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少女は瞳を閉ざさない  作者: 豆内もず
7話 覚えない青年

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覚えない青年6

 どれくらい読み耽っていただろうか。資料に目を通し始めてから随分と経過した後、玄関のドアが開く音がした。ゆったりとした足音が、リビングへと近づいてくる。

 これだけ時間があったのならば、都塚と話も出来ていたじゃないか。不満が心によぎったが、とりあえずはお使いに対する謝辞を述べねばなるまい。

 ましてや、都塚に連絡するほどのエマージェンシーな出来事があったのだろうから、精一杯いたわってやらねば。


 俺はリビングへと姿を現した佳乃に向け言葉を投げる。

「おかえり。ありがとな。大変だっただろ?」

「ただいま」

 俺の言葉を受けた佳乃は、短く返事をした後荷物も降ろさずにふらふらと俺の前の席へと腰掛けた。明らかに様子がおかしい。

「どうだった? ……ってその様子だと、よっぽど悪い事があったみたいだが」

 顔を伏せたままの佳乃は、言葉を返すことなく静かに頷いた。おかしいなんてもんじゃない。何をどうすればこんな有様になるんだ。俺は慌てて立ち上がり、キッチンへと向かう。


 急いで茶を温め佳乃の前へと差し出す間も、彼女は微動だにせず沈黙を貫いていた。

「ほら、寒かったろ。あと上着と荷物は降ろしてきたほうがいいんじゃないか」

 再び静かに頷いた佳乃は、ふらふらと自室へと戻っていった。五分ほどして、身軽になった佳乃が自室から出てきた。

 荷物を降ろすには長すぎる。かといって、着替えた様子も無い。本当にどうしてしまったんだ。

 再び椅子に腰掛けた佳乃が口を開く。

「ごめんね。ちょっと心の整理に時間がかかってて……」

「いや、それは構わないんだが。ああ、そういえば、垣内さんが来て、渡しといてくれって」

 重々しい空気に堪えかねた俺は、おもむろに机の上の紙袋を指差した。

「杏季ちゃんが……」

 紙袋から雑誌を取り出した佳乃は、並んだ表紙を見て静かに笑った。

「遅いよ、もう。今日のために使うつもりだったのに」

 そう言って佳乃は雑誌を紙袋へと戻した。会話の糸口が少し綻びる。

「今日のために?」

「うん。せっかくご両親に会うんだもん。どうせなら素敵な格好で行きたかったの」

「なんだそりゃ」

 話をそらしたはずが、結局は両親の話へと戻ってしまった。これ以上余計な会話を挟む空気でもない。牽制するような空気が流れ、佳乃が口を開いた。

「こんなことまでして浮かれて、私は本当に馬鹿だね」

 言葉と共に、佳乃の表情がくしゃりと崩れる。よく見ると、目が腫れぼったい。佳乃の目は、今にも泣きそうな人間の目ではなく、もう既に泣いてきたような目だった。

 決定打には十分すぎる様子。間違いなく、俺の両親との会合が上手くいかなかったのだ。

 こんなことになるほど佳乃を追い込んだ両親に怒りが湧いてくる。

「悪かった。俺がこんなこと頼まなければ良かったのに」

 両親への憤りと同時に、自身への憤りが湧き上がった。想像が足りなかった。任せるべき内容じゃなかった。湧いてくる憤りを遮るように、佳乃が言葉を挟んだ。

「ううん。違うの」

「違うもんか。何を言われたんだ。今から電話で文句言ってやるから」

「そうじゃないの!」

 大きく響いた佳乃の声で、怒りがふっと底へと落ちて行った。じっとこちらを見つめる佳乃は、ふわりと笑みを浮かべた。

「ごめんね。私が紛らわしい態度をとっちゃったから、勘違いをさせちゃった。いつき君のお母さんとお父さんは、とっても優しくお話してくれたよ」

「そ、そうか……」

 話し合いが上手くいかなかったわけではないのであれば、いったいなぜ佳乃はこんなことになっているんだ。憤りの代わりにやってきた混乱が、俺の沸点を下げる。

