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少女は瞳を閉ざさない  作者: 豆内もず
8話 叶えない神様

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叶えない神様4

 どさりという鈍い音が屋上まで届いた。大きな穴が空いた屋上には、堰を切ったようにウズメの笑い声が響き始めた。

「いつき君……嘘っ……」

 たどたどしい様子で、佳乃が校庭を覗き込んだ。見る見るうちに少女の顔は青ざめていき、現実を受け入れられないような顔つきでその場に崩れ落ちる。

 先ほどまであった青年の影を追うように、少女はポツリと言葉を漏らす。

「なんで? うそ、ありえない。もう力は使えないはずじゃ——」

 けたけたと笑みを深めるウズメが、沈みきった佳乃の方へと近づいていく。

「いやはや滑稽。何を根拠にワシが何もできんと思っておったのじゃ。確かにワシに残された力はほとんどない。じゃがのう、人間一人を吹き飛ばす程度の力は戻っておるわい。まあ運良く劣化していたこの囲いにも感謝じゃがな」

 ウズメはかしゃりと金網を揺らし、佳乃に並び校庭を見下ろした。

 閑散とした校庭には、先ほどまで威勢良く突っかかってきていた人間の無残な姿が映っていた。それを見たウズメは、更に高く笑う。

「くはははは。愚か、愚かじゃ! 可哀相にのう。貴様が物理的に落としてみるかなどと言う冗談を吹っかけたばっかりに、あのような姿に成り果ててしもうて」

「私のせい……?」

「そうじゃ。思えば屋上という場所を選んだことも、わざわざワシを顕現させたことも、全てが悪手だったのじゃ。全ては貴様の余裕が産んだ事象。傲慢の産物じゃ。ワシからすればこれ以上にない幸運じゃったがのう」

 ウズメの言葉を聞き、佳乃は両手で耳を覆った。

「やだ、違う……こんなはずじゃない」

「違うことなど一つもない。眼下に広がる光景こそが、貴様が招いた全てじゃ」

 佳乃は首を大きく振り、言葉を遮り続ける。校庭は時間が凍りついたかのように動きを止めていた。

「先ほどまでの余裕はどこへいったのじゃ」

「なんで? どこで間違ったの……?」

「くはは。全てじゃよ。それより、こんなところで呆けておっていいのか? ただでさえこの高さ。落ちて無事なわけがあるまい」

 ウズメの言葉で、佳乃ははっとしたように立ち上がる。ようやく脳に届いた現実を踏み潰すように、少女は踵を返した。

「た、助けにいかないと!」

 現実から目を背け、佳乃はよろよろと屋上の出口を目指した。たどたどしい少女の足取りを眺めながら、ウズメは満足そうに笑う。そんな様子にかまう余裕もなく、佳乃は足を進めた。

「人の子のなんと脆いことか! わずか数分でここまで弱弱しくなるとは。せいぜいワシに逆らったことを思い返しながら、懺悔の足取りで向かうがよい。どうせもうあやつは助からんがのう」

 すでに敵意の削がれたであろう佳乃は邪魔をする対象にもならないと悟ったのか、ウズメは余裕の表情で佳乃を見送る。 


 ようやく屋上の出口へとたどり着いた佳乃が、新たに現れた人影と交錯した。

「うわっと! あぶなっ。いや当たってますけど。っておいちゃん先輩じゃないですか」

「あ、杏季ちゃん……」

「いや、だからあずで良いですって。こんな休みの日にまで屋上来てんすか。好きっすね。あっ、私ですか? いやぁ部室に忘れ物しちゃって取りに来たんですよ。そしたら屋上が騒がしかったんで様子を見に来たってわけです」

