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少女は瞳を閉ざさない  作者: 豆内もず
8話 叶えない神様

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叶えない神様6

「全て仕組まれていたとはな……」

 俺の口から顛末を聞いたウズメは、力なく自身から落ちる光を見つめた。

「そもそも何でお前に呪いが……」

 俺がこの状況を把握していないのもおかしな話だが、今目の前では間違いなくウズメを取り巻いていた呪いがほろほろと崩れている。

 俺は茫然とウズメからこぼれる光を見つめた。

「くはっ。滅ぼした張本人が意外そうな顔をするでない。のう、小娘」

 ウズメの後ろから、先ほどまで人形に対し悲哀を向けていた佳乃が現れた。

「そうだね。決勝ゴールはばっちり決まったよ。もっと喜ばなきゃ」

 佳乃は俺の元まで歩み寄り、ねぎらうように俺の肩に手を置いた。

「何が起こってるんだ?」

「どこから説明しようかな。まあいいや、面倒だから全部説明してあげよう。あなたもそのほうがいいでしょ?」

「くふふふ。そうじゃな。じゃがあいにくワシには時間がない。長話をしている暇はないぞ」

「もう。消えかかってるくせに偉そうなんだから」

 やれやれと息をこぼしながら、佳乃は人差し指をあげた。

「今いつき君が解いたのは、間違いなく彼女の呪いだよ。……というより、彼女自身って言ったほうがいいのかな」

「ウズメ自身?」

「彼女はいわば神様の願いから生まれた歪な存在。私たちが呪いと言って解き続けてきたものと同じなんだよ」

 佳乃は淡々と語るが、何やらとんでもないことを言ってるんじゃないか。この街の神様自体が呪いで、その呪いを今俺が解いて、つまりはどういうことなんだ。

 理解が及ばない俺にヒントを与えるように、佳乃が再び口を開いた。

「いつき君さ、夢でウズメ様に会ったって言ってたよね」

「ああ、言った」

「ウズメ様はなんて言ってたんだっけ?」

「確か……呪いを解くことが全てじゃないと」

「うんうん。他には?」

「他?」

「確か、助けてくれだとか、私も呪われているようなものだ、とか」

「言ってた。よく覚えてるな」

 うんうんと佳乃が自信満々に頷きを返す。

「その言葉は比喩表現でも何でもないの。今目の前にいるのは、神様であってそうじゃない。夢で見たウズメ様とは別物なんだよ。いわば、呪いが生み出した神様の別人格みたいなもの。ね? そうでしょ?」

 佳乃はにっこりとした顔をウズメに向けた。ウズメは肯定も否定もせず、鼻をフンと鳴らした。

 佳乃は呆れたように言葉を続ける。

「いつき君の日記見た時に、神様は二人いるんじゃないかって思ったんだよ。実行犯からのSOS、二人いる神様、自分の呪いを解こうとしなかったいつき君、この呪いのシステム、日記に書いていたこと。全部をひっくるめて、私は神様自身が呪われた結果、もう一人の神様が産み出されたという推論を出した」

「神自身が?」

「そう。つまり今いつき君は、神様に罹った呪いを解いたんだよ。誰が名付けたか、五花の呪いなんて紛らわしい名前がついちゃってるけど、その大元は神様が呪いに罹ったところにあったの。わかったかな?」

