通わない童女11
俺はもやもやした感情のまま一日を過ごした後、メッセージアプリで珠緒から送られてきた集合場所へと向かう。
指定された場所は、何故か都塚が通っている大学だった。彼女の呪いを解決した日から久々の訪問になる。
かつて都塚を探し回った経験から、俺はいとも簡単に約束の場所へと到着した。
携帯電話で時間を確認し、少し早い到着に脱力を感じていると、とんとんと肩に衝撃が走る。振り返ると、そこには都塚と安中の姿があった。
「また会いましたね。こんなところでなにしているんですか?」
ニッコリと笑いながら、都塚が尋ねてくる。
「人を待ってるんだ」
「人? わざわざこんなところで待ち合わせしてるのかよ」
俺の返答に、怪訝そうな様子で今度は安中が並んで口を開く。ごもっとも過ぎる疑問に、俺は小さな苦笑いだけを返した。
「まあいいけど。あんまり怪しい様子でうろうろしてると目立つぞ」
まっすぐ過ぎる安中の言葉に、相槌と再びの苦笑いが生まれる。ホームでない場所というだけで、十分すぎるほど俺は萎縮しているらしい。
「案内が必要なら言ってくださいね」
「いや、大丈夫。ここで待っていれば来るはずだから」
「そうですか。あっ、そうだ」
会話が終わりそうなタイミングで、都塚が何かを思い出したようにコートのポケットを探り始めた。コートから出てきたのは、表面に御守と書かれた小さな布袋だった。
「これ、さしあげます」
急に差し出された御守りが、冷たい風に揺れる。それを眺めたあと都塚を見たが、彼女は笑みを浮かべるだけでそれ以上のことを言う様子もない。
「こ、これは?」
「御守りです。なんだか死相が見えるので、プレゼントします」
「えぇ……」
唐突な宣告に、思わず俺は一歩足を下げる。なんということだ。しぶといという言葉は人生で何度も言われたことがあるが、死にそうだというニュアンスの言葉は始めて受けた。
「あはは、冗談ですよ。私にそんなものは見えません」
都塚はにんまりと笑いながら、こちらに更に深く御守りを差し出した。
「安全祈願です。せっかくなんで持っていてくださいな」
「あ、ありがとう」
呪い云々に触れることが増えてきたことで、不思議な出来事へのハードルが確実に下がっているようだ。こんな些細な冗談にも真面目な反応をしてしまった。
少し照れ笑いを浮かべながら、俺は御守りを受け取る。受け取られたそれを見て、都塚は満足そうに頷く。
「本来であれば、連絡もよこさないような不届き者には罰を与えたいところですが、今日のところは勘弁してあげます」
笑顔を浮かべていた都塚は、一転してむくれた顔つきになる。斜め下からこちらを見つめる視線がしっかりと俺に突き刺さった。
連絡……ああそうか。連絡先をもらって以来、一度も連絡をしていなかった。都塚の横で、彼女に同意するように頷いている安中の様子が見えて、急に申し訳ない気持ちが芽生えた。
「ほんとごめん。ばたばたしてて、つい」
両手を合わせながら、言い訳の定番のような言葉を並べた俺に対し、都塚と安中は顔を見合わせて息を噴き出した。
「真面目ですね。もう、冗談ですよ。大変だってことはわかっていますから、そんなに真剣に受け取らないでください」
「そうそう。手伝えることがあるなら手伝うってだけなんだから、何かあれば教えてくれよ」
二人は並んで俺をからかった後、ゆっくりと俺の横を通り過ぎて行った。手に残った御守りを見つめて、溜息がこぼれた。
そこから間もなくして、入口の方からやってくる珠緒の姿が見えた。
「早いねいっつん。何で疲れた顔してるの?」
「なんでもない」
目に見えるほどの疲れた様子はかもし出していないと思っていたが、出来事が一つ通り過ぎていったことで、女子高校生に見抜かれるほどには顔に心情が出てきていたらしい。
「そっか。もうすぐゆずゆずとかえかえとまっきーが来るから、ちょっと話がしやすそうな静かなところに行こうか」
珠緒はあっさりとそう言って、すたすたと歩き出してしまう。
「静かなところって、大学のこと詳しいのか? ちょうど知り合いがいたから詳しくないなら聞いてみるけど」
「大丈夫だよ。私にはなんでもお見通しなんだぜ」
俺の打診も織り込み済みだったかのように、慣れた足取りで珠緒は大学内を進んでいく。
「だいたいなんで大学に集合なんだよ」
「なんでって……なんでだろうね。なんとなく?」
場所を指定した本人とは思えない発言に、膝ががくんと下がる。
「せめて他の三人を待ってから移動する方がいいんじゃないか?」
「うーん。私の勘が告げているんだよ。移動中にきっと合流できるって」
「なんだそりゃ」
珠緒はまるで動物のように嗅覚だけを頼りに行動しているようだ。大体のことが上手くいくという自信がそうさせているのかわからないが、るんるんと歩く少女の行く末を勝手に心配してしまう。
