scene 11 ときには小さな子供のように
足音がすっかり消えてしまうと、そのままずるずるとうずくまった。座り込んでもまだ床がないように感じた。今し方聞いたことがすべて、すべて、信じられないようで、納得できるようで、どうしたらいいのか分からなかった。
ずっと我慢していた涙が、次から次にあふれてきて止まらなかった。
あたしにはもう帰る場所がないんだ、とか、なんて身勝手な人たちなのかしら、とか、そういった複雑な言葉は浮かんだ側から消えていく。
――リカルドの言ったとおりだとしたら父様はあたしのために――いや、それにしてはあんまりにも不器用すぎて――分からないですれ違ったら大変だって本当なのね――どちらにしても役立たずだったことに変わりはないけれど――でも、わざわざ戸籍を作ってくれたなんて――
すべて、すべて闇に吸い込まれていく。
引っかかって残ったのは、単純で大きな欲望だけ。
(……会いたい。ベルに全部聞いてもらいたい……)
けれど、こんな願いがあることも、奇妙で奇妙で仕方がない。
どうも少し前からおかしいのだ。トラブルに困り果てるとか、昔を思い出して泣くとか、誰かの言葉に傷つけられるとか、そんなことこれまでに何度もあったのに。けれど、いつも一人でどうにかしてきた。どうにかできてきたのに。――おかしい、一人が耐えられないなんて。
ひとりでいる部屋がこんなに冷たいなんて、初めてだ。
(あり得ないけれど、でも、偶然あたしに用があったってことに――)
床でのたうつお下げ髪が、月の光に触発されたように、淡く発光しているのが目に入った。カトラははっと我に返った。三つ編みを握りしめ、意識的に深呼吸をし、思考を切り替える。
(駄目よ、こんな風に魔法でベルを呼ぶなんて絶対に駄目! 迷惑もいいところだわ)
銀色の光はすぐに消えていった。
鼻を思い切りすすり上げて、天井を見上げる。
(大丈夫、今まで一人で平気だったんだから、今回だって平気よ。頼る必要なんてないわ。……迷惑、かけたくないもの)
だいたい、家に戻るつもりは最初からなかったのだ。だからいい。心底から嫌われていたわけじゃないと分かっただけで、充分幸せじゃないか。
そう言い聞かせながら、カトラはようやく立ち上がった。
カップを片付けようとテーブルに戻る。と、リカルドが座っていた椅子に、小さな革袋が置き去りにされているのを見つけた。
(大変だわ、忘れ物かしら)
手に取ると、中でガシャリと金属の触れ合う音がした。お金だ。中を覗くと、贅沢をしなければ半年は暮らせそうな枚数の金貨と、一枚のカードが入っていた。なんの飾りもない、ただ真っ白いだけのカードに、すみれ色のインクで短い文が綴られている。
『自由に生きろ』
父の手だった。
「……ずるいわ、こんなの」
謝るでなく、許しを請うのでもなく、いつもどおりの命令口調で一度も口にしなかったことを言う父にも。
直接渡せば断られるに違いないと思ってこっそり置いていった弟にも。
カードと袋を乱暴にテーブルへ落とす。片付けなんて、もうする気になれなかった。引っ込んだはずの涙が落ちる前に、ベッドへ飛び込んで枕に顔を押しつける。
思えば、弟が自分の居場所を突き止めたことだって不審なのだった。魔法を使ったところで、こんな正確に分かるわけがないのだから。父と弟が繋がっていたならば、家出するところからずっと監視――保護――されていたのだと思ったほうがつじつまが合う。
うぅ、と口から意味のないうなり声が漏れ出た。獣のうなり声。傷を負って、洞窟の奥深く、ひとりじっとうずくまって耐える獣。こんなの誰にも聞かせられない、と、カトラはますます強く枕に顔を埋めていく。枕が冷たく湿っていく。
月の光が白々と、彼女の背を照らしていた。
To be continued.




