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少女は瞳を閉ざさない  作者: 豆内もず
6話 忘れない少女

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忘れない少女6

「さてと、何から話そうか」

 手の甲に顎を乗せながら全員を見渡した珠緒は、にやりと笑いながら正面に座る俺をじっと見定める。

「何か言いたげだね」

「そんな顔してたか?」

「目は口ほどになんとやら、だよ。いっつんが話したい事から話そうか」

 よくわからない理由で発言権を得てしまった。蒔枝さんの先ほどの様子を見るに、踏み込みたくない領域ではあるが、ここで踏み込まずにいつ踏み込むんだ。

 缶コーヒーが軋む。ふうと一息はいて、俺は口を開いた。

「じゃあ遠慮なく聞くぞ。これはいったいどういうことなんだ」

 俺は写真を手に取り、全員に見えるようにそれをかざした。

「うわっ。なつかしー!」

 珠緒が嬉々として声を上げた。懐かしむように伸びた珠緒の手を遮って、佳乃が俺の手からそれを奪い取った。

「な、なんて物を!」

 上目遣いでこちらを睨む佳乃は、懐に写真を仕舞いこんだ。

「えーっ。ちゃんと見せてよー」

「やだ。恥ずかしいもん」

「いいじゃんいいじゃん。可愛いって」

「やーだ」

 写真をめぐって少女二人がじゃれつく。俺の隣に座る蒔枝さんは、じっと缶コーヒーを眺めていた。このままでは思い出話にまで発展してしまいそうだ。

 まあそれはそれで詳しく話を聞けるのかもしれないが、今はもっと深く事実を知りたい。

「思い出に耽っているところ悪いが、質問に答えてくれ。なんで昔の写真に俺が写っているんだ?」

 間に挟まった俺の言葉で、二人が視線を合わせる。何か意思疎通を交わしたような一呼吸が過ぎ去り、珠緒がこちらを向いた。

「そう焦りなさんな。そのことを話すつもりで、よしのんを連れてきたんだよ」

 珠緒はさらに一息ついた後、ゆっくりと瞳を閉じる。

「よしのん。いいよね」

 珠緒の言葉に佳乃が静かに頷いた。何かを覚悟する佳乃の表情が、場に緊張をもたらした。その様子を確認した珠緒が、再び視線と言葉を俺に向ける。

「その口ぶりだと、あの写真が二年前の物だってことは、もうわかっているんだよね?」

「ああ。わかっている」

「そっか。よしのん」

 珠緒が佳乃に手の平を向け声をかけた。佳乃はしぶしぶといった表情で、懐に仕舞った写真を机の上へと差し出した。

 少しばかり若い自分が再び目に留まる。

「私やよしのん、まっきーからすると、この写真はただの懐かしい思い出の種。いっつんの目にはどう映ってる?」

「どう言えばいいのかわからんが、気味が悪い」

「どうして?」

「どうしてって……身に覚えがないからだよ」

「そうだね。じゃあどうして身に覚えがないんだろう? 私達にとって懐かしいはずの代物が、どうしていっつんにだけ違和感のあるものなんだろう?」

 とんとんと珠緒が疑問を並べていく。俺と他の三人の違いは、この写真の記憶があるかないかという部分だ。

 この気味の悪さは、もちろん記憶にない写真が目の前に存在しているということに起因している。

 覚えのない写真、佳乃の日記、この数ヶ月で起こった出来事。俺だけが覚えていない、俺にまつわる思い出や人間関係。全てを鑑みたとき、思いつく返答はたった一つだけだった。


