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追憶の刹那

作者: MASAO

 パパパーッ

 けたたましく鳴るクラクション。

 眩しく迫るヘッドライト。

 景色がスローモーションへと変わった。

 夏の夜の生温い風がTシャツをはためかす。

 パッアアアーンッ

 エギソーストノーズが社外品のチャンバーを吹き抜け叫んだ。

 タコメーターはレッドを振り切りブラックゾーンへと突入していく。

 友人から借りたツーストローク50CCレーサーレプリカ、ミニバイクの愛称で呼ばれるクラスだ。

 今、俺の目の前には対向車のダンプカーが在った。

 パアアアッ

 再びクラクションが俺を叩く。

 かねてより興味のあったバイクに無免許で俺は初めて乗った。その最高の乗り物に魅了され小慣れてきたところで調子に乗ってしまいオーバーラン。

 初めて死を身近に感じた。

 目が釘付けになった。

 全てがヘッドライトで真っ白になる。

 世界から音が消えた。

 パアアアアアアーンッ

 叫び続けるマシン。

 無意識に身体を内側に倒し込み車体がフルバンク。

 ダンプのヘッドライトが俺の脇スレスレを駆け抜けていく。

 サイドステップがアスファルトを削り火花が飛び散った。暗闇のミラー越しに走行ラインを淡く浮かび上がらせては消えていく。

 視界の隅に自分の軌跡を捕らえながら動き出した現実に鳥肌が立つ。

 死への戦慄から(まぬが)れた。

「ははははははははははははーっ」

 何かが壊れたかのように俺は笑い出した。

 知らぬ間に涙目。

 耳の中で鼓動が激しくこだまする。

 全身が小刻みに震え鳥肌も収まらない。

「あははははははははははははははははははっ」

 狂ったように笑いが止まらない、アクセルも全開。

 バイクに目覚めた瞬間。

 十七歳になったばかりの熱い夏の夜だった。



 仕事から帰宅すると一通のはがきがドアポストに投げ込まれていた。

 差出人は三年前に別れた彼女からだ。「結婚しました」と大きく書かれ写真の中では久しぶりに見る最高の笑顔の彼女、そして知らない男が写っていた。

 決していい男ではない出で立ち、さえない笑顔。しかし、誠実そうではある。当てつけだろうか?

 適齢期を過ぎた女というのは必死なのかも知れない。

 結婚という架空の幸せをステータスとする奴は多い。

 俺は一つ溜息を漏らすとそれを無造作にテーブルの上に放り投げていた。

 まあ、世の中ってのはこんなもんだ。

 別に未練がある訳ではない。

 他人同士が一つ屋根の下で暮らせば様々な障害にぶち当たる。そんな事は当たり前だ。当たり前だからこそ、その人の大切さを失ってから初めて気が付いたあの頃……だからと言って今さら未練はない。何度も言うようだが無い物はないのだ。

 彼女の幸せを願い酒を(あお)る。

 その日の夜、彼女が夢に出てきた。

 何度も何度も獣のように愛し合う内容だった。

 やっぱり未練か?

 それとも欲求不満だろうか?

 ピピピピピピピピピッ

 そんな俺を浅い眠りから目覚ましが現実へと引き戻す。

 今日は週末。

 俺は夢の余韻に浸る間もなく職場へと向かう。

 通勤ラッシュ。

 照り付ける太陽。

 早朝の爽やかな風が街路樹の深緑を揺らす。

 一年で最も命が脈動する季節……夏。

 なのに俺は死体だ。

 いつからだろうか、そんな自分を受け入れられるようになったのは。

 そんな疑問をいつから考えないようになったのか思い出せない。

 現実への諦め?

 死体は亡者が群れなす幽世へと急いだ。

 職場は薄暗く、ほこりと機械油で臭い。

 だが、今日は週末だ。

 この陰気くさい職場と朝から晩まで同じ動作を繰り返す仕事とほんの少しおさらば出来る。

 囚われの身体が解き放たれる瞬間まで俺はロボットに徹した。

 事件発生。

 一人で昼食を取り終えた俺の目に辞令が飛び込んできた。

 死人達は集まり掲示板に貼られたその無慈悲な紙っきれに目を奪われていた。

 そこには数名の名が刻まれていた。

 8-52生産ラインは今月で閉鎖。

 上記の者は来月よりベトナムにある生産工場に転属。

 早期定年退職制度適用ともある……丁のいいリストラ勧告だった。

 年配の諸先輩方が愕然としている。

 マジっ?

