照れ隠しにデスロールをかましてくる鰐口さん
事務所の屋上でタバコをふかしながら、静かに缶コーヒー飲んでいた。
変な後輩が出来ちまったな。
遠くに見えるひつじ雲に向かって、そう漏らした。
「鰐口、順調か?」
「…………」
帽子を深くかぶり、黙々と作業に当たっていた鰐口が、そっとやりかけの製品を見せた。
「う~ん……ココ、接着が甘いな」
「…………」
帽子を二度ずらし、深く被り直した鰐口が、指摘された箇所に接着剤を付け始める。
「定時までにB-36までは着けておけよ? 後は明日で良いからさ。俺は事務所で書類してるから、終わったら帰って良いぞ」
「…………」
鰐口が静かに頷いた。その顔は暗く、何を考えているのか読めそうにない。
「鰐口くんはどうだい?」
事務所に入るなり、ゴルフクラブを素振りしていた社長に声を掛けられる。
デスクに座り、差し入れのバームクーヘンの袋を開けた。
「全然喋らないから、何考えてるかわかんねぇッス」
「うーん、今時流行の根暗女子ってやつかい?」
少し速く素振りをし、鏡を見てフォームをチェックする社長。更に言葉を続けた。
「でもさ、ウチを選んでくれたんだ。少なからずやる気はあるんだろ?」
「……まぁ、今のところは、ですけど」
思わず言葉を濁す。
最初は誰しもそうであり、そして数ヶ月で訪れる変化を、多く目の当たりにしてきた経験から出た言葉だった。
「何で鰐口くんを君に付けたか、分かるかい?」
「暇そうだったから、ですか?」
素振りを止め、ゴルフクラブを拭き始めた社長の目の色が僅かに変わった。
その変化に気付き、食べかけのバームクーヘンをそっとデスクに置く。
「山瀬くんは新人を立て続けに三人ダメにした」
『見て盗め』『習うより慣れろ』『一を聞いて十を知れ』を連呼し、後輩から嫌われる熟練工、山瀬。
腕は確かだが、人との付き合い方だけはどうしようもなかった。
「水川くんは、少し優しすぎた」
『大丈夫大丈夫』『後は僕がやっておくよ』『いいよ、休んでて』が口癖の中堅、水川。
聞こえは良いが、自分の仕事を他人に任せるのをあまり好まなかった。
結果、暇を持て余しサボる若手が増えてしまった。
「で、君と言うわけだ」
「理由になってない気が……」
まだ彼の先輩は居た。が、それでも社長は彼を指導役に選んだのだ。
「理由は教えない」
「なら何で聞いたんです?」
「君が聞きたそうだったから」
「そりゃあ、気になりますよ……」
彼は何故自分が指導役に選ばれたのか。初日からずっと気がかりだった。
「教えないけど、ちゃんと理由はある」
「……余計モヤモヤします」
「おっと、時間だ。帰るね~」
「…………逃げた」
ゴルフクラブを片付け社長が退社すると、食べかけのバームクーヘンを口に入れた。
「水分が欲しい……」
袋をゴミ箱へ投げ、引き出しから百円玉を二つ取り出し、事務所の扉を開けた。
「…………」
扉を閉め、もう一度引き出しを開ける。
十円玉を二つ取り出し、今度こそ事務所を出た。
「まだ終わってなかったのか?」
「…………」
鰐口が静かに顔を向けた。
作業途中の製品には、苦戦の後が見える。
「ん」
缶コーヒーとお茶。二つを見せ「どっちが良い?」と聞いた。
「…………」
無言でお茶を取る鰐口。傍にあったパイプ椅子のホコリを払い、そっと腰掛けて鰐口の作業の痕跡を見た。
「接着が取れたか。どれどれ……」
缶コーヒーを置き、作業台から工具を二つ取った。
「一度取れた接着剤は二度と着かねえから、先ずは剥がせ。剥がしが足りないと、何度やっても着かねえから注意だぞ」
手慣れた技で接着剤を剥がすその様子を、鰐口は食い入るように見つめた。
「ヤスリで荒らすのを忘れるなよ?」
「…………」
製品を作業台に置く。
鰐口が手に取り少し力を込めた。取れる気配は無い。
「鰐口、上手くなってるぞ」
「…………」
作業台の奥にある廃棄物置き場を指差す。そこには鰐口の失敗作が数多く並んでいた。
「ま、それ飲んで落ち着いてからでいいぞ。あまり遅くなるなよ?」
「…………」
鰐口が無言で頷いた。
缶コーヒーを飲みながら事務所へと戻り、書類に手を付ける。
「愛想ねぇよな、ほんと」
事務所の小窓から、小さく動く鰐口の姿が見えた。
「鰐口、午後から俺出先だから」
「…………」
昼休み前、完成品を仕上げ拭きしていた鰐口に、声を掛けた。
「一人でも大丈夫か?」
「…………」
鰐口が小さく頷いた。