「俺の記憶が……なくなっているのか?」

 珠緒の返答を待たずして、自分の放った言葉がぐるぐると思考を乱し始めた。

 記憶がなくなっている? いつからだ? 思い返してみても記憶に抜けなどない。細かいことは思い出せずとも、大きな記憶に抜けがあるようには思えない。

 二年前、俺は普通に働いて、呪いのことなど知らずに過ごしていたはずなのだから。俺の記憶がなくなっているのであれば、この二年間の生活はいったい誰の記憶なのだろうか。

 混乱の最中に、珠緒の声が響いた。

「――ん! いっつん! 大丈夫? 聞いてる?」

 思いがけず自分の世界に入ってしまっていたようだ。ゆっくりとコーヒーを口に流し込み、首を縦に振る。鋭い苦さが感覚を現実に引き戻した。

「すまん……」

「謝るようなことじゃないよ。びっくりするのは当たり前なんだから」

「いつき君。これを飲んで落ち着いて」

 いつの間にか席を立っていた佳乃から、暖かい茶が差し出された。俺は意外と長い時間自分の世界に入ってしまっていたらしい。

「ありがとう……」

 ゆっくりと微笑んだ佳乃は、同様に全員の前に湯呑みを差し出した。暖かい感覚が、理解をゆっくりと溶かしていく。

「さて、お茶も入ったところだし、長い話を始めようか」

 再度会話の舵をとった珠緒が茶を啜った。勢いよく流し込まれる液体が、少女の喉を揺らす。

 茶を一気に飲み干した珠緒は、勢いそのままにこちらに視線を向けた。


「いっつんの想像通り、君の記憶はなくなっている」

「ちょっと待ってくれ、俺はずっと普通に生活を……」

「いっつんが今思い返している記憶がなんなのかは私にもわからない。でもはっきりとわかっているのは、私達の事を含めた呪いに関連するいっつんの記憶が、すっぽりと抜けてしまっているということだよ」

 珠緒は頭からプラグを抜くような動きをしてから、困ったような表情を浮かべた。顔つきとは反して強い口調で言い切る珠緒に対し何も言えなくなった俺は、ぐったりと頭を垂れた。

 この数ヶ月の出来事が頭を巡り始める。俺の記憶、こと呪いの事に関する記憶が、俺から抜け落ちている。しかも厄介なことに、ここまでのことを教えてもらっても、俺の記憶が戻ってくる兆しは見えない。

「なにも、思い出せない……」

「いつき君」

 言葉を漏らした佳乃の顔をなぜだか見られず、俺は更に深く視線を落とした。どれだけ深く潜っても、失った記憶にたどり着くことはない。

 佳乃の日記や蒔枝さんの様子からすると、きっとこの記憶は失くしてはいけなかったもの。思い出さないといけないもの。そんな歯がゆい想いが、胸を締め付けた。

 すがるように上げた視線が、不自然な笑みを浮かべる佳乃を捕らえる。さらに胸を締め付ける表情に記憶がめぐり、かつて珠緒が神社で話していた内容が頭によぎった。

「神社の、母……か」

 珠緒が言っていた、二人にとって大切な人物。呪いを解くために奔走していた張本人。そしてなにより、とある理由により二人の前からいなくなった人。暖まってきた思考が、ストーリーを結び付けていく。

「よくその言葉に結び付いたね」

「神社の母?」

 感心する珠緒とは打って変わり、佳乃は懐疑的に言葉を繰り返した。

「いっつんに話したの。私に出会う前のよしのんのことと、もう一人欠かせない人物がいたってことを。母って言うのはただの比喩表現。よしのんがいっつんのことをお母さんみたいって言ってたから、言葉を借りただけだよ」

「いつの間に……。言わないって約束したのに……」

「もちろんいっつんのことだ、とは言ってないよ。わざわざ母って言葉を使ったのも、煙に巻くためだからね」

 佳乃に釈明をしたあと、珠緒がこちらに視線をくべる。

「二年前、よしのんと私が出会った呪われた人。呪いを解く力をよしのんの前に持っていた人。そしてなにより、よしのんをドン底から掬い上げた人。もうわかるよね」

 ここまできたのだ。わかるに決まっている。

「あの話は、俺のことだったのか」

 静かに頷く珠緒を見て、全てがつながった。神社の母、すなわち呪われていた俺が二人の前から姿を消した理由。いや、厳密に言うと姿を消したわけじゃなかったんだ。

 佳乃の呪いを避けるためでもなく、呪いが解けて町から出たわけでもない。俺の頭の中から、思い出が消えたのだ。

「その通り。いっつんは呪いを解くために私達と行動を共にしていたんだよ。でも呪いがあと一つになったとき、君は呪いにまつわる記憶を失った。今のいっつんがよしのんと出会う少し前のお話だよ」

