通わない童女18
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いつきが再び大学を訪れる少し前、講義室では童女が少女に指を向けて反り返っていた。
童女は指の先にいる人影を改めて見定め、ゆっくりと首を傾げる。
「んん? よく見たらおたま姉じゃん。なにやってんの? というかここどこ? え? どうなってんの?」
先ほどまでウズメの威圧感で静まり返っていた講義室が、急に賑やかになる。
驚いたように見つめられた童女は、混乱のまましかめ面を浮かべた。
「なぜじゃ、なぜ元に戻っておるのじゃ……?」
状況を整理できないまま、ウズメは顎に手を置いてこちらもしかめ面を浮かべる。
「じゃ? 変なの。なにそれ流行ってんの? 似合ってないからやめた方がいいよ」
かまわず言葉を話し続ける楓に対し、ウズメは更に眉を顰めた。
「まだあやつらが病院に着くまでに時間はあるはずじゃ。呪いが解けるのが早すぎる……」
ウズメはぶつぶつと言葉を浮かべながら、ゆっくりと稔莉のほうへと近づいていく。
呼応するように上体を起こした稔莉は、ウズメを見上げてにやりと笑った。
「これも貴様の仕業か」
「いえ。私は何もしていませんよ」
「嘘を吐くでない」
ウズメは稔莉の首元を掴み、ぎゅっと力をこめた。抵抗するように添えられた稔莉の手にも力が入る。
「嘘なんて、ついていませんよ……」
「ほう、しらを切るか」
ウズメの手に更に力がこもる。
「ず、随分と……強引じゃないですか……」
「正直に話すか、息が詰まるか、さてどちらが早いかのう」
愉快そうな口調ではあるが、顔色を全く緩めないウズメの様子に、稔莉も危機感を感じたのか、諦めたように両手を挙げる。
「簡単な話です」
「なんじゃと?」
語り出した稔莉を見て、ウズメは少し手から力を抜いた。ケホケホと咳き込みながら、稔莉は真っ直ぐウズメに視線を返す。
「佳乃ちゃんは病院にいない。それだけですよ」
「病院にいない、じゃと?」
「相手は神様ですから。本気を出されれば、すぐに振り切られると思いました。神様から時間を稼ぎたいけれど、私達が稼げる時間は限られている。その場合どうすればいいか。簡単です、必要な時間自体を短縮してあげればいいんです。もちろん、神様の目を盗んで」
「なるほど。病院より手前で、落ち合う場所を決めておったのじゃな」
「その通りです。そうしてあなたの予定の時間より早く呪いが解け、今の状態に至るわけです。物理的な拘束が無意味かもしれないあなたの動向を捕捉しつつ、安全地帯で呪いを解くために、わざわざこの場所を設定しました。そして山上さんが病院に着くであろう時間を稼いでいる、そうあなたに思い込ませることこそが、私の作戦の本懐だったんですよ。お相手ありがとうございました」
「そのために、あんな臭い芝居をしてやったってわけさ」
いつの間にかウズメの背後まで迫っていた蒔枝が、ウズメの肩に手を置いて言葉を付け加えた。
「どうだ? まだやるか?」
「――くくっ……ははははは」
ウズメは高笑いを浮かべながら、稔莉の首元から手を放した。首元をさすりながら距離を取る稔莉を一瞥し、ウズメは加えて大きく両手を挙げた。
「いやぁ参った参った。降参じゃ。まさかここまでしてやられるとはのう。油断しきっておったわい。呪いが解けたのであれば、もうすぐワシの時間は終わる」
ウズメはその場に座り込んで、がっくりと頭を下げた。蒔枝と稔莉は顔を向き合わせて、ほっと胸をなでおろした。
しかし、そうなることを予想していたかのように、にやりと笑うウズメの指先が双方に向けられた。
「貴様らの悪行に、ワシからの褒美じゃ。受け取るがよい」
指先を向けられた二人の動きがぴたりと止まる。
「しまっ……」
ほっとした隙をつかれた二人は、小さく声を漏らしながら目を伏せた。