 その生産ラインは俺のいるラインだ。

 もちろん俺の名前もそこに眩しく輝いている。

 最悪だ……

 その後、一人ひとり主任に呼び出されて面談。

 今後の身の振り方を話し合った。

 今日は週末。ルンルン気分で終業のベルが聞けるはずだった。

 胃が痛くなりそうな俺は素早く囚人服を脱ぎ捨て社を後にした。

 足取りが重い……当然だ。

 亡骸は焼却処分されるのだから。

 気分はブルーを通り越しブラックゾーンへと臨界点を突破する。

 夕日がヤケに目に染みる。

 これだから夏の黄昏は苦手だ。

 冗談は仕事だけにしてくれ。



 本来なら開放感に身を任せてゆったりと安らかな睡眠に入るのだが今夜は違った。

 酒を飲んでも呑まれない。

 渦巻く負の念。

 俺は高校を卒業して就職した。

 かつて高校生達は金の卵と呼ばれ大勢工場に受け入れられた。

 それが今では合理化だ、経費削減、コスト削減と言っては無駄に多いオヤジ達を切り捨てていた。不況と合わさって、どうやらその番が俺達の代にも来たようだ。

 ようこそリストラさん。

 自分で選んだ生き方だ。

 後悔は無いが虚しくはある。

 仕方がないと諦める俺。

 疑問を持たず、考えず。不平を言う気力も無く。いつの間にやら、周りにも関心すら持てずに様々な事に対して受け流す(すべ)だけを身に付けていたらしい。

 いつ頃からだったか?

 どこから俺は受け止めなくなったんだ。

 俺ってこんな奴だったっけ?

 何かが欠落してないかい?

 確かに自分のあり方を悩んだ時期はあった……それはいつ頃だ?

 まどろみの中、疑問が生まれては消えていく。

 こんな自分を許せない俺はどこへ逝ってしまったのか。

「考え方がつまらないのよ」

 彼女が言った。

「そんなに世の中を悲観的に……物事を斜めから見下ろすような事していると本当につまらない人間になっちゃうよ」

 そうか?

「そうよ、そうに決まっているわよ。だいたい貴方よく「くだらない、くだらない」って色んな事を全否定するけど……くだらない事なんて本当は、この世に何一つ無いんだよきっと」

 なんでさ?

「だって、貴方にとって取るに足らない事でも他の人にとっては重要な事かも知れないし、だからそれはそこに在るんだよ」

 具体的に言うと何?

「貴方が嫌いな野球のナイター中継とか……かな?」

 はあ?

「世の中それ程捨てたもんじゃないよ。きっとね」

 彼女が優しく笑った。

 俺はそこで浅い眠りから目覚めた。いつの間にか寝入っていたようだ。

 昔彼女とした問答を夢に見るなんて俺、相当参っているのか?