 珠緒は空になった器のふちをゆっくりとなぞった。存在しない記憶が埋まっていく。思い出せはしないが、理解がしっかりと結びついていく。

 なんだよ。なんなんだよ。なんで俺はそんなにも大事なことを忘れているんだ。


 ここにいる三人は、過去の俺と会ったことのある人物ばかりだった。

 川べりで俺を見つけた佳乃も、神社で俺に自己紹介をした珠緒も、カーテン越しに不快な視線を向けていた蒔枝さんも、俺から忘れられていることを理解したうえで、俺に悟らせないように相応の対応をしていたのだ。


『お前のその硬い頭の中がすっからかんになってたって、私は絶対に忘れてやらないからな! なかったことになんて、してやるもんか』

 先程の蒔枝さんの言葉を脳内で反芻する。

「なんで……」

 なんで黙ってたんだよ。言いたいのはそれだけだったのに、言葉が続かなかった。

 忘れられた三人、ひょっとするともっと多くの人達は、どんな気持ちで俺と関わっていたのだろうか。俺の無知が、どれだけ人を傷つけていたのだろうか。自身に対する苛立ちが収まらず、じんわりと口元に力が入る。鈍い鉄の味が広がる。

「その顔が、見たくなかったんだよ」

 声の方に視線を向けると、弱弱しく笑う少女が映った。少女は瞳にかかる前髪を少し払い、斜め前に座る俺のほうへと手を伸ばす。細い指が、俺の唇へと触れた。

「変わらないなぁ。どうしようもなくお人よしで、優しい人。やっぱり私が間違っていたのかもしれないね」

 唇に触れた指が、ゆっくりと線をなぞる。無意識に力が入っていた俺の口元から、力が抜けていく。


「過去のことはなかったことにしよう。みんなにそう提案したのは私なの」

 佳乃はそう言って、俺の口元から指を離した。

「なんでだよ! 最初から話してくれていればこんな――」

「過去のことを忘れてしまったという事実は、きっといつき君を傷つける。だからどうしても、私の口からその事実を告げることは出来なかったんだよ。結局こうなってしまったから、問題の先延ばしにしかなっていなかったんだけれどね」

 佳乃は更に弱く笑った。触れば崩れてしまいそうな弱弱しい体躯が、さらに脆く揺れる。俺はそれ以上言及する言葉を吐けなくなった。

「でもまさか、あんな形で再会するとは思ってなかったよ。本当は、他の呪いを解いた後に素知らぬ顔で近づこうと思っていたのに、弱りきったいつき君が、川で浮かんでいるんだもん」

「そうだったのか……」

「この写真を見つけたってことは、日記までたどり着いたんだよね?」

「ああ」

「全ては日記に書いていた通り。今のいつき君にはぴんと来ないかもしれないけれど、私はいつき君のおかげで自分を取り戻せたんだよ。だからあの時、今度は私がこの人を助ける番だって思った。最初にさ、心が読めるって言ったでしょ? あれは単にボロが出たときの言い訳にしようと思っていたの。お恥ずかしながら」

 照れたように、佳乃は笑った。

 最初のことなど、泥酔してろくに記憶も残っていない。佳乃がその時どんな顔をしていたかも覚えていない。しかし、佳乃が俺を家に招きいれたことには、それ相応の理由があったようだ。


 今にして思えば、不自然なことだらけだ。

 最初からもう一人分の生活があったように、佳乃の家には設備が整いすぎていた。人を遠ざけていた佳乃が、家に人を招くとは思えない。

 それなのになぜ最初に運び込まれたときに俺とサイズが一致した服があったんだ。なぜ彼女が飲みもしないコーヒーが常備されていたんだ。なぜ好きな食べ物が把握されていたんだ。なぜ。なぜ。ヒントだらけじゃないか。

