3、初めての依頼 前編
まだ太陽が昇っている最中なので試しに依頼を受けてみようかと思い、私は依頼掲示板に向かって歩く。するとそこには隣のお知らせ掲示板を見ていたライさんがおり、私の足音でこちらに気づいたようだ。
「その様子だと、冒険者登録は終わったみたいだね」
「ええ、意外と簡単で驚きました」
「一緒だ。僕も登録する時、手続きが簡素すぎて驚いたね。ちなみにシアさんは今日、依頼を受けるつもりなのかな?」
「それは依頼を見てからにしようかと思います」
そう言って、先程教えてもらった場所の依頼を見ていると、気になる文字が目に飛び込んでくる。その依頼表を手に取ると、ライさんが不思議そうに覗き込んできたのだ。
「ジンジャーの採取?ああ、料理に使う香辛料のためかな。これを受けるの?」
「ええ、鉄級であれば場所も近いようですし、受けてみようかと思いまして」
「確かにそれは良いかもね。この場所だったら、四半刻ちょっとで行けると思うよ」
「そんなに近いのですか?」
思っていた以上に近い場所で、驚いてしまった。依頼というのはてっきり、遠くへ行くものだと私は考えていたのだから。
「ああ、こういう依頼は常設されていて、冒険者が入手したものの多くは食堂に渡るんだ。食堂は一日中開いているところが多いからね。忙しくて自分で取りに行く時間がないんじゃないかな?」
なるほど、と思った。私の家の周辺にも食堂は2つほどあるが、朝から夜まで開いているのを見たことがある。あれだと確かに自ら使用する食材を取りに行く時間などないはずだ。その距離が近かったとしても、だ。冒険者に依頼して賄っているのだろう。
「それにこれも含めた採取の依頼は、冒険者になりたての人には丁度良い依頼だと思うよ。ジンジャーが採れる場所には、薬になる薬草も生えているからね。上級冒険者の中には、薬草を取ってきて薬を自分で作る人もいるし」
「全員が治癒魔法を使える訳ではありませんものね」
治癒魔法は大枠で言えば水属性にあたるのだが、水属性の魔法が使用できる人たち全員が使える訳ではないらしい。治癒魔法が使える人たちの共通点が、「水属性の魔法を使える」だったことから水属性枠に入っているだけなのだ。
風属性にあたる防御結界も似たようなものだが、こちらに関しては、風属性の魔法が使えれば治癒魔法よりは習得しやすいらしい。
「そうだね。大抵の人は治癒の魔法陣が描かれた魔石を持っているけど、擦り傷くらいじゃあ使うのが勿体無いし。薬にも頼るんだよ」
「簡単な依頼ではありますが、意味があるのですね……」
「ま、本当はそれに気づけるかもポイントなんだけどさ。冒険者に必要な物のひとつは、観察力だからね」
「勉強になります」
そこまで教えてもらったのなら、受けてみようかと依頼表を手にして窓口へ行こうとするアレクシアを見て、ライが声を掛ける。
「受けるなら僕も行くよ。これでも僕、金級冒険者だしさ」
金級……と聞いて思わず目をまん丸にしてしまった。その表情に気付いたのかライは苦笑する。
「あれ、僕そんなに弱そうに見えた?」
「いえ、年齢がそんなに変わらないように見えたので、驚きました……」
そう告げれば、「成程ね」と言って追求は止まる。何とか誤魔化せたらしく、そっと胸を撫で下ろした。
ネルさんの窓口へ行き依頼書を手渡せば、やはり私の体調が気がかりなようだ。依頼書を受け取るのを戸惑っていたようだが、後ろにいるライさんが「僕もついていくよ」と声を掛ければ安心したらしく、依頼書を受け取ってくれた。
「うんうん、良いと思いますよ〜!。ライさんは金級冒険者だし、大抵のことは彼がいなしてくれますよ!イケメンだもの!」
最後の言葉を特に強調して話したネルさんは、同時に拳を上に突き上げていた。
「あの……イケメン……とは?」
「……僕が意味を言うと自意識過剰に聞こえるから、ネルさんから聞いてくれるかな?」
「イケてる格好良いお兄さんのことです!」
「……なんとなく?分かりました。ライさんは、いけめんですよね」
いけてる?の意味が分からなかったが、格好良いお兄さんと言われて、納得した。確かに、ライさんはこの歳で金級冒険者、私から見ても顔は整っていると思う。
――勝手に納得している彼女の隣では、耳を真っ赤にしているライがいたのだが、気付いたのはネルだけだったようだ。ネルはライに向けてニヤニヤと効果音が付きそうな程の笑みを見せていた。
「あ、でもシアさん。話は戻りますが、本当に気をつけて下さいね?」
私は首を傾げる。体調のことがあるとは言え、そこまで心配されるようなことだろうか。
「何か心配事があるのですか?」