「今の話の流れのどこに落ち込む要素があるんだよ」

 混乱が言葉から建前を取り除いた。ストレートな俺の疑問にも、佳乃は笑顔を崩すことなく言葉を返す。

「心の整理がつかなくて――って言ってもわけがわからないよね。お使いの報告、今からしていい?」

「……頼む」

 俺の返答にゆっくりと頷いた佳乃は、目の前のコップを手にとり、こちらを見つめた。

「いつき君のご両親は、驚くほど私を歓迎してくれたの。どこぞの誰かもわからないような私の話を、真剣に聞いてくれた。こんな子が娘だったらよかったのにーって、とっても優しくしてくれた」

 佳乃は心底嬉しそうに思い出を語った。先ほど向けた怒りを撤回しないといけないほど、俺の両親は佳乃をもてなしてくれたようだ。雑多なメール文だけで、よくもまあそこまで佳乃を丁寧に扱ってくれたもんだ。

「本当に素敵な二人だね。私達も、ああいう風になれるといいね」

「話が逸れてるぞ」

「もう、つれないなぁ」

 小さく口を尖らせた佳乃は、言葉と様子に反してやり取りを楽しんでいるようだった。

「見ていいよって言われたから、いつき君の部屋も見ちゃった。なんだか男の子の部屋って感じで、どきっとしちゃった」

 くすくすと笑いながら佳乃は立ち上がり、部屋から自身の鞄を持ってきた。

「これが部屋に行ったときの戦利品だよ」

 佳乃が鞄から取り出したのは、厚みのあるA4サイズの茶封筒だった。

「なんだこれ?」

「部屋の机に置いてたの。不思議だから、持って帰ってきた」

 そう言って佳乃は茶封筒の差出人を指差した。

 住所の横には、山上いつきと記載されている。出し忘れた書類か、と封筒を裏返すと、切手には郵送日が押印されていた。不思議に思い宛名を見て、更に不可解さが深まる。

「どういうことだ? 俺が俺に送ってるじゃないか」

 茶封筒の宛名欄には、間違いなく俺自身の名前が記載されていた。再び裏表を交互に見返す。どうやら、数ヶ月前に住んでいた社宅の住所から、実家へと送られている。

「気持ち悪っ」

「気持ち悪いことをしたのはいつき君だからね」

 容赦のない言葉が佳乃から浴びせられる。不機嫌な顔を浮かべる俺をなだめながら、佳乃は茶封筒を手にとった。

「この中に何が入っているかはまだ見ていないけれど、あとは昔の写真とか、いろいろと見せてもらったよ。ちっちゃい頃のいつき君の写真を何枚かもらってきたから、後で一人でにやにやしたいと思います」

「やめんか」

「ふふっ」

 愉快そうに茶封筒を置いた佳乃は、一息吐いてヘアピンを指でなぞった。

 おかしい。いや、これほどまでにご機嫌になってくれるのは非情にありがたいのだが、肝心の落ち込んでいた理由が全く出てこない。

 第三者が聞いていても、上手くいっていた様子しか見えてこない。疑問点は未だに解決していない。

「それで、結局何で落ち込んでたんだよ」

 俺の言葉を受けて、佳乃は更に一息吐いて言葉を返した。

「いつき君の昔の話を二人に聞いたの」

 佳乃は一度言葉を切り、ゆっくりと茶を口に含んだ。ことりとコップが机を揺らす。

「いつき君はどんなお子さんでしたか? 何か悩んでいそうなことはありましたか? たしか、そんな感じで聞いたと思う」

 ぽつりぽつりと、歯切れ悪く佳乃は言葉を続けた。なにやら嫌な予感がして、俺は口を開く。

「両親には迷惑もかけてきたからな。酷い言われようだっただろ?」

 聞いてきた過去に佳乃がこれほどにまで落ち込む要因があるのであれば、俺としても気恥ずかしい。早めに予防線を張っておかねばと思い、俺は急いでそう言った。

「うっかり学校のガラス割って両親を家に呼ばれるとか、結構そういうのがあってだな。驚いたか? 佳乃はそういうのなさそうだもんな」

 予防線を張り続ける俺の正面で、佳乃の顔色がどんどんと曇っていく。くそ、どれだ。どのエピソードに佳乃は泣くほど引いているんだ。俺は次から次へとエピソードを並べ続けた。

