手を掴むホオジロ
ホオジロ:スズメとほぼ同程度の大きさの小鳥。喉・頬・眉斑が白く目立ち、「頬白」の名前に由来する。
『一筆啓上、仕り候う』
登校途中、遠くで鳴くホオジロの声を耳にする。
うん、言ってないね。
鳥のさえずりを、人の言葉に当てはめて覚えやすくする事を『聞きなし』と言う。
『一筆啓上、仕り候う』
ホオジロの聞きなしが、これになる。大層な言葉だが、無理やりにもほどがある。がんばっても『一筆けい、ピリチュ、リリチュ』にしか聞こえない。
大昔からきっと、数多の人に指摘され続けてることだろう。それは無理があると。
月曜日の朝。私にとって当小学校、最後の登校日となる。出来ることなら、このままバックレたい。
終わりよければすべてよしとは、良くいったものだ。過程には誰も責任をとらないのだから。今日は私が主役の日であり、同時に誰も私を見ない日でもある。
昨日まで言葉を交わしたことも無いクラスメイトが、二階級特進よろしく、いつの間にか無二の親友の顔して、今生の別れに涙する。
転校する私との別れの儀式、まさにセレモニーであり、いってみれば葬式だ。今日一日は、動く祭壇となる事を強いられ、最後のお別れを告げにくる参列者へと、微妙な笑顔で対峙し続けなければならない。棺桶の中の私が悪態をついたら、参列者は怒るだろうから。私が主役でも、私のための儀式ではないのだ。
結城くんとは、あれから連絡を取っていない。少しだけ電話を期待したが、結局は彼からの連絡は無かった。それでいいのだ。ほろ苦く、あのまま終わりの方がいいだろうと思い直す。彼との縁は、あの時終わったのだ。
ハイ、オシマイ。チャンチャンと。
もうこの学校の思い出メモリーは、私のなかで容量オーバーとなった。あとは無心で、セレモニーを愉しむ彼らに揉まれて、今日を乗り切りさえすればよい。
いっそのこと、ハチャメチャな大事件でも起きて、今日一日、誰も私の事など思い出さなければいいのに。深くため息をつきながら、覚悟を決めて校門を抜けると、数人のクラスメイトの女子が、私を見つけて駆けつけた。なるべく自然にと、ひきつる笑顔で迎えたが、彼女たちが告げた言葉は、予想に反したものだった。
「大変!教室で結城くんとカオル君が喧嘩してるの!」
結城くんとたけしが?何のことやらと急いで教室に駆けつけつけ、勢いよくドアを開くと、眼下に大の字で倒れる結城くんの亡骸があった。いや、生きてるけど。強く殴られたのか、左頬にあざがある。見下ろす私と目が合い、気まずいのか、すぐに視線を逸らされた。とりあえず、率直な質問を投げかけてみる。
「何してんの?」
「……夏目さん。パンツ見えたよ」
キャー!っと悲鳴をあげて、スカートを閉じたのは、教室へと一緒に駆けつけた女子たちだけだ。布切れ一枚で、可愛らしい仕草を見せてやる気は、私には毛頭ない。
「何色だった?」
「へ?」
「パンツ、見たんでしょ?」
「……白」
「ブー、見てないじゃん。正解は……」
もちろん見せてやる気はないが、からかって少しスカートをたくし上げると、面白いようにうろたえ、結城くんは跳ね起きた。
その一瞬を逃さず、彼が握りしめていた紙切れを奪い取る。左手に何か握りしめていたことは、初めから気がついていた。きっとこれが喧嘩の原因なのだろう。
くしゃくしゃになった紙切れは、写真だった。誰が撮ったのだろう。結城君と私が、自転車に二人乗りしているところを映した写真だった。
率直にいい写真だなと思う。困り顔で自転車をこぐ結城君に、笑顔でしがみつく私は心底楽しそうだ。知らなかった、私こんな風に笑うんだ。
写真を見た私に、鬼の首を取ったかのように高飛車なたけしが話しかけてくる。
「びっくりしたー?
偶然見かけちゃってさ、思わず写メ撮ったんだ。いやー、結城も隅に置けな……」
「たけし君。この写真貰っていい?」
「え?いいけど……。てか、たけしじゃねーし。
お前、結城のこと好きなの?」
好きなのか?いや、特に。ぜんぜん。ほんの数秒前なら、表情ひとつ変えずに、即答していたと思う。けれでも、こんな写真見せられたらなあ。
「そうかもね。こんなに嬉しそうな私見せられたら、否定できないかも」
「な、なに開き直ってんだよ!このビッチ!」
「うわ、びっくり。剛田くん、英語わかるんだ。
ちゃんと意味わかってる?『軽い女』なんてつまらない意味じゃないよ?」
「知ってるわ、そんくらい!てか、剛田って。お前いい加減にしないと、本気でしばくぞ!」
「えー何?何?もう一度鼻潰されたいわけ?
よーし、たけし、覚悟しろよ。
私の本気、星をも砕く、スターライトアンパーン……」
必殺のアンパンチが炸裂する前に、結城くんがたけしにタックルを食らわした。吹き飛ばされたたけしは、誰かの机にぶつかって、派手に転けた。ひっくり返された机の持ち主かわいそう。
思わぬ横槍に面食らう私の手を、乱暴に結城君が掴んだ。
「行こう!」
「行こうって、どこに?」
「どこでもいいよ、あのとき、連れ出してって言ったろう?」
彼はそう言って、教室の外へと、強引に私の手をひく。いやいや、どこも行けないって。学校だし、もうすぐホームルームだし、今日は最終日で、明日には引っ越して、今日は私が主役で、祭壇で、お葬式で、お別れで……。
「どうにもならない事ぐらい分かってるよ!
夏目さんの残りの時間、全部僕にくれ!」
どうした?悪いものでも食べたか?
強引でストレートな言葉は、嫌いではないけれど。
確かにデートの時は、連れ出してみろと挑発した。勇気がないと、弱虫と罵った。
蛮勇も勇気だ。無謀でも、無茶でも、結城くんは勇気を見せてくれたんだ。勇気には答えないと、とは思う。答えてあげたいと思う。細かいことは、後で考えればいいか。しょうがないなー、それじゃ、逃げきれなくなるまで、2人で逃げようか。
「なんだそれ?ナイト気取りかよ!キモいな!」
一歩後にした教室から、たけしの罵声が聞こえた。ちょっと待ってといい、結城くんの手を握ったまま歩みを止めた。こいつには、一言言ってやりたい。
「ナイトじゃないよ。
結城はるきは、勇者だよ」
教室が静まる。名前知ってたんだと、ボソリと隣の結城くんが呟いた。うん、実は昨日クラス名簿見直したんだ。一瞬だけうろたえたたけしが、なお罵声を浴びせてきた。
「はあ?意味わかんなんねえ、キモ……」
「私の勇者様を舐めるなよ」
こう言うセリフは言ってやったもん勝ちだ。たとえくさいだとか、キモいだとか、去りゆく2人の背中に罵声を浴びせたところで、もはや負け犬の遠吠えにしか聞こえないのだから。
もうすぐ始業時間だと言うのに、人の流れに逆行して、手を繋いで校門をくぐり、学校を後にする。
途中何人かの先生に見つかり、止まれと叱られながらも、それすらなんだか可笑しくて、ゲラゲラ笑いながら、結城くんと手を繋いで、走り抜けた。
「あげるよ。結城くんに、私の残り時間全部あげる。
どこか、ずっと遠くに連れてって」
小さな世界から逃げ出した、無計画な2人の逃避行。終わることなんて、駆け出したときには、これっぽっちも考えてなかった。