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少女は瞳を閉ざさない  作者: 豆内もず
6話 忘れない少女

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忘れない少女8

「つまりだよ。私の呪いの発端は、さっき話した過去のなんやらではなくて、いつき君が記憶を失ったタイミングに発生したものなんだよ。言い換えれば、呪いにいたる願いについて、心あたりがあるんだよ」

 自慢げに語る佳乃を見て、俺の口からは間抜けな声が漏れた。

 これだけ過去の話をしておきながら、佳乃の呪いの発端は俺が記憶を失った直後にあるらしい。しかもそれについて心当たりがあるのであれば話は早い。

「それなら、さっさと呪いを解くために動かないといけないな」

 しっかりと情報を噛み砕いた俺の発言に、佳乃はちっちっちと指を振る。

「さあさあ。そこで今日の全てを思い返してみようか」

 にやりとこちらに視線を送る佳乃を見て、俺の悪戯心が蘇ってきた。

「思い返していいのか?」

「なんでだめなのさ」

「ほら、都合の悪いこともあると思うぞ」

 怪訝そうにこちらを見る佳乃は、ハッと何かに気がついたように顔を赤らめる。河原でのワンシーン。今俺と佳乃の頭の中には同じ光景が浮かんでいるに違いない。

「必要最低限だよ! いらないことは思い出さなくていいのっ!」

「はいはい」

 佳乃の反応を堪能しながら、俺は一日を思い返す。

 デートをして、一日を楽しんで、河原で想いを伝え合った、それ以外は特に何もない。それだけでも十分すぎる思い出ではあるが、思い返しても、佳乃の言葉の意味がわからなかった。

「今日の一日の発端を覚えているかね?」

 俺の思考が止まったことを悟ったのか、佳乃が言葉をこちらに投げる。

「そりゃお前がデートしよって言ってきて」

「お前じゃなくて、相変わらず佳乃だよ。というかみんなの手前、もうちょっとオブラートに包んで欲しかったけれど、その通りだね」

 隣でにやける珠緒を牽制しながら、佳乃が言葉を続ける。

「じゃあ、どうして私はその話をしたんだっけ?」

「そりゃたしか……」

 俺が呪いの話をしたからだ。これからどうするか、という俺の問いに対して、佳乃はデートの申し出を言い放った。

 それについて、呪いを解くためのプロセスとしてデートの話をしているというニュアンスの説明していた。ここでようやく、一日遅れで佳乃の言葉の意味合いが姿を現した気がした。俺はハッとして彼女のほうを見る。

「いやちょっと待てよ。ってことは、もう呪いを解くために動いた後なのか」

「その通り。ご明察だよいつきくん」

 俺の言葉を聞いた佳乃は、うんうんと満足そうに頷いた。

「せっかく私達もいるんだ。二人だけで盛り上がるんじゃないよ」

 久々に口を開いた蒔枝さんが、佳乃のほうを向いてコーヒーを口に含む。コーヒーを置いた蒔枝さんは、ゆっくりと息を吐いた。

「いつまで経っても解こうとしなかった呪いを解こうとしているんだ。説明くらいくれたっていいじゃないか」

「ごめんごめん。ふふっ」

 謝りながら笑みを浮かべる佳乃に、蒔枝さんが鋭い視線を向ける。

「なに笑ってんだよ」

「いや、まきちゃんも私のこと気にかけてくれてたみたいで、嬉しくなっちゃって。まきちゃん優しいね。大好き」

「やっ、し、しらん。余計なこといわずに説明だけしろっ」

 蒔枝さんはそっぽを向いて口元を抑えた。屋上のときもそうだったように、蒔枝さんはほめられることに耐性がないらしい。

 そっぽを向いた蒔枝さんに微笑を向けながら、佳乃は口を開いた。

「いつき君の記憶が無くなってしまった時、私はすごく後悔したの。ほんの少し大人だから、呪いが私達を繋げているだけだから、迷惑に思われるだろうから……。きっと届かない想いだから。いろいろな言い訳をしているうちに、私は想いを告げる機会を失ってしまったの。宙に浮いたままの想いだけが、呪いとして私に降りかかったんだよ」

