通わない童女15
「な、なんじゃ?」
混乱するウズメの視野に合わせるように、稔莉はしゃがみこんで顔を覗かせた。
「ふふっ。合気道って知っていますか? 私、こう見えて結構強いんですよ」
ニコニコと力こぶを作り微笑を送る稔莉を見て、ウズメの眉間にしわが寄る。
「そんなことより、貴様、なぜ動けるのじゃ」
確かに深い眠りに落としたはず。実際、力なく倒れこんでいたはず。
そんな稔莉が余裕の表情を浮かべていることに、ウズメは違和感を覚えた。それに解答するように、稔莉が話しを始める。
「不思議ですよね。自身の力は確実に通った、私はすやすや眠るはず、ところがどっこい」
「いらいらするのう。さっさと話さんか」
ウズメは稔莉ののらりくらりとした解説を遮った。
やれやれといった様子で手錠をくるくる回しながら、稔莉は再び口を開いた。
「山上さんがここから出たとき、違和感を感じませんでしたか?」
「違和感?」
「そうです。まさに今と同じ、眠らせたはずなのにな、という違和感を」
「それがどうしたのじゃ」
稔莉はポケットからぽち袋を取り出した。
「答えはこれです」
ぽち袋を逆さまにすると、黒くきめ細やかな、無数の糸が地面へと落ちていく。ゆっくりと身体を起こしながらウズメは、物体を手に取った。
「これは……髪……?」
「そう、髪です」
自信ありげに話す稔莉の様子を見て、ウズメは慌てて自身の後ろ髪へと手をやった。
以前珠緒の体を支配したときにはあったはずの長い髪が、肩口にまで短く切りそろえられていることに、ウズメはようやく気がついた。
「貴様、どこでその知識を?」
「はて、なんのことでしょうか?」
「とぼけるでない。これは巫女の髪じゃろうて」
それを聞いても惚けた表情をする稔莉の胸ぐらを掴もうと、ウズメが腕を伸ばす。
しかし、ウズメの手は虚空を掴み、再び体が地面へと投げ出される。
「ふふっ。乱暴なのは嫌いです」
「どっちが乱暴じゃ」
稔莉によって地面に伏せられたウズメは、すぐに立ち上がり稔莉から距離をとった。
「巫女の髪があると、ワシの力は通らん。それをどこで知ったかと聞いておるのじゃ」
自身を指差しながら、ウズメが稔莉を見定めるような目を向ける。稔莉は軽く腕を伸ばしながら、その目をするりとかわした。
「単なる推測ですよ。神立の巫女には呪いを遠ざける力があるというじゃないですか。そこで考えたんです。珠緒ちゃんの体の一部を借りれば、ひょっとしたら何かあやかれるんじゃないかって。かといって四肢を捥いでお借りするわけにはいきませんから、試しにこれを使っただけです」
稔莉は地面に落ちた髪を摘んでウズメのほうへと向ける。
「古来から髪は神聖なものとして扱われていましたから。山上さんにも、御守として同じものを渡してあります。なので彼に何も起こらなかった時、仮定が確信になったわけです」
ウズメは黙って稔莉の解説を聞いている。その様子を見て、稔莉が言葉を付け加えていく。
「呪いについて知識を集めるため、日本中の文献を漁りました。図書館に納められているものから、個人の手記まで、ありとあらゆる文献を。何なら私の頭の中を覗いてみてはいかがでしょうか?」
にっこりと自身の頭を指差す稔莉を見て、不機嫌そうにウズメは舌打ちをした。
「その物言いからすると、ワシが貴様の頭の中を覗けんこともわかっておるんじゃろ」
「理解が早くて助かります」
稔莉はくるりと愉快に身を翻した。
「私が集めた知識は、諸々の呪いに対する情報と、神様の力にはきちんと上限があって、心を読むことができる人間には、呪われているという条件があるということです。それ以外の部分については、この場で、あなた自身が教えてくれました。あなたに対して物理的な拘束は意味がない、でもこの髪があれば私達は眠らされずに済む。ああ、でも、蒔枝さんが吹き飛ばされていたところを見ると、この髪も万能ではないようですけど」
今度は蒔枝のほうから舌打ちが聞こえてくる。稔莉はへらりとそちらに笑みを向けた。踊るように動く稔莉にウズメの指が向けられる。
「なるほど。ということは、本格的にワシと喧嘩をしに来たわけじゃな? そのご自慢の知識と合気道で」
ぴたりと向けられた指先に合わせ、稔莉の動きが不自然に止まった。少し声を漏らした稔莉は、動かなくなった身体を気にする様子もなく口を開いた。
「いえいえ。私は喧嘩をしに来たわけじゃありませんよ。ただの時間稼ぎです。私、勝てない勝負はしない主義なので。それより、そんなに頻繁に力を使っていいんですか? 私がわざわざ解説せずとも、ご自身でお分かりですよね?」
「ああ、もちろんじゃ。なに、貴様らを押さえ込む程度の力、瑣末なものじゃ」
ゆっくりと降ろされるウズメの指先に従うように、稔莉は地面へと倒れこんでいく。
「貴様らは勘違いをしておるのう。いくら時間を稼ごうと、ワシは一分もあれば病院まで移動できるのじゃ。時間稼ぎには少々タネが足らんかったようじゃのう」
ウズメはちらりと講義室の時計に目をやる。いつきが部屋を出てから十分ほどしか経過してないことを確認し、ウズメがにやりと笑う。
「本来ワシは手荒いことは好まん。じゃが、貴様のような生意気な小娘には、多少仕置きが必要じゃのう」
横向きに倒れる稔莉のそばまで近づいたウズメは、思いきり右足を振り下ろした。鈍い音と共に、稔莉の右足に鋭い痛みが走る。稔莉の短い悲鳴が講義室内にこだました。
「せいぜいそこでうずくまっておれ」
痛みに震える稔莉を一瞥し、ウズメは講義室の出口へと向かった。
身体をよろめかせながら道を遮る蒔枝を小さな動きでなぎ払い、ウズメは講義室の扉に手をかけた。かちゃりと施錠の外れる音が響く。
「ちょっと待ったー!」
扉を開いた途端に響いた声に、ウズメは呆れたように振り返る。しかし、声の主を見た途端、ぎょっとしたような表情を浮かべた。
「さてはお前悪いやつだな! あたしを無視して行けると思うなよ!」
明るくはつらつとした声がウズメを突き刺さした。倒れていた蒔枝と稔莉がにやりと笑みを浮かべた。
「ど、どういうことじゃ……?」
ウズメはわなわなと身を震わせながら、先ほどまでは意識もしていなかった小さな姿を見つめる。
視線の先には、今にも殴りかかりそうな剣幕でウズメを睨みつける元沈黙童女、柏村楓の姿があった。