 佳乃の問いかけに、俺はゆっくりとうなづきを返した。

 要は目の前にいるこいつは神などではなく、神の願いから生まれた神を乗っ取っている存在というわけだ。俺たちに掛かっている呪いと同じように、願いから生まれた存在。

 理屈はわかったが、今まで佳乃は神も呪われているなんてことを一言も言っていなかった。

 実際俺が見ても、屋上ではウズメには呪いが浮き上がっている様子はなかった。今まで見えなかった呪いがなぜ急に見えるようになったんだろうか。

「でも、屋上では呪いなんて見えなかったぞ。何で急に?」

「それは彼女が自分の呪いを解くために動いてくれて、呪い自体の力が弱まったからだよ」

 佳乃はウズメのほうを見つめ、首を傾けながら言葉を投げる。ウズメは眉をひそめて佳乃を見つめ返した。

「ワシが?」

「そうだよ。まあ正確にいうと、そのために画策したのが今回の作戦なんだけどね」

 ふふんと高らかに鼻を鳴らす佳乃は、手を腰に当て大きく胸を張った。いつにもまして軽快な佳乃の様子に、こちらまで楽しくなってしまう。


「神様が呪いにかかっているのであれば、私たちがやることはいつもと同じ。呪いにいたる後悔を解消させることだよ。この呪いのシステム、つまり願いに起因して呪いを振りまいてしまうこと自体が彼女の呪いなら、その根幹を予想すればいい。あなたの呪いを緩めるために必要だったのは、人間の願いを叶えようとする行動。そうだよね?」

 佳乃は流し目でウズメを一瞥する。ウズメからは勝気な様子は失われており、あきらめたような薄い笑いだけが浮かんでいた。

 珠緒の顔をしているせいで、その薄幸ささえ絵になってしまうのが腹立たしい。

「どこで仕入れた情報なのかは知らんが、その通りじゃ。だからこそ、ワシは貴様らの願いなど聞き入れんようにしておったのじゃ」

「そう、あなたはいつも私たちの邪魔をして、私たちのしたいことの真逆を提示してきていた。でもね、それを利用できないかなって思ったの。いつき君の呪いに至るきっかけは、自分を殺してみたかったという願い。屋上から飛び降りようと思って、結局実行に至らなかったことによって生まれた呪い。私が落とすのだけはやめてねってお願いすれば、叶えたくないあなたはそれに沿わない行動を取らざるを得ない。そうやっていつき君を落として貰えば、あなたが図らずともいつき君の願いが叶うことになる。両方を一気に解決出来るんじゃないかなーって」

 佳乃は自信満々な笑みを浮かべる。

 屋上での勝気な様子も、すべてはこの展開へと持っていくための布石だったようだ。もちろん、頭の中を読まれる可能性がある俺にはその全容を話すことができなかったわけだ。

「なるほど。じゃあ俺があいつに落とされるって展開のために、うまく会話を誘導してたんだな。それであんなにしつこく力はないだろみたいな煽り方してたのか」

「ちょっと人聞きが悪いけどその通りだね。でも会話だけじゃないよ。金網だって、事前にあそこだけ抜けるようにしておいたし、わざわざいつき君を落ちやすい場所に誘導したんだよ。大変だったんだからねー? 事前の準備もいっぱいあるし、ちょっとでもイレギュラーが起こったら終わりだったし、見つかっても違和感がないように、手伝ってくれる人数分の制服のスペアも用意しないといけなかったしー?」

「間違いなく死んだと思ったけどな」

「もうすねないでよー! ちゃんと100%に近い安全は保障されてたんだってば。神様の呪い自体については正直かなりの賭けだったけど……」

 頬を膨らませる佳乃を見ても、特に俺の中に怒りなどわいてはこなかった。

 賭けのような要素を多く含んだ、一か八かの大勝負。それもすべて、呪いの根源を絶ちたいという俺の希望を叶えるための作戦。それなら俺が一番身体を張るという形が一番いい。

 なにより、二人とも無事な状態で今を迎えられていることを喜ぶだけでいい場面なのだから。

 息を漏らして笑う俺を見て、佳乃はウズメに説明を続けた。

「あなたの呪いを緩めていつき君に解いてもらう。かつ、いつき君の呪いも緩める。二度とこの街に呪いなんてものが生まれないように、完全にあなたを倒すこととが、私達の作戦だよ。あそこに倒れてるのはもちろんいつき君を模したフェイク。地面に落ちたフリをして入れ替えたの。わざわざ人がいない日の屋上を選んだのも、慣れた学校を選んだのも、いつき君に制服を着てもらったことも、あなたを呼び出したことも、全ては今この瞬間のために用意した布石なんだよ。これ以上細かい説明はいらないよね?」

