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少女は瞳を閉ざさない  作者: 豆内もず
7話 覚えない青年

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覚えない青年1

 珠緒と別れた直後、更けていく夜に合わせて、身体の重さが深くなっていった。

 寒気に包まれていたはずなのに、徐々に身体が熱くなる。そうした足取りで家に着く頃には、もう立っているのがやっとだった。


 昨夜の俺の最後の記憶は、前述の通りだ。

 ぴぴぴという軽い音が鳴った。俺は脇に挟んだ体温計を取り出し見つめる。普段では見ないような高い数値が、ディスプレイに映し出されていた。

「こんな時に風邪ひいてんじゃねーよ……」

 自嘲にも近いかすれた俺の声が、静かに部屋に広がった。頭が痛い、喉も痛い、身体もしっかりとだるい。

 今後のことを考えていかなければいけない大切なタイミングで、脳容量が先に悲鳴をあげたようだ。これが知恵熱なのか、防寒をサボったことへと仕打ちなのかはわからないが、とにもかくにも俺は風邪をひいた。

「どうだったー?」

 体温計の様子を伺いに、ぱたぱたと佳乃が部屋に入ってくる。無言で差し出したそれを受け取った佳乃は、小さく悲鳴を上げた。

「すごい熱……」

「すごい熱ってなんだよ」

 佳乃のリアクションに、俺は笑いながらつっこみを入れる。吐き出した空気が喉に引っかかり、咳が出てしまう。

「ああもう、無理しちゃ駄目だよ。ごめんね……私が送って行ってなんて言ったから……」

「それはもう何回も聞いたよ。気にするなって」

 今度はゆっくりと息を吐き出し、言葉を言い切る。弱弱しい息遣いが余計に心配を煽ったのか、佳乃は不安そうな顔を浮かべていた。

「大丈夫だよ。寝てりゃ治るから。ほら、そろそろ学校行かないと」

「……休む」

「はあ?」

「休む。こんないつき君、放って置けないもん」

 佳乃はむくれるような顔つきで、俺の額に貼り付けたタオルを取り替えた。些細な仕草が可愛らしいと思ってしまったが、重要なのはそこではない。

「あほか。ちゃんと行ってこいって。子どもじゃないんだから、ちょっと放っておいてどうこうなるもんでもないよ」

 ひんやりとした感覚が額に広がる。精一杯の笑顔を見せても、依然として佳乃の顔から心配が消える事がない。

「でも……」

「大丈夫だって。ただでさえ眠ってる時期に長いこと欠席してたんだから、こんなことで休んでる場合じゃないだろ。薬飲んで寝るから、その間に学校行って、珠緒と作戦でも練ってきてくれよ」

