2、婚約解消になった愛し子
ハリソンから婚約破棄を言い渡された数日後。私は王宮の一室である応接室に呼び出されていた。
案内した侍女に扉を開けてもらい中に入れば、そこに居たのは現国王陛下ヴィクター様と実父であるバート・ベルブルク公爵代理が話をしている最中であった。
現在公爵家は父である公爵代理が実権を握っている。私の母カロリーナが幼い頃に病死したためだ。
幼い私や妹のミラには公爵位を授ける事ができないため、公爵代理が成人するまで後見人として務めていた。
「よく来てくれた。息子の我儘で時間を取らせたな」
「いえいえ、面白味のない娘で殿下も扱いに困ったでしょう――」
公爵代理は私が隣に立っている事に気づくと嫌そうに顔を顰め、ぞんざいに「そこに座れ」と顎で示す。そして目に入れたくないと言わんばかりに、国王陛下と会話を再開した。
だが、私ではなく最愛のミラがハリソンと婚約する事に嬉しさを隠せないのだろう、声は弾んでいる。
一方対面に座る国王陛下は私に対していかにも申し訳なさそうな顔をしているが、婚約解消を受け入れて当然だと心の底では思っている事を隠しきれていない。
国王陛下と公爵代理が話している側で私は書類を読み、不備がない事を確認した後、婚約解消書類に署名を記入する。記入した冊子を控えていた侍女に渡したところで、国王陛下が再度口を開いた。
「本当にすまない、アレクシア。息子には愛のある結婚をさせてやりたいと思ってな」
国王陛下のこの言葉を聞いた瞬間、私は貼り付けた笑みを返す。表情の通り笑顔を返されたと思ったのだろう。
彼は、「ありがとう」と私に涙ながら言葉を送る。私は王妃教育を受けていて、感情のコントロールができることをまるで忘れているかのように。
それに返事をしたのは公爵代理だ。
「勿論でございます、陛下。それに此方としては、アレクシアから妹のミラに婚約者が代わるだけですから。家としてはなんら問題もありません」
語尾には、この娘など粗略に扱っても問題ありません――との声が聞こえるようだ。
ここまで実父が自分を蔑ろにするのは、公爵代理の嫌っている母方の祖母に似ているからだと私は思っている。
祖母や母譲りの金髪の緩いふわふわの巻き髪に、細く切れ長の青く透き通った瞳。薄めの唇、下がり気味の口角。そしてシャープなフェイスラインと雪のように白い肌。
母カロリーナはどちらかと言えば、可愛らしく儚い部類の女性だったが、祖母は取っ付きにくく冷淡に見える部類の女性だった。
そして自身もまた祖母と同様に見られる事が多かった。ちなみにミラは公爵代理に似ている。
今もそう。私は一言も話す事なく佇んでいるにも関わらず、公爵代理が私に目線を送ることはない。
「おお、公爵。そう言って貰えるとありがたい」
「ええ、妹のミラも公爵家生まれですから、精霊に愛された存在であります故」
「それもそうだな」
「では、次にミラと殿下の――」
私にもう用は無いと言うかのように、公爵代理はミラの話を続ける。この度の婚約解消で、次の婚約者が宛てがわれる事はなかった。
――これにより、アレクシアが精霊の愛し子ではないと国王より判断されたのだ。
ベルブルク公爵家の姉である私から、ハリソンの想い人である妹のミラに婚約者を変更しても、今までと何も変わらないだろう、そう彼らは考える。
むしろ愛し子と言われているミラが婚約者になれば、この国も安泰――だから彼らは愛し子でないと思われている私を手放したのだ。
「ふん、これでお前も用無しだ」
婚約を解消された私は、そのまま自室に戻ることなく公爵家へと帰される。私は荷物を纏める時間すら与えられずに、王宮を身1つで追い出された。