「ごめん! これよろしく!」

 聞かれていないことまでぺらぺらと話し始めた杏季にリュックを預け、佳乃は急ぎ足で階段を降りて行った。

 騒がしく鳴る階段の音を背に、杏季は唖然とした表情を浮かべた。

「な、なんなんですか……」

 やれやれと頭を掻いた杏季は、屋上にあるもう一つの人影に気が付いた。

「なんだ、巫女ちゃん先輩もいたんですね。こんちは。なんすかあれ。喧嘩でもしたんですか?」

 佳乃が去っていった階段のほうを指差し、訝し気に杏季がウズメへと声をかける。

 自身を身体の所有者と勘違いされていると気が付いたウズメは、ふっと笑みを浮かべ杏季のほうへと足を向けた。

「貴様は確か、天邪鬼娘か」

「あ、あま? ——ああ、あまのじゃくか。って誰があまのじゃくですか!」

 勢いよく食ってかかった杏季だったが、見慣れた先輩の様子がいつもと違うことに違和感を覚え、見定めるように眼鏡をあげた。

「んん? 巫女ちゃん先輩、メイク変えました? そんな顔つきでしたっけ?」

「五月蠅いのう。次から次へときゃんきゃん鳴くな」

「ひどっ! 言われすぎると流石に私も凹むんですけど! いや、でももうちょっとぐらいなら強い口調でもオッケーです」

 ぱたぱたと動きながら言葉を発する杏季に、ウズメは深々と溜息を返した。その様子を見て、杏季は深く頭を傾げた。

「やっぱ変ですね。なんというか、キレがないというか——」

 しばしの間沈黙した杏季は、ハッとしたように身を引いた。

「ま、まさか、あなたが噂に聞く神様ですか!?」

 杏季はようやく事の顛末を察し、もう一歩身を引く。一転して恐怖が沸き立つ杏季の様子を見て、ウズメは再び愉快な様子を取り戻した。

「ほう。貴様もワシのことを知っておるのか」

「や、やっぱりそうですか! やっばー……えらいとこ来てしもた……」

 じりじりと下がる杏季に、ウズメはどんどん距離を縮めていく。

「そうそう。やはりそうでなくてはな。そういう反応を欲しておるのじゃ」

「いや、いやいやいや。近づかんで良くないっすか?」

 預かったリュックを盾にように構え、杏季はじりじりと後ろへ下がっていった。

「くふふふふ。今ちょうどおもちゃが一つ壊れてしまったところじゃ。次は貴様で遊ぼうかのう」

「マジっすか。ちょ、な、なにをするつもりですか! こんな寒空の下なのに! シャツから先は絶対に脱ぎませんからね!」

 ウズメはそのまま扉付近まで杏季を追い詰めたが、そこで大きく溜息を吐いた。

 一瞬は興味を示したウズメも、先ほどまでの張りつめていた空気が無くなったことで、途端人間への興味を失ったような様子だった。

「反応は上々じゃが……なんとも緊張感のない娘じゃ。つまらん。貴様も呪われていた一人なのじゃ。もっとワシに向ける恨みつらみがあってもよいのではないか?」

「恨みつらみ?」

 ウズメの問いかけに、杏季は真剣そのものな様子で頭を傾けた。暫しの沈黙の後、答えを急かすようにウズメが口を開く。

「先ほど走り去った小娘は、それはそれは良い玩具じゃった。勝気、余裕、焦燥、絶望。絵に描いたように気概が無くなった様子は、それはそれはもう見物じゃったわ。さあ、貴様の希望と絶望も、余さずワシに見せておくれ」

「あーなるほど。そういう感じですか。突然来た私への要求高すぎでしょ。言っときますけど、私は神様に恨みなんてありませんからね」

「ほう。これはまた意外じゃのう」

 ウズメは未だかつて向けられたことのない言葉に目を丸くした。

「おいちゃん先輩とかの話を聞いてると、そりゃ怖いなあとは思いますけど、私自身は特に被害を被ってませんし」

 立て続けに放たれる意外な言葉に、ウズメは眉を顰めた。その様子を見て、ここぞとばかりに連続で杏季が口を開く。

「確かに呪いでひどい目にも遭いましたけど、それって結局は私の心の弱さが招いた結果なんですよね。言いたいことが言えなかったり、夢に向き合えない後悔だったり、知らず知らずのうちに、私は勝手に諦めてたんです。きっかけがないと変われないほど、塞ぎ込んでたんです。だからそんな自分を変える機会を与えてくれたあなたに、私は感謝すら覚えていますよ。あの壁を越えずして今の私はきっとないんですから」

 落ち着いた声で、ゆっくりと杏季は語る。寒風を暖めるような穏やかな言葉に、ウズメは眉間の皺を深めた。

「……それが原因で失った関係も少なくはあるまい」

「うーん。確かにそうかも。でも、おいちゃん先輩やいつきさん、巫女ちゃん先輩と仲良くなれたこの冬は、そんなことを些末だと思わせてくれるほど素晴らしいものでした。その一端を担ってくれたあなたに、恨みなんてありませんよ」