「両親の結婚記念日を間違えて祝ったり、旅行で迷子になったり、いやぁ今思えば迷惑かけっぱなしだったな」

 もはや佳乃が俺のエピソードを聞いて落ち込んでいると決め付けて、地雷を探す状態になっている。

 あれでもないこれでもないと俺が過去のエピソードで自爆を続けていると、佳乃が静かに手をこちらに向けて俺を制止した。

 そして佳乃は、曇っている表情で無理やり笑みを作った。

「知らなかったよ。いつき君は、たくさん二人との思い出を持っているんだね」

 それだけ言って、佳乃は両手で顔を覆った。知らなかった、か。どうやら、俺が雄弁に語った予防線は、両親が話したエピソードを少しも掠めていなかったようだ。

 俺の自爆を笑っているのか、はたまた恥ずかしさに共感してくれているのか、佳乃の手はしばらくの間顔を覆っていた。


「嫌だなぁ。言えないや。いつき君、私にこの役割は重すぎるよ」

 静寂の後、両手を顔から離した佳乃は、はつらつとした声でそう言った。声の明るさとは裏腹に、彼女の顔は涙でぼろぼろだった。

 予想が完全に外れた俺は、ただただうろたえた。

「お、おい。どうしたんだよ」

「ううん。なんでもないよ」

 未だに佳乃の目からは涙が溢れている。何でも無いわけがない。ぽたりと落ちる雫が、テーブルに染み込んでいく。

「って、それはさすがに通らないよね。しっかりしなきゃ」

 ぱちりと乾燥した音が室内に響く。佳乃は自身の顔を強く叩いた。

「さっきの続きね。二人に昔の話を聞いて返ってきた言葉。いまいつき君が話してくれたような内容が返ってきていれば、私も朗らかに帰って来れていたと思う」

「じゃあいったい何を……」

 何かを言おうとしている佳乃に、俺は質問で言葉を促した。ここまで言いあぐねているということは、きっと俺に言いにくい内容なんだろう。それも顔つきが崩れるほどのこと。

 聞く側としても、相応の覚悟をしないといけない。佳乃は大きく息を吸い込んで、意を決したように強くこちらを見据えた。


「何も返ってこなかった」

「何も返ってこなかった?」

 拍子抜けするような内容に、俺は思わず鸚鵡返しで佳乃に答える。

「そう。知らぬ、存ぜぬ。覚えていないって。いつき君、弟さんがいるよね?」

「ああ、いるけど」

「その弟さんとの思い出は、二人の口から溢れるほど出てきた。いろいろと話を聞いたけれど、家族の思い出の中で、いつき君との思い出だけが――」

「まああの人らもいい歳だし、俺も早いうちに家を出てるから、記憶もあやふやになっているのかもしれないな」

 佳乃の言葉が途切れたのを見て、俺は言葉を挟みこんだ。

 佳乃の辛そうな様子に耐えられなくなったのか、はたまた俺自身が事実から目を背けようとしたのか、どういう心情で発したのかわからない言葉だった。

 まるで何かに気がつくのを恐れているような自身の様子に、冷や汗が落ちた。


 歳とはいえ、俺にまつわる思い出だけが綺麗さっぱり消え去るはずがない。早いうちに家を出ているなんて、一つ下の弟に関しても同じことが言える。我ながら苦しすぎるフォローだった。

「私ね、同じような感覚を味わった事があるの。事実に気付いてからの二人との会話は、ほとんど答え合わせだったよ」

 目線を背ける佳乃の言葉は、俺にとっても答えあわせだった。

 俺と両親との関係はいたって良好だ。頻繁に連絡を取ることはないものの、その部分には変わりない。エピソードなんてものは、俺からすれば星の数ほどある。しかし、両親からはその星のひとつすら出てこなかった。


