覚えない青年10
ファミレスで垣内と別れ、俺達は和やかな雰囲気のまま帰宅した。
そんな中俺は、明るくは振舞っていたものの、ずっと気が気じゃない状態だった。
帰宅後すぐに「疲れたから寝る」という言葉で佳乃をあしらい、俺は部屋に戻ってポケットの中から封筒を取り出した。
再び見返したそれには、やはりはっきりと『遺書』と言う文字が書かれていた。
糊付けもされておらず、心の準備のままならないまま中身を取り出す。
たった一枚の紙が、三つ折で姿を現した。紙を広げると同時に広がる筆跡は、間違いなく自身の筆跡だった。
ごくりという喉の音を契機に、俺は覚えのない自身の遺書を読み始めた。
『第一に、私がこの選択をしたのは決して『挫折』や『悲観』ではないことを理解して欲しい。言葉を借りるのであれば、生きていることに飽きた。ここ数日にふと湧いてきたような感情で、衝動的に自死を決行している。
誰にも話したことが無かったが、どうやら私は死を遠ざけることに長けているらしい。よってこの手紙は誰の目にも触れる事が無いのかもしれない。というか、誰の目にも触れずに終わる事が望ましい。本当は死にたいわけでもない。死を遠ざける運とやらは本当にあるのか? その程度の好奇心からの行動である。
要は自分を殺してみたかった。
こんな些細な好奇心で、家族や友達、会社の人間にも迷惑をかけるだなんて、我ながら馬鹿げている。誰のせいでもないです。ごめんなさい。
いろいろ書いたけれど、生きるのがめんどくさくなっただけなのかもしれない。人と関わることに、単純に疲れてしまった。こうやって字を並べているだけでも、いろんな理由付けが生まれてきて、本当に自分が死にたかったんじゃないかとすら思えてくる。死んだ人間がこんなことを書き残すのも、非常に不思議な話かもしれないけれど。
今までありがとうございました。』
文章の最後には、日付と自身のフルネームが記載されていた。筆跡だけではなく、間違いなく俺自身が書いたもののようだ。
だらだらつらつら、読みにくい事この上ない。確実にわかったのは、自分自身が死のうとしていたということ。そして、結局死に損なってしまっているということ。
日記といいこれといい、あの茶封筒は俺の黒歴史と時空が繋がっていたのだろうか。恥ずかしい。俺は力なく布団に体を預けた。
日記を取り出し、遺書に記された日付を開く。先ほどは流し見しかしなかった文章が、こちらを見つめ返した。
『病院の屋上。靴と遺書をセットし、金網をのぼる。ぞわぞわと感情が蠢く中、突如現れた少女によって行動が制止された。自殺寸前、少女によって自殺を止められただけではなく、懇々と説得を受けた。両親を亡くしたという少女が身の上話や死生観を語るなか、好奇心で死のうとしていた自分の浅さが恥ずかしくなった。こうしてあっさりと俺の心は変えられてしまった。死なない運は、今日も今日とて絶好調。
話を終えた少女はポニーテールを揺らし、満足そうに笑みを浮かべてその場から去って行った。
晴れて俺の作戦は破綻となり、いつも通りの日々が過ぎていく。今考えれば、運命的な人選だ。』
最後の文字が終わり、次のページからは汚いメモ書きが始まっている。おそらくこれは、俺の呪いに対する記憶の最深部だ。
驚くことに、自身の呪いにまつわる出来事がすぐさまわかってしまった。
間違いなく、この遺書の内容こそが俺の願いであり、俺の後悔。
俺は、俺自身を殺してみたかったらしい。そして、それはしっかりと叶わないものになっている。条件までばっちりだ。
くだらない理由で自殺を試み、挙句簡単に説得され、呪いにかかる。そりゃ自分の呪いのことについて話せるわけがないな。それくらい記憶を失っていたってわかる。
今自分の心に渦巻く感情がなんなのか、自分でも説明のしようがない。
