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少女は瞳を閉ざさない  作者: 豆内もず
6話 忘れない少女

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忘れない少女9

 深い夜特有の静けさが、マンションを出る三人を包み込んだ。

 静けさにあわせて深まる寒さに、コートを羽織ってこなかったことをすさまじく後悔した。

「いっつん寒そうだね」

「ああ。大失敗だ。送るだなんて言わなきゃよかった」

「こんな冷える夜更けに、乙女二人だけを放り出そうと思っていたなんて酷いやつだな」

「いや、勝手に出て行ったのはそっちでしょ。それに乙女って」

「それ以上言ったらぶん殴るからな」

 蒔枝さんの指が、ぱきりと空気を揺らした。澄み渡った冬の夜に、気持ちのいい音が弾ける。ふと見上げた空には、煌々と星が散らされていた。

「その様子を見たところ、まだ記憶は戻っていないみたいだな」

 声のほうを向くと、三日月に似た蒔枝さんの視線が俺を射抜いていた。どの様子を見ているかは知らないが、もちろん俺の記憶はもどっていない。そう簡単に戻るはずがないと言っていたのは蒔枝さんではないか。

「何にも思い出せないですね」

「そうか」

 蒔枝さんは小さく呟いて、空を見つめた。鋭い彼女の目にも俺同様、星が細く輝いているのだろうか。

 今蒔枝さんの頭の中に何が浮かんでいるのかも、言葉に含まれている意味合いも、全くわからない。単に俺の思慮が不足しているだけかもしれないが。

 佳乃曰くの心を読む力でもあれば、もう少し蒔枝さんも角を落とした話し方をしてくれていたのかもしれない。少し間をおいてこちらを向いた蒔枝さんの瞳は、これも予想に反して柔らかいものだった。

「ちょっと安心したよ」

「あ、安心ですか?」

「口にはしなかったけれど、お前の記憶がなくなった原因は、佳乃なんじゃないかって思ってたんだ」

「どうしてそんなこと」

「あいつの呪いって、結局何かわかんないんだよ。街から出られない事で呪われているとわかったが、呪いがただあるだけ、不思議な状態だった。だからお前の記憶を奪ってしまうということが佳乃の呪いだって思っていた。でも呪いが解けても記憶は戻っていない。悪い予感が外れてよかったよ」

 蒔枝さんは静かに笑い、手をコートのポケットに突っ込んだ。

「まっきー心配してたもんね。よしのんがこれ以上追い込まれないようにしてやりたいって」

「心配なんて立派なもんじゃないさ。ただ……これ以上しんどいのはもう見てられないと思っただけだよ。まあ、記憶を失った大切な人と再会するっていうのも、今思えば呪いみたいなもんだったのかもしれないな」

 白い息だけが、三人の眼前に浮かんでいる。そこからは誰も言葉を発しないまま、足音だけがその場を支配していた。十分ほど経った頃、足音が一つぴたりと止まる。

「私の家、ここだから」

 止まった足音が方向を変え、マンションへと進んでいく。

「あ、ありがとうございました」

「じゃあねまっきー。またね」

 リアクションを返す様子もなく、蒔枝さんはマンションへと歩みを進めた。愛想の欠片もないな、と苦笑いを浮かべていると、俺の心を読んだかのようなタイミングで蒔枝さんが振り向いた。