 全てを話し終わった佳乃の言葉に、ウズメは静かな笑みを浮かべた。


「うむ。いらぬ……そうか、ワシの負けか」

 ウズメはふらふらと校庭のほうへと歩き始めた。彼女からこぼれる光は、徐々に小さくなっている。

「長きにわたり呪いを振りまいてきたが、まさかここで終わることになるとはな。貴様らの勝ちじゃ」

 ウズメはやれやれといった表情を浮かべ、両手を挙げた。

 何やら退治されてくれる様子のようだが、俺としては自身の記憶について聞いておかねばならないことが山ほどあるのだ。

 話を締めようとしているウズメに、俺は急いで言葉を投げる。

「最後に聞かせてくれ。なんでわざわざ俺の記憶を奪ったんだ?」

 ウズメは薄く笑みを浮かべ、当たり前のことを言い放つように淡々と言葉を並べた。

「簡単な話じゃ。なんの縁か、神と結びつきのあった貴様が、この答えにたどり着いておったからじゃよ」

 今までの記憶がふわりと流れた。俺にだけあった神からのヒント。あのおかげで、俺は都合悪く記憶を消されたというわけか。

 そうとなれば、再び呪いが現れ、こうして全てが終わるという流れも、大方過去の俺の予想通りの展開だったのかもしれない。

「まあそれも瑣末な話じゃ」

 ウズメは少しの言葉を漏らし、飽きたように空を見上げた。彼女を取り巻く桜色が、最後の輝きのように強く光を増した。それと同時に、ウズメがこちらを振り返る。

「最後に一矢報いたいところではあるが、流石にもう疲れたわい。気付かれずに今まで生き長らえたワシ自身を褒めてやるべきかのう。貴様らの顔を二度と見なくて良いと考えれば、これもまた良き終わりなのかもしれんな」

