明かせない乙女4
意気込んでいた佳乃とは反して、翌日以降の大学での待ち伏せは見事に空振りを続けた。
そうしてようやく都塚の姿が拝めたのは一週間後だった。
「こんにちは。ようやく会えましたね」
笑顔で目の前に飛び出してきた佳乃を見て、都塚は怪訝そうな表情を浮かべた。降りた前髪が、俯く彼女の視線を隠している。
「何をしにきたの?」
「この間のお話の続きをしようと思いまして」
「もう話すことなんてないでしょう?」
「妄想に付き合っている暇なんてない。稔莉さんに、そんなことを言われちゃいました。悲しいです。ガラスのハートの佳乃ちゃんは、たいそう傷つきました」
語尾を降ろした佳乃は、一転してしくしくと泣いたふりをする。かとおもいきや、また一転して今度は天高く拳を挙げた。
「でも私はへこたれません。直接文句を言ってやろうと思いたったわけです」
「そう。どうぞご自由に」
都塚は佳乃を見つめ返す。それに対して、佳乃はふるふると首を振った。
「いえいえ、私は本人に直接文句が言いたいんです」
「……何が言いたいの?」
ころころと表情を変える佳乃の言葉に、都塚は眉を顰めて首を傾げる。本人はここにいるではないか、という思考が彼女の頭には巡っているのだろうか。はたまた思い当たる節を心の奥にしまい込んでいるのか。
佳乃は満を持した表情で、都塚に人差し指を向けた。
「私が文句を言いたいのは、もう一人のあなたです」
「なんでそのことを……まさか――」
声を漏らした途端、都塚はしまったといった表情を浮かべる。数秒して、その行動すらも失敗だったと気付いた都塚が深く顔を下げた。
瞬間的な変化だったが、俺たちの推論を事実足らしめるには十分な挙動だった。
「すごいねいつき君。大当たりだよ」
喜々としてこちらを振り返る佳乃に対し、俺は余裕ぶってゆっくりと手を上げた。
思いも寄らぬ正解に、俺も飛び上がりそうなほど嬉しいが、ここは大人らしくクールに決めてやらねば。
「尻尾を出したな。さあ改めて話を聞かせてもらおうか」
精一杯格好つけた言葉が、都塚にぶつかる。顔を上げた彼女は、苦笑いを浮かべながら細々と頷いた。
俺達三人は、寒さをしのぐため前回同様喫茶店へと足を運ぶ。
先週同様の座席配置と気まずさが、五分ほどの沈黙を生んだ。
「詳しく話をしてくれると助かるんだけど」
あまりに誰も口火を切らないせいで、俺が口を開いてしまった。目が合った都塚が、いそいそとコーヒーに口をつける。
「どうしても言わないとだめですか? ほんとにどうしよう。だから余計なこと言わないでって言ってたのに……」
先ほどまでの凛とした表情はどこへやら、都塚は小さく背中を丸めて呪詛を呟いていた。
「無理して話さなくていいですよ、と言いたいところなんですけれど、どうしてもお話が聞きたいんです。お願いします」
深々と頭を下げる佳乃に合わせ、俺も頭を下げた。その様子を見て、わたわたと焦った様子だった都塚も覚悟を決めたのか、大きく息を吐く。空調で揺れる都塚の前髪が、ぴたりと動きを止めた。
「……佳乃ちゃんが言っていた通り、たぶん私は呪われてるんだと思います」
驚いた。いや、そんな気はもちろんしていたのだが、本人の口から断言されてしまうと驚きが倍増してしまう。
なにより、話半分だった佳乃のウインクキラーの立証者がもう一人現れてしまった。
俺の驚きを歯牙にもかけず、都塚は話を続ける。
「でも言えなかった。これは私たち二人が解決しないといけない問題ですから」
「ふたり?」
俺と佳乃の声が重なる。
「え、ピンときてたんじゃないんですか?」
「いや、正直なんというか、確信はなかったんだけどさ。思いのほか簡単にブラフに引っかかってくれて」
「そうだったんですね。まあいいです」
深い溜息を吐いた都塚は、真っ直ぐ佳乃のほうを見つめた。
「うまく話せないかもしれないけれど、聞いてくれるかな?」
見つめられた佳乃が、深く頷きを返す。それを契機に、都塚は語り始める。
「私の身体の中には二人分の意識があるの」
俺と佳乃は顔を合わせて首を傾げた。譲り合うように視線を向けあった後、佳乃が都塚のほうを向く。
「どういうことですか?」
「私にはお付き合いをしている相手がいてね。涼っていうんだけれど、その子が倒れたことがきっかけだったの」
都塚はふうと一つ呼吸を置き、過去を思い返すように視線を上げた。
「一月くらい前だったかな。突然涼が倒れて、未だに彼は目を覚ましていない。原因もわからない。でもそこから、私の中に彼の意識が入ってきたの」
