叶えない神様5
*
どさりという鈍い音が鳴り響いた。
自身が落ちたにしては、音があまりに遠い気がする。
五階からの落下にしては薄すぎる衝撃に、俺の思考はぴたりと止まった。
驚き自身の身体を見ると、全身が巨大な布のような物に包まれていた。それどころか、上から吊り上げられているような力を感じる。
そのままその力に身を委ねていると、ゆっくりと身体が地面へとたどり着いた感触が伝わった。
身にまとわりついた布がはがされ、再び青い空が目に映った。思っていた時間よりもゆっくりと、俺の身体は校庭へとたどり着いたらしい。
「あれ……助かった?」
「迫真のスタント、お疲れさまでした」
「み、都塚さん!?」
素っ頓狂な声をあげる俺の目の前に現れたのは、こちらも違和感のある制服姿をした都塚稔莉だった。
都塚は校庭へ座り込んだ俺に笑みを向け、手を差し伸べた。
「回収班の方、急ぎ片付けをお願いします。人形班の方、予定通りの設置をお願いします。さあ山上さん、こちらへ」
彼女はどこともつかぬ場所に声をかけたあと、俺をそのまま校舎内へと連れて行った。彼女の号をきっかけに、校舎から何人かが俺が落ちてきた付近で作業を始めた。
その中心には俺の代わりに、どうにも俺の風態と似たマネキンのようなものが置かれている。
そこからものの数秒で、あたかも落下した俺が血を流して倒れているような景色が作られた。
「な、なにが起こってるんだ……?」
流れる状況が素早過ぎて、理解が全く追いつかない。
下駄箱にたどり着いたあたりで、都塚が足を止める。彼女の視線の先には、下駄箱の一角に設置されたモニターがあった。
「ふむふむ。佳乃ちゃんはうまく気を引いてくれているようですね。杏季ちゃん、あと三十秒で屋上に突入でいこう。回収班、人形班、ご苦労様でした。他班も、後はばれないようにもう少しだけ待機でお願いします」
虚空に向かって話しているように向けた都塚は、どうやら耳につけられたインカムに向けて話をしているらしい。
都塚が見つめるモニターには、先ほどまで俺がいた屋上が映っている。屋上から校庭を覗き込み、高らかに笑うウズメの様子が何とも癪な光景だった。
「さて、首尾は上々っと。山上さん、神様の様子に変わったところはありませんか?」
「か、変わったところ?」
諸々聞きたいことが山ほどあるのに、モニターを指さす都塚のきりきりとした口調がそれを許さなかった。俺は彼女に促されるままモニターを凝視する。
画面越しにウズメを見るだけでも、心臓の鼓動が早くなる。怒りなのか、恐怖なのか、自分でもわからない感情の芽生えと共に、ウズメに纏わる違和感も芽生えた。
高く笑うウズメの姿には、あるはずがない桃色の光が宿っていた。
あれを見たのは二度目だ。最初は佳乃から力を渡されたとき、そして二度目が今。桜の花みたいできれいでしょ、と佳乃が言っていた。間違いない。呪いだ。
「ウズメに呪いが!」
「なるほど。完璧です。ありがとうございます」
都塚は俺の返答を聞くや否や、モニターの電源を落とした。
「ちょっと待ってくれ! まだ佳乃が!」
「安心してください。佳乃ちゃんもすぐこっちに来ます。それより、あなたにはまだやってもらうことがあるんです」
都塚は俺の腕を再び引き、下駄箱付近の壁へと誘導した。
「山上さんはここで待機です。私は今から姿を消さないといけません。後のことは全部ここに書いてあります。では! ご武運を!」
情報整理もままならぬまま、都塚は俺の手に一枚紙を手渡して嵐のように去っていった。
何が起こったんだ? 間違いなく俺はウズメの力によって屋上から落とされた。
しかし、落下のスピードは間の階で用意されていたであろう布によって削ぎ落とされ、ゆっくりと校庭へとたどり着くことができた。
最初に校庭を見下ろした時には、そんなものは用意されていなかったはずだ。
俺は都塚に手渡された紙を広げ、書き連ねられた文字に目を通す。
そこに書かれていたのは、今俺がこの状態に至るまでの流れと、今後俺がやるべきことだった。
無傷の落下、人形との入れ替わり、まるで俺が屋上から落とされることまでもが予定調和だったかのような運びだ。
速くなる鼓動が状況の整理を阻害するが、この便り通りであれば今頃、佳乃と入れ替わりで垣内が屋上で時間を稼いでいるはず。
これからの俺に課せられた任務は至ってシンプルだ。
ウズメが校庭に出ようとするタイミングで花火が上がる。その隙をついて、ウズメに纏わりつく呪いを解く。
モニター越しに見えたあの光が佳乃の時と同じものであるならば、俺はそれに向けて手を振り下ろせばいい。
未だに疑問が渦巻いて止まらないが、その解説を求める相手もここにはいない。俺自身もウズメにばれないように身を潜めないといけない。
かくれんぼのような高揚感が、さらに鼓動を速めた。その鼓動に合わせるように、昇降口にパタパタと足音が近づいてくる。
息を切らせるように走って来たのは佳乃だった。先ほどまで背負っていたリュックから解放されている佳乃は軽快に下駄箱を過ぎていく。
過ぎ際にこちらに気付いたのか、佳乃は俺に向けペロリと舌を出しウインクを投げた。
「ごめんねっ」
囁きのような声で大きく悪びれる様子もなく、さらりと言葉を置き去った佳乃は、校庭に横たわる人形に走り寄って行った。
「いつき君! ねえ! お願い……目を開けてよ……」
佳乃が人形に向け声をかける。スイッチの入り方にぞっとしてしまうが、こちらもそれどころではない。ばれないように息を殺さねば。
そうして俺は状況を理解できないまま、終幕の合図を待った。