「これからの話をせずに私が帰るって言った理由、ちゃんとわかってる?」

 蒔枝さんは、平静な顔のまま言葉を吐いた。

 わかっているなら、あんなにうろたえて「帰るんですか」なんて言葉を吐いてはいない。本当に想像もつかない。

「見たいドラマがあったからとかじゃないですよね?」

 恐る恐る返した俺の言葉に、蒔枝さんはぽかんと口を開けた後、頭を抱えて笑い始めた。何かおかしなことを言っただろうか? いや、言ったな。

「まあ、それでいいや」

「いいんですか!?」

「いいんだよ。じゃあな」

 蒔枝さんはそう言って、くるりと踵を返したあとマンションへと消えて行った。

「なんだか本当につかみどころのない人だな……」

「慣れたらそうでもないよ」

 再び歩みを進めた珠緒に続くようにして、俺は夜道を歩く。くるくると踊るように歩く珠緒が街灯に照らされ、なんだか劇でも見ているような気分だった。

 少し後ろを歩く俺に、珠緒が言葉をかけた。

「あれだけ口が悪くて態度が無骨でも、まっきーがしてくれた事が私達のためじゃなかったことなんて、一度もないんだよ」

「確かに口は悪いけど、きっといい人なんだろうなとは思うぞ」

「いい人だなんて言葉を聞いたら、まっきーは怒るだろうけどね。実はまっきーがああいう態度を取り始めたのって、いっつんの記憶が無くなった直後からだから」

「そうだったのか……」

 けらけらと愉快そうに珠緒は笑う。

「言った通り、まっきーの行動は全て私達のためなの。だから、あのタイミングで帰るって言ったことにも意味はあるんだよ。ドラマが見たい、なんかじゃなくてね」

 からかう様な珠緒の表情が、静かに夜の闇に浮かぶ。気恥ずかしさに視線をそらすと、とんとんと歩く珠緒の足が、少しゆっくりになった。

「珠緒には、理由がわかるのか?」

「いんや。私には頭の中を読む力はないからねー」

 珠緒は腕組みをして言葉を続ける。

「でも、先の話をするタイミングじゃないって思ったんじゃないかな?」

「タイミングか」

「ほら、これからの話ってことは、つまりはいっつんの呪いをどうするかって話でしょ? 呪いを解くためにはそれにいたる願いを見つけないといけないわけで、でもでもいっつんには過去の記憶がないわけで」

 一つ一つを紐解く珠緒の言葉が、ゆっくりと俺の頭に染み込んでいく。

「そうか。結局のところ、俺が何とか過去のことを思い返さないことには話が進まないんだな」

「そゆこと」

 頷く珠緒の足取りが、再び速いリズムを取り戻した。

「全部察した上で、そのことを言わずに帰っていったのは、きっとまっきーなりの優しさだよ。ぶりっ子だったり、そっけなかったり、ややこしいように見えて、根っこはただの優しい女の子。そこさえ押さえておけば、まっきーはとってもちょろいよ」

 最後の最後に冷やかしを入れて、珠緒はるんるんと足を進めていく。珠緒があの場に蒔枝さんを呼んだ理由が少しわかった気がした。

 目の前で踊るように歩く珠緒のことも、高笑いして帰っていった蒔枝さんのことも、そして俺のために料理を作ってくれているであろう佳乃のことも、純粋にもっと知りたいと思った。

