婚約破棄をしたのは「俺だ!」「私です!」
「ジュリア・カナリーノ! 俺は今日ここで、お前との婚約破棄を宣言する!」
「ジュリオ・ガッリーナ! 私は今日ここで、貴方との婚約破棄を宣言します!」
王城の華やかなダンスホールに、しばらく沈黙が流れた。
この国の第一王女であるジュリア・カナリーノと、公爵令息であるジュリオ・ガッリーナ。二人の言葉がそれはもうぴったり、綺麗に重なったのである。名前も似ているだけあって聴衆はどちらが何を言ったのかわからず、数秒ほど「は? なんて?」とお互い顔を見合わせては首を傾げていた。
そのうち、辛うじて「婚約破棄を宣言」という部分だけは同じ言葉だったため聞き取れた者がいたらしく、人々の間でどよめきが広がっていく。
「え、王女様と公爵令息が婚約破棄……!?」
「間違いないわ、でもどちらが先に言い出したのかしら?」
「どっちも同時に聞こえたよなぁ……」
「婚約『破棄』ならどっちかが悪者になるだろう? 一体どっちが先なんだ?」
ざわざわ、ヒソヒソと話し声がさざ波のように広がっていく。気がつくと舞踏会だというのに音楽は止まり、踊る人も動きを止め、ホール中にいる全ての人々が王女と公爵令息の二人に目を向けていた。
「先に婚約破棄を言ったのは俺の方だ!」
堂々と胸を張るのはジュリオ・ガッリーナ。ブロンドの髪にアイスブルーの瞳が輝く、華やいだ顔立ちの美青年だ。そんな彼に「いいえ、私が先です!」と進み出たのは銀髪にエメラルドグリーンの瞳が印象的な美女ジュリア・カナリーノ。二人はお互い睨み合い、一歩も退かないまま言い合いを始める。
「いや、俺は今日この場で婚約破棄するってもう一週間前から決めていた! だから俺の方が先に婚約破棄をしたんだ!」
「ご冗談を。私なんて一ヶ月前から計画していましたわよ! 絶対に私の方が先ですわ!」
「いや、俺は初対面の時からお前のこといけ好かない女だと思っていた! その時からもう『いつか絶対、婚約破棄してやろう』って決めていたんだ! だから婚約破棄をしたのは俺の方が先だ!」
「あら、私なんて貴方との婚約が決まった時からもう『こんな方との婚約はいつか破棄しなければ』って思っていましたわ! つまり、私の方が先ですのよ!」
お互いに声を張り上げ、徐々にヒートアップ。もはや遠巻きに見守るしかできない聴衆の前で、ジュリアとジュリオの言い争いが続く。
「思い出した! 俺は前世でお前とよく似た女に振られて、世を儚んで死んだんだ。だから生まれ変わったら絶対お前と婚約破棄するって心に誓っていた。だからやっぱり、俺の方が先だ!」
「私も思い出しましたわ! 私の前世は何百年も前に貴方に殺された可愛らしい子ウサギでしたの。その時、私は生まれ変わって巡り会ったら絶対に復讐してやろうって思ってましのよ。私はずっと、今この時を待ちわびていたのですわ!」
「お前のどこが可愛いウサギだ! お前はウサギを狩る熊や猟師の方が似合ってるぞ!」
「まぁ! 軟弱な貴方から見ればそう見えるのも、仕方がないかもしれませんね!」
「なんだとコイツ……!」
いや、問題はそこじゃねーだろ!
そうツッコミを入れたいが相手は王女と公爵令息。聴衆が固唾を呑んで二人を見守る中、話の内容はどんどん逸れていく。
「だいたいお前は女のくせに頭が良すぎるんだ! その上、剣術までできるなんて卑怯だぞ! 夫になる俺の立場がないじゃないか!」
「貴方こそ、刺繍も楽器も料理まで天才的なんてどういう了見ですの!? 王女として私が淑やかに振る舞う場がなくなるではありませんか!」
「お前は見た目がいいんだからどうにでもなるだろう! 俺がどれだけ『ジュリア様のような勇ましさがお前にもあれば』って言われ続けたか、お前はわかっているのか!?」
「貴方も十分美しい容姿をしているでしょう! 私だってお父様とお母様に『貴女もジュリオ様ぐらい器用になりなさい』って何度も叱られたわ! 貴方はそれを知らないでしょう!」
……あれ? 話の流れが変になってきたぞ?
「お二人とも。僭越ながら私めに、発言の許可をいただけるでしょうか?」
一人の勇気ある紳士が、バチバチと火花を散らし合うジュリアとジュリオの間に割って入る。ホールにいる人々が内心、「あんた偉い! よく言った!」と拍手喝采ををしているがジュリアとジュリオはそれに気づいていないらしい。
「バレーナ伯爵! 発言を許可する!」
「バレーナ伯爵! 発言を許可します!」
またしても二人、綺麗に重なった台詞を耳にして紳士ことバレーナ伯爵はこほん、と咳払いをする。
「失礼ですが……お二人はそもそも、どのような理由で婚約破棄をなさりたいと思ったのでしょう?」
ジュリアとジュリオは一度、はっとしたようにお互いの顔を見合わせる。それから二人はきっかり、同じタイミングで口を開いた。
「そんなの、ジュリアが婚約者として優秀すぎるからに決まってるだろう!」
「そんなの、ジュリオが婚約者として優秀すぎるからに決まっているでしょう!」
◇
いつもなら和気藹々とした空気の流れているダンスホールが、なぜだか静まり返っている。
「なんだ? 何か不手際でもあったのか?」
「さぁ……」
話しながら国王夫妻と公爵夫妻が登場するが、出席者はみんな目を逸らすばかりで何があったか話そうともしない。
「おい、一体何があった? 怪我人が出たか? それならすぐに王家の医師を呼ぶよう命令するぞ。誰でも構わない、何があったのか誰か、話してくれないか?」
妙なところで小心者と噂される国王は落ち着きなくソワソワ、きょろきょろとダンスホールを見渡す。するとバレーナ伯爵に連れられる形で、むすっとした顔のジュリアとジュリオが両夫婦の前に現れた。
事の顛末を聞かされた国王夫妻と公爵夫妻は。
「こんの馬鹿娘がぁぁぁっっっ!」
「こんの馬鹿息子がぁぁぁっっっ!」
もう何度目かの「ぴったり」に、聴衆は溜め息をつくしかできなかった。
◇
結局、婚約破棄は取りやめになりジュリアとジュリオの婚約は継続。
場の空気に臆することなく、発言をしたバレーナ伯爵にはその勇気を讃えて褒美が与えられたそうである。
最後に、舞踏会を台無しにした罰としてジュリア・カナリーノとジュリオ・ガッリーナには。
「お前のせいでこうなったんだぞ! お前が素直に自分のことを認めないからだ!」
「なんですって! 貴方こそ自分の評価が低すぎるではありませんか!」
「ねぇ、ママ。あのお兄ちゃんとお姉ちゃん……」
「しっ! 見ちゃいけません!」
お互い手を握りあい、街の真ん中で佇むジュリアとジュリオ。
そんな二人の姿は後にとある芸術家が彫刻にし、『喧嘩するほど仲が良いの見本』というタイトルがつけられたという。