忘れない少女1
「いつき君。私とデートをしてくれないかな?」
濁りが全く無い笑顔で佳乃はそう言った。
柚子の呪いを解いてから一週間が経過し、各々の生活は順調に元に戻り始めている。
二日ほどぐったりしたままだった佳乃も調子を取り戻し、約一ヶ月ぶりに家に戻ってきていた。
そんな佳乃に今後の展望を尋ねた際の返答がこれである。
思わず耳を疑った俺は、質問を再度佳乃にぶつける。
「いや、えっ。違う違う。そうじゃない。呪いは後二つだ、さて、どうするかって聞いたよな?」
「そう聞かれたよ」
「んでその返答が」
「デートしよっ。だよ」
可愛らしくウインクをしながら、さも当然のことを話すような口ぶりで佳乃は言葉を繰り返した。
残りの呪いはおそらく俺と佳乃にかかったものだという都塚の推測を聞かされていたこともあり、重々しい話になることを覚悟していた俺は、すっかりと拍子抜けしてしまう。
要領を得ないままぽかんとする俺に、佳乃は愉快そうな笑みを向けた。
「おーい。デートだよ、で・ぇ・と。もしかしてあまりに馴染みのない言葉だからピンときてない?」
ついで感覚で失礼なことを言うんじゃない。
「それぐらいわかってるよ」
「じゃあなんだね。そのあんぐり空いたお口は、いったいなんの顔なんだね。喜びすぎて言葉が出ないの?」
「しかるべきシチュエーションで受けていれば、こんな顔になってねえよ」
困惑が晴れないまま俺は額を掻く。今までも佳乃の真意がわからない事が多くあったが、今回は特に何を考えているかがわからない。
随分と長い間眠っていたせいで、佳乃の頭はまだぼんやりとしているのだろうか。
「ふふっ。私とデートするのがそんなに不満かな?」
困惑から抜け出せない俺に、佳乃は言葉を続けた。
「いや、不満とかそういう次元の話じゃなくてだな。もっとそもそもの話なんだが」
俺の困惑は、不満から生み出ているものではない。そもそも感情が不満というステージにまで達していない。どういう感情で佳乃の言葉に返事をすればいいのかがわからないだけである。
困惑が沸点を迎え、一旦思考が止まる。
「出かけるんなら、まあ付き合わんこともないけど」
止まった思考のまま吐き出された、煮え切らない俺の言葉を佳乃ががっしりと捕まえる。
「お出かけじゃないよ。デートだよ」
「何が違うんだよ」
「心持ちが大きく違うよ。あれ、いつき君はそうでもないの?」
「心持ち……。確かに違うけど……」
そうでもないの? と問われても、俺はデートの定義づけをしたいわけではないのだ。
佳乃の中で心持ちが違うのであれば、デートというものにこだわっていることにも何か理由があるのだろう。こちらには拒む理由などない。
「まあいいや」
状況を受け入れようと言葉を発したところで、再び思考がスタート地点へと戻ってくる。
「いや、よくなかったわ。そうじゃないんだよ。なんで呪いの話からデートの話になるんだってことを聞きたいんだよ。俺の質問はどこいったんだ?」
ここまできてようやく困惑の出口へとたどり着いた。最初からこう聞いておけば良かったんだ。あやうくさくっと丸め込まれるところだった。
俺の言葉を聞いて、佳乃はちっちっちと素早く指を揺る。
「呪いの話だからこそ、私はデートの話をしているんだよ」
どうやら俺の質問が通っていなかったわけではなく、佳乃はしっかりと俺の質問に答えていたつもりらしい。
だとしても、というより、だからこそ、やはり佳乃の意図がわからない。理解に至っていない俺に対し、佳乃がくすりと笑いながら目を細めた。
「いつき君の目には、私がどう映っているかな?」
佳乃から更に新たな困惑案件が投げ込まれた。言葉の受け取りを待たずして、佳乃は言葉を続ける。
「普通の女の子? 呪いを解いている女の子? 呪われた女の子? それ以外? どれかな?」
佳乃は笑顔を崩さないまま、俺の言葉を待っている。なぜ今、こんな質問をするのだろうか。わからないことだらけだ。