馬車の中で対面している公爵代理と私だが、その空気は家族と呼べるものではない。あちらからは嫌悪の表情がありありと見られるが、いつものことである。顔に表情を湛えることなく、私は公爵代理の顔を見つめる。
「お前はミラが殿下と婚約するまでの中継ぎだ。お前と殿下の婚約解消が成立した今、もう名前も聞きたくないし、顔も見たくない。どうせお前は愛し子ではないのだ。どう扱っても問題あるまい……公爵家もそうだ。ミラが殿下に嫁いだとしても、最初に生まれた娘を家に呼び戻せば問題はないからな」
私を睨みつつ話す彼の言葉は、血が繋がっている父親の言葉とは思えない。しかし、以前より数え切れないほどこのような言葉を浴びせられ、侮蔑されてきたのだ。
とっくの昔に諦めて、聞き流すことにしている。だから私は涼しい顔で公爵代理の顔を一瞥するだけだ。
そんな私の涼しい顔を見てまた苛立ちを募らせた彼に、ふと私は以前より思っていたことを言葉にした。
「でしたら、領地にでも戻らせて頂けませんか?」
いつも最後まで無言の私が話し出したことに驚いた公爵代理は訝しげに見ているが、鍛えられた私から何かを感じ取ることなど、父として接したことのない男には無理な話だろうに。
「私は元々爵位には興味がありませんから。好きにしてください」
その言葉を聞いた公爵代理は驚愕からか目を見開き口をぽかんと開けていたが、すぐに良い案が思い付いたのか私に向けてニヤリと笑顔を向ける。
その笑みを見て、私は勝利を確信した。
「まあ、こうなるわよね」
数日後、質素なワンピースと帽子に身を包み、右手には大きめのトランクを持ち、私は公爵家の玄関に立っていた。
公爵代理は私が婚約解消された事を受けて、「役立たず」と認定。これ幸いにと絶縁と国外追放を言い渡した。
その時の私は表情を変えず、ただその指示を受け入れる。
それが気に食わなかったのか、公爵代理は手に持っていた筆記具を投げ付けたくらいだ。勿論避けたため、当たる事はなかったが。
やることなすこと、妹のミラにそっくりだ。
しかし、一方で上手くいきすぎて困惑していた部分もある。最初は裏があるのでは、と思ったくらいだ。
まぁ、元々「領地に帰りたい」と言えば追い出そうとするのではないか、と考えてはいたので、一か八かの賭けに勝利したと思って深く考えるのはやめたのだが。
どこかに無理やり嫁がせる線もあったので、今回はその予想が外れなかったことに感謝するしかない。
門を出て再度振り返るが、使用人たちも公爵家を追放された令嬢に興味はない。むしろ私に構えば、あの二人から何をされるか分かったものではないため、目もくれず働いている。
噂によると本日公爵代理やミラは、婚約のお披露目のための話し合いがこの後王宮で行われるらしく、公爵家内が酷く慌ただしい、と話しているのを耳にした。
騒々しいうちにしれっと出て行ってしまえば嫌な思いもすることがないだろう、そんな公爵家を横目に門を閉めようとした。その時――
「おや、お嬢様。お待ちくだされ。儂が閉めますぞ」
振り返るとそこには爺がニコニコと立っていた。左手には白い袋を持ち、右手は最近伸ばしているという髭に触れている。
彼はこの公爵家の料理長であり、母が公爵代理と婚約する以前から勤めている古株の使用人だ。屋敷で最年長のためか、亡き母やミラだけでなく使用人からも「爺」と呼ばれて親しまれており、公爵家では私を気にかけてくれていた最後の一人である。
「あら、爺。一緒に居たら何か言われてしまうのでは?」
「そんなもの、忙しくて誰も見てませんぞ。何か言われたら、偶然で済ませますわい」
爺は笑いながら髭に触れていた手を門にかけて門を閉じる。心配した私が後ろを覗き込むが、爺の言う通り誰も見ている気配はない。
「よければ儂が見送りますぞ。話もございますしのぅ」
「ありがとう、爺」
私のお礼に爺は目を細めてホッホッホ、と笑ったのだった。