 立ち上がり佳乃を玄関まで押し出してやろうと思ったが、その力すら湧いてこない。身体を起こすことすらままならない。

 最後の力を振り絞って、俺は佳乃に親指を立てた。

「……わかったよ。帰りにおいしいもの買ってくるから、ちゃんと無事でいるんだよ」

 少しの間、悶々と言葉を放っていた佳乃も、最後は諦めたように学校に向かって行った。

 今生の別れのような佳乃の顔つきを思い出し、ふと笑みが浮かぶ。そういえば、体調不良で人からここまで心配されたのはいつ以来だろうか。

 そんな些細な考えさえも、吐き出される熱と共に消えていく。人の気配がしなくなったことを確認して、俺はゆっくりと眠りへと落ちていった。



 ぼんやりと光が浮かんだ。ふわり、ふわりと光が揺れ、俺はそれを目で追う。自分の居場所を確認しようと辺りを見渡すと、それにあわせるようにして景色が作られていく。

 一周見渡した頃には、辺りはすっかりと見知った景色になっていた。鳥居、社、少女。

 俺は突如として目の前に現れた少女に声をかける。

「た、珠緒……?」

 少女がこちらを振り返り、静かに笑みを向けた。今俺の目には、昨夜珠緒と別れた時と同様の景色が広がっている。

 しかし、そんな少女の周りにふわふわと光が浮かんでいるのが見えて、俺はこれが現実でないことを理解した。

 熱に犯された脳が生み出した空想なのか、はたまた泡沫の夢なのかは定かではないが、とにかくこれは俺の頭の中の出来事だ。

 ぽかんとする俺の様子を気にすることもなく、決まりごとのように少女が言葉を吐いた。

「ほう。ワシが珠緒に見えるのか」

 少女の口角がぐっと上がる。それと同時に俺の身体が半身下がる。

「お、お前……」

「そうじゃ。その反応が正解じゃ」

 間違いない。この表情、この言葉遣い、これは珠緒ではなくウズメだ。俺の足が、更に距離をとろうと後ろに下がる。これじゃないけど本当に昨日の反芻じゃないか。

 少女はその様子を見て、けらけらと笑みを浮かべ、昨日とは違った返答を返してくる。

「安心せい、何もせんよ。これは貴様の夢。ここでは全てが貴様の意のまま。例えば——」

 静かにこちらに近づいてきたウズメは、俺の手を取り自身の方へと持って行った。

「お、おいっ」

「こーんなことも、やりたい放題じゃぞ」

 ウズメはそのまま俺の手を引っ張り、それを自身の胸元に当てた。柔らかい感触が手に伝わってくる。

 呆然とその感触に心地よさに沈んだ俺は、ハッとして手を振りほどいた。

「なにやってんだよっ」

「くはは。滑稽じゃ。そんなに顔を赤こうして、初々しい奴じゃのう」

 なぜ自分の夢で、こんなにも恥ずかしい思いをせねばならんのだ。いや、ちょっといやらしい夢だと考えれば、お得だと考える方がいいのか。いやいやあほか。

「夢ならさっさと覚めてくれ。悪趣味な……」

 自分自身に暗示をかけるように、俺は呟いた。それしきのことで景色が変わるわけもなく、依然として目の前ではウズメが笑っている。何が意のままだよ嘘つきめ。

「冗談じゃ冗談。ちょっとした挨拶ではないか。そうカリカリするでない」

「俺とお前は、多分そんなちょっとした挨拶をし合うような仲じゃないと思うがな」

 今思えば、俺は何を律儀に言葉を返しているのだ。しかも、夢とはいえ相手は因縁の相手ではないか。

「風邪のせいかわからんが、こんな夢を見るぐらいに俺は弱ってるんだな」

「僥倖ではないか」

「ぎょ……? なんだよ」

「運がよいな、と言っておるんじゃ」

 ウズメはくるりと身を翻し、鳥居へと寄った。そのままつま先を浮かしたかと思うと、つま先をアスファルトにぶつけて宙へと舞う。ふわりと浮かび上がったウズメの身体が、くるくると弧を描いて鳥居への上で静止する。

 そのまま鳥居の上に腰掛けたウズメは、足を組んでこちらに視線を向けた。

 罰当たりな、という感想が真っ先に浮かんだが、罰を与えるのも他でもないあの神なのだ。それより、あの常人離れした動きに先につっこむべきなのだが、これが夢だと考えればあれぐらいの事が普通なのかもしれない。もう考えるのも面倒だ。そんな刹那の思考を無視したかのように、ウズメが言葉を下した。

「どうじゃ。満点じゃろ」

「すげえな……。もう何からつっこんでいいかわからん」

「やはり、人間は見下すくらいがちょうどいいのう」

「そのためにそんなことしてんのかよ。趣味悪いな」

 ウズメは手に頬を乗せ、試すような目をこちらに向けた。

「な、なんだよ」

「こんな事が簡単に起こりうるのは、これが貴様の夢だからじゃ。ワシを悪趣味呼ばわりするのであれば、まずは自身の頭を疑うんじゃな」

 けたけたと笑うウズメの言葉に、なぜか恥ずかしさが浮かんだ。今までのやり取りが俺の趣味趣向に基づいて形成されているのであれば、目の前の神が言うとおり、悪趣味なのは俺のほうだ。

「くそっ。早く覚めろ」

「まあまあ、そういうでない。おかげでこうして話す事が出来る。長くこの世に留まっておるが、ワシとしてもこんな機会は一度たりともない。貴様の運の良さに感謝じゃな」

 ウズメは未だに笑みを浮かべている。

「これは貴様の夢。覚めれば終わり。僅かな逢瀬じゃ、耳を傾けてみてはどうじゃ?」

 とんとんと、ウズメの指が鳥居を叩いた。浮かぶ光が、ウズメの周りをくるくる回っている。もう何もかも理解できたもんじゃないが、俺は諦めてその場に身を委ねることにした。

 はあという大きな溜息を聞いて、ウズメが口を開く。

「呪いはあと一つじゃな。どうじゃ、もうしばらくで貴様は自由の身じゃぞ」

「どうじゃって言われてもな……」

 どうせこれは夢だ。きっと俺の脳が今まで起こったことをまとめるために見せている幻覚なのだ。一人問答のようで気が引けるが、利用してやる。

「俺は呪いに身に覚えもないし、正直解けなきゃ解けないでどうにかなる気もするんだよ」

 こんな言葉を佳乃が聞いたら怒るだろうか。それでも、神は静かに俺の言葉を待っている。

「ただ、記憶は取り戻したい。とはいえこれも、ここからゆっくり取り戻していけばいいと思ってる。佳乃のときはあんなにも呪いがなくなればいいって思っていたのに、自分のことになると、急に力が抜けちまったよ」

 徐々に自身の感情が整理されていく。佳乃を自由にしてやりたいという目標が達成されてしまって、気付かぬ間に気が抜けてしまっていたようだ。その結果風邪を引くなんて、滑稽すぎて笑ってしまう。

