嫉妬するセッカ
「セッカ」
どこにでもいる、スズメ科の小鳥。
地味な黄褐色で雌雄同色。
上昇するときはフィーフィーフィーと鳴き、下降するときはチッチッチッと鳴く。
波状飛行が得意。
男子からのプレゼントは、仕分けが楽で助かる。総じて、全てゴミだから。
積み上げられたダンボール、かつてベッドであったパイプと板きれ。生活感をまるで失った自分の部屋は、こんなに広かっただろうかと、懐かしく思うより違和感の方が強い。とはいえ、この部屋で過ごしたのは半年のことで、大した思い出もなければ当然かもしれない。
私に許された積載量は、いつもダンボール7つ分と決まっている。年相応の少女からしてみれば、かなり少量の荷であると言えよう。うち2つはランドセルを含む学校関係の物品で、3つは衣類。愛読書を含めて、私物はたった2つ分しかない。ダンボール箱6つは、すでにガムテープで封をしてあり、残るはたった1つだけとなった。
つまりは、捨てなければいけない。必要のないもの、思い入れが薄いものは、容赦なく断捨離とする。これが渡り鳥たる私の勤めなのだ。口の空いたダンボールの空きスペースと相談し、お別れ会でクラスのみんなから貰ったプレゼントを睨みつける。
女子からのプレゼントは微妙で困る。所詮小学生からのプレゼントだ。ほとんどが他愛のないものだが、中にはビーズで編んだキビタキのキーホルダーなど、捨てるには忍びないプレゼントも用意されていた。
最後にダンボールへとしまう予定の、木目調で2段重ねの宝石箱を手元に取り、膝の上へと持ち上げる。ハート形の小さな鍵を鍵穴に差し込み、時計まわりに一回転させると、カチリと心地よい解錠の音と共に宝石箱のふたが開く。
もちろん中には宝物が詰まっている。母親から譲り受けた相方を失くしたイヤリング、小さなガラスのペーパーナイフ、塗ることは禁止されている口紅、縁日で買った安物のネックレス、綺麗だが全く価値の無い鉱石などなど。他人にはガラクタでも、私にとっては全てだ。まだ空きスペースが無いわけでもないが、宝石箱の収納スペースが有限である以上、自分が本当に気に入ったもの以外を入れるのは、なるべく避けたい。もったいないが、表情にやや不満のあるこのキビタキも、やはりむき出しのゴミ袋へと放りこむ事にした。
幼少のころから(といっても今も小学生なのだから十分幼少なのだが)転入、転校を繰り返してきた私にとって、身の回りを極力質素に保つ事は必須条件だった。
断捨離などと言う言葉を知る前から、私にとってそれは至極当たり前のことであり、着る事が無くなった服、読み終わった本、年齢にそぐわない玩具、それらすべて当たり前のように捨ててきた。
だから時間を掛けて丁寧に編みあげてくれたであろうこのマフラーも、趣味では無いため申し訳ないがゴミ袋へと移ってもらう。貰ったプレゼントは、どうやら全て廃棄することになりそうだ。
お別れのスペシャリストを自負する私から言わせて貰えば、転校生に贈る最後のプレゼントとは、一体なんなのだろう。ふらりと来て、ふらりと消えるクラスメイトが、千円にも満たないガラクタを貰って、後生大事に持ち続けると本気で思っているのだろうか?