 杏季はウズメを前にしているとは思えないほど、優しい口調でそう言った。交じりっ気のない、心の底からの感情の吐露。心を読むことができずとも、今の言葉に嘘がないことがウズメにも分かった。

 だからこそ、ウズメは苦虫をかみつぶしたような顔を浮かべた。

「よかったのう。ワシに力が残っておれば、貴様もここから叩き落しておったじゃろう」

 大きく舌打ちを繰り出し、ウズメは屋上の出口へと向かった。


 感謝など、気分を害する要因にしかならない。ましてや一度絶望をくれてやった人間に、あんなことを言われてしまうとは。目を離しても頭に浮かぶ杏季の顔が、ウズメの心を苛立たせた。

「ちょ、ちょっと、どこ行くんですか!」

 背中越しに掛かる声が、さらに苛立ちを生む。言葉を返すこともなく、ウズメは屋上から退場した。


 杏季が追ってこないことを確認し、ウズメは頭を掻いた。

 自らの行動倫理は、あくまで人間の歯車を乱すことで、それ以上のものはない。その乱れで堕ちていく人間を見ているのがただただ楽しかったのに、そのズレを要因に上手くいきましたと感謝されるなどお門違いも甚だしい。

 意のままに進まぬ人間など、つまらないを通り越して不愉快だ。ふと、かつて青年が記憶を消す前に見せた顔がウズメの頭をよぎった。

ウズメは更なる不愉快さを顔に滲ませながら、ゆっくりと階段を下る。

「まあよい。今はもっとお手軽な絶望が拝めるではないか」

 ウズメの独り言が、閑散とした廊下を伝う。一歩一歩、絶望が待つ校庭へと向かう。

「にしても、力を使えんというのは不便じゃな。わざわざ我が足で下って行かねばならんとは」

 口ではそう述べつつも、校庭にたどり着くまでの時間はウズメにとって楽しみを助長させるスパイスにしかならなかった。

 ゆっくり、ゆっくり、足を進める。

 階段を降り切り、廊下を少し行くと、下駄箱の間から校庭が目に映る。ウズメの顔に、再び笑みが張り付いた。

「くふふふふ。まだ笑ってはいかん。落ち着いた顔つきで存分に見下した後、最大の嘲笑をプレゼントするのじゃ。台詞はどんなものが良いかのう」

 下駄箱が並ぶ昇降口に足を踏み入れ、ウズメはゆっくりと息を吸った。吐き出す息と同時に、目つきに鋭さを灯らせる。

 昇降口から見える校庭には、赤々と血を滴らせ地に伏せる男と、呼びかけを続ける少女の姿があった。

 絵に描いたような悲劇のシーンに、再びウズメの口元が大きく歪んだ。

「くっ、くふふっ。だめじゃ。やはりこれほどいいものを見せてもらうと、笑いが止まらんわい」


 口元を抑えるウズメの耳に、突如轟音が届いた。何かが破裂したような音が学校全体を揺らした。

 轟音の正体は、季節外れの打ち上げ花火だった。青空を背景に多色の光の花が散っていく。

「な、なんじゃ急に」

 わずかに虚を突かれたウズメは、思わず足を止める。

 校庭から放たれた音と光が、自身に近づく人影にも気づかぬほどにウズメの意識を奪い取った。


「ほんと、笑いが止まんねえよな」

 突如背後から聞こえた自分以外の声に、すぐさまウズメは振り返る。

 そこにはあるはずがない姿がウズメを見下ろしていた。


「き、貴様! なぜここに!」

「さあ、なんでだろうな!」

 言葉とともに人影は大きく手を振り下ろした。その瞬間、ウズメの眼前に桜の花びらのような光が舞った。

「悪いな騙して。でもこれで終わりだよな」

 ウズメは信じられないような形相で、目の前に立つ男を睨みつけた。


 威勢良くウズメに笑みを返したのは、校庭で倒れているはずの山上いつきだった。

「なぜじゃ!」

 ウズメは自身から溢れる何かを掴むように視線を泳がせ、いつきに言葉を向ける。いつきはにやりと笑みを浮かべ、口を開いた。

「冥土の土産だ。全部説明してやるよ」

 時間は彼の転落へと遡る。

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