一応と思い、鰐口の担当する製品の図面を確認する。
「hm-69とgi-072か……何回かやったことあるから大丈夫か……もし分かんなくなったら──」
作業員の顔が次々と浮かぶが、どれも使えそうに無い顔ばかりだった。
「……須藤に聞け。言えば教えてくれるだろうよ」
「…………」
小さく、コクリと鰐口が頷いた。
「じゃ、後宜しくな」
社用車に工具を積め、トランクを閉める。静かに車を走らせた。
事務所裏の喫煙所でタバコを吸う須藤が見えた。傍に車を着け、パワーウインドウを下げた。
「須藤」
「んスか?」
左手をポケットに入れたまま、やる気の無い返事が聞こえた。
「俺これから高崎だからよ、帰ってくるまで鰐口頼んでもいいか?」
「えーっ? あの子苦手なの分かりまスよね?」
「聞かれたらでいいから、軽く教えてやってくれないか?」
「しゃーねぇッスねぇ……」
「俺のデスクにあるカップ麺食っていいからよ、頼んだわ」
「ちーッス」
パワーウインドウを下げ、静かに走り出し、正門を抜ける。
公道にてアクセルを吹かし、出先へと急いだ。
「思ったより時間食ったな……」
カーステレオに映る時刻は、夜の八時を過ぎていた。
夕食も取らずに急いで帰社したのには訳があった。
「……やっぱり」
事務所のデスクにヘルメットを置いた時、小窓から入る光が見えた。鰐口だ。
「鰐口」
「…………!」
呼び掛けられた鰐口の体が僅かに跳ねた。
恐る恐る、そんな面持ちで鰐口は工具を置いた。
現場に残っているのは、水川と鰐口だけだった。
水川は仕事の抱えすぎでパンクを起こしている。
「……終わらなかったのか?」
「…………」
無言で俯く鰐口。手は膝の上で強く握られている。
須藤は既に退社しており、鰐口を気にかけた様子は見られなかった。彼は人選のミスを悔やむと同時に、少し悲しみを露わにした。
「ろくな奴がいねぇのな、この会社って」
「…………」
鰐口の手が震えた。
「ああ、悪い。コッチの事だ気にするな」
「…………」
鰐口が口を強く噛んだ。
パイプ椅子を手に、そっと鰐口の隣に腰掛ける。
やりかけの図面に目を落とし、手順を追った。
「なんだ、あとコイツ着けたら終わりか」
鰐口が部品を手のひらに乗せて見せた。
「ん? 何だって?」
鰐口の言葉を聞いたのは何日ぶりだろうか。上手く聞き取れなかった。
これが昼間だったら、鰐口の声は作業音にかき消され、確実に聞き取れなかっただろう。
鰐口の手から部品を受け取り、そっと合わせてみる。
部品は確かに合わなかった。
「ああ……?」
図面を見直し、指で品番をなぞった。
「すまん鰐口。俺のせいだ」
「…………」
鰐口も品番に目を向けた。
「これ、gi-072だけど、gi-072ankだわ」
「…………」
鰐口が静かに首をかしげた。
「すまん、規格品の中でも特注品だ。合う訳ねぇわコレ……」
「…………」
鰐口の口がへの字に曲がる。
「お前、コレ合わねぇからずっと終われずに残ってたのか?」
「…………」
少し後ろめたい気持ちで、鰐口が頷いた。
「須藤に聞けっ──って、帰ったかアイツは……」
「…………」
頷く鰐口。
思わず頭を掻いた。
「水川は見ての通りだしな」
「…………」
抱えすぎて滞っている仕事の山が見えた。
周囲を酷く散らかしながら、仕事に追われる水川の悲鳴が聞こえる。
「そういう時は電話しろって。……そういえば番号教えてたっけ?」
「…………」
鰐口は大きく首を振った。
「……スマン。俺の不備だ」
「…………」
大きく、首を振った。
「夜飯でも奢らせてくれ。それで許してくれ。コイツは明日の朝一でも大丈夫だからさ」
「…………!」
鰐口が作業帽子を、そっと上にずらした。
「でもこの時間じゃあ……ラーメンくらいしか」
「…………!」
鰐口が二度、素早く頷いた。
「よし、行くか」
「…………!!」
更衣室に駆け出す鰐口。
「急がなくて良いぞー」
「…………!!」
走りながら、鰐口が二度頷いた。
「ったく……」
鰐口の工具を並べ、ため息を漏らした。
自分もまだまだだなと、そう痛感した。
「水川さん」
「ん!? あ、お疲れ!」
山の中から、返事だけが聞こえた。
「それ、コッチに回しても良いッスよ」
「えっ! ほんと!? 君がやってくれるなら嬉しいなぁ」
「須藤に回しますから」
「えーっ……」
「いい加減後輩に頼るのを覚えましょうよ。いざって時に困りますよ?」
「……う、うん…………」
