覚えない青年7
「でも、佳乃のおかげではっきりわかったよ」
「なにがわかったの?」
「両親から思い出が消えているという重要な情報を、俺は覚えていなかった。これはつまり」
「呪いに関係してるってこと?」
「ああ」
過去の俺が自身の呪いのことを話さなかったのは、おそらくみんなに心配をかけないようにするためだろう。
その気遣いも今では憎らしい感性だが、佳乃が持って帰って来た情報が徐々に記憶の空白を埋めていく。
しかし、もう少しで答えに行き着きそうなのに、決定打が出てこない。
「私からも一ついいかな?」
頷きを返す俺を見ながら、佳乃は茶封筒の封を切った。
「これ。私が思っている通りのものなら、きっとヒントになると思うの」
俺は佳乃から茶封筒の中身を受け取る。自身から自身へと向けて送られた茶封筒。中には一冊の本が封入されていた。
「これは……」
「そう、日記帳。私があげたものだよ。サイズ的におやっと思っていたけれど、どうやら正解だったみたいだね」
自信満々に語る佳乃の言葉通り、茶封筒から出てきた本は佳乃のものと同じタイプの日記帳だった。
保存が杜撰だったのか、佳乃のものよりも褪せているように見える。
「とっくに捨てちゃったのかと思ってたけど、思い出って言うのは予期しないときに顔を覗かせるものだね」
佳乃はしみじみと語りながら立ち上がり、ごそごそと何かを取り出しに行った。戻ってきた佳乃の手には、小ぶりな金槌が握られていた。
「なっ。なんだよ、頭叩いたって記憶は戻らんぞ」
「お望みならゴチンといってあげるけれど、どう考えても違うよね。さっきまでの涙が褪せちゃうような返しをしないでよ」
佳乃は溜息を吐きながら、俺の手元の日記帳を指差した。視線を落とすと錠が鈍く光った。
「ああ、鍵か……って、叩き割るつもりかよ」
「だって、それしか方法が無いもん。鍵の場所なんて覚えてないだろうし、私も知らないし」
佳乃はふんふんと素振りをしながらこちらに近づいてきた。プライバシーもへったくれもない。
空気を叩く音でふと鍵に纏わる記憶が蘇ってきた。
「いや、まてまて。鍵? それなら……」
近づいてくる素振りの音に急かされながら、俺はポケットから財布を取り出す。
佳乃と同じ形状の日記帳で、同様の施錠が施されているのであれば、使い道の無かったこれが役に立つかもしれない。
「あったあった。これじゃないか?」
俺は財布から鍵を取り出した。
図書館のカードの裏に貼り付けられており、佳乃の日記帳相手には全く効果をなさなかった鍵。まさかこんなところで出番がやってくるだなんて。
急いで鍵穴に鍵を差込み、右回りに捻る。かしゃりと音が鳴り、ひっかかりも無く錠があっさりと外れた。
「なーんだ。ちょっと残念」
佳乃は金槌を机の上に置き、椅子に腰掛けた。拍子抜けしたような目線がこちらに向けられる。
「いつの間に鍵を見つけてたの?」
「随分と前だよ。鍵だけ余ってたからおかしいなと思ってたんだが、捨てなくて良かったよ」
錠を本から取り外し、俺は大きく深呼吸をした。
過去の俺が何を考えていたかはわからない。しかし、さすがに意味も無く実家に日記を送りつけるなんて真似はしないはずだ。というかそうであってもらわないと困る。
意を決して最初のページを開く。それにあわせ、佳乃が隣へと移って来た。
「さてさて、何が書いてあるのかな」
「人の日記帳を覗き込むなんて悪趣味だな」
「人の日記帳を勝手に見た人に言われたくないよ」
ごもっともな言葉に負け、俺は無言で視線を文字へと移す。ページに浮かぶのは、まごうことなく俺自身の筆跡だった。
最初の一ページ目。日付も何も無い、日記とは呼べないような文字群が並んでいる。
『まず始めに。おそらくこれは日記と呼べるような代物ではない。山上いつきの呪いに関する記憶、過去の思い出について回顧するためのメモのようなものである。もし山上いつきに関する人間以外の目にこの文章が留まっているのであれば、どうか速やかに焼却していただくことを願う。』