 しかし、あれだけ偉そうな事言って例えが野球かよ。

「……くくく」

 知らず笑みが漏れた。

 俺は時計に目をやる。

 午前四時半。

 カーテンを開けるとまだ薄暗いがそこには澄んだ世界が広がっていた。

「久しぶりに行くか」

 俺は煙草に火を付けて呟いた。



 フオーンッ

 心地よいフォーストロークエギゾーストノースが静かな山々に(こだま)する。

 しばらく眠らせていた我が愛機だが絶好調。

 頼むぜ相棒。

 フルスロットル。

 俺を乗せた400CCネイキッドスポーツは早朝の森林を駆け抜けていく。

 お気に入りのワインディングポイント。

 かつてバイクを購入したばかりの頃は毎日のように攻めた峠だ。

 この老いた鉄の馬の年代を感じさせない鋭い加速に俺は満足する。

 ここ何年も頭の中にかかっていた霧が晴れていくようだ。

 これが心が洗われるって奴だろうか。

 フォンーッ

 シフトダウン。

 迫る左コーナーに身体とマシンがスタンバイ。

 人馬一体の如く俺はフルバンク。

 久しぶりに着た黒い革ツナギ。

 ニースライダーがアスファルトと接して膝を駆け上る心地よい振動。

 クリアー。

 俺は再び訪れたストレートに合わせてアクセルを開いた。

 立ち上がり様にかかるトルクが車体と俺を強引に持っていく。

 グリップも良く申し分なくタイヤも暖まっているようだ。

 イケる。

 どこからともなく沸き上がってくる確信。

 俺の前には障害が何もない、どこまでも続くマイウェイ。

 唸るマシン。

 タコメーターがフラットに駆け上がる。

 その時ミラーに一筋の光が映った。

 フォオオオオオオーンッ

 その光は急速に迫ると俺を追い越していった。

 1リッタースーパースポーツバイク。

 軽量モンスターだ。

 俺のマシンが敵う相手じゃない。

「上等だ」

 俺は笑っていた。

 忘れかけていた何かがゆっくりと目覚め始めた。

 俺は更にマシンを加速させモンスターを追尾する。

 ストレートで排気量の少ない俺に分がない事はわかっている。しかし、コーナーでもたついていれば差は縮められる。後はケツに張り付いてプレッシャーをかけて隙を刺す。

 パスポイントは下りの連続コーナー。

 コークスクリューゾーンで奴を獲る。

 奴が俺よりヘボならやれる。

「やってやらー」

 俺は愛機と共に咆哮(ほうこう)を上げていた。

 心の底で燻り消えかけていた炎が今激しく燃え上がるのを俺は感じた。

 それはどこかに落としてしまった想い。

 それはいつかしまってしまった力。

 それは捨ててしまった大切な物。

 抗う力。

 どこまでも駆け抜けていく気迫。

 そして、自分の力を信じる心の強さ。

 己の道は切り開く。

 俺にはそれが出来る。

 出来るんだ。

 今、この想いは俺の中に確かにある。

 この力は俺の中にまだ存在している。

 まだまだイケる自身をその瞬間、俺は知った。

 もう誰も俺を止められない。

 燻っていた炎が爆発した。

 そして月曜日の朝、俺は会社に退職願を提出した。



 照り付ける太陽。

 爽やかに優しく吹き抜ける風。

 今、俺の目の前には広大な地平線、どこまでも続く緑の絨毯。

 眩しく輝く大きな入道雲と透き通るような青空。

 そして永遠に続きそうな直線。

 俺はその直線上に愛機と共に立っていた。

 ライダーなら誰しも憧れる北の聖地……俺は北海道へソロツーリングに着ていた。

 さあ、目の前には俺だけの道がある。

 ゴーイングマイウェイ。

「イヤッホー」

 俺はノーヘルで奇声を上げながら北の大地を古い相棒とひた走った。

 最高だあー

 ……の筈だった……

 今の俺は濡れ鼠。

 突然の雷雨が俺の行く手を阻んだ。

 ただっ広いだけの現ポイント、雨宿りをする場所が見つからない。

 レインウエアーを持っていない訳じゃないがこんなに濡れたら着る必要性がないから現状でひたすら木陰を求めて走るマイマシン。

 イレギュラーではあるが予測はしていた。

 雨は地球上に存在する生命にとっては天からの恵み。

 どこにいても体験する自然現象だが、本土から上陸した初日にこれはないだろうに……最低。

 憧れの地に渡り毒づく俺。

 前途多難の予感。

 しかし、今の俺には足かせが無い。

 人生ロッケンロール上等。

 明日は明日の風が吹く……で、どうよ俺?