既に限界を迎えようとしていた水川は、そっと素直に図面を置いた。
「…………」
「おわっ! 居るなら居るって言えよ!」
いつの間にか、私服に着替えた鰐口が傍に立っていた。スウェットにジーンズ、大きめのショルダーバッグを斜めにかけ、良く分からないブランドの帽子を被っていた。
「……ま、いいか。行くぞ」
色気もねぇのな。そう言いかけて止めた。
近所のラーメン屋に足を運ぶ。
社員御用達の馴染みの店だ。
「らっしゃい」
「ちーッス」
適当なテーブル席に腰をかけた。
古いテレビに野球中継が映っていた。
「好きなの頼んでいいぞ」
「…………」
塩タン麺を指差す鰐口。
手を上げ眠そうなオバチャン店主に声を掛けた。
「醤油ラーメンと塩タン麺。それに餃子一つ」
「はいよ」
オバチャン店主が調理を始めた。
テーブルに二人、すぐに会話に困った。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………あ、そうだ。番号と、ついでにアドレスも教えとくわ。電話し辛かったり、写真着けたいときはこっちな」
「…………」
携帯の画面を鰐口に向けた。鰐口がそれを登録する。指の動きはかなり速く、流石若者といった感じだった。
「ラーメンと塩タン麺ね、おまち」
オバチャン店主がヨロヨロと器を持ってくる。
それを受け取り、無言で食べ始めた。
「あと餃子ね」
濡れた手で伝票が置かれ、醤油の文字が透けて見えた。
「半分食え」
「…………」
無言で頷く鰐口。
「帽子、取らないのか?」
「…………」
返事は無かった。
そのまま無言で食べ終え、二人は外へ出た。
「じゃあな、気を付けて帰れよ」
「…………」
鰐口が大きく頷いた。
「さーて、帰ってどうすっかなぁ」
ポケットのタバコを取ろうとした時、不意に右腕が重くなった。後ろを見ると、鰐口に腕を押さえられていた。
「……どうした」
「…………」
鰐口の顔は、帽子に隠れ見えなかった。
「なんだ、どうした?」
モゴモゴと、小さく鰐口の口が動いた。
「…………」
何かあるなと、鰐口の言葉を待った。
「……いつ……あり」
「…………」
鰐口の手から、緊張してるのが腕へと伝わってきた。
「……ゆっくりでいいぞ。納期なんかねえからな」
鰐口が二度速く、大きく頷いた。
左手を胸に当て、大きく深呼吸をする。
「い、いつも……ありが、とう……ござ、います…………」
「お、おおおう……」
少しどもったように、返事をするのが精一杯だった。
「…………」
恥ずかしいのか、慌てて鰐口が腕から手を離した。
そして無言でお辞儀をし、鰐口は走り去った。
「奴は奴で大変なのかもな……」
ポツリとそう漏らし、ポケットから出したタバコに火をつけた。
──ピロンッ
「ん?」
【鰐口です。今日は誠にありがとうございました。先輩にはいつも迷惑ばかり掛けて、本当に申し訳なく思っています。今も仕事が続けられているのは、間違いなく先輩のお陰です。教えてくれたのが先輩じゃなかったら、間違いなく私は辞めていました。本当に先輩には感謝しています。不出来な新人ですが、これからも精一杯頑張りますので、御指導御鞭撻の程、宜しく御願い申し上げます(^_^)/】
鰐口からのメールに、思わず笑いが漏れる。
「文面が固ぇっての。それに旧石器時代の顔文字を使うなよな……オッサンかよ」
タバコを上下に動かし、暫し返信を考えたが、性に合わない気がして携帯をポケットにしまい込んだ。
「よう鰐口。早いな」
「…………」
始業前、鰐口は既に作業台に座り、部品を合わせていた。無言で会釈をし、図面との睨めっこを再開した。パイプ椅子を出し、鰐口の隣に腰掛ける。
「終わったら見せてみろ。特注品だからな」
「…………」
製品を見ながら、無言で頷く鰐口。
「……メールだと冗舌なのにな」
「…………!!」
大きく笑ったところで、鰐口が腕に齧り付いた。
「いでででで!! なんか知らんがギブだ! ギブ!!」
「…………」
口を離す鰐口。作業帽子から僅かに赤く染まった頬が見えた。
「ビックリしたなおい。なんだ、照れたのか?」
「…………!!」
「いでででで……!! 分かった! 分かったから、いちいち齧るなってば……!!」
これが若者の流行なのかと思ったが、単に照れ隠しなのだと、そう見えた瞬間に、鰐口が少しだけ可愛く見えた。
「頼むから齧ったまま回るなってば! 腕が千切れるー!!」