 佳乃は真っ直ぐとこちらを向く。

「君に想いを伝えておけばよかったという後悔。これが私の呪いの発端だよ。さっき想いを告げた時点で、私の呪いは緩んでるの」

 佳乃の微笑が、大きく心臓を高鳴らせた。どうやらあの告白自体が、佳乃の呪いを解く鍵だったようだ。

 あの時、あの場所で、俺に想いを告げた佳乃は、過去越えられなかった壁をしっかりと超えて俺と向き合ってくれていたのだ。それに引き換え、言い訳を理由に想いを伝えあぐねていた俺の、なんとも矮小なことか。

 しかし、あの告白自体が呪いを解くための行動なのであれば、やはりあれは今の俺に向けられたものではない。古傷が開いたように、じんわりと感情がにじむ。これはきっと、過去の自分に対する嫉妬だ。

「じゃああの告白は、呪いを解くためにしたことだったんだな」

 皮肉めいた言葉を吐いた自分が恨めしい。さっきの意地悪なんかとは違う、可愛らしさの欠片もない嫌味だ。

 佳乃はそんな反応すら予想通りだったのか、落ち着いてこちらを見据えた。

「やだなぁ。計算で告白できるんなら、最初からやってるよ」

 佳乃はくすくすと笑いながら言葉を続ける。

「呪いが降りかかったとき、すぐにきっかけの出来事に思い当たったの。でも、正直もう呪いなんて解けなくていいって思ってた。なんといったって、私の想いは伝える先を失ったし、私の願いは叶わないものになってしまったから。でも――」

「でも?」

 佳乃は言葉を止め、大きく息を吸い込んだ。少女の動きにつられるように、時計がかちりと時を刻む。

「記憶を失ってもいつき君はちゃんと私の前に現れて、私を信じて離れずにいてくれて、自分の時間と引き換えに私を助けようとしてくれていた。君の隣は、変わらず居心地がよかったの。それに気が付いたら、もう止まれなかった。デートの話も、告白のことも、呪いの事が無関係だとは言えないし、もちろん過去の想いが残っていないとも言えない。それでも、私のこの感情は、間違いなく今の君に向けられたものなんだよ」

 佳乃の言葉一言一言で、俺の心が溶かされていった。大好きと言っていたあの言葉が嘘ではなかったという喜びももちろんあるが、なにより佳乃の呪いを解くために俺がやっていた事が間違いではなかったという事がわかって、心の底から安堵が湧いてきた。