 どこか抜けている佳乃の穴を、見抜けないまま俺はのうのうと生活をしていたんだ。

 事実を知れば知るほど、佳乃の行動がより慈愛に満ちたものに思えてくる。それに加えて、その時々の佳乃の感情を想像して心が重たくなる。

 大切な人に忘れられ、それでももう一度関係を作り直し、平気な顔をして俺と関わり続けていたのだ。全ては、俺が失意に暮れないように。

「そんなのありかよ」

「だから、その顔が見たくなかったんだよ」

 佳乃の言葉で、自分の顔が悲壮にゆがんでいることに気がつく。俺は頭を抱えた。

「だからってなんで……一人で抱え込むんだよ」

 俺は頭を抱えた手を払う。顔を上げると、佳乃がニッコリと笑っていた。

「一人じゃないよ」

 佳乃が珠緒と蒔枝さんに視線を向けた。

「それにさ、忘れられたって、私の感情が消えるわけじゃないもん。私にとっていつき君は今も昔も大切な人なの。きっとそれは、たまとまきちゃんも同じ。いつき君が幸せに暮らせるように、みんなで過去のことを隠したの。ひょっとしたら、余計に混乱させたことになっちゃってるのかもしれない。でも、その時の私からすると、いつき君が気兼ねなく生きられる事が何より大切だったんだよ。だから、無理かもしれないけれど、まいったなぁって言って笑ってよ」

 そういう佳乃は、笑顔を浮かべながら瞳から雫をこぼした。

「言ったでしょ? よしのんは不器用だから、ぜーんぶ自分で抱え込んじゃうの」

「ほんと、馬鹿だよな。付き合う身にもなれっての」

 珠緒と蒔枝さんが、視線を合わせて大きく溜息をついた。あまりにそろった調子に、場を包む空気が柔らかくなった。なんだか懐かしいような、居心地の良さが身体を包みこむ。

「馬鹿っていうほうが馬鹿なんだよ。まきちゃんは学がないなぁ」

「医者相手によくそんな口が叩けるな」

 切れ味のいい蒔枝さんの目が、佳乃をじろりと見つめた。佳乃は気にする様子もなくふんぞり返っている。俺が失ったものの中に、きっとこんな日常があったんだろう。それがなにより歯がゆい。

 しかし、ここでみんなの厚意を無に帰すわけにはいかない。俺が暗い気持ちにならないように、みんなが想いを殺してくれていたのだから。

「ほんと、隠すなんてひでえよ」

 俺はしっかりと上を向き、無理やり笑顔を作った。生きてきた中で一番不細工な笑顔だったかもしれない。それでも、もう下を向くわけにはいかなかった。

「ふふっ。やっと笑ってくれた」

 佳乃が満足そうに頷く。

「思い出せなくて、本当にごめん。ありがとう」

 無理やり作った笑顔が、言葉を吐き出した。謝罪も感謝も、こんなものでは足りない。しかし、佳乃たちのためにも、俺は前を向かないといけない。

 俺は沈んでいた気持ちを、必死に奮い立たせた。

「これだけ聞いても、やっぱり何も思い出せない。みんなの期待を裏切っているのはわかっている。でも、もし許してもらえるなら、俺はもう一度みんなとの関係を取り戻したい。前と同じとはいかないかもしれない。苛立たせてしまうかもしれない。それでも、懲りずに仲良くしてもらえると嬉しい」

