明かせない乙女2
そこから大した会話もないまま、俺達は喫茶店へと辿り着いた。時刻は午後五時三十分。辺りは更に暗くなっていた。
俺と佳乃は案内された席へと腰掛け、未だ混乱冷めない女性へと視線を向けた。
「改めまして。私は相生佳乃と言います。んでこっちが」
「山上いつきです」
「都塚……稔莉です」
視線と言葉を向けられた女性は、渋々といった様子で素性を明かした。疑惑の目を返しながら、彼女は言葉を続ける。
「あの、本当に私の妹なんですか?」
「ごめんなさい。もちろん嘘ですよ。探偵さんの方も嘘です」
「なんでこんなことを?」
「少しお聞きしたい事がありまして」
悪びれる様子もなく早速白状した佳乃に対し、都塚と名乗った女性は更に疑惑の目を重くした。
「早速ですが稔莉さん、何か最近身の周りに変化がありませんでしたか? たとえばそう……呪われているなと思ったような、ついてない出来事があったりだとか」
佳乃は疑惑の目を気にする様子もなく、空気を飲み込むように質問を投げかける。
「そんな急に……。特に変わったことなんてなんてありません」
「そうですか。じゃあ単刀直入に言いますね。あなたは今呪われているんです。あなたを助けるお手伝いをさせてください」
佳乃は人差し指を立て、きっぱりと笑顔でそう告げた。
佳乃には目の前の彼女が確実に呪われていると言える根拠があるようだ。だとしても失礼な物言いである事には変わりないが。
あまりにも決めつけと自信に満ちた佳乃の態度に、都塚の顔つきに苛立ちが見え始めた。
「だから、身に覚えがないって」
「自覚がないなら、まあそれは仕方ないことだとは思いますけど、思い当たる節があるなら言った方が楽になりますよ」
「思い当たる節も何もありません。なんなんですかあなたたちは」
ごもっとも過ぎる。怒るのも無理はない。いきなり連れてこられて、呪われてるんだ、何かないか、白状しろ、と詰め寄られているのだから。
ここは俺が交渉役として一役買わねばならないようだ。
「えっと、都塚さん。最近大きく何かが変わったとか、そういう身の回りに変化を感じていないんだよね」
「だからそう言ってるじゃないですか」
「ごめんごめん。こいつがさ、どうやら自分の呪いを解くためにヒントを探しているみたいなんだよ」
呪いを解くためにヒントをくれ、なんて話をいきなりすれば、誰だって混乱するだろう。現にそう発言した俺自身が一番混乱しているのだから。
自分の発言が恐ろしく常識から外れているように感じられて、俺は慌てて細かな説明を付け足した。
「だから何かそういう感じの話を知っていたら教えてほしいんだ。君自身に起こっていなくても良いし、どんなに些細なことでもいいからさ。周りにそういう人がいる、みたいな話でも」
「はぁ。わかりました。何か知っていることがあればお話ししましょう。具体的に何を話せばいいんですか?」
都塚は溜息を吐いて頭を抱えた。不審と苛立ちがわずかに諦めに変わる。
満足そうに頷いた佳乃は、ゆっくりと人差し指を上げた。
「今いつき君が話してくれた通り、私は呪われているんです。それも好きになった人が死んでしまう呪いに。私はこの呪いを解くために日々奮闘しているのです」
ヘビーな話をしているとは思えないほどあっけらかんとした佳乃の言葉に、都塚は再び困惑を浮かべた。
「好きになった人が死んでしまう呪い?」
「はい」
「そんなものが……」
佳乃の返答を聞き、都塚は何かを考え込むように目を伏せた後、再び佳乃に目線を向けた。
「佳乃ちゃん、だったかな。その好きっていうのは、恋愛感情のことをいうのかな?」
「いえ、恋愛感情だけではありません。好意を向けた相手全てですね。とってもご迷惑な呪いなのです」
「そ、そうなんだ。失礼だけど、隣にいるお兄さんは大丈夫なのかな」
「大丈夫です。死なないらしいんで」
それは俺が言うことであって、佳乃が言うことではない。俺のツッコミを待たずして、会話は流れていく。
「呪いか……。そっか。大変なんだね」
「そうです。大変なんです。だから何か少しでも知っていたら教えて欲しくて」
意外と事態の飲み込みが早いのか、都塚は再び考え込む素振りを見せる。
考え込む、というよりは、ひょっとしたら思い返している様子と言った方が正確かもしれない。少し間が空き、都塚が口を開いた。
「佳乃ちゃんはさ、睡蓮の花って知っているかな?」
「睡蓮ですか? 一応知ってはいますけど」
続けて言葉を繰り出そうとした都塚は、佳乃の先をちらりと見た後、驚いたように席を立った。
「あっ、ちょっとごめんなさい。お手洗いに」
席を立った都塚の視線の先では、アンティーク調の時計が十八時手前を指し示していた。彼女はそそくさとお手洗いに向かう。
時計を見てトイレとは、時間ごとに排尿しなければいけない縛りでもあるのだろうか。もちろんそんな疑問を本人にはぶつけられない。
「私の呪いの事を聞いてあそこまで落ち着いていた人、初めて見たかも」
都塚が姿を消したことを確認し、こそこそと佳乃が俺に耳打ちを始める。
「なんで本人がいないのに隠れて話すんだよ」
「それもそうだね。ふふっ」
「でも確かに、飲み込みが早すぎる気がするな」
「だよね。何か話してくれそうな気配だったし、話が早いに越したことはないんだけれど……」
疑問を口に出しながら、佳乃はうーんと思案に耽った。そんな佳乃を見守っていると、トイレから都塚が帰ってきた。
都塚が不在だった時間は、僅か三分ほどだったと思う。その僅かな間にどんな心境の変化があったのかは知らないが、先ほどまで印象的だった目までかかりそうな髪が、一つにくくり上げられており、額がしっかり見える状態になっていた。
そのまま俺たちを見下ろすように、彼女は大きく息を吸い込んだ。
「えっと、すいません。用事思い出したんで帰ります」
先程までとは打って変わり、都塚は堂々とした様子で俺達を睨みつけた。きりきりとした言葉が俺達に突き刺さる。
おもむろに財布から千円札を取り出し机の上に置いた彼女は、席に座りなおすことなくこちらに背を向け歩き始めた。
「ちょっと待ってください!」
虚を突かれたように後を追う佳乃を一瞥し、都塚は言葉を吐き捨てる。
「妄想なら頭の中だけで処理してくれ。戯言に付き合っている暇なんてない。それじゃ」
からんという扉の音だけが、虚しくその場に残された。