冒頭を読んで、すぐさま本を閉じたくなった。小学校の頃に書いた文集を朗読させられているような、大変恥ずかしい気持ちが湧いてくる。
三流映画の導入のようだ。俺は何を思ってこんなにセンスのない文章を書いたんだろうか。
同じように文字を目で追っていた佳乃から、ぼそりと声が漏れた。
「いつき君……これ……」
「ああ。佳乃の言った通り、ヒントになりそうだな」
「いや……ふっ。それよりまず文章が気になっちゃって」
隣では佳乃が笑いを堪えながら震えていた。身内に見られたときこそ、この本は燃やされるべきなのではないだろうか。
俺は隣で震え続ける佳乃を無視してページをめくる。
二ページ目は前ページとは違い、しっかりと日付から記載されていた。メモのようなものと形容していたわりに、一日の様子が事細かに書かれていた。感情もなく淡々と、その日一日の出来事が並べられている。
「これじゃ日記って言うより日報だな」
「さっきよりは幾分読みやすくなったけど、面白みはなくなったね」
けらけらと笑う佳乃を更に無視し、次のページへと視線を移す。
「あれ、変だね。日付が戻ってる」
「ん? ああ、ほんとだな」
佳乃の言葉に促されぱらぱらとページをめくって確認すると、俺の日報は最初の日付から逆行していた。それだけではなく、進めば進むほど時系列もばらばらになっていた。
十月半ばかと思えば、その次には九月前半になっていたり、かとおもえば急に十二月に進んでいたり。日付を追うだけで時系列に酔いそうになってくる。
「変だな。なんでこんなややこしい書き方をしてるんだ」
俺は誰に向けるでもなく言葉を吐いた。
「これじゃまるで、昔の内容を後々思い出して書いているみたいだね」
「確かにそうだな……」
ただでさえ面白みに欠ける日報なのに、時系列までばらばらだなんて、我ながらいったいこの本をどうするつもりだったのだろうか。都塚の整頓された親切な資料を見せてやりたい。
更にページを進めると、今度は日付のない殴り書きの羅列が始まった。
「うわっ汚い」
隣で佳乃がうっかりと声を漏らした。佳乃のほうを見ると、言葉の通り汚いものを見るような目でこちらと日記を交互に見比べていた。
佳乃のような感想が俺に浮かんでこなかったのは、これが昔からメモを取る時に自身がよくやっている手法だからだろう。
そう言えば、会社でも多くの非難を浴びた記憶がある。なるほど。今更だが、やはりこれを書いたのは俺で間違いないらしい。加えてこういう書き方をしている時は、厄介なことに大概重要な内容を書いている時だ。
俺は苦笑いを佳乃に返し、再び汚い羅列に目を落とした。
『ウズメから聞いたこと
・みんなから俺の思い出が無くなっている。
原因は呪い
五花の呪い
・呪いは人の願いが歪に叶ったもの。
・呪いを解くには、願いに至る後悔が鍵。
・神社、呪いを解くアイテム
・呪いを解けるのは、呪われた者だけ』
俺は雑多な記述を頭の中でまとめていく。
五花の呪い、歪に願いが叶った結果――。どれもこれも、佳乃や珠緒から聞いてきた内容だ。最初の一文を除けば。
「みんなから思い出が無くなっている、か。昔の馴染みと久々に会ってもリアクションが返ってこなかったわけだ」
俺は溜息と同時に言葉を吐いた。みんなというのがどれほどの範囲を指しているのかはわからないが、おそらく俺との思い出を失っているのは両親に留まらないのだろう。
街で遭遇する昔なじみのそっけない素振りに、時間経過の切なさを感じていたが、どうやら俺の場合時間経過以外にも疎遠を生み出す要因があったようだ。
しみじみと思案に耽っていると、リアクションもなく日記を眺めていた佳乃から、何かを思いついたような声が上がった。声と同時に、佳乃は俺から日記を奪い取った。