 じんわりと広がる暖かさ浸っていると、隣に座る蒔枝さんの肘が俺のわき腹へと突き刺さる。

「呆けている場合か。私は今の説明で完全に理解出来たぞ。お前はどうなんだ? まだ皮肉を吐くか?」

 視線を向けると、いつもより更に冷たくこちらを見つめる蒔枝さんと目が合った。

 視線から蒔枝さんの脳内を読むことはもちろん出来ない。それでも釘を刺されたことで、少し自責の念が和らいだ。冷徹な視線に感謝を浮かべつつ、俺は佳乃のほうを向いた。

「ありがとう。余計なこと聞いて悪かった」

「ううん。いろいろと誤解を招いたのは私の行動だから」

「いや、俺がもっとしっかり考えていれば」

 ぱちんというはじけた音により、俺の言葉は遮られた。音の方を見ると、蒔枝さんが両手をこすり合わせていた。

「誰が悪いとか、そういうのじゃないだろ。続きの話をしないと」

 手を叩いて先の話を促した蒔枝さんにつられ、佳乃が話を始める。

「そうだね、ありがとう。いつき君、今までの話の流れは理解できた?」

「要するに、俺に想いを伝えたことで佳乃の呪いはもう解ける状態にあるって認識でいいのか?」

「うん。その通りだよ。あとはこの力をいつき君に渡すだけ」

 そういって佳乃は、自身の胸に手をやった。

「この力?」

「剣と鏡の力だよ。私自身の呪いは私には解けないの。だから、他の呪われた人にこの力を託さないといけないんだけど……」

 佳乃は言いにくい内容を口元で燻らせる様に、歯切れ悪く言葉を千切った。何をそんなに言いにくい事があるのかと、俺は考えをめぐらせる。

 呪われた人に力を託すと佳乃は言った。遠まわしだが、佳乃の力を俺が受け取ることになるのだろう。もしかしたら、大役を俺に擦り付けることに抵抗があるのかもしれない。

 元はといえば俺が持っていたはずのものなのだから、何も気兼ねすることはないのに。

「力を渡すことを躊躇しているのか? 俺なら構わないぞ」

「うーん、それもそうなんだけれど。実はもう一つ嘘をついていまして……」

「えっ」

「呪いが最後の一つになったとき、剣の力がなくても呪いが解けるって、私言っていたと思うの」

 そういえば、そのようなことを言っていた気がする。

「それが嘘だったと?」

「うん。ご、ごめんね。その場では心配させないようにしたつもりだったんだけど、まさか最終的にこんな展開になるなんて思わなくて」

 佳乃は先ほどまでの落ち着きが嘘のようにきょろきょろし始めた。他の二人も特に助け舟を出すわけでもなく、のんびりと佳乃のほうを眺めている。

「なるほど。つまりは、呪いが一つになったら、その一人は誰にも呪いを解いてもらえないってわけだな」

「そう。最後の一人の呪いをどう解くか、結局わからないままなの。いつき君が記憶を無くす前と、同じ状況になっちゃう……」

 呪いを解くつもりがなかったと佳乃は言っていた。つまり、最後の一人は自分だと考えていたのだろう。しかし紆余曲折あり、結局佳乃の呪いのほうが先に着手できる状態になってしまった。

 佳乃からすれば力を渡すということ自体が、解き方のわからない呪いを引き渡すこと他ならないのだろう。


 本当にこいつは、と俺は心底呆れてしまう。そんなもの、気兼ねなく引き渡してしまえばいいのに。

 でも、佳乃にはそれができないのだ。自分と相手を天秤にかけると、絶対に自分の方に重きを置けない。それがきっと佳乃の性質なのだろう。だからこそ、助けてやりたいと思うのだ。

 これが全て佳乃の計算なのであれば、俺はズブズブと沼にはまっている。でも、今はそれでもいいとさえ思える。俺は大きく息を吸って、佳乃のほうを真っ直ぐ見つめる。


「それでも俺は──」

「力を引き受ける、でしょ?」

 多少演技ががかった俺の発言を遮るように、珠緒が言葉を挟んだ。俺はがくりと肩を落とした。

「マジかよ。その台詞取っちゃう?」

「二人に任せてたら、日が暮れちゃうもん。もう暮れてるけど。最終的にこうなったら、絶対いっつんはノーって言わないって、私は最初から言ってたんだって。性懲りもなくよしのんは、本当に利他的なんだからもう」