仕分けられたゴミ袋の中身は、見送る側のエゴでしかない。きっと彼らにとっては、私のいない明日を迎えるための、必要な儀式なのだ。我々は誠実に、ちゃんと見送ったと胸を張るための式典、大袈裟に言えば葬式なのだ。二度と合わないと言う意味では大差ないかもしれない。
仕分け途中のプレゼントに紛れていた、黒色の封筒を見つける。
ここの地域で流行っているらしい、黒い封筒に黒い便箋。すべてが真っ黒という訳では無く、白字で蝶の羽の模様が描かれている。
蝶は好きだ。黒地の封筒に留まった真っ白な羽は美しく軽やかで、今にもふわりと飛び立っていくよう。これに専用の白のボールペンで記載する。白と黒だけのシックなコンストラクトが、幻想的で実に綺麗だ。記された下手くそな文字が無ければ、なお良かったのに。
封筒の裏にはK君の名前が書かれている。クラスの人気者のK君。有名サッカーチームのジュニアに所属し、持ち前の不細工なソバカス顔をものともせず、クラスの女子人気No.1のK君。
そのK君が私に宛てた、流行の便箋にて認めたこの手紙。気のりはしないが封を開けることにする。なんのことかは、察しがつくから。きっとこの前の告白の返事が書いてあるのだろう。頼まれて3日前にクラス全員の前で決行した、恋を知らない私の、人生初の告白。
「あなたが好きです」
そっち方面に疎い私が、まさかこの年齢でこのセリフを『吐く』とは、夢にも思わなかった。文字通り、今思い出しても『吐き気』がする。
とは言え、愛の告白に対し、返事が記されたこの手紙だ。そう考えると、いくら私でも鼓動が速くなり、胸がドキドキして来た。
ペーパーナイフを使って封筒を丁寧に開封し、中の便箋をそっと覗き込む。黒地の便箋に書かれた白色の文字は、ふわりと浮きあがるように見え、文字全体がまるで絵のように錯覚する。
これだけ汚い字にも拘わらずにだ。手紙の魔力はすさまじい。
便箋の間に、シオンの押し花が添えられていた。やるじゃないか、K君。これは高得点だ。シオンの花。確か花言葉は……。
―――――
夏目 様
名なしで貰った手紙を読んだ時、僕はどんな子からの手紙だろうかと僕はドキドキしていました。
教室でみんなが見ている中、君が堂々と名乗り出て、僕の事を好きだと言ってくれた事、僕は恥ずかしくもあったのだけど、僕は本当はうれしく……
――――――
ビシャリ。
3行目で耐えきれず真二つに破り捨ててしまった。
何回僕って言うんだ、あんたは。本当に自分大好きだな。
頼まれたとはいえ、人生の汚点である事を、彼の手紙により再確認できた私は、証拠隠滅とばかりに、ビリビリと何度も念入りに破り捨てる。
細かくなった便箋と封筒を、便箋に描かれた胡蝶のようにパッと舞わせおうかとも思ったのが、それでは掃除が大変なので思いとどまり、地味にそっとゴミ袋の中へと捨てた。
シオンの押し花、これだけは必要になるかもと思い、そっとポケットの中に忍ばせておくことにした。
後は、この色紙か。
みんなからの寄せ書きが認められた色紙。一言ずつ私に宛てた言葉が綴られている。
――向こうに行っても、私のこと忘れないでね!――
ごめんなさい、どちらさまでしたっけ。
忘れる前に、覚えてないのだけど。
――落ち着いたら、クラスに手紙下さいね――
その手紙って、さらし首のように教室に延々と貼り出されたりするの?