「そうですね〜、ギルド職員の性なのかもしれないのですが……誰であっても冒険者の初依頼は心配なんですよ?それが安全な薬草取りの仕事だったとしてもです!……ギルド長の受け売りだけれど、『街の外に絶対安全な場所はない。帰り際魔獣に鉢合わせる可能性もある。街の中に入るまで気を抜くな』……シアさんなら分かると思いますが、完全に舗装されたあの道でもグレートウルフが出るくらいですから。気を引き締めて行ってきて下さいね!」
「そうですね、心して挑みますね」
「シアさん、力みすぎ!もっと肩の力は抜いて良いんですって!そんなカチカチだと行く前に疲れちゃいますよ?……とっても可愛らしいお顔が見られて、ご馳走様です……ぐふふ」
そう言ってネルさんは軽く笑った。
私が可愛らしい……?初めて言われた言葉だったが、私にとっては思った以上に破壊力があったようだ。咄嗟に恥ずかしいと感じた私は、癖で右手を口元に持っていく。
だが、私は忘れていた。いつもなら手に持っている扇子がないと言うことに。だから、全く表情を隠せておらず頬を染めた顔と小さく開かれた口が丸見えだった。
――珍しく表情を変えたアレクシアに驚いたのか、まじまじと二人は彼女を見つめる。アレクシアは下を向き、ネルは彼女を見つめていたため、アレクシアを見つめるライの瞳に少しだけ熱が篭り始めている事にライ自身も含めて気づく人はいなかった。
無言の時間が続くかと思いきや、後ろからやってきたエミリーさんがネルさんの肩を叩いて去っていった。自分の仕事を思い出すように、という指摘だ。ネルさんもその行動で我に返ったようだ。
「そうだ、薬草採取の初回依頼では説明しないといけない事があるんだった!」
はい、と手渡されたのは薬草採取の際の注意点や、この周囲の地形が描かれている地図だった。
「薬草や木の実の採取の注意点は2つあります。一つ目は依頼書に書かれている以上に取りすぎない事。二つ目は、正しい採取の仕方で取る事、この二点は必ず遵守して下さいね!」
薬草を必要以上に根こそぎ取れば、次に必要とするときにその場所で採取する事ができなくなるかもしれない、そのことは私でも理解できた。
「ええ、胸に刻んでおきます。……あの、ひとつお聞きしても?」
「ん、なんでしょうか?」
「今回のジンジャーのように料理に使える草花があれば、私も少し頂きたいのですが……これはギルドに申請した方がよろしいのですか?」
私は以前、爺とジンジャークッキーを作ったことがあった。冬のある日のことだった。
爺に体調不良の話をしたら「風邪かもしれませんなぁ」と言って、厨房でジンジャー入りクッキーを二人で焼いたのだ。一緒にジンジャークッキーを食べ、その後すぐに大事を取って休んだのだが、翌日はすっかり元気になっていた、思い出の品だ。
そのため、今度は一人でジンジャークッキーを作りたいと思っていた。いつか爺にも食べさせたいな、と思う。以前爺からもらった本の中には、ジンジャーを粉末にする方法から書かれていたので、できれば購入するのではなく自分で作りたい、と考えていた。
この件に関してはネルさんでは判断がつかなかったらしく、彼女に呼ばれたエミリーさんに教えてもらった。
「個人的に使用する場合ね……ギルドには言わなくても良いわ。ただ、私的な収集でも節度は守ってね」
「分かりましたわ」
「ちなみに、ジンジャーを何に使うんですかっ?!気になる〜」
「あ、えっと……」
ニヤニヤと笑いながらネルさんが言うものだから、どもってしまう。何故かネルさんは私とライさんへ交互に目線を送るものだから、さらに困惑する。
それもそのはず。過去に私に関わった人は、母であるカロリーナと爺を除いて、大体が「はい」「いいえ」で済ませる質問をする事が多い上、私の事を聞いてくる人などいなかったのだ。だからネルさんがここまで私のことを聞いてくる事に戸惑いを隠せない。
そしてネルさんの笑みと視線の意味も理解ができなかった。王国貴族の腹の中の方が断然読みやすい。彼らの頭の中は、「金」「地位」が大半を占めている、その前提を把握していれば、相手の思考を理解するのは容易い事なのだ。そのことを私は今、理解していた。
「ほら、ネル。そういう個人的な事は聞かないように、って言ったでしょう?仕事を進めて」
「……分かりました。シアさん、よかったら今度教えてくださいねっ!」
そう声をかけられてはっと目線をネルの方に戻す。ネルさんは少し不貞腐れているようだ。そんな彼女を横目で見ながらエミリーさんは話を続けた。
「ちなみに、ジンジャーも含めた薬草や木の実の採り方については、そこの扉の奥にある資料室で見ることができるから、やり方を知らない場合はそこで確認してから依頼に向かってね。正しい採り方でないと質が落ちてしまって、値段がつかない事もあるのよ」
窓口のすぐ横にある扉は、資料室に入るための入口だったらしい。あまりにも奥まっていたため、話を聞かなければ入る事もなかったかもしれない。
「ちなみにジンジャーは大きく育ったものを採るの。根が大事だから丁寧に採ってきてね」
「ありがとうございます」