「最後まで口が減らないやつだな」

「くふふ。なんと言っても、それこそが神の願いからこぼれ落ちたワシの存在意義じゃからのう。じゃあの人間ども。せいぜい短い人生を謳歌するがよい」

 最後の言葉と共に強い光は青空へと解けていき、そこには珠緒の姿だけが残されていた。場に一抹の静寂が宿る。


 呪いの元凶が消えた。俺たちを盛大に苦しめていた元凶が、敗北を認めて消え去っていった。

 まだまだ聞きたいことは山ほどあったが、目の前の現実を受け入れると同時に急激な安堵感が俺を襲った。

「お、終わったのか……?」

「いえいえ、まだ終わっていないはずですよ」

 完全に隙をつかれた言葉に、俺の身体は大きくはねた。

「あら、驚かせてしまいましたね。すいません」

 振り向くと、そこには姿を消していた都塚が立っていた。手を口元に当てながら笑う都塚は、佳乃のほうに向けピースを向ける。

「やったね」

「みのりさーん。私やったよー緊張したよー」

「おーよしよし。頑張ったね。お疲れ様」

 勢いよく飛び込んできた佳乃を受け止めながら、都塚は柔らかく目を細める。

「山上さんも、お疲れさまでした」

「え、いや、俺は何もしてないよ」

「そんなことありませんよ。バッチリMVPです。どうです? 抱き着いてみますか?」

 都塚は佳乃を撫でていた手を大きくこちらに向けた。そんなことをすれば、どこから誰に刺されるかわかったもんじゃない。俺は遠慮の意を込めて手をあげ返した。

 その横を、すさまじい速さの影が通り過ぎる。

「よしのーん! みのりーん!」

「おーおー。珠緒ちゃん。勢い凄すぎだよ」

 俺の代わりに都塚に抱き着いたのは珠緒だった。どうやらウズメがいなくなったことで意識を取り戻したらしい。

「よかったぁ……みんな無事だぁ。みのりんまでいるー」

 珠緒は都塚と佳乃を強く抱きしめ、大きく声をあげた。元に戻った珠緒の言葉で、再びすべてが終わったのだという実感がわき始める。

 佳乃と都塚を交互に撫でた後、再び都塚が俺のほうを見る。

「そうそう、まだやり残したことがあるんじゃないですか?」

 都塚は俺の胸元を指さす。


 俺の胸元には、先ほどウズメから散っていったものと同じ光が宿っていた。

 そうだ、まだ肝心なやり残しがあるじゃないか。屋上から飛び降りた……というより落とされたんだが、なんにせよ俺の二年にわたる願いの根源は解消されたわけだ。これを解かないことには、終わりとは言えないだろう。


 ゆっくりと胸元の光に手をやる。力を加えれば瓦解してしまいそうなほのかな感触が伝わる。

「これで、ようやく終わるんだな」

 都塚の指先から、佳乃と珠緒がこちらに視線をくべた。二人の視線に、俺はしっかりと頷きをを返した。

 ぐっと腕に力を入れ、ゆっくりと光を握る。驚くほどあっけなく、光はほろほろと崩れていく。


 それと同時に、都塚に抱き着いていた珠緒から光が発せられた。

「た、たま! なんか光ってるよ!」

「うわほんとだ。気持ちわるっ!」

 自らから漏れる光を退けるように、珠緒が光を手で払った。そんな珠緒の動きに合わせ、光は珠緒から離れていき、形を作っていく。

「くはは。気持ち悪いとはよく言ってくれる」

 珠緒から分離した光の塊から不気味な声が響き、それはやがて人の形を成していった。光が作り出した人型は、珠緒が普段来ている巫女服をアレンジしたような服装を身に着けており、思わず目を奪われるような風貌をしていた。


「この姿で会うのは初めてじゃったのう。初めまして皆の衆。ワシはこの街の神、ウズメじゃ。親しみを込めて、ウズメちゃんと呼ぶがよい」

 光から生み出され、目の前でほほ笑む少女は、袴の裾を少し上げ妖艶にこちらに頭を下げた。聞きなじんだ口調と様子が、俺たちの身を一歩下げさせた。

 この感じ、間違いない。先ほど消えたはずのウズメだ。

「これこれ、警戒するでない。ワシは貴様らの知っているウズメではない」

「お前が、本物のウズメだってのかよ」

「そうじゃ。そういえば貴様とは夢以来じゃったのう」

 愉快そうに、ウズメは俺のほうを指さした。夢以来……ということは、やはりあれは単なる俺の妄想ではなかったのだ。

 確かに、当たりも先ほどより幾許か柔らかいような気がする。どうやらこいつは本当に本物のようだ。

「……ウズメちゃんは何しに今頃出てきたの?」

 早速ちゃん付けで呼んでいるあたり、佳乃の順応力はさすがとしか言いようがない。佳乃の言葉にウズメは満足そうに頷いた。

「せっかく憑き物が取れたのでのう。一言礼を言いに来たのじゃ。あと、力も返してもらわんとな」

 ウズメは袴の襟を正し、まっすぐこちらに向き直った。俺に向け手をかざしたウズメの指先に、光が集まっていく。自身から何かが抜き取られたような不思議な感覚の後に、彼女が纏う空気がぴたりと止まった気がした。

「剣と鏡、たしかに返してもらったぞ」

 ウズメは一つ言葉を挟んだあと、すっと背筋を伸ばした。

「さて、よくぞわが身に宿る呪いを解いてくださいました。心より感謝申し上げます。そして、過去どの時代の人間も成し得なかった、呪いそのものを解き放つという命題を、たった今貴方方は成就させたのです。全ては私の不徳の致すところ、ご迷惑をお掛けいたしました」