 今思えば、蒔枝さんは俺の思考がこう行き着くことをわかっていて帰って行ったのかもしれない。

「いいのかのう? 貴様がどう過ごそうと、ワシは徐々に力を取り戻していく。そうなればまた呪われていく人間がでてくるぞ」

 見透かすような言葉が、ウズメから下された。彼女はまだ愉快に笑みを浮かべている。試すような瞳に堪えられなくなり、俺は地面を見つめて言葉を吐く。

「確かにそれは困るな。じゃあやっぱり、なんとしてもさっさと呪いを解かなきゃならんな」

「果たして、それで本当にいいのかのう」

 ウズメの言葉を、何度も脳が反芻する。繰り返せば繰り返すほど、これはウズメの言葉なのか、俺の内側からにじみ出た感情なのかがわからなくなっていった。

 俺は鳥居の上を見上げた。ウズメの顔つきから、言葉の本意は読み取れそうにない。

「どういうことだよ……」

「言ったじゃろう。貴様がどう過ごそうとワシは力を取り戻す。呪いを解こうが、解くまいがな。一旦は力を失えど、また力がもどり、次の世代、また次の世代へと呪いを振りまいていくのじゃ」

 気がつけば、ウズメの顔から笑顔が消えていた。そんなウズメの言葉に、俺は珠緒の言葉を思い出した。

 歳月が経つと共にウズメの力は徐々に戻っていって、再び呪いが降りかかる、それがこの呪いのシステム。呪いの情報が後世へと伝えられていき、その知識のおかげで大学ではウズメを撃退できた。要は、俺が自身の呪いを解いたとて、五花の呪いというシステム自体がなくなるわけじゃない。

「それで本当にいいのか?」

 今度は完全に、俺の口から言葉が発せられた。これはウズメに向けたものではなく、確実に自問の言葉だった。

 最後の呪いが解ければ、きっと俺が呪いに触れることはなくなるだろう。しかし、いずれは再び同じような事が起こる。佳乃のように自由を奪われる少年少女が、必ず現れる。

 次の世代、また次の世代、いつかはわからないが。ふと、思考が昨夜の光景につながる。

「そうか、だからウズメは、俺の呪いを解く事がゴールじゃないと言ったんだ」

 ウズメが言っていた本当のゴールとは、きっと五花の呪いというシステム自体を壊すことだ。今後同じような出来事が起こらないように。

 そうか、俺は意外にも、そんな大それたことを考えられる奴だったのか。

 考えが結びついたと同時に、目の前の景色が華やいだ。赤、黄、青。数えるのも憚られるほどの光の玉が、神社を照らす。俺はこれが夢であることを再認識した。

「そう、それが貴様が忘れている本当の気持ち。満点じゃ」

 鳥居を降り、光を割りながらウズメが近づいてくる。

「これは夢。貴様はすぐに目を覚ますじゃろう。覚めれば全てが無に還る」

 ウズメは俺の肩に手を置き力を込めた。俺の身体が少し下がり、目線が同じになる。

 耳元でウズメが囁いた。

「じゃからその前に、再度の申し入れじゃ。どうか、ワシを助けてやってくれ」

 くすぐったい息が耳元を刺激する。ささいな感覚に、また夢の境目があやふやになってしまった。

「助けるって、どういうことだよ」

 俺は視線を動かさずに言葉だけを返した。ウズメは耳元から離れることなく、ゆっくりと言葉を吐き続ける。

「なに、貴様らが今までしてきたことと一緒じゃよ。呪いを解くだけじゃ」

 ウズメはそう言って振り返り、ようやく俺のそばを離れ神社の方へと歩き始めた。

「自信満々で言ってやるが、本来ワシは慈悲深い良い神様なのじゃ。しかしながら、貴様らの目に映るワシを形容するとすれば、そうじゃのう……。まるで呪われているようじゃ、とでも言うべきか。本来の姿とは程遠い」

 背中から発せられる声が、カラフルな光を経由して俺の元へと届く。ウズメはこちらに向き直り、俺のほうを見つめた。

「どうやら時間のようじゃ」

「時間?」

 小首を傾げると同時に、視界が更に暗くなっていくのを感じた。カラフルな光が、徐々に色を失っている。どうやら本当に終わりが近づいているようだ。

「ちょっと待てって。まだ聞きたい事が」

「貴様の夢じゃろうて。ワシがどうこうできるものではない」

「夢? これは本当に夢なのか?」

 自分の脳が生み出した映像にしては、随分と俺以外の思考が入り乱れている気がする。今更ながらの質問に、神はにやりと笑みを浮かべた。

「さあな」

 大げさに首を傾げる少女の姿を最後に、俺の空想は暗転した。沈んでいく意識の中で、声だけがかすかに流れる。

「期待しておるぞ。なんと言っても、呪いの前に二度も立ち塞がった人間は、貴様がはじめてじゃからのう」

 電源を切ったように、今度はしっかりと情報が途絶えた。

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