通わない童女19
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「かえかえっていうなー!」
大学に戻った俺と柚子を迎えたのは、生気に満ち溢れた叫び声だった。
講義室に入ってもいないのに、その場にいるような錯覚を覚える巨大なボリュームに、俺達は思わず足を止めた。
「な、なんだ……?」
言葉の意味も理解できず固まる俺とは違い、何かに気付いた様子の柚子は足早に講義室へと入っていく。
「楓ちゃん!」
先ほどの叫び声と比べると、やや控えめな声が、講義室内に染み渡った。
柚子に引っ張られるように講義室に入ると、柚子が楓に抱きついている様子が見えた。
うろたえる楓の挙動を見て、ようやく呪いが解けたという実感が俺の心に湧き上がる。
「楓ちゃん! 楓ちゃん!」
自分を抱きしめながら何度も言葉を繰り返す柚子を見て、楓は更に困惑を強めた様子だった。
「柚子? どうしたの? って柚子も泣いてるし! もう、みんななんでこんなに泣き虫になってるのー?」
きょろきょろと助けを求める楓を見て、目を真っ赤にした珠緒が説明を始めた。
俺は講義室の入り口辺りの椅子に腰掛け、その様子をゆっくりと眺めた。
どうやらしっかりと呪いは解けているし、珠緒も元に戻っている。佳乃も目を覚ましたし、これ以上にないほどの完全勝利ではないだろうか。
勝利の余韻に浸っていると、安中に肩を借りた都塚がこちらへと近づいてきた。
「ご苦労様でした」
「いやそっちこそ、なんかぼろぼろだけど」
くすくすと笑いながら、彼女は作戦の全様を俺に伝えた。
ウズメを欺くために、馴染みのある神社や病院ではなく、距離のある大学を選んだこと。大学に来て偶然会ったと思っていたあの時ですら、御守を渡すため事前に組み込まれた遭遇であったこと。神様と繋がりがある珠緒にも全貌を明かさず事を進めたこと。全てが都塚によって解説されていく。
楓に説明を続けている珠緒のあの髪の毛にそんな効力があったことにも驚きだが、なにより全てを手の上で動かし、全てをつつがなく終わらせてしまった都塚に対し、純粋な尊敬の念が湧き上がった。
「本当にありがとう。俺じゃ絶対こうも上手くはいかなかったよ」
「いえいえ。必死に蓄えた知識を披露できる場を与えていただいて光栄ですよ」
そういって微笑む都塚の姿は、神様よりよっぽど神様らしい様子だった。
思わず手を合わせたくなった俺に、都塚は言葉を続ける。
「佳乃ちゃんは目を覚ましていましたか?」
「ああ。ばっちりだったよ。ただ起き明けでまだ本調子じゃなさそうだったけど」
「よかった……」
ほっと一息ついた彼女は、少し間を空けてから安中の方を見る。便りを出すような都塚の視線に対し、安中は溜息を返した。
「お前がいいと思うほうを選べばいいよ。俺が決めることじゃない」
乙女の視線から繰り出される言葉を包むように、安中が言葉を置いた。返答をゆっくりと拾った都塚が、意を決したようにこちらを向いた。
「山上さん。今から話すことは、呪いの情報を元に立てたただの私の推測です。なので、くれぐれも大きく影響されないでくださいね」
「お、おう」
かしこまった彼女の言葉に、無意識に背筋が伸びた。姦しく響く童女達の声を背景に、都塚は口を開いた。
「私の呪いを解いてもらった時、佳乃ちゃんに質問をしたんです。なぜ山上さんが佳乃ちゃんの呪いで死なないと信じているのか、と。それに対して、本人には内緒だけれど、私と佳乃ちゃんが話せる理由と同じだと彼女は言いました」
俺がいないところでそんな会話をしていたとは。
一番最初に都塚に会ったとき、本人が死なないと言っているから大丈夫と返していた佳乃は、その段階で既に俺に一つ秘密を隠していたようだ。
考察を進める俺を置き去りに、都塚は言葉を続ける。
「私が佳乃ちゃんと話せていた理由。それはもちろん私が呪われていたからです。なので、私は山上さんも呪われているんだと思っていました」