とてもとても嫌なのだけど。
――さよならは言わないぜ!――
あ、K君だ。
さようなら、K君。
別に私が冷めている訳ではないさ。皆が酔っているのだ。
なにせ、ここに滞在したのはわずか半年で、碌な思い出も無いくせに、転校と言うイベントに酔いしれ、お別れ会では泣きだすものも多数いた。全く、白けるほどの悪酔いだ。
私がいなくなっても、半年前の日常に戻るだけ。どうせ同じく半年後には、私のことなんて、みんなすっかりさっぱり忘れてるに決まってるのに。
K君にしたってそうだ。いや、絶対こいつが一番酔っぱらってる。転校する少女からの愛の告白には、さぞや心地よく酔いしれている事だろう。
後腐れも無く、心おきなくロマンスに浸れると言うものだ。
決めた。どうせ後で捨てるか、今捨てるかの違いだ。この色紙も、今ここで捨ててしまおう。
決めたならと、まずは二つに折ろうとするも、厚手の型紙はなかなかしぶとい。品が無いが、膝をあて、無理やりに折った。そのまま足で踏みつぶし、体重に任せて折りたたむ。
こうした作業をする時、足元が見えにくいスカートは地味にイラッとする。
そもそも引っ越し当日など汗をかく作業が続くのだから、なるべくラフな格好でいたいのだけど、新転地での第一印象を気にする母親がそれを許さず、数少ない余所行きの服の中から、一番上等なワンピースを着せられた。
とてもとても気にいっているのに、引っ越し作業中に汚したらどうするのだ、まったく。
誰が見ているわけでもない、スカートを太もも近くまで捲り上げ、色紙をゲシゲシと踏みならす。
かさばらぬように、せめて4つ折りになるように、何度も何度も踏みつける。
ゲシゲシ、ゲシゲシと。
「なんて格好しているの。あんたは……」
開けっぱなしにしていたドアの前で、あきれ顔の母親が声を掛けてきた。
母だけでは無かった。母親の影に隠れる様に、件のSちゃんも、泳いだ目でこちらを見やる。
「お友達が来てくれたよ。
まだ少し時間あるから、ゆっくりお話してていいよ」
いつもなら、はしたない格好を真っ先に咎める母親が、気味が悪いほどやさしい口調で私に言う。
うれしいのだろう。何度目かの引っ越しで初めて旅立ちを見送りに来た、娘の友人の来訪が。
ごめんね、母さん。Sちゃんはそう言うのじゃないよ。
どちらかと言うと真逆なのだ。
私を除けば、彼女だけが唯一、このイベントをこれっぽっちも悲しんで無いし、酔っていない。
捲ったスカートを元に戻し、皺が出来ぬようにパンパンと念入りに手で払い、スカートの形を整え終えた後、それでと、来訪者に問いかけた。
「ベティ、持ってきた?」
私の問いに対し、返事の代わりに紙袋を差し出すSちゃん。
表情が曇っていて、今にも泣きそう。母親が勘違いするのも無理は無い。
彼女が別れを惜しむ相手は、私ではないのだが。
「少し、歩こうか」
家を飛び出し、近くの小高い丘の上の展望台を目指す。
移動中は一言も口を開かず、私の後ろをトボトボと歩みながら、大事そうに両手で紙袋を抱きかかえるSちゃん。
―チチッ、チチッ、チチッ―
―フィー、フィー、フィー―
どこかでセッカの鳴き声がした。
チチッ、チチッで下降し、フィー、フィーで上昇する。
見た目は地味な鳥だが、愛くるしい鳴き声が好きだ。
「チチッ、チチッ、チチッ。
フィー、フィー、フィー」
どうせ別れを惜しんで、2人思い出話に花を咲かせる事は無いのだ。
手持無沙汰の道のりを、セッカの鳴き声を真似て歩む。
「チチッ、チチッ、チチッ。
フィー、フィー、フィー」
チチッ、チチッで下降し、フィー、フィーで上昇する。
見た目は地味な鳥だが、どこにでもいるのが好きだ。
そうしているうちに、丘の展望台へと到着する。
振りかえりながら右手を差し出し、催促する。
「じゃあ、約束通り貰おうかな」
私の発したその言葉に、いよいよ大粒の涙を流し始める彼女。
事の発端は4日前まで遡る。
---------------------------
クラスで、ちょっとした事件が話題となった。
人気者のK君に宛てられた、差出人不明のラブレター。
持ち主の机の中に、ひっそりと置かれていた。
K君本人が周りに自慢した事から、名無しのラブレターの話題は、クラスの中で一気に膨れ上がった。
終いには筆跡鑑定のまねごとまで始め、似た文字を書くSちゃんが真っ先に疑われていた。
疑惑は正解だった。すでに転校の旨を伝えていた私のところに、Sちゃんが血相を変えて相談しに来た。
いや、相談では無いな。身代わりを要求してきたのだ。
家を訪ねてきた彼女と散歩をし、あの日もちょうどこの丘で、同じように彼女は大粒の涙を流していた。
涙ながらに彼女は語った。思いを伝えたくてラブレターを認めたが、いざ名乗りを上げようとすると勇気が出なかったこと。
そのまましまいこむには忍びなく、名前の無い手紙を彼に出してしまったこと。
それがかえって彼らの好奇心をくすぐり、最悪の形で気持ちを暴露することに成りつつあると。
「夏目ちゃんは、いいでしょ?