 必死に絞り出した声が、室内に響き渡る。俺を除く三人が顔を付き合わせ、同時に笑った。

「愚問だね。過去は過去、今は今。こちとら元よりそのつもりだよ」

「阿呆は記憶を失っても治らんみたいだな。裏切るも何も、こんな簡単に記憶が戻るなんておもっちゃいないさ」

 珠緒と蒔枝さんが続けざまに言葉を吐き出す。二人の言葉を聞き終えた後、佳乃から手が差し伸べられた。

「こちらこそ、懲りずに仲良くしてね」

 俺は差し伸べられた手を握る。満足げに笑う佳乃は、更に言葉を続けた。


「さっき河原で私が伝えた想いは、過去の出来事関係なく、紛れもなく今のいつき君に向けたものだよ。事実を伝えた今なら、まだ返品できるけど、どうする?」

 さっきの河原での出来事。佳乃からの好意の言葉。俺は過去の事実すら知らずに、今ある好意を純粋に佳乃に返しただけだ。返品なんぞするわけがない。

 それをわかっていてこんな質問をぶつけてくるなんて、ここぞというところで意地の悪いやつ。

 しかしながら、佳乃にこんな意地の悪さを教えたのは、おそらく過去の自分なのだ。

「返品なんてしねえよ」

「うむうむ。お買い上げありがとうございます」

 好意の言葉が過去の俺に向けられていたとしても、ありがたく受け取ってやる。意地悪をしてきた礼だ。お前も恥をかくといい。

「返すなんてもったいないしな。『大好きっ』ってさ、顔真っ赤にして。あんな顔されたら、誰だって落ちるわな。しかもその後――」

「あにゃっ!」

 握っていた佳乃の手が、奇声と共に迅速に俺の口を塞ぐ。机に覆いかぶさるように腕を伸ばす佳乃につられ、からりと湯呑みが揺れる。

 見る見る内に朱に染まる少女の顔に、思わず閉じられた口元が緩んだ。

「おやおやぁ。なにやら面白そうな話が聞こえてきたような……」

 その様子を見て何かを悟った珠緒が、にやりと佳乃を見つめた。

「よしのーん。詳しく聞かせてもらえるかなー」

「なっ、なんにもにゃい!」

「じゃあいっつんから聞こうかなぁ。よしのん、お手手を離しなさい」

「やだ!」

「まっきー!」

「無理に聞き出すなんて趣味が悪いな」

 しぶしぶ言葉を発した蒔枝さんは、言葉に反してノリノリで佳乃の腕を掴んだ。ゆっくりと俺の口が開放されていく。

「わ、やだやだ!」

 茹で上がった佳乃はじたばたと抵抗するが、あっさりと椅子へと戻される。

「あーんもう! わかった! わかったから、白状するから!」

 半ば泣きそうになりながら訴える佳乃は、すっかり冷めたであろう茶をゆっくりと口に含んだ。

「いつき君に、私の想いを伝えたの……。好きって……」

 たどたどしく語る佳乃は、冷えていた手とは打って変わって蒸気を発しそうなほど赤らんでいた。珠緒と蒔枝さんを取り囲む空気がざわつく。しかし、誰も言葉を発さないまま沈黙が流れた。

「本当にそれだけだから。他には何にもないよ!」

 固まる空気を振り切るように、佳乃は言葉を切ってそっぽを向いた。

「よしのーん!」

 佳乃が目線をそらすのと同時に、珠緒が佳乃に抱きついた。

「ついにやったんだね! このこのー。待たせやがってー」

 珠緒は頬を佳乃に擦り付けながら、力いっぱい佳乃を羽交い絞めにする。

「い、痛いよたま」

「痛くないよ。もう、かわいいなぁ、愛おしいなぁ。食ってやろうかしら」

「おいしくないからやめてっ」

 珠緒から距離を空けるようにじたばたする佳乃を無視し、今度は蒔枝さんが立ち上がり佳乃の頭を鷲づかみにする。

「あいたっ」

「お前なに抜け駆けしてんだよこの野郎」

「い、痛いよまきちゃん」

「おいそれどっちの意味だよ。お前の頭と私、どっちのことを痛いと言ってるんだ。泣いてやろうかしら」

「被害妄想だからやめてっ」

 身体を固定され、頭も捕獲された佳乃は身動きがとれずうめき声を上げている。

 やはりそうだ。ここは居心地がいい。記憶が無くなっていても、それだけは確実に理解できた。

「ほら、いつき君が困っているよ。二人とも離れて離れて」

「いや、俺は別に困ってないけど」

「助け舟だよっ! 見送らず助けてよ!」

 佳乃はしばらく抵抗を続けたが、疲れきったのかぐったりとなされるがままになる。それを契機に、珠緒と蒔枝さんは満足した様子でゆっくりと自分のポジションへと戻っていった。

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