 珠緒はやれやれと首を振りながら、佳乃の頭を撫でた。

「こういうときは、いっつんごめんね、よろしく、でいいんだよ」

「でも……」

「順番がどうであれ、私達がやることは変わらないんだから」

 佳乃の頭を堪能した後、珠緒は腕を組んでこちらを向いた。珠緒の力強い視線が、しっかりと俺を見据える。

「てなわけで。今からいっつんには、よしのんの呪いを解いてもらうよ」

「お、おう。何をすればいいんだ?」

 俺の返答を聞きにやりと笑った珠緒は、右手をこちらに差し出した。

「手、出して」

 俺は差し出された珠緒の右手に自身の右手を重ねた。珠緒は更にもう片方の手を俺の右手に重ねる。珠緒の手の平から、じんわりと熱が移ってくる。

「ゆっくりと目を閉じて」

 珠緒に促されるまま、俺は両目を閉じた。

「大きく息を吸って、吐いて」

 俺が深呼吸をするペースに合わせ、珠緒は言葉を繰り返す。

 息を吸う。ぬるい空気が身体を満たしていく。

 息を吐く。更にぬるくなった空気が口から漏れる。珠緒の言葉に沿って、呼吸を繰り返す。

 頭に浮かんでいた今日の出来事が、少しずつ混ざり、白く溶けていく。どれほどの時間がたったかもわからないまま、思考がまどろんでいく。

「今、どんな気持ち?」

「ぽかぽかとして、心地いい」

 ぼんやりと聞こえた珠緒の声に、無意識の声が返される。自分が発した言葉なのかどうかもわからないくらい俺は朦朧としている。

 しかし、突如ぱちんと音がはじけ、包まれていた右手に痛みが走った。それと同時に俺の意識は覚醒した。

「いってぇ!」

 思い切り叩かれたであろう右手に自由が戻る。

「もう、大げさだなぁ。はいおしまい」

 最大限油断しているところに鞭を打たれたのだ。大げさでもなんでもない。珠緒は悪びれる様子もなく、飄々と白い歯を見せた。俺は珠緒に恨めしい目を返しながら、熱を帯びる右手をさすった。

「そんなに見つめないでよ。照れちゃう」

「相変わらずポジティブだな」

「そうかな? でも、視線を向けるのは、私じゃなくてこっち」

 けらけらと笑いながら、珠緒は佳乃のほうを指差した。当然のように湧いてきた苛立ちを抑え、俺は珠緒の指の先に座る佳乃を見る。

 指と視線を向けられた佳乃は、心配そうに俺の右手を眺めていた。そんな佳乃の姿に違和感を覚えたのは、おそらく右手の痛みのせいではない。

「お、おい。それはなんだ?」

「……ん?」

 俺にも指を向けられた佳乃は、俺の指の先、自身の胸元に視線をやった。

「おいおい、いくらこいつの胸が薄いからって、それはなんだってのはちょっと失礼じゃないか?」

「まきちゃんが一番失礼だよ!」

 立ち上がり抗議する佳乃に合わせ、それも動く。目をこすれども、それは消えてくれなかった。蒔枝さんの台詞は、もちろん俺の意図したものとは違う。

 佳乃の胸の前、先ほどまでは何もなかった空間に、淡く桃色の光が浮かんでいる。

「見える? 多分それが呪いだよ」

 俺の違和感に、珠緒が答えを投じた。

「それってのは、このピンクの光のことか?」

「さあ? 私は見たことないし、光ってるかどうかなんて知らないなあ。どうなの? よしのん」

 そう言って珠緒は佳乃のほうを見た。佳乃の前に浮かぶ光は、淡く揺らいでおり、呪いなどと言う禍々しさを一切感じないほど澄んでいた。

「そう、これが呪いだよ」

 佳乃は自身前方の空間を撫でるように手を動かした。

「たまは仕事が早いなぁ。感傷に浸る暇もないや」

 自身の手を見つめる佳乃の視線が、ゆっくりとこちらを向いた。まるでなくなったものを探すような視線が俺の胸の前で止まる。

「本当に力が移ったんだね。もう何にも見えない」

「今佳乃の前にあるそれが、ずっと俺の胸の前にも浮かんでいたんだな」

「ううん、同じものじゃないよ。鏡を見てごらん」

 佳乃に促され、俺は立ち上がり姿見の前に立つ。

 鏡に映る俺の胸元には、佳乃の目の前に浮かぶ光よりもくすんだ色で揺らぐ光があった。光というより、煙と言った方がしっくりと来る物体に思わず手を伸ばすが、触れることは叶わなかった。