 ウズメは美しい所作で俺たちにそう告げる。一言一言を噛み締め、ようやく神の口から全ての終わりが告げられたことを理解した。

 俺たちの肩から力が抜けた様子を見て、ウズメがふっと微笑んだ。

「とまあ堅っ苦しいのはこれで終わりじゃ。今後は呪いなどという縛りはこの街から無くなるじゃろう」

「本当に、終わったの? 全部?」

 事実を咀嚼するように、佳乃が言葉を漏らした。

「そう言っておるじゃろう。ワシの不手際で迷惑をかけてすまんかった。ワシも時折身体を乗っ取られることに辟易しておったのじゃ。……とはいえ、過去から脈々と受け継がれた知識の研鑽、願いを叶えようとする想いの数々、本当に美しいものを見せてもらった。人間の願いを叶えてやりたいなどという若き頃のワシの願いも、少々傲慢だったのかもしれんな。願いを叶えようとする人間の、なんと儚く美しいことか」

 くつくつという笑い声を浮かべ、ウズメはパチリと手を叩いた。

「さて、言いたいことも言い終わったことじゃし、ワシは帰るかのう。後は若い連中でよろしくやるがよい」

「あ、おい!」

「貴様の大願は無事成就したぞ。よかったのう、いつき」

 俺達の返答を待つこともなく、ウズメは満足そうに指を鳴らした。人型は再び光となり、珠緒の内側へと収束していった。

 呼んでもないのに唐突に現れ、呼び止める間も無く颯爽と去っていった。なんと自由なことか。取り残されたように静まり返った空気が流れる。


「終わったん……だよね」

 現実を確かめるように、ポツリと佳乃が呟いた。そうだ。終わったんだ。

 見間違いでも勘違いでもない。たった今、本家本元から終了の宣言がなされたのだ。

 佳乃の呟きで場が現実に引き戻され、珠緒が驚いた表情を浮かべる。

「うそ……本当に? え? 終わったの? 全部?」

 佳乃に同期するように、今度は珠緒が口を開いた。事の顛末を知らない珠緒からすれば、今のウズメの発言はまさに寝耳に水のようなものだろう。

 自分自身に言い聞かせるように、俺も言葉を発する。

「ああ。間違いない。今そう言ってた。この街の呪いはこれで終わりだって」

 ふと自身の胸元に目をやっても、もう靄がかった鈍い光が見えることもない。しっかりと俺から力が失われているらしい。ゆっくりと達成感が身体に染み込んでいく。

 各々が現実を咀嚼するかのように押し黙ったが、全てを飲み込み終わった珠緒が大きく息を吸った。

「よかった。本当に良かった」

 感情をひねり出したような言葉とともに、珠緒は佳乃を抱きしめる。彼女の瞳からは大粒の涙が流れていた。

「よしのんごめん。私のせいで、今まで辛い思いをいっぱいさせちゃってごめん。よしのんの大切な高校生活を、私が奪ってしまった。ごめん。ごめんね」

 佳乃を強く抱きしめながら、珠緒は感情を吐露する。

 いつだか言っていた、私が生まれて来なければ佳乃は呪われなかったという言葉。普段は飄々としている珠緒の奥底には、佳乃に対する申し訳なさが常に根付いていたようだ。

 下手くそに笑う珠緒を見て、佳乃は呆れたように息を吐いた。

「もう、ずっと言ってるでしょ。たまのせいじゃないってば」

「でも……ごめん。よしのんはもっと幸せに生きられたはずなのに、重荷を背負わせてしまったんだよ。それが申し訳なくて……」

「たま。次謝ったら怒るからね」

 佳乃はわざとらしく頬を膨らませ、珠緒を抱きしめ返した。

「全ては呪いが原因だったんだから、たまは悪くないの。それにね、私は全然不幸なんかじゃなかったよ」

 佳乃は俺と都塚を見たあと、珠緒の胸元に顔を埋めた。そうしてゆっくりと息を吐き、言葉を続ける。

「いつき君も、稔莉さんも、あずもまきちゃんも、今日手伝ってくれたみんなも、ひょっとしたらたまとだって、呪いがなければ出会えていなかったかもしれない。それに、今日、たった今、私たちを縛る鎖は無くなった。私は今私が置かれている状況に、何一つ不満はないよ」

