明かせない乙女3
「びっくりしたな」
ふらふらと席に戻る佳乃に対し、俺は恐る恐る声をかける。直に言葉をぶつけられた分、佳乃には俺よりも深い衝撃が走っているようだった。
「ほんとだよ……。あー怖かった」
「そりゃいきなり連れて来られて尋問されたんだから腹も立つだろう。身に覚えはないって言ってたし、何かの間違いじゃないのか」
ゆったりとしたフォームから繰り出された豪速球に対して、俺と佳乃の顔には苦笑いが張り付いている。
佳乃は再び俺の隣に座り、大きく息を吐いた。
「というか聞いた? 妄想だって言われちゃったよ。流石に失礼じゃない?」
「先に失礼かましたのはこっちだからな」
「まあそうなんだけどね。どうしよう、嫌われちゃったかな。やだなぁ」
悲観的な言葉と合わせて、佳乃の眉がへの字に垂れる。それでも佳乃には言葉ほど凹んだ様子もなく、不思議と勝気な雰囲気を保っていた。
「どうせもう会うこともないだろうし、大丈夫だろ」
「大丈夫じゃないよ。また会うんだから」
「会ってどうするんだよ」
「もちろん呪いの調査だよ」
佳乃はゆっくりと深呼吸をした後、残ったミックスジュースに口をつけた。
「身に覚えがないって言ってたじゃないか」
「嘘だよあんなの。いつき君には言ったでしょ、私は心が読めるんだから」
「はあ? 本気で言ってんのか」
「私はいつだって本気だよ」
佳乃はにんまりとしながら腕を組んだ。すっかり余裕を取り戻した佳乃の言葉に、俺はがくりと肩を落とした。
「それを抜きにしても、おかしいと思わないかね? 呪いについて興味を持ちすぎなんだよね。私がわざわざ初っ端からあんな失礼な物言いをしたんだから、怒って帰るんならもっと早いタイミングだと思うんだよ。興味を持ったってことは、何かしら思い当たる節があるんだろうね」
佳乃は人差し指をこちらに向け、再びストローを口に運んだ。
無邪気なように見えて、そういう駆け引きめいたことをしていたのかと感心させられてしまう。
佳乃がストローから口を離すと、コップからからりと音が漏れた。
「というか、俺は必要だったのか? 俺抜きでがっつり話をしてたぞ。呪いは? ウインクキラーは?」
二人の一連のやりとりを見た結果、当然のように湧き上がってきた疑問が俺の口から飛び出た。
「あれ? 言ってなかったっけ。私の呪いは呪われている人には効力を発揮しないの」
俺の質問は思考の範疇だったのか、佳乃はあっけらかんとそう答えた。思わず落としそうになったカップを置き、俺は佳乃に詰め寄った。
「はぁ!? 初耳だよ。だったらなおさら俺なしでよかったじゃないか。だいたい呪いのせいでアプローチ出来ないって言って俺を連れてきたんだろ?」
「嘘だよ」
「嘘かよ」
「だって、そうでも言わなきゃついてきてくれないかなって思って。手伝って欲しかったのは事実だし……」
佳乃はわざとらしく上目遣いでこちらを向き、申し訳程度の申し訳ない顔を作った。
出会って一日二日の関係であるから仕方がないことだが、意外と佳乃の中には俺に対しての信用がないようだ。
「まあいい。今後も手伝うから嘘はつくな嘘は」
「はーい」
あっさりと返事をする佳乃に溜息を返しながら、俺は先ほどまで都塚が座っていた席を眺めた。
呪われている人間には効果がないとまで断言するのだから、きっと佳乃には一目見た時から都塚が呪われているという確証があったのだろう。俺には見えない何かが見えているんだろうか。
俺は手元に置かれた千円札を手に取り、疑問が残ったまま喫茶店を後にした。
日が沈んだ街並みを歩きながら、俺と佳乃は駐車した車の元に向かう。喫茶店の空調を味わったあとだと、冷たい外気がより身を刺してくる気がした。
「うーん。どうしよっかなー」
「どうするって、また会うつもりなのか?」
「さっきもそう言ったじゃん」
佳乃は軽快に足を動かしながら、俺の半歩先を歩いていた。
「今日の様子だと、また怒らせて終わりだぞ」
「それもそうなんだけどね」
大きく吐かれた佳乃の溜息が、白く染まり空気へと溶けていく。あれほど警戒されてしまえば、次からは今日のような策も通じないだろう。
しかしながら、佳乃の呪いの事を聞いた後も都塚はそれほど驚きを表に出さず、淡々と疑問を返していた。恋愛対象じゃなければ呪いは発動しないか、なんて疑問、今の今まで俺は全く思いつかなかった。
少なからず佳乃に興味を持っていたはずなのに、なぜ急に突き放すような言動で去って行ったのだろうか。訳がわからない。
ぼんやりとした思考のまま、俺達はパーキングへと到着した。自販機の淡い光が、ぼんやりと景色に浮かんでいる。
「コーヒー買うけど、なんか飲むか?」
「うーん。じゃあココアが飲みたい」