 俺の存在が消えたわけでもなく、記憶力の問題でもない。ただある事実は、俺との思い出が両親からすっぽり抜けているということ。

 なるほど、これは確かに俺には言えない。ましてや、一度自身が味わった苦汁を他人に舐めさせるような真似、佳乃に出来るわけがない。


 それでも佳乃は、更に決意固く口を開いた。

「きっといつき君の両親は……」

「もうわかった。先は言わなくていい」

 佳乃の言葉を遮り、俺はゆっくりと息を吸った。こんなにぼろぼろになるまで俺のことを思ってくれている少女に、これ以上の重荷を背負わせるわけにはいかない。

 佳乃に答えを言わせてしまう前に、俺が事実を飲み込まなければならないのだ。


「両親から、俺との思い出が消え去っているんだな」

 あくまで落ち着いて、俺は佳乃にそう伝えた。佳乃はぱちりと目を見開き、その後ゆっくりと頭を垂らす。事象の肯定と取るには、十分すぎる動きだった

「なるほど。ごめんな。辛い思いさせたよな」

 あくまで冷静に、俺は言葉を吐く。ここまで冷静な気持ちでいられる理由はわからないが、自分でも驚くほど俺は落ち着いていた。

 信じたくないはずの事実は、言葉にするとすんなりと俺の中に落ちた。思い出が消えていた事よりも、そっちの方がよっぽどショックだった。

「ううん……。私もごめんね。私よりもいつき君のほうが辛いのに、耐えられなかった。稔莉さんの前でも、ぼろぼろ泣いちゃって」

「ああ、それで俺を先に帰らせたのか」

「そう。たまやまきちゃんには、怖くて言えなくて」

「そうか」

 佳乃は机の上できゅっと指を組んだ。なんでも抱え込んでしまう佳乃が抱え込めないほどの爆弾が、まさか身近に潜んでいるとは思わなかった。

 どうやら、俺の周辺環境においては、記憶というものがまったく信憑性を持たないらしい。そこまでの事実を突きつけられても、やはり俺の気分が沈みこむことはなかった。

 これが耐性というやつなのか、自分が佳乃たちのことを忘れてしまっていたと知ったときの方が大きなショックだった。

 俺はゆっくりと呼吸を整え、情報を整理していく。俺の中で積み上がる仮説に反して、佳乃の顔色は沈んだままだった。

「……なんで?」

「えっ」

「思い出がなくなっちゃってるんだよ? なんでそんなに落ち着いていられるの?」

 佳乃は目を伏せたまま声を落とした。その疑問に関しては、俺が答えを欲しているくらいだ。

 しかし、実際に経験がある佳乃だからこそ、俺以上にダメージを受けていて、俺の落ち着き払った様子が理解できないのだろう。


 問いの答えを探していると、ふと頭に垣内の顔が浮かんだ。そうか、先刻の一喝が、思いのほか俺の中に根付いてくれているのか。

「過去は過去、今は今だって言われちゃってさ」

「……だれに?」

「垣内さんにだよ」

「杏季ちゃんが……」

「思い出がないってのは、もちろんショックじゃないってわけじゃないけどさ。それでも受け入れて前に進まないといけないんだよ」

 全て言い終わった後に、俺は佳乃のほうを見る。

 目の前で自分のことのように落ち込んでくれている少女は、俺に忘れられても前に進むことを選んだ。おそらく俺は、卑怯なことに、彼女と同じ土俵に立てた気がして少し嬉しいのだろう。


「そうだよね。前に、進まないといけないよね」

 搾り出したような佳乃の声が、俺の心をくすぐった。俺は手を伸ばし、佳乃の頭を撫でた。

「ありがとな。俺の分までへこんでくれて」

「ほんとだよ。めちゃくちゃ辛かったんだから。ちゃーんと感謝するように」

 えへんと胸を張った佳乃の動きに合わせて、俺は少女の頭から手を放した。どうやらそれなりに気持ちを持ち直してくれたらしい。大きく息を吸う佳乃にあわせて、空気が揺れる。

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