「んじゃまあ、みんなの気持ちを無駄にしないためにも、俺はしっかりと自分自身と向き合わないといけないな」

 決意がより深いところに落ちた。呪いのことももちろんあるが、単純に失ったものを取り戻したい。

 ひょっとすると、佳乃もこんな気持ちだったのかもしれない。

「うんうん。自信を持っていいんだよ。覚えていなくても、私やよしのんやまっきーを導いてくれたのは、他でもない君なんだから」

 思いも寄らない嬉しい言葉に、俺は少し目線をそらした。

「恩人にしちゃ、みんなちょっと扱いが酷いんじゃないか?」

「あははっ。仕返しみたいなもんだよ」

「し、仕返し?」

「いっつんには、たっぷりお世話になったからね。良くも悪くも」

 くるりと身を翻した珠緒が、にやりとこちらに笑みを向けた。くそっ。過去の俺、何をしたんだ。苦笑いだけが俺の顔に浮かぶ。

 その顔を待っていたといわんばかりに、珠緒が言葉を投げる。

「冗談だよ」

「覚えてないのをいいことに、やりたい放題だな」

「そうだよ。だからさっさと思い出しちゃわないとね」

 珠緒はしっかりと歯を見せて満面の笑みを浮かべた。

「どうすればいいのかも分からないけれど、まあ頑張ってみるよ」

「よろしくね。あと、今頃家でよしのんもいろいろ考えちゃってると思うから、適当に上手くやっといてよ」

「適当にって言われても……」

「よしのんにはそれぐらいの温度がちょうどいいんだよ」

 浮かぶ月が、神社を照らした。話しているうちに、いつの間にか目的地まで到着していたようだ。

「おお。もう着いたんだね。ありがとういっつん」

「おう」

「せっかくだし、おみくじでも引いていくかい?」

「金取るんだろ?」

「もちろんだよ」

 指で円を作る珠緒は、巫女とは思えないほど罰当たりな笑顔を浮かべていた。あいも変わらずマイペースな少女の振る舞いに、少し肩の力が抜けたような気がした。

「だったらいらねえよ」

「ちぇー」

 珠緒はわざとらしく舌を鳴らして、鳥居をくぐった。

「じゃあねいっつん」

「おう。またな」

 手を振る珠緒に背を向け、俺は元来た道を辿り始めた。一歩、一歩と暗闇を進む。


 突如、別れを言ったはずの珠緒からかけられた言葉で、俺の軽快な足どりが勢いをとめた。

「ちょっと待って!」

 呼び止める声に、俺は振り返る。振り返った先、鳥居の奥に珠緒の姿が見える。

「びっくりした。なんだよ急に」

 俺はゆっくりと鳥居の方に近づく。徐々に鮮明になっていく珠緒の表情が読み取れる位置まで来たとき、俺の身体はぴくりと跳ね上がった。

「お、お前」

「おやおや。なかなか勘が鋭いではないか」

 ゆらりと立つ珠緒の口角は歪なほど釣り上がっており、一目でもう珠緒ではない事がわかった。

 人を見下したような視線と口調、間違いない。

「ウズメか……」

「呼び捨てとはいただけんな。ワシのことは、敬意をしっかりと込めて、ウズメちゃんと呼ぶがよい」

 珠緒と入れ替わりで現れたウズメは、けたけたと笑いながらゆっくりとこちらを見つめている。

「そう身構えるでない」

「無茶言うなよ」

 冷や汗が背中を伝う。気候も相まって、もう寒いのか暑いのか良くわからなくなった。

 とにかく、最悪の状況だということだけが鮮明に知覚できた。

「安心せい。ワシは貴様が思うておるウズメとやらとは少し違う」

「な、何を言ってるんだ?」

「本来であれば一から全て説明したいところではあるが、あいにく細かな説明をする時間がないのじゃ」

 淡々と話を進めるウズメの言葉を、俺は理解できずにいた。俺の理解など構わず、迷惑な神様は言葉を吐き続ける。

「貴様の呪い解く事が終着点ではない。言えた義理ではないが、どうか、ワシを助けてやってくれ」

 囁きのような言葉が風を伝い、俺の耳に届く。乾燥した空気が、からりと音を鳴らした。

 こちらを見つめるウズメの視線に、もう一度身体が跳ね上がる。

 悪魔のような神の笑顔はどこへやら。薄く開いた瞳が、柔らかくこちらを見つめていた。何がどうなっているんだ。

 頭を飛び交う疑問符が少しずつ晴れ始めたころ、ぱちりと目が覚めたようにウズメの目が見開かれた。

「えっ、い、いっつん? どうしたの?」

「えっ、いや、珠緒か?」

「もちろん珠緒だよ。えっ? なに?」

 きょろきょろと辺りを見渡す少女に、晴れ始めた疑問符が再び頭を支配する。

 混乱する珠緒の様子を見るに、三十秒ほどの出来事に対する記憶がないようだ。あの一言だけを残して、どうやらウズメは再び引っ込んで行ったらしい。

 考えをまとめるためあえて平静を装い、俺は珠緒に笑顔を向けた。

「いや、なんでもないよ。じゃあな」

「え、うん。じゃあねいっつん」

 珠緒は不思議そうに小首を傾げながら、二度目の挨拶を伝え、神社の奥へと消えて行った。


 ふうと息を吐くと、身体にじんわりと寒さが戻ってきた。そういえば、コートも羽織らず軽装備で出てきてしまっていたのだ。考えなければいけない事が、また一つ増えてしまったが、今はとにかく帰ろう。

 俺は踵を返し、重たい足を引きずって佳乃が待つ家へと帰った。

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