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再会に乱れる心

 もしかしたら、自分の日常にも、こんな物語が生まれるかもしれない…… 

 読者の方に、一瞬でもそんな思いを持っていただけたら、うれしいです。

 これが、此道の自信作です。


この程度なのか……って思われたら笑って下さい…… 

 大学時代の後輩、山下に強引に誘われ《スヴニール》というクラブに出向いた真木(まき)一樹(かずき)はテレビでしか見たことのないような華やかな空間に一瞬戸惑ったが、懸命に平静を装い、物珍しそうにしないことを意識して彼に続いた。

 シャンデリアがダイヤを散りばめたような輝きを放つ中、目に見える女性は皆、美しく、細い腕がとても魅力的だった。


 テレビ局で営業をしている山下は昨年アナウンサーと結婚したのだが、すれ違いが多く、時々一樹の家に上がり込んでは愚痴をこぼしていた。

 しかし、彼は一年に何億円ものCMや、後援を扱う人間でいつも羽振りがよく社会人としての彼には勢いがあった。

 その彼が、接待で予約を入れていたにもかかわらず、相手方からキャンセルされてしまい、店の()の顔を(つぶ)すわけにはいかないので一樹を強引に誘ってクラブに出向いたのであった。


 案内されて席につくと、しばらくして彼の隣に女性がやって来た。

「亜紀と申します。初めてですよね、よろしくお願いします」

 名刺を差し出して挨拶した彼女は隣に座ると水割りを作り始めた。決して飛び抜けた美人という訳ではないが、セミロングの髪が美しく、白いうなじを支える細い肩が妙に切なくて、振り向いたその涼しそうな瞳が何故か懐かしさを呼び起こしてくれた。


「ほんとうの名は奈津子って言うんですよ」

 そう言うと彼女はチラッと彼を見て微笑んだ。

【奈津子】と聞いて、一瞬どきっとした彼は、どこか記憶のある彼女に見入ってしまった。


「あなたは? 下のお名前だけでいいから教えて下さる?」


「えっ、一樹です」


「いいお名前ですね、漢数字の一に樹木の樹って書くんですか?」


「えっ、あっ、はいそうです」彼は驚いて答えたが


「あっ、ちょっとごめんなさい」彼女はそう言うと慌てて席を立った。



 しばらくして帰って来た彼女は「ごめんなさい」と言って再び席に座ると

「真木君よね」微笑んで覗き込むように彼に尋ねた。


「えっ、もしかして、下山……奈津子さん?」

 驚いた一樹に自信はなかったが、自分の名を知っていることに加えて、奈津子と名乗る女性、そして記憶の奥に残っていた彼女の瞳がフラッシュバックして、彼は恐る恐るその名を口にしてみた。


「うれしい、覚えていてくれたんですか?」 

 彼女は少しはしゃぐように瞳を輝かせながら彼の太ももに静かに手をのせた。


「そりゃ、覚えていますよ」

 彼は(つぶや)くように言うと恥ずかしさから俯いてしまったが、この偶然に何とも言えない幸福感をかみ締めていた。


「うれしい、高校の卒業以来だから八年ぐらいかしら……」


「そうですね」

 顔を上げて彼女を見つめた彼は、その笑顔と瞳に触れて胸が締め付けられるようだった。

 初恋の女性、当時は高嶺の花だと思っていた女性が隣に座っている…… そのことだけで彼は、天にも昇るような思いであった。  

 

「でも、よくわかりましたね?」不思議そうに彼が尋ねると


「そりゃわかりますよ、初恋の人なんだから……」彼女は彼を見つめて微笑んだ。


「はははっ、お上手ですね、本気にしますよ」

 驚いた彼は平静を装ったが、心は大きく乱れていた。


「えー、何言っているんですか、上手(じょうず)を言ったって店には来てくれないでしょ? 確か、丸菱商事の総務課にお勤めですよね?」


「えー、何で知ってるの?」彼は目を見開いて驚いた。


「失礼ですけど、営業なら接待もあるでしょうけど、まだ二十六才、事務職のサラリーマンのお給料ではここには通えないですよ、そのあなたに無理を言うつもりはないですから……」

 顔を少し近づけてさわやかに言う彼女はまっすぐな目をしていた。


「そりゃそうだ」


「ごめんなさい、失礼なこと言ってしまって…… でも本当に初恋だったんですよ。覚えているかどうか知らないけど、高校二年の夏休み前に、夏休みにはあなたとどこかへ行きたいと思って、意を決して声をかけたんですよ! 私にとってはすごいことだったのよ」

 彼女は昔を思い出すように語りかけたが、一樹はそのことをはっきりと覚えていた。


「確か、小説を読んでいたから『本が好きなの?』って聞いたら『時々読むだけ』って、私の顔も見ないで逃げるように帰って行ったのよ。私は終わった、って思ったわ。小学校の時から思い続けた初恋だったのに、たったの一分だったのよ」

 彼女は少しだけすねて見せた。


「ごめん、はっきり覚えているよ、終業式の日だった。家へ帰ってからもうれしくて、夢のようだった。でも、恥ずかしくてその場から逃げ出したことを直ぐに後悔したよ。せっかく声をかけてくれたのに、チャンスだったのに何か話せばよかった、そう思って後悔したよ」

 彼は遠くを見つめるように当時を振り返ったが、何とも心地よい一瞬であった。


「それってなあに…… 私、嫌われていたわけじゃないの?」

 驚いた彼女が、目を見開くと少し口をとがらせるように彼を覗き込んだが


「まさかー、あの時代に君のこと、嫌いなやつなんかいなかったよ。俺だって大好きだったよ。陰からこそっと見るのが楽しみだった。学校へ行く唯一の楽しみだったのに…… 」

 彼女の顔がすぐ近くにある気配を感じてはいたが、彼は目を向けると目の前に現れるであろう彼女の瞳に直面する勇気がなかったため、正面を向いたまま優しく反論した。


「それ本当なの? 上手を言ってもここをただにはできないよ」

 突然襲ってくる彼女の愛くるしさに彼は一瞬、 かわいい! と思ったが


「それはいいよ、彼が払うんだから……」

 となりでお気に入りの娘と話している山下を指さした。


 彼はしばらく沈黙の中で考えていた。

「男なのに今さらって思うかもしれないけど、あの時、もし逃げないで君に応えていたら何か変わっていたのかなあ?」

 逃げ出してしまった後悔に、彼は尋ねないわけにはいかった。


「そりゃそうですよ、私は夏休みにどこか行きましょうって誘う決心していたんだから、二人のお付き合いが始まったかもしれないわよ」


 帰宅した彼の脳裏から奈津子の笑顔が消えることはなかった。

 二十六歳になってこんな切ない思いに陥るとは想像したこともなかったが、彼女との再会が平凡な彼の日常に()をともしてくれた。

 しかしその灯はまだ足元を照らしているだけで、この道がどこへ続くのか示してはくれなかった。


 商社の総務に勤める真木(まき)一樹(かずき)は、学生時代から交際していた亜由美と大学を卒業するとすぐに結婚したのだが、当時からデザイナーとしての才能を開花させていた彼女は日々時間に追われ、夜はいつも遅く、帰宅しないことも珍しくなかった。

 最近は休みもほとんどなく、彼が朝もぎりぎりまで寝ている彼女とゆっくりと話すことはあまりなかった。

「子供は仕事が落ち着いてからね」

 彼女がそう言い続けて既に四年が経過していた。


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