「同じものじゃないでしょ?」

 立ち上がった佳乃が、俺の後ろへと歩みを進める。俺に宿る光は、鏡越しの佳乃に宿る光と見比べると、随分と禍々しい。

「なんか、きたねえな」

「ふふっ。率直な感想だね。それが緩んでいない呪いだよ。そして——」

 振り返る俺の手を取った佳乃は、ゆっくりとその手を自身の光の方へと向けた。

「これが緩んでいる呪い」

 佳乃に宿る光に手が触れる。俺のものとは違いしっかりと感触があり、ほのかに熱を帯びていた。

「どう? 私のには触れられる?」

「ああ。触れられる」

「いつきくんに剣の力が宿っている証拠だよ。つまり、君が払おうと思えば、私の呪いは解ける」

 そこまで言って佳乃は目を瞑り、大きく息を吸った。

「私は本当に駄目だね」

「えっ?」

「ここまできて、こんなに背中を押してもらっても、まだ迷ってる」

「佳乃……」

「利他的だってたまは言ったけど、そんなことないよ。私はただ、またいつき君の記憶がなくなっちゃうんじゃないかって、怖くなっちゃってるだけ。過去のことを忘れようってみんなに言ってたくせに、一番未練がましいね」

 誰に語りかけるでもない言葉が、佳乃の周りに飛び交った。小刻みに揺れる佳乃の手が、俺に不安を伝えてくる。

「大丈夫。全部俺がちゃんと終わらせてやる。記憶も絶対に無くさない。だから安心しろ」

 根拠もない言葉が、俺の口から飛び出した。それと同時に、俺は空いた方の手を佳乃の頭に置いた。

 確固たる理屈なんて全くない。それでも、俺の心には一切の迷いはなかった。

「かっこつけちゃってー!」

 余計な言葉を吐きながら、いつの間にか佳乃の背後に立っていた珠緒が、佳乃の肩に手を置いた。

「よしのん、リベンジマッチだよ。次こそ絶対に、全部取り戻そう」

「たま……。そうだね」

 佳乃は珠緒のほうを一瞥する。視線を向けられた珠緒は、全力の笑顔を佳乃に返す。

 佳乃は再び大きく息を吸って、ぐっと口を結んだ。少しの間をおいて、言葉が漏れる。

「絶対に、忘れちゃ駄目だからね」

「わかってる」

「絶対に、絶対だよ」

「だからわかってるって」

「ん……」

 覚悟を決めた少女の瞳が、俺を射抜いた。

「お願いいつきくん。こんな私の迷いごと、どうか一思いに断ち切って欲しい」

 しっかりと俺を捉える少女の瞳に頷きを返す。誰に教わったわけでもなく、俺は呪いを掴んだ手を振り払った。それに合わせ淡い光が散り散りになり、季節はずれの花びらが空気に混ざっていく。

 一呼吸おく程度の僅かな時間で、佳乃を縛っていた光は姿を消した。本当に合っていたのかと疑いたくなるほど、あっけない最後だった。光が切れた先には、変わらず俺を見つめる少女達の姿があった。

