私の上に浮かぶ『王都』は、もう滅んでますの
「殿下のために、私は我が国を捧げることにしましたわ」
夕暮れの太陽を、巨大な土塊が遮っている。
その端には巨大な城壁と城門。かつて我が国と国交があった国の王都のもので間違いないだろう。
「姫? あれはどうしたことだい?」
目の前の光景の意味がわからない。
艶然と嗤う少女に、背筋がゾッとする。彼女は隣国から遊学にやってきた時に知り合い、儚げな雰囲気に惹かれた。
学校では想いを隠して友人として振る舞い、やがて彼女が隣国の二十番目の王女だと知った。
「ですから、殿下への捧げものですわ。これで貴方が殴られることもなくなるでしょう?」
卒業と同時にプロポーズをしようとさえ思った、控えめに笑う少女はどこに行ってしまったのだろう。
待ち合わせしたあの日、私はプロポーズを止めに来た兄に言われた言葉を思い出す。
「あの女に価値はない。どうせ滅ぶ国だ」
「しかし、彼女を通して働きかければ、かの国が持ち直す可能性だって――」
「それで、あの愚王が国を差し出すとでも思っているのか!?」
私は兄に殴られて、無理矢理城に連れ帰られてしまった。以来今日まで彼女とは会っていなかったのだが、どうやら聞かれていたらしい。
「いや、自分の国だろう? どうして、こんな……」
うまく言葉が見つからない。隣国の王都はここから遠く離れた地にあったはずだ。彼女はどうやって、こんなところまで王都そのものを運んできたのか。
目の前に広がっているのは幻想的な光景で、現実感がまるでない。
「帰国後陛下に国の立て直しをお願いしましたが、どうにもできませんでしたので、私が国を差し出すことにしたのですわ」
ますます訳がわからない。
「いやしかし、王都の住民はどうしたのだ?」
きょとん、と姫が小首をかしげる。
「住民? 私の上に浮かぶ『王都』は、もう滅んでますの。全部、殿下のお兄様のおっしゃるとおりでしたわ」
姫の楽しそうな哄笑が、夕暮れのテラスに響く。上空の『王都』は雲のように移動し、帝都上空に差し掛かっていた。皇宮に陰が差す。
「愛していたよ。ごめん」
ため息とともに言葉を吐き出し、鼻の奥に痛みを感じながら短剣の鞘を払う。
「あら、過去形なのに泣いてくださるのですか?」
短剣をその胸に突き立てても、彼女の表情は変わらなかった。嬉しそうに、私を抱きしめてくる。
こぼれ出す血に、私の涙が混じっていく。
「わた、く、しは、で んかを、あいして い ます……」
姫は最後の一息で言葉を吐き出し、それから私を軽く引き剥がすと、返り血にぬれた胸を軽く押した。
それだけで、得体の知れない力で城の中へ吹き飛ばされる。
吹き飛んでいる間、姫は私を見ていた。私も、姫を見ていた。
「姫っ!」
少しばかり、決断が遅すぎた。いや、早すぎたのか。
這いつくばる私の目の前で、姫の姿は落下してくる土塊にテラスごと飲まれていく。
「ああ、姫、どうしてーーー」
轟音の中、テラスが崩壊して落下していく。しかし、頑丈な石造りの城は降りそそぐ土砂によく耐えていた。
「彼女に価値がない?」
血まみれの短剣と、崩壊した王都に埋まっていく皇都の半分を見比べる。どうやら兄はすべてを間違えていたらしい。
兄も今頃そのことに気がついているだろうが、もう遅い。
私は、主を嗤う膝を叩いて無理矢理立ち上がり、短剣を手に歩き出した――――