彼女はどこに
そこから約一ヶ月、彼の幸せな月曜日が続いた。
しかし、すれ違いが多くてもさすがに妻は彼の異変に気づいていた。
最初は、驚きとともに まさか…… という思いがあった。
しかし、違和感を持つたびに冷静に考えてみると、自分の罪を感じないではいられなかった。食事を作ってあげることもなく、洗濯や掃除も知らない間に彼がやってくれていた。
最近では、妻として夜の務めも果たせていない、何が妻なの…… 彼女は自分でそう思ってしまった。
そこへたどり着いてしまうと
( 何もしてくれない妻なんて愛想つかされても仕方ない、もし好きな人ができたのなら、気持ちよく別れてあげよう…… )
彼女はそう考え始めていた。
しかし、水曜日の昼休みに奈津子からの電話を取った一樹は突然の話に呆然とした。
「私、北海道に行こうと思っているの、もう私たちのアルバムはここで閉じましょう。それがお互いのためだと思う」電話口の彼女は冷静に話した。
「何故なの、北海道で何するの?」しかし一樹は少し責めるような口調になってしまった。
「知り合いから店を手伝ってほしいって言われていて……」
「やめてくれ、結婚しよう、妻とは別れる。一緒になろう」
彼は必至だった。突然の別れ話に彼は動揺してしまって、二人の流されている川に溺れようとしていた。
「何を言っているの、女性で家庭を壊した人が幸せになれるはずないでしょ、一度ちゃんと奥様と向き合ってお話ししなさい」
「君はそれでいいのか?」
「私は大丈夫、あなたとお話ししたいという昔からの願いがかなったからもう大丈夫、二人で覗き込んだアルバムはとても楽しかった。今はあなたの幸せを願うだけ。このままだといつか二人は泥沼に入ってしまう。私たちが楽しかったのはアルバムの中だったから。現実の世界だとこうはいかないわよ、 《スヴニール》って言うのはフランス語で、《思い出》って言う意味なの、思い出って言う名の店で再会した私たちは、何かを現実にしてしまう前に、思い出の内にお別れしましょう」
流れるような言葉に惑わされながらも彼は懸命に説得したが、どのように話しても彼女は心を変えなかった。
翌日アパートに行ってみたが、既に彼女は退去していて携帯電話もつながらなかった。
再び暗闇の中へ戻ったような感覚の中で彼は
( もしかしたら二週間後、中学校の同窓会に来るかもしれない、彼女も出席すると言っていた )
それを願って、彼は二週間を耐えた。
その日、かすかな望みを持って出かけた同窓会で彼は我を失ってしまった。
「開会に先立ちまして、二年前に亡くなられました下山奈津子さんのご冥福をお祈りいたします。皆さん、黙とう」冒頭の司会者の言葉に
( えっ、何だって、そんな馬鹿な! からかわれているのか…… )
彼は頭の中が真っ白になってしまった。
黙とうを終え、頭の混乱した彼が呆然としていると奈津子の親友だった陽子が傍に来て
「奈津子はずっとあなたのことが好きだったの、知っていた?」
語りかけてきたが彼は小さく頭を振った。
「亡くなるまであなたとお話しがしたかったって言っていた…… 私が連絡するって言ったら、こんな姿は見られたくない、あなたにだけは見られたくないって……」
彼女は瞼に蘇って来た親友の悲しく切ない最期を思い浮かべ涙ぐんでいた。
「俺のこと、からかっている?」彼が冷たい視線を浴びせると
「どういうこと?」彼女も少し機嫌を損ねていた。
「俺、この前まで何度も彼女に会ってるよ、彼女は生きているよ! 俺のこと騙しているの?」
「何言っているの? そんなことあるわけないでしょ。私はあの娘が亡くなる時に手を握っていたのよ、あの娘の最期の思いを汚さないで!」
( 何がどうなっているんだ、俺は夢を見ていたのか…… そんなはずはない、確かに彼女の手のぬくもりを感じた、こんなことがあるはずがない、彼女は幽霊だったのか…… 馬鹿な…… 俺がおかしくなったのか! )
頭が混乱した一樹は、もうこれ以上人前で立ち続けている自信がなかった。
「ごめん、でも本当なんだ。俺、おかしくなったのかもしれない。ごめん、帰るわっ」
そういう一樹の表情に、陽子は
( 本当におかしくなったのか…… あっ、彼も好きだったのか! )
そう思って少しうれしくなった。
会場を後にした彼は直ぐに後輩の山下に電話を入れた。
『山下、二か月前、お前に連れられてあそこのクラブ、《スヴニール》へ行ったよな?』
『ええ、楽しそうに女性と話していたじゃないですか、同級生か何かだったんでしょ?』
『ありがとう』
『先輩、どうしたんですか?』
『いやいいんだ、ありがとう』
彼は二~三日、懸命に思い出していた。
( 現実であることに間違いはない…… 何がどうなったのだろう…… )
その週の土曜日、彼は実家に帰り両親の様子を見た後、奈津子の実家へ行き、門の前に立ってみたがチャイムを鳴らす勇気はなかった。
呆然とした思いの中で彼は完全に我を失い、方針状態になっていた。