もうここには居なくなるんだから」
震える声で、でも、はっきりと意思を込めた声で、彼女は続けた。
「ただでとは言わないわ。
お気に入りだけど、この子を上げる。
今年買ってもらったばかりの茶色のテディベア。
前にかわいいって言ってたよね?」
うん、確かに言った。
一度だけ、彼女の家にお呼ばれした事があった。半年前、転入生を歓迎する意味合いで招かれた、気まぐれの集いだ。
彼女の部屋は、ぬいぐるみで溢れていた。中でも愛くるしい熊のぬいぐるみが目立った。
転居など想定していない、小さな彼女には大きすぎるベッドの上には、所狭しとぬいぐるみたちが並べられていた。
彼女はぬいぐるみの事と勘違いしたようだが、私がかわいいと言ったのは、あなたの事だ。ぬいぐるみに見守られ、ぬいぐるみを抱きながら夢へと落ちるであろう、あなたの事なのだ。
認めたくないが、私はあの時、Sちゃんに嫉妬したのだ。
「代わりに手紙の主だと、名乗りを上げればいいのね。
いいよ、やってあげる。
ただし、欲しいのはその子じゃない」
――――――――――――――――――――――――――――
そして現在へと至る。
泣き続ければ何とかなると思う彼女は、懲りずにもう一つのぬいぐるみを取り出し、嘆願してきた。
「ねぇ、お願い。
この子じゃ駄目かな?
ベティはね、私の初めてのぬいぐるみで、一番のお友達なの」
私が条件として要求したのは、ベティと名付けられた白色のテディベア。
もともとは白色、と言うべきだろうか。
下地はところどころ黄ばんでおり、右目に至っては、ほつれては直したであろう、悪戦苦闘の裁縫の跡が目立つ。それでも小まめにブラッシングさている綺麗な毛並みを見れば、大切にされてきた事が一目で判る。
「ほら、この子は毎日抱いて寝ているもんだから、顔なんて私の涎まみれだし、旅行にも欠かさず持ち歩くから、落としきれなかったいろんな汚れがあるの。
絶対に新しい茶色の子のほうが、あなたには価値がある。
この子のほうが、ずっと、ずっと」
悲劇のヒロインのように泣きながら許しをこう彼女に対し、今日は悪役の私が、優しく諭すように死刑を宣告する。
私が欲しいのは、茶でも白でも無い。ベティなのだと。
やがて彼女はすべてを諦め、紙袋から白い熊、ベティを取りだした。
「大切に……、大切にしてね」
おかしなことを言う。
貰ってしまえば、『これ』をどうしようが、私の勝手の筈だ。もう対価は払ったのだから。
彼女に見せびらかすようにギュッと抱きしめ、ベティの右目をゆっくりと手でなぞると、そのまま力任せに、右目を引きちぎって見せた。
「きゃああああああああああ!」
絶叫と共に、Sちゃんが乱暴に私からぬいぐるみを取り上げた。
まるで母親が子を庇うように、ベティを抱きかかえながら身をまるくして、そしてまた泣き続ける。
いいよ、『それ』は返してあげる。
私はこれで十分。
ベティの右目を太陽にかざす。
半透明のプラスチックでできた、安物の茶色い右目。
とてもとても綺麗だ。
「ベティの右目、大切にするね。
さようなら、Sちゃん」
未だ泣きやまぬ彼女に、ポケットから取り出したシオンの押し花を差し出す。
困惑する彼女に、そっと握らせた。
何一つ思い出の無い街だけど、ようやく一つだけ傷を残せた。優しい記憶も、悲痛な叫びも、等しく傷には違いない。
宝石箱に仕舞いこむたった一つの宝物。
願わくは、彼女も私の思い出を。
シオンの花ことばは、
「あなたを決して忘れない」