都塚の話す言葉に対し、大きな驚きを感じなかったのは、薄々そんな気がしていたからだと思う。
あれほど人との接触を避けていた佳乃が、いとも簡単に俺との距離を詰めてきたことには、何かしら理由があると思っていた。
それでもその事実について言及しなかったのは、佳乃がそのことを黙っていることにも理由があると感じていたからだ。
残る呪いは二つ、いよいよ俺自身も目を背けられないところまできてしまった。
しかしながら、そんな感情にも都塚の語尾で引っ掛かりが生まれる。
「思っていた?」
なぜ過去形なのだろうか。ということは、今は思っていないということだろうか? 俺の疑問に対し、都塚は丁寧な解説を加えた。
「思っていた、というのはちょっと語弊がありましたね。今でもそうは思っています。ただ調べを進めるうちに、気になる事が出てきたんです」
「ほう」
「呪われた人間に呪いは効かない、なんて記述、どの文献にも書いていないんですよ」
都塚の言葉に、必死に回していた思考が濁り始めた。
呪われた人間に呪いが効かない、だから呪いが解けた後にはその人と距離をとる。これが佳乃の今のスタンスだ。
その根底すら覆されるような話に、言葉が出てこなくなった。都塚の話は続く。
「もちろん、私が調べた中にたまたまなかった情報だった、という可能性もあります。でも今回の件で、私の持つ知識は呪いの全様に近いという自負が出てきました。呪われた人間に呪いが効かないという前提がなかった場合、佳乃ちゃんの行動に整合性が全くとれなくなってしまって……。佳乃ちゃんは、何かを隠しているんじゃないかなって」
そこまで言って、都塚は下を向いて黙り込んだ。なるほど。どうやら佳乃を疑うような言葉尻を俺に話すかどうかというところで、都塚は迷っていたようだ。呪いを解いてもらった身として、なかなか言いにくい部分もあるのだろう。
確かにその前提がなくなった場合、佳乃の一連の行動には不可解な部分が多く出てくる。本件でこれだけ活躍した都塚の推測も、的外れだとは思えない。
しかしながら、そんな事実を知ってなお、俺の心には佳乃に対する猜疑心が生まれてこなかった。
「それでも、俺は佳乃を助けたいと思うよ」
ぽつりと、言葉が俺の口からこぼれる。佳乃が意味もなく嘘をつくなんて、どうしても俺には思えなかった。
いとも簡単に感情を吐き出した俺の言葉に、都塚は意外にもほっとした表情を見せた。
「それを聞けて、安心しました」
「あれ、佳乃に気をつけろって話じゃないの?」
「えっ? 違いますよ」
「えっ、違うの? なんだ。重々しく話をするから、てっきりそういうことなんだと思ったよ」
俺の言葉に拍子抜けしたように、くすくすと都塚が笑みを浮かべた。
「私が心配していたのは、私がこれを話したことによって、山上さんと佳乃ちゃんの関係性を変えてしまうかもしれないということですよ。私が余計なことをしたせいで、佳乃ちゃんから人が離れていくなんて、あって欲しくないですから」
「あ、そうなんだね」
どうやら俺はとんでもない見当違いをしていたようだ。都塚はあくまで佳乃を本気で慮った結果、このことを俺に伝えるかどうかを迷っていたようだ。
俺の想像を絶するほど、都塚の佳乃に対する愛は深いらしい。
少しばかりの恥ずかしさを燻らせていると、話が終わったのか珠緒たちがこちらに近づいてくる様子が見えた。
そこで話の終わりのタイミングを悟ったように、都塚がふうと息を吐いた。
「頃合ですね。今聞いたことは、そんなこと言ってたな、ぐらいに思ってくださいね。それでは私達はお先に」
都塚と安中は、軽く珠緒たちに挨拶をした後、講義室から去って行った。
「さて、ちょっと荒らしちゃったから、お片づけしちゃおっか」
都塚達の姿を見送った後、珠緒がパンと手を叩いて号令をかけた。いつの間にか姿を暗ませていた蒔枝さんを除く俺達四人は片づけを始める。
先ほどよりどこか広く感じる講義室には、呪いが解けたことを喜ぶような黄色い声が咲き渡っていた。