 佳乃の言葉で、珠緒の涙は勢いを増した。自分の涙に引きずられるように、珠緒は声を上げて泣き始めた。珠緒より背丈の小さい佳乃は、腕を精一杯伸ばして珠緒の頭を撫でる。

「よしのーん! ありがとぉー! 大好きー!」

「ありがと。私もたまのこと、大好きだよ」

「うわーん。涙腺が壊れたー!」

「うんうん。あとで修理出しに行こうね」

 晴れやかな校庭には、少女の泣き声が響き渡った。

 つられるようにして、校舎の方から杏季が姿を現した。

「うむむ。なにやら大団円の気配を感じます」

 顎に手を当て探偵のような顔を浮かべながら、杏季は都塚の方へと歩み寄る。それに気付いた都塚が、彼女に向かって手を挙げた。

「お疲れ様。ごめんね、大変な役を渡しちゃって」

「いえいえなにを仰いますやら。違和感なくあの場に居られるのは私以外いないですし。それより、万事解決しましたか? ……って聞くまでもないですよね」

 泣きながら喜ぶ珠緒の姿を見て全てを察したであろう杏季は、うんうんと頷きを深めた。

「あ゛ー! ずっぢゃんだー! あ゛りがとー!!」

 少し遅れて垣内に気付いた珠緒は、佳乃を手放し垣内の方へと飛びついた。あまりの勢いに、垣内は後ろへと倒れ込んだ。鈍い悲鳴が上がる。

「ふぎっ! な、なにやってんですか! ってか涙すごっ! 鼻水すごっ! きたなっ!」

「ずっぢゃーん」

「ちょっと! 鼻水付けないでくださいよ! ……ん? でもこれはある意味ご褒美なのか? んん? わからんわからん。いや、汚いっ!」

 校庭で悶える少女二人を尻目に、都塚が笑いながら俺と佳乃に声をかけた。

「なにはともあれ。無事に終わって良かったですね。それじゃ私は手伝ってくれた人たちに声かけて、片付けしてきますね。お二人はゆっくり休んでてくださいな」

「あ、いや俺たちも手伝うよ」

 反射的に言葉を発した俺を、都塚は手でばってんを作って静止した。

「ノーです。お二人でゆっくりとお話でもしててください。佳乃ちゃん、呪いもなくなったことだし、今度は街の外でデートしようね」

 可愛らしくウインクを浮かべた都塚は、そのまま校舎へと姿を消した。その後、校舎から出てきた制服姿の人々が人形の片付けを始めた。

 俺に似た人形が片付けられていく様や、地べたで転げまわる少女二人、そしてすべてが終わったという安堵感。なんだかおかしくなって、俺と佳乃は顔を見合わせ笑いあった。

「なんだか、今思えばあっという間だったな」

「そう? 私にとってはとても長かったけれど」

 にんまりと笑う佳乃の言葉で、ようやく俺は自身の記憶に変化がないことに気が付いた。

 すべての呪いが解け、すべてが終わった後でも、俺の記憶はどうやら戻ってきていない。過去の俺の記憶は、ウズメの消滅と共に消え去ったのだろうか。

「結局、俺の記憶は戻らなかったよ」

 俺の言葉を聞いた佳乃は、それも想定内だったように笑みを崩さなかった。

「そっか。まあなんとなくそうなる気はしてたよ」

「すまん。ここまで頑張ってくれたのに」

「えー。いつき君まで謝りモードなの? そりゃ戻ればいいとは思っていたけれど、そのためだけに呪いを解いたわけじゃないよー? 謝るの禁止! いつかは戻るかもしれないしね。ハッピーな時は、ただただ喜ぼうよ!」

