく。
「ずいぶん突然なのね」
「そう。上司の人使いが荒くって」
「あなたがいなくなったら寂しくなるわ」
「花を愛でる男はたくさんいるよ。それが綺麗なうちはね」
「ふふふ、ひどい人」
ジョルジャに笑い返して、セシリオは帽子をかぶり直した。本当に、ただ別れの挨拶をしに来ただけらしい。それでも、来てくれただけ律儀だと言うべきか。
「君が忘れた頃にまた来るよ」
「忘れるより枯れるのが先だわ」
「いいね。僕はドライフラワーのほうが好きなんだ」
じゃあ、さよなら、レディ。と男はゆったりとしたお辞儀をして、ジョルジャに背を向けた。
一歩、二歩、三歩目で入り口にたどり着くと、彼は扉に手をかけ――その一瞬前に男の肩と頭がわずかに傾いて、しかし――そのまま店を出ていった。
テーブルに戻ると、クララが席を譲りながら言った。
「あっさり行っちゃったね」
「あら、そんなことないわ」
うふふ、とジョルジャは微笑む。飲んでもないのによろけるなんておかしいもの、とは、言わぬが花というやつだろう。
fin.