深読みしても、どうせ佳乃の思考を先回りすることなんて出来やしないのだ。ならばせめて、会話が円滑に進むように、純粋に質問に答えてみよう。
「全部だな」
あっさりと答えた俺の言葉に、佳乃は更に愉快そうに笑う。
「全部って」
「呪われているし、呪いを解いているけど、普通の女の子だと思ってるよ」
「そっか……」
佳乃は俺の言葉を飲み込んだあと、ゆっくりと息を吐いた。薄く白い肌に、ほのかに赤みが差す。
「やっぱりいつき君には危機感が足りないね。私からデートの誘いを受けて普通の人が感じるのは、嫌悪だよ」
佳乃は自身の言葉を噛み潰すように笑った。今度は愉快そうではなく、困ったような笑顔。否定せざるを得ない言葉だった。
「何でだよ。嫌悪なんか感じないだろ」
「きっとそれは、いつき君だからだよ」
佳乃は俺のことを過大評価している。というより、自身のことを過小評価しすぎている。
少なくとも、デートの誘いを受けて気分を害するなど、よっぽど嫌いな相手でもない限りないと思う。しかし、佳乃が言いたいことはどうやらそういうことではなかったようだ。
「事実を知っている人からすれば、私は呪われた女の子だもん。好きになった人が死んでしまうといういわくつきのね。みんな怖がって、デートなんて拒否されるのが普通なんだよ」
今の言葉で、ようやく思考が佳乃に追いついた気がした。
呪いの話だからこそデートの話をしている、という佳乃の言葉はきっと、呪いを解くためのプロセスとしてデートをしようという意味合いなのだ。
この理解で合っているかも俺にはわからないが、佳乃はこれ以上のヒントをくれそうにない。最初からそういってくれればいいのに、本当に回りくどい。元より断る理由などなかったが、断らない理由は出来た。
「よし、俺の疑問は解決した」
「えっ?」
俺はパンと手を叩いて、小さく笑う佳乃の意識を切る。こんな話をさせてしまい、困った笑顔を引き出すぐらいなら、最初から何も考えずにイエスと答えておけばよかった。これ以上暗い話をしてたまるか。
呪いをどうするか、という俺の疑問には既に答えが与えられたのだ。次は俺が佳乃の質問に答える番だ。俺は大げさに手を動かしながら、最初の質問に答えを返す。
「デートをしてくれないか? だったな。喜んでお受けさせていただくよ」
「ほえっ」
「ほえ、じゃねえよ。お前が言い出したんだろ」
「お、お前じゃないよ、佳乃だよ!」
佳乃は頬を押さえながら、俺に食って掛かった。俺は佳乃から目線を外さないまま、あたふたと落ち着かない様子で足踏みをする少女をなだめる。
「まあまあ落ち着けって」
「な、なに急に余裕な感じ出しちゃってるのさ!」
「別に出してねえよ。むしろなんでそんなに狼狽えてるんだよ」
「狼狽えてないもん! 私が言い出したんだから、こうなる事ぐらい予想の範疇だもん」
佳乃はぷいっとそっぽを向いた。仕掛けてくる割に意外とディフェンス力のない佳乃は、些細な俺の反撃にすら耳を真っ赤にしている。
これは面白い。沈んでいた空気が、少し明るくなってくる。
「でもまあ。いつき君がそこまで懇願するなら、仕方なくデートしてあげてもいいよ」
少し間を空けてから、もう一度マウントを取るべく佳乃がこちらを向いた。髪の隙間から覗く小さな耳は、未だに赤が差している。こいつは最初に自分が発した言葉を覚えていないのだろうか?
「仕方なく、はこっちの台詞だっての」
「違うよ。私の台詞だよ」
「ほら、もう一回言ってみろって。デートしよってさ」
「むーっ」
佳乃の頬が膨れ上がる。歳相応な少女の様子に、安堵感が芽生える。俺がからかいを続けていると、佳乃は再びそっぽを向いて自分の部屋へと向かっていった。
「デートは明日だからね。ちゃーんと準備しておくように! 以上!」
自室へと戻っていくポニーテールは、心なしかいつもより弾んでいるように見えた。