 そうは言いつつも、当の本人からは言葉ほどは喜びが溢れるといった様子が見られなかった。


 そのまま佳乃はふらりと校庭を歩き始めた。ゆっくりとした歩みに合わせ、俺も校庭を歩く。どう見ても両手放しで喜んでいるようには見えない。普段のこいつなら、それこそ先ほどの珠緒のような反応をしてもおかしくないはずだ。俺の目から見て今の佳乃は、悪い意味で驚くほどの落ち着いた様子を見せている。

 やはり俺の記憶のことが気がかりなのだろうか。はたまた他に芳しくない事実が眠っているのだろうか?

「何か心配なことでもあるのか?」

 俺の言葉に、佳乃は振り返ることもなく首を縦に振った。やはり何か気がかりがあるようだ。

「正直ね、ほっとした半面、ちょっと不安なの」

「不安?」

「うん。呪いが無くなったことは、本当に心の底から嬉しいよ。ただ、実感がわかないというか……。呪いとか境遇に縛られて生きてきたせいかな? 呪いで結びついていたものが、私にはたくさんあったんだなーって思ったの。目印が無くなってしまって、私はこれから、ちゃんと歩いていけるのかなって不安で……。嫌だなぁ、こんな気持ち」

 そこまで言って、佳乃はようやくこちらを向く。今度は言葉通り、どこか陰りを差した笑みを浮かべていた。

 呪いという目に見えないものに縛られ続けていた佳乃だからこそ見えている不安というものがあるのだろうか。本来であれば俺も抱いていたかもしれない感情は、記憶と共に消え去ってしまった。

 同じ境遇に立つことは叶わないかもしれない。それでも、俺が今抱えている感情は伝えるほうがいい気がする。

 俺はゆっくりと息を吸い、佳乃のほうを見つめた。

「大丈夫。呪いがなくなっても、何かが変わるわけじゃない。佳乃なら今まで通り歩いていけるよ。俺が保証する……ってなんのフォローにもならんかもしれんが」

 くそっ。肝心なところで間誤付いてしまった。佳乃が好意を抱いた過去の俺ならば、もっとスマートに言葉を吐き出せたのだろうか。ええい、そんなこと知ったことではない。

 そんな自問自答は、思いのほか自身の心に整理をつけた。

「もし、それでも不安だっていうなら、俺が支えてやる。というか、俺も支えてもらわにゃならんのだ。俺は多分、一人じゃまともに歩いていけない。気持ちの悪い遺書を書いたり、ふと自殺を思い立ったり、川で浮かんでみたり、こう見えて自分でも驚くほど不安定なんだ」

 佳乃は表情を変えずに俺のほうを見つめている。なんだ俺は。こんな時にまで自信満々に、最高にかっこ悪いじゃないか。

 思い返せば、この数か月間で俺がかっこよかったところなんて一つもなかった。ならば、今更気取る必要もない。

「だから、一緒に歩いてくれ。佳乃が不安な時は俺が引っ張る。俺がどうしようもないときは佳乃が引っ張る。そうやってのんびり進んでいけばいいよ。呪いなんかよりも、俺のほうが厄介かもしれんぞ」

 俺は精いっぱいの気持ちを佳乃にぶつけた。結局のところ不安の解消には全く役に立たない言葉だとは思う。しかしながら、今の俺はこれ以上の言葉を持ち合わせていない。

 佳乃はまっすぐ俺を見つめている。呼吸をするのも忘れるほどの静寂が二人を包んだ。

「もう、いつき君は本当に……私がいないとダメなんだから」

 息を吐き出すように、佳乃が言葉を吐いた。それと同時に、佳乃の顔が満面の笑みへと染まる。

「うん。そうだね。確かにいつき君は呪いよりも厄介だ。不安がってる場合じゃないね。わかった。私がちゃーんと、いつき君のことを見ててあげる。一緒に歩いてあげる」

 どうやら、俺の言葉は佳乃へとしっかりと届いたらしい。言葉を言い切った佳乃の笑顔は、ようやく憑き物が取れたようにまぶしさを宿したものだった。春の訪れを思わせるような表情に、俺の心が跳ねる。