神の最後のあがき、その一瞬の静寂を音の波が切り裂いた。
「こらぁー! あたしを無視するなー!」
空間に向けられた楓の声で、二人の身体に自由が戻る。楓が生み出す音の波の大きさに意表をつかれたウズメが、慌てて再び指先に力をこめた。
少し距離をとった二人に向けられた指先が、声と共にぽとりと地面へと下る。
「くそっ……」
その言葉を最後に、ウズメは地面へと倒れこんだ。
「た、助かった……んですよね?」
「知らねえよ……」
ふうと息を吐いた二人は、ウズメに続くように地面へと座り込んだ。ぱたぱたと童女が三人のもとへ駆け寄る。
「姉ちゃん達、大丈夫か? よくわかんないけど、あたしはどうすればいい?」
鼻息荒く質問を繰り出す童女は、数ヶ月間見せていた静けさを少しも感じさせぬほど大きく身体を動かす。その様子を見て気が抜けた二人は、くすくすと笑みを返した。
「ありがとう。力が抜けて立てなくて……。とりあえず、部屋の外に前髪をくくった男の人がいると思うから、ここに連れてきてくれないかな?」
稔莉が言葉を切った途端、すぐさま楓は部屋の外へと飛び出していった。
台風が過ぎ去ったような衝撃に、二人が言葉を出しあぐねていると、二人の間で倒れこんでいた影が動き出す。
すっと身構えた二人に対し、少女はゆっくりと手を上げた。
「大丈夫。もう元に戻ってるから」
そのまま立ち上がった珠緒が、二人に対して笑みを向ける。
「かえかえの声が聞こえた……。呪い、解けたんだね」
ぼろぼろになった二人の姿を見て、顔つきを苦笑いに変えながら、珠緒が二人を抱き寄せた。
「ごめんね。きっと無茶してくれたんだよね……ありがと……」
「やめろ気持ち悪い」
「もう、まっきーったら照れ屋なんだから」
すぐに身を離した蒔枝を、珠緒はさらに強い力で抱き寄せる。
「照れてねえよ。あと体中痛いから無理に動かすな」
「ご、ごめん……」
慌てて手を放した珠緒は、稔莉の方へと向き直る。
「みのりんも、無茶しないでって言ったのに、そんなにぼろぼろになって……」
「私は足を踏まれただけだから、実はそんなにぼろぼろじゃないよ」
差し出された稔莉の足を見て、珠緒の顔が真っ青になる。
「こんなに青くなって……もう、ほんとに……」
ぽろぽろと言葉と共に、珠緒の瞳から雫がこぼれた。自責の念に落ちる少女の頭を、蒔枝と稔莉の手が優しく伝う。
「無茶したのは私達なんだから、気にしちゃ駄目。ね?」
「そうそう。いつも通り、馬鹿みたいに笑ってりゃいいんだよ」
優しくかぶせられる二人の言葉に、目頭を袖でこすりながら、こくこくと珠緒が頷いた。それにあわせたように、講義室に声が響く。
「ちょんまげの兄ちゃん連れてきたぞ!」
「ちょんまげじゃねえって言ってんだろ!」
三人のもとに、言い争いをしながら涼と楓が小走りで近づいてくる。そして珠緒の顔を見た途端、楓がおおと声を漏らした。
「おたま姉、なに泣いてんの? いっつも人に泣くなって言って来るくせに!」
見慣れた楓の様子に戻っていることを改めて実感した珠緒は、再び湧き上がる情緒に顔を両手で覆った。
「な、泣いてないし!」
「嘘つきー! 絶対泣いてるもん!」
「うっさい! かえかえのくせに生意気!」
「かえかえっていうなー!」
未だに顔から手を放せない珠緒に食って掛かる楓の様子が、その場全員の笑みを生んだ。
呪いが解けたという安堵が、場を支配した。そんなことを微塵も理解していない楓は、周りの様子を見て大きく疑問符を浮かべる。
「というか、そもそもなんであたしはこんなところにいるんだ? 知らない人いっぱいだし、訳わからんし」
混乱する楓に状況を説明しようと、珠緒が口を開いた瞬間、言葉は新たな来訪者によって遮られる。
「楓ちゃん!」
神社から戻った柚子が、早足で楓の元へと駆け寄った。