「どう? もう見えない?」

「ああ」

「こんなこと言うのは、変かもしれないけれど、桜の花びらみたいで綺麗だったでしょ?」

「そうだな」

 静かに笑う佳乃は、まだ実感が湧かないのか、ゆっくりと自身の頬を掴んだ。べたな確認方法に、思わず笑ってしまう。

「安心しろ。現実だから」

「知ってるよーだ」

 佳乃は舌を出したあと、ふんとそっぽを向いた。

「ずいぶんとご機嫌斜めだな」

「ううん。変な気分なだけだよ。長かったような、短かったような。たった数ヶ月のことなのにね」

 そう言って佳乃はふうと一息はいた。どういった感情の表れなのかは知らないが、どうやら完全にすっきりした様子ではなさそうだ。

 呆然と立つ佳乃の頬を、珠緒が突いた。佳乃は嫌がる様子もなく、なされるがまま頬を突かれている。

「全ての鍵になるような大役がなくなって、気が抜けちゃったかい? それとも落ち着かないのかい?」

 のほほんと並べられる珠緒の言葉に、佳乃はぴくりと身体を揺らす。じっとりとした佳乃の目が、珠緒のほうへと向けられた。

「わかんないよ」

「だろうね」

「いじわる……」

 珠緒はくすくす笑いながら佳乃の頬を突き続けた。子どもをあやすような、ゆっくりとした口調で珠緒は囁く。

「剣も鏡も呪いも、全てを背負い込む事が恩返しだったと思わないことだね。もともとよしのんのちんまいボディには重すぎる代物だった。これで元通り、それだけだよ」

「ちんまいは余計だよ」

 佳乃は珠緒に誘導され、ふらふらと自席へ戻っていった。

 席に着く佳乃は、不思議な感情の中身を突かれていく分楽になったのか、少し朗らかな表情を浮かべていた。そんな佳乃と入れ替わるようにして、蒔枝さんが席を立った。

「上等上等。これでお開きだな」

「えっ、帰るんですか? ここからの話とかしないんですか?」

 そのまま出口へと向かう蒔枝さんを遮るように、俺は言葉を投げかけた。振り向いた蒔枝さんから返されたのは、これでもかという程あきれた視線だった。

「これ以上何を話すんだよ」

「いやだから、ここからの話とか」

「ほう。例えば?」

「最後の呪いをどう解くか……とか」

「とかとかうるせえよ」

 溜息と同時に、蒔枝さんは再び出口へと歩き出した。佳乃はとめる様子もなく、のほほんと蒔枝さんを見守っている。

 リビングの扉に手をかけたところで、全員の視線を受けた蒔枝さんは、チッと舌打ちで空気を揺らしながら再びこちらを向いた。なぜかご立腹な彼女は、ずかずかと音を立てながら珠緒のほうへと歩みを進める。

「ほら、お前も帰るんだよ」

「おっ、おとととと」

 蒔枝さんは珠緒の首根っこを掴み、再び出口へと歩き始めた。

「やだまっきー積極的ー」

 なぜか楽しそうに引きずられる珠緒は、ひらひらと笑顔でこちらに手を振っている。あっけに取られてその様子を見守っているうちに、二人は室内からゆっくりと姿を消した。

「ほんとに自由だな」

「だね」

 くすくすと笑いながら、佳乃は大きく伸びをした。

「いつき君。夜も遅いから、おうちまで二人を送ってきてくれないかな?」

「えっ? 佳乃は一人で大丈夫なのかよ」

「大丈夫だよ。ちょうど考え事したかったし。晩御飯は食べた?」

「いや、まだだけど」

「それじゃあお腹をすかせたかわいそうないつき君のために、佳乃ちゃんがご飯を作っておくから、ちゃーんと二人を送ってきてあげて。ね?」

 佳乃はこちらにピースマークを送りながら、俺に二人の後を追うよう促した。こんなことがあった後で、本当に佳乃一人で放っておいてもいいのだろうか。そんなことを考え動きあぐねていると、立ち上がった佳乃が俺の背中を押し出口へと追いやった。

「ほらほら、行った行った」

「……わかったよ」

 俺は頭をかきながら、玄関へと歩みを進めた。玄関では、靴を履き終わった二人がちょうど家から出て行く様子が見えた。

「夜も深いですし送りますよ」

 俺の言葉に二人がこちらを向いた。

「当たり前だろ。さっさとしろ馬鹿」

「そーだそーだ」

 蒔枝さんの罵声と珠緒のさえずりが玄関に響き渡る。見事なコンビネーションに対し溜息がこぼれた。家を出る俺の背中には、佳乃の笑い声がぶつけられていた。

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