 心の躍動と同時に、伝え残した言葉が頭を巡った。

 夜の河原で、佳乃に先手を取られた言葉。つられて言わされる形になったが、本来であればすべてが終わった時に伝えようと思っていた言葉。

 ちょうどいい。ついでに吐き出してしまおう。というか今以外にいい場面なんて二度とやってこない気がする。

 俺はゆっくりと言葉を吐き出した。

「佳乃」

「んー?」

「好きだ。これからも一緒にいてほしい。そのなんだ、恋人とかそういうニュアンスで」

 ぴしゃりと空気が息を止める。佳乃も時間が止まったように固まってしまった。言葉を発した俺ですら、あまりのスムーズさに驚愕している。遅れたように心臓が高鳴り始めた。静寂が流れる。

 本当に時間が止まったんじゃないかと思えるほど、俺の身体は緊張で凍り付いていた。佳乃の口がパクパクと動き始めたことで、ようやく時間が動き始める。

「い……いつき君! なんで今!? ええ!? 今!? そういう流れだっけ? そういう流れなのかな? うーわかんない! というか、私たち付き合ってなかったの!?」

 佳乃は途端に大量の言葉を並べ、きょろきょろと不思議な動きを始めた。確かに好きだとは言いあったが、立場についてはどうこう話していない。

 というのは言い訳で、ただただ先手を取られたまま関係を始めるのが癪だっただけだ。もちろんそんなことはこいつに言ってやらない。

「いや、正式には……」

「正式!? なにそれー! アンオフィシャルだったなんてー。私が勘違いしてたの? いや、絶対違うもん! やだもう!」

 頬を膨らませたかと思えば地団太を踏み、へにゃりと笑ったかと思えば地団太を踏む。

 怒涛の感情の揺らぎで、今の佳乃の感情がなんなのか、見ているだけでは全く見当がつかなくなった。ようやく佳乃らしい動きが見られた。そう、やはり佳乃はこうでなくては。

「それで? 返事は?」

 面白おかしく揺れ動く佳乃を見て、告白の緊張やら何やらが全て吹き飛んでいった。にやりと笑う俺を見て、佳乃は動きを止め、じっとこちらを見つめた。

「一緒にいてあげる。仕方なく、付き合ってあげる……」

 凛々しい顔でここまで言って、佳乃の目尻がへにゃりと落ちた。それを支えるように、佳乃は頬を手で押さえた。抑えられた頬が、真っ赤に染まっていく。

「だめだ。嬉しい。二回目なのにー! 私も大好きだよ馬鹿っ! 今までの分も含めて、いつき君が後悔するぐらい甘えてやるんだから! あと束縛とかもするかもね! 覚悟しておくように!」

 佳乃は落ち着かなさの限界を迎えたのか、歩いてきた道を走り始め、未だに地面で蠢く珠緒と垣内の元へとダイブしていった。湧き上がる悲鳴をBGMに、俺は空を見上げる。頬にかかる穏やかな風が新しい季節を予感させた。

 これからの生活をどうするかだとか、再就職先だとか、俺の記憶は本当に返って来ないのかだとか。考えないといけないことは山ほどあるが、ひとまずは今日の出来事を喜ぶべきなのだろう。

 俺もあいつらのところにダイブしてやろうか。いや、法的に罰せられるのは勘弁だからやめておこう。そんなことを考えながら、俺はしばらく青々とした空を眺め続けた。

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