しかしながら、比較的落ち着いた気持ちでいられるのは、このときの自分に全くと言っていいほど共感できないという安心感と、呪いへのアプローチが見つかったという達成感のおかげだろう。
俺はふうと息を吐き布団から立ち上がり、リビングへと向かう。リビングでは、佳乃が資料を読み耽っていた。
「あれ? おはよう。寝たんじゃなかったの?」
「ん、そうだったんだけど」
佳乃は呆けた顔をこちらに向けた。ぼんやりと開かれた佳乃の瞳は、これから話される内容など露知らず、澄んだ輝きを見せていた。
「俺の呪いのことなんだけどさ」
もう一度息を吸い、真っ直ぐ佳乃を見つめ返す。俺は意を決し、自身の呪いと遺言についての話を始めた。
話をひとしきり聞き終えても、佳乃が表情を変えることは無かった。続く言葉が出てこない俺のことを、ただただ見つめ続けている。
「……あんまり驚いてないな」
「驚いてるよ。目とかもすんごい飛び出しちゃってるし」
「変わってないけど」
「心眼だよ心眼。心眼が飛び出てるの」
なんとわかりにくい驚き方なんだ。というか、心眼は飛び出るのか。
目に見える驚き方を欲したわけではないが、佳乃の出方がわからないと俺のほうもリアクションに困ってしまう。そんな空気を察したのか、佳乃は大きく息を吐いた。
「正直ね、どう反応すべきかわからんわけですよ」
「確かにリアクションがとりにくい内容かもしれんな」
「それはもちろんそうなんだけど……。私は今、ほっとしてるの。それが間違ったリアクションだってわかってるから、反応に困ってるの」
ほっとしているとは、確かに俺が想定していたリアクションとは違う。ぽりぽりと頭をかいた佳乃は、こちらに向けて言葉どおりの笑みを浮かべた。
「いつき君が生きててくれて良かったって思っちゃった。目の前にいるから、当たり前なのにね」
誇張でも何でもなく、目の前に天使がいた。自分自身がここまで想われていたという喜びが俺の心を温める。
「軽蔑されるかと思った」
「結果として考え直してくれたんだし、私がしてもらった事が揺らぐわけじゃないもん」
「佳乃……」
佳乃は日記を手に取り、文章を指差した。
「それにね、このポニーテールの少女って、実は私だったんじゃないかって思っちゃったりしてて。この時期に病院に行く用事があったし、屋上にもよく行ってたし。いつき君の呪いの影響で覚えていないだけで、実は私がいつき君を助けていたかもしれないって。想像で勝手に嬉しくなっちゃった」
佳乃の言葉に、更に心が温まる。
運命的な人選。過去の俺は自殺を止められた事象のことをそう評していた。
命を救ってくれた少女が、絶望して目の前に現れる。願っても無い、恩返しのチャンス。そりゃ運命的とも言いたくなる。
確定的ではないが、おそらくまた借りが増えてしまった。
「まさか、この話で嬉しいと思ってもらえるとは思わなかったよ」
「えへへ。なにはともあれ、これで呪いの核がわかったわけでしょ? やったね。いえい!」
「そうだな」
「リアクション薄っ!」
恩はもちろんのこと、その他の事象を無視してでも、俺を助けたかもしれないという可能性に喜びを覚えてくれている少女が、とてつもなく愛おしく映った。
「佳乃」
「な、なんだね」
「ありがとう」
諸々言いたい感情はあるが、俺は全てを一言に込めることにした。
佳乃の言う通り、呪いの核がわかったわけだから、長々とした感謝はそこが解決してからまとめてしてしまえばいい。
一旦虚を付かれたように固まった佳乃も、俺の顔つきを見て静かに頷きを返す。
「礼には及ばんのですよ。なんてったって、本番はこれからなんだから」
「ああ。そうだな。呪いなんて、さっさと解いちまおう」
「うんうん。ちまおー!」
佳乃の妙な掛け声と共に作戦会議が始まる。
俺達二人の瞳が、爛々と呪いの行く末を見据えていた。