「いえいえ〜次からは自分で調べるようにね。さて、これで依頼は受付ました。頑張ってね!」
そう言ってエミリーさんは、私たちに背を向けて彼女の席に戻っていく。その後ろ姿にネルさんは「仕事取らないでくださいよ〜!」と言っているが、エミリーさんから「貴女が脱線するからでしょう?」と窘められていた。
思わずライさんと私は顔を見合わせる。言葉もなく、同じ行動をしたということは、考えていることは多分似ているのだろう。思わず微笑んだ私に、ライさんも微笑んでくれた。
街を出て二人で採取場所に向かっていると、周りに人がいなくなったことを確認したライさんが話しかけてきた。
「そういえばジンジャーを私的に収集したい、って言ってたけど、料理に使うのかな?」
やはり使い道は気になるのだろうか、と疑問に持ちながら私は彼に同意する。
「ええ。乾燥させてから使おうと思っています」
「凄いな、シアさん、料理できるんだ」
「いえ、あまりやった事はないのですが」
はい、という言葉を期待していたらしいライさんは、思わぬ発言に言葉を失ったようだ。
「……ちなみに、気を悪くしたらごめんね。ジンジャーなら街の店で売っていると思うんだ。それを使えば楽だと思うのだけど」
そう思うのは当たり前だ。私も思い出がなければ、購入して終わりだったと思う。
「そうですよね。料理をしたことのない私が、一から作ろうとするのは無謀かもしれません。確かに料理をしたのは、幼い頃お世話になった方と一緒にお菓子を作って……それっきりですね……思い出のクッキーですし、作り方も分かっていたので作ってみようと思い立ったのです」
そう言ってから、私はふと懐かしさから後ろを向いて、爺がいるであろう帝国の方向をチラッと一瞥した。いま、彼は元気だろうか。そんな思いを込めて。
「……ごめん、もしかして悲しい事思い出させてしまったかな?」
「……え?」
今度は私が困惑する番だった。
首を傾げる彼女に、自分が勘違いをした事に気づいたらしいライさんは、恐る恐る尋ねてくる。
「……え?お世話になった方は天に召されたのでは……?」
「あ、いえ。お元気ですよ。私がこちらに来たと同じ頃に、その方は帝国に戻られると聞いたので……少し懐かしくなっただけですわ」
先程の視線が帝国の方向を見た事に気づいていたのだろう。確かに勘違いするのも仕方がないと、思う。
そんなことを考えていると、再度爺の顔が浮かんできた。その優しげで頼り甲斐のある顔に、思わず笑みが漏れる。
――そんなアレクシアに目を奪われている人がいる事に彼女は気づかない。
「どうしました?」
「……いや、何でもない。そうか、僕の早とちりだったか。良かった……」
胸を撫で下ろすライさん。本当に最初の時と全く印象が違うのだから驚きだ。
「……あの、おひとつお聞きしても良いですか?」
「うん、良いけど」
「初めてお会いした時、まるで演技をされているような振る舞いでしたが、あれは何か意味があるのですか?」
「あー、あれか。よく気づいたね」
本当はああいうのが苦手なんだけど……と呟きながら教えてくれた。
「人にもよるんだけれど……事件に巻き込まれた直後の女性って、やっぱり恐れからか男性を拒否する傾向があるんだよね。僕も何度か助けに入った事があったけど、その後どうしても怖がられてしまって。たまにパニックを起こされてしまう時もあったからどうしたものかと困惑していたんだ。そんな時に、パーティを組んでいたやつから助言があって……『お前は顔が良いんだから、最大限利用すれば良いじゃないか。立ち振る舞いを少し変えて、絵本から出てきた王子様のように見せれば、相手も少しくらい警戒心を和らげてくれるんじゃないか?女性ってそういうの好きだろ?』って言われてね。そこから面白半分に王子様指導なるものが始まって……相手も腹を抱えて大笑いしながら、口出ししてきたよ。……意外とあの演技で警戒心を緩めてくれる女性が多くて、以前と比べて落ち着かせるのが大分楽にはなったけど、シアさんには効かなかったね」
まるで黒歴史を思い出すかのように笑う彼。私はその言葉を聞いて納得していた。もし道の中心部で事件が起こっていたら、人の往来の邪魔にもなる。被害者には申し訳ないが、道の端に寄るなど動く必要がある時は、あのような態度をとるのだろう。
(あれは帝国貴族の礼に似ているわね……もしかしたら、その相棒と言われる方は上位の帝国貴族だったのかしら。まぁ、ここで考えていても分からないわね)
そんな事を考えているのは秘密である。
「私もあのエスコートで落ち着いたのは事実ですわ」
「ははは、社交辞令でもそう言ってもらえると嬉しいよ」
事実なのだけれど……と手を頬に当て首を傾げる私を見て、ライさんは困ったように笑った。
いつもありがとうございます。
明日も更新する予定です。アレクシアたちを宜しくお願いします!