そんな心配に反して、目の前から柚子と楓が並び歩く姿が見えた。
「ほらね。二人ゲットだよ」
珠緒は小走りで二人の元へと向かう。馴染みのない場所に入り込んだことで、柚子は周りをきょろきょろと見回していたが、楓のほうは相変わらず大人しく柚子の横を歩いている。珠緒に声をかけられ驚いた様子の柚子と、驚く様子も見せない楓は、そのまま珠緒に肩をつかまれ誘導されていく。
事案を黙認しているような複雑な感情を抱きながら、俺も三人の後を追った。
以前都塚と話をしたアトリエを更に過ぎた大きな講義室で、珠緒の足が止まる。
「ここ、いい感じだね」
教室に入り込み、うんうんと首を立てに振る珠緒に続き、俺はおずおずと室内へと入る。
「大学ってのはこんなにでかい教室で授業を受けるんだな」
オープンキャンパスに来た学生さながらの俺の言葉が講義室に響いた。講義室は百席ほどのキャパシティがあり、休みの日ということもあってか俺達以外には誰もいない。完全に不法侵入であるが、ずいずいと進む珠緒はそんなことを全く気にしていない様子だった。
こんなところで講義をしようものなら、後ろの方は何でもし放題じゃないか。
「絶対緊張するよね。喋る側がさ」
迷うことなく最前段の教卓まで進んだ珠緒は、一番前から講義室全体を見渡している。結局蒔枝さんをピックアップすることができなかったが、はたしてどうするつもりなんだろうか。
「たまお姉ちゃん。こんなところで何するの?」
珠緒の元までぎりぎり届きそうなボリュームで、柚子が至極真っ当な意見を述べた。その言葉で腕を組んだ珠緒は、教授を模したような語り口で言葉を返す。
「きみ、いい質問だね。こんなところに来て何をするか。実はね、かえかえを元気にするために、特別に病院の先生を呼んでいるのだよ」
珠緒の声が講義室内に響き渡る。
声と同時に入り口に向けられた指先を追って、俺達は視線を動かす。指の先には腕を組んでこちらを見る、白衣姿の蒔枝さんの姿があった。
既視感しかない展開に、俺の口から笑い声が漏れた。
「おいなに笑ってんだよ」
「すいません。なんか昨日も同じシーンを見た気がして」
「私だってこんなことになるならあと五分ゆっくり来ればよかったと思っているよ」
蒔枝さんの口からは、呪詛と溜息が漏れている。
「よくここがわかりましたね」
「ああ、なんとなくな」
なんとなくで俺達のいる場所までたどり着くなんて、彼女の方がよっぽど巫女力とやらがありそうだ。
「さて、早速ですが先生。そこのツインテールを診てやってくださいな」
講義室の前段から、珠緒が楓を指差し蒔枝さんに行動を促す。せっかくの広い講義室だというのに、蒔枝さんは入り口近くの最後列の席に腰掛けた。
「じゃあこっちにきてくれる?」
蒔枝さんは童女二人を優しく手招きした。二人は招かれるまま、蒔枝さんの前の席に腰掛けた。俺も釣られてそちらの方へと歩みを進め、向かい合う三人を立ちながら眺める。講義室内には、前の方から聞こえてくる珠緒の鼻歌だけがほのかに響いていた。
「私は蒔枝ちゃん。見ての通りお医者さん。さっそく診察を始めようと思うんだけれど」
蒔枝さんはかばんの中から聴診器を取り出し、童女達に自己紹介をした。俺との初対面の時とは打って変わり、優しく声をかける蒔枝さんに対し、反応のない楓の代わりに、隣の柚子が首を縦に振りながら自己紹介を返す。
「そうか。喋れないんだったな」
楓の心音を聞いたり触診をしたり、さすが本職といわんばかりの様子で蒔枝さんは手際よく診療を続ける。ひとしきり診療が終わったのか、彼女はカルテを眺めながら溜息を吐いた。
「細かいこといってもわからないと思うからさくっと言うけれど、身体に問題は一つもない」
目の前の二人を覆うように、ふわりと言葉がかけられる。問題なし、そりゃそうだ。何せ蒔枝さんは数日前に楓の診療をおこなった結果、原因不明で大病院を紹介しているのだから。その事実を知らない柚子は、こくこくと首を縦に振りながら話を聞いている。
「この子は、普段どんな子なの?」
「えーっと……」
質問をされた柚子は、ピクリと身体を震わせて言葉を詰まらせた。楓の詳細について詳しく知っているはずの蒔枝さんが、なぜそんなことをわざわざ尋ねるのかはわからないが、言葉に詰まる柚子に対し、ここは大人らしく、俺の方から助け舟を出してやろう。
「たしかとても元気な子だったんだよね」
「うるさいな。お前には聞いてないだろ」
ぎろりとこちらを睨みながら、蒔枝さんがそう言った。差し出した助け舟に、すぐさま穴を開けられてしまった。
あまりのおっかなさに一歩身を引くと、遠くから珠緒のくすくすと笑う声が聞こえた。なんだよちくしょう。
「と、とっても元気な子です」
俺を庇うかのように、柚子が口を開く。唯