「私の中?」
「朝から夕方までは私に、夕方から夜明けまでが涼に、この身体の主導権があるの。私の意識があるときは、涼の意識は眠っている、逆も然り。簡単に言うと、一つの身体を二人の意識で共有している状態なんだよ。理解してもらえたかな?」
都塚は話を続けながら、目の前に置かれた紙ナプキンを二つに切り分け、それを重ねた。自信がなさそうな彼女の様子が、話の突拍子もなさを際立たせていた。
一つの身体を二人で共有している? 何だそれは。自分で仮説を立てておいてなんだが、改めてわけがわからない。
「それでこの間は途中で人が変わったみたいになったんですね」
意外そうな様子も驚いた様子もない佳乃の言葉に、都塚はくすくす笑った。
「まぁ実際に人が変わっていたわけだからね。涼に酷いこと言われたんだよね。ごめんね」
「いえいえ。事情がわかってほっとしました」
「でもなぜこんなことになったのかは、申し訳ないけれど思い当たる節がないの」
「私たちのほうこそ、無神経に聞きだそうとしてしまってすみません」
佳乃は言葉を整えた後、ミックスジュースで口を湿らせてから話を続けた。
「もし、呪いが解けるって言われたらどうしますか?」
「それはもちろん解きたいよ。涼の人生を縛るような真似したくないもの」
都塚は視線を落とし、紙ナプキンをさらに折り曲げる。それを見た佳乃は、強く熱のこもった視線で都塚を見つめた。
「この前も言ったことですけど、もう一度言いますね。私に呪いを解くお手伝いをさせてもらえませんか?」
そこまで聞いて、俺はいよいよ突っ込みを入れざるを得なくなった。
「おい、手伝いって何をするんだよ」
そもそもお前の呪いを解くための事情聴取だろう、と言葉を続けようとしたが、俺の言葉を佳乃が遮った。
「いつき君ひどい! こんなにも悲しそうな稔莉さんを放っておくなんて」
「いやそうじゃなくてだな。呪いの解き方が分からないから調査しにきてるんだろ。なのにどうやって呪いを解く手伝いをするんだよ」
なぜだかお門違いなお叱りを受けてしまった。手伝いができるほど知識があるなら、まず自分の呪いを解いているだろう。なのになぜ佳乃はこんなにも自信満々な顔が出来るのだろうか。
「佳乃ちゃん、気持ちはとてもうれしいけれど、してもらえることはないと思うの」
俺と都塚の心中は、どうやら一致しているようだ。二人の愕然とした表情を気にせず、佳乃は指を振った。
「ふっふっふー」
先日の演技力とは打って変わり、佳乃の棒読みのような笑い声が喫茶店にこだました。
「私に出来ることがない? 甘い、甘いですよ、お二方!」
「どうした、熱でもあるのか」
「シャー!」
猫のような威嚇が佳乃から飛んでくる。おほんとわざとらしく咳払いをした佳乃が、再び口を開いた。
「何を隠そうこの佳乃ちゃん。呪いを解くことが出来る唯一無二の人間なのです」
「やっぱり熱が」
「野暮な突っ込みはごめんだよいつき君。次は思いっきり噛むからね」
再度威嚇される。再びのわざとらしい咳払いとともに、佳乃の顔に真剣味が宿った。
「冗談はさておき、冗談ではないんだけれど。私には呪いを解く力があるのです」
「いや、それならまず自分の呪いをだな……」
「うんうん。予想通りのツッコミをありがとう。掻い摘んで話すと、私が私自身の呪いを解くことは出来ないの。説明すると長くなるから、また今度ね」
俺の疑問を軽くあしらった後、佳乃は都塚に向き直る。
「呪いを解く力があっても、稔莉さんの呪いを今すぐ解くことは出来ません。なぜなら呪いを解くためには、まず稔莉さんの願い事を知る必要があるからです」
「願い事?」
「まずははっきりと定義を示しましょうか。私が今話をしている『呪い』というものは、人の願い事が起因して起こる現象のことです。その人の願望が歪に叶ってしまった結果が、今稔莉さんや私の身に起きている『呪い』という現象なのです」
聞きなれない問答のせいか、はたまた効き過ぎている暖房のせいかはわからないが、俺には話の筋がいまいち飲み込めなかった。
人の願いが呪いになる。という認識で合っているのだろうか? 佳乃の言葉は続く。
「呪いの元となった願い事を解決しない限り、呪いが消えることはありません。私に出来るのは、願い事という根っこがなくなった呪いを引っこ抜くことだけですから」
何かを引っ張るジェスチャーを交え、自信満々に言い切った佳乃は、すっきりした様子で椅子に腰掛けた。