「ファイヤーっ」

 意味不明な言葉を叫ぶ俺を稲光の轟音が迎える。

 バケツをひっくり返した様な雨で前がよく見えない。しかし、アクセルを開く拳が更にフルスロットル。

 フォオオオーンッ

 俺達は果てしなく続くこの道を雷鳴と共に駆け抜けた。



 二日目。

 今日は俺の誕生日。

 お空は馬鹿っ晴れのピーカン。

 最高のバイク日和だ。

 しかし……

「何故だ」

 俺は天を仰ぎ嘆いた。

 ガス欠。

 リザーブタンクは見事に空っぽだ。

 給油ポイントまでは後10キロ以上ある。

 原因はわかっていた。

 二、三時間ほど時を(さかのぼ)った頃、俺は地元の小僧共が集まっていた峠にさしかかりツアラー仕様でバトルを仕掛けていた。

 平地に飽き始めていた俺は突如現れたアップダウンに心躍らせ少しはしゃぎすぎたのだ。

 ただでさえ、セッティング変更などのカスタム改造により燃費が悪いのに……

 と、言う訳でマシンの燃料を大量に無駄使いしていたのだった。

 そんな時、途方に暮れている俺の脇を軽快なサウンドと共にオープンカーが駆け抜けていった。

 そして、そのまま去ってしまう。

 ……おい。

 初対面同士の馴れ合いなんてそうそうあるもんじゃない。

 ま、世の中こんなもんさ。

 俺は焼け付くような日差しの下、総重量200キロ以上あるボロ吉一号を押し始めた。

 暑い。

 重い。

 疲れた。

 息も絶え絶え。

 服は汗でぐしょぐしょ。

 まるでボロ雑巾な俺。

 思考がロストしていく感覚。

 もう、めんどくせーな~。

 どうにでもなれってんだよっ。

 ……そうしようかしら……

 暑さと疲労でよく解らない俺の横を観光バスの一団が通り過ぎていく。

 涼しそうな窓の中から老若男女達が見ていた。

 指さし笑っている奴。

 呆れている奴。

 興味なさそうに流し目の奴。

 俺に気が付かない奴。

 驚いている顔や同情の色。

 みんな思い思いに俺を見ていた。

 ただ一貫して言える事はみんなが他人事だと割り切っていると言うだけ。

 そりゃそうだ。

 見も知らず、縁もゆかりもないこの雑巾男に施しをしようなんて奇特な奴はそうはいないだろう。

 そうだよ、あいつらは今までの俺だ。

 日々、時間と仕事に追われて他人に気を掛ける事やめてしまっていた俺だ。

 確かにくだらない事なんて何もないのかもな。

 俺にとっては重大な問題だからな。

 彼女が言ったようにナイター野球中継も重要?

 そうなのかも知れない。

「……確かに娯楽も必要だよなあ」

 て、何言ってんだ俺?

 いや、何をやっている……か。

 どうして俺はここに来たんだ?

 社会から解放されたお祝い?

 労働基準無視の会社で今も働く同僚達へのささやかな当てつけ?

 それとも現実からの逃避?

 彼女の結婚が原因?

 くだらない。

 違うっ!

 ……彼女にとってはそれが幸せ。

 どうして俺はこんなにつまらない人間になってしまったんだ?

 いつからなんだ……。

 俺は何かに憑かれたように単車を押し続ける。

 視界が歪んでいく。

 朦朧(もうろう)とした意識の中に甦る記憶。

 暑い夏の夜だった。

 あの夜、俺はバイクの(とりこ)となった。

 迫るヘッドライトとスリル。

 それを全力で回避した歓喜。

 スピードは魔薬。

 スリルは覚醒剤。

 俺の脳裏にはあの十七歳の夏の夜が鮮明に甦っていた。

 何者にも負けない気迫と勢いが当時の俺に新しい世界への門を開かせた。

 それが若さって奴だ。

 延々と続く憧れの道。

 どれ程この鉄の塊を引きずっているのか、もはや分からない。

 いつの間にか心の底から自分への怒りと悲しみがこみ上げてくる。

 ……この程度じゃ……

 俺は熱くなった目頭で蜃気楼の揺らめき立つ、果てしないアスファルトをただ睨

 み付けていた。

 終わりの見えない作業。

「こんなもんじゃ……」

 暑い。

「……俺は」

 重い。

「俺はこんなもんじゃねーっ」

 呪言(じゅごん)の如き叫びを上げていた事すら俺は気が付かなかった。

「うおおおおおおおおおおっ」

 雄叫びと共に俺は単車を押しながら残った力の全てで走り出していた。

 10メートルも行かない内に俺は力尽き単車と共に路肩に大転倒。

「はあ、はあ、はあ……」

 俺は容赦ない太陽の光を眩しそうに眺めた。

 汗だくでびしょびしょの服にひんやりする土と青臭い草がまとわりつく。

 気持ちがいいのか悪いのか良くわからない。

 みじめだ……。

「ちきしょうおおおおおおー」

 大の字に寝ころんだ俺は獣のように叫んだ。

 トットットットット

 どこからともなく聞こえてきたシングルフォーストロークエンジンが停車した。

 俺は物憂げな目をその音に向けていた。

 女神が舞い降りた。

 ヘルメットを脱ぎ捨てた彼女の瞳が大きく開かれ駆け寄ってくる。

「大丈夫ですかあっ」

 愛らしい顔の彼女は必死の形相だ。

 先程まで感じていた刺すような日差しが和らいだような気がした。

 何故だか今まで無くしかけていた光景が目の前に広がっていた。

 十七歳の夏。

 あの日、友人に借りたバイクで俺は一晩中走り、峠から見たあまりにも美しかった暁の空。

 俺はあの感動を生涯忘れぬものかと誓っていた。

「……世の中それ程捨てたもんじゃない……か」

 どこまでも抜けるような蒼天を眺めて俺は知らず呟いた。

 微かに涙がこぼれた。

 いや、汗かも知れない。

 そして、俺は俺であった。


                                                                 了


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