佳乃の言葉のまま、俺は自販機に向かいココアのボタンを押した。がたんと音が響き、佳乃が缶を自販機から取り出す。途端、佳乃が身体を大きくのけぞらせた。
「つめたっ! もうなんなの?」
悲鳴にも近い抗議の声が佳乃から上がった。
「どうした?」
「いつき君! 冷たいよ! なんでホットじゃないの!? 佳乃はビックリだよ!」
手を振り回しながら憤慨する佳乃を尻目に、俺は自分が押したボタンを見返す。
ボタンの上にはご丁寧に青色で「つめたーい」と書かれたプレートがあった。
「ああ、間違えた。すまんすまん。ぼーっとしてたわ」
「もう、温かいと思ったからびっくりしちゃったよ。なんで真冬に冷たいココアが売ってるのさ。あれだよね、冷たいものは、ちゃんと冷たいですよーっていう外装しててくれないと困るよね」
ゆっくりと缶を取り出した佳乃は、パッケージに愚痴をこぼしながらすぐさまココアを鞄に仕舞いこんだ。
「なんだ飲まないのか」
「こんなの飲んだら体が芯からキンキンに冷えちゃうよ。川遊びしてた誰かさんみたいにはなりたくないもん」
やれやれという溜息と暴言を吐きながら、佳乃は踵を返し俺の車の方へと歩みを進めた。
そんな佳乃に笑みを送りながら、俺は間違えないようしっかりとホットコーヒーを購入した。じんわりとした温かさが、手から全身へと広がる。缶を手で転がしながら、俺は車へと乗り込んだ。
車内は冬の空気で完全に冷やされており、鈍いエンジン音と共にぬるい空気が流れた。
「わざわざ手に取らなきゃ良かったのに」
「こんなに暗いんだから、ぱっと見じゃ温かいか冷たいかなんてわかんないもん。というか、いつき君が間違えたのが悪いんだからね?」
「だから悪かったって」
隣に座る佳乃は、頬を膨らませながらシートベルトをいじっている。
意図的ではなかったが、ちょっとしたドッキリでここまでの反応を見せてくれるなんて、思いもよらない収穫だ。にんまりと悦に浸る俺の思考は、ふと数分前の出来事に引き戻された。
僅か数分の間に様相を変えた都塚の様子は、まさにドッキリだった。思っていた温度と違う飲み物が出てきたような、見た目ではわからない変化にどきりとさせられた気分。
じっくりと温まる車内と同様に、思考が温まってくる。
「睡蓮か」
「え?」
「いや、都塚さんが言ってただろ。睡蓮って知ってるかってさ」
「ああ、言ってたね。そのあと別人みたいになってたけど」
「そうだな」
そう、まるで別人のように変わっていた。
「睡蓮の花ってさ、日中に花が開いて、午後には閉じるんだよ。朝起きて、夕方がきたら眠ってしまう、みたいな感じの花なんだよ」
「ふむふむ」
続く俺の独り言に、佳乃が相槌を打つ。そのリズムに合わせるように、思考がくるくると回っていく。
都塚が少し歩み寄りを見せたであろうあの場面。彼女はなぜわざわざ睡蓮の話をし始めたのだろうか。
そういえば、都塚はその後すぐに時計を見て、慌ててトイレへと向かっていた。時間排尿があるのか、なんて下品なことを考えていたが、もしあの行動にもっと深い意味があれば……。たとえば──。
「一人にならないといけない時間だった、とか……」
「ど、どうしたの? 一人になりたいの?」
「あ、いや、違う。なんでもない」
「変なのー」
俺の言葉に、佳乃が頭を傾ける。それもそのはず、俺の言葉は解説などではなく、頭の中をまとめるための独り言なのだから。
しかし、独り言のおかげで考えるべき内容がはっきりした。
「もし、佳乃の言ってることが本当で、彼女が呪われているとしようじゃないか。だとしたら、都塚さんがしようとしていた睡蓮の話は、タイミング的に呪いに関することなんじゃないか?」
「うーん。呪いと睡蓮、何が関係あるの?」
俺の思考時間に痺れを切らした佳乃が、ばたばたと足を動かした。それに呼応して、車がゆらゆら揺れる。
「仮に自分のことを比喩するために睡蓮の花の話をしていたとすれば、きっとそれが呪いに関係する内容なんだと思う」
「それって、さっき言ってた夕方がきたら眠ってしまうってやつ?」
「そうだ。佳乃も言ってたじゃないか、別人みたいになっていたって。だからさ、夕方になったら都塚が眠って、別人みたいになるっていうあの現象こそが呪いなんじゃないかなって……思うんだよ」
すんなりと口から飛び出た仮説に、我ながら笑ってしまいそうになる。
童心に帰って想像を深めすぎた。呪いの事を知らない分、何でも言いたい放題だ。俺の仮説を聞いた佳乃は、まんざらでもない様子でうんうん頷いている。
「夕方になると別人になる呪い……」
「え、いや、本気にすんなよ。あくまで推測の一つだからな」
「いいね、これでもう一度彼女に会う口実が出来上がったよ」
にやりと笑う佳乃は、詳しく俺に思考の説明を求めてきた。俺は車を走らせながら、渋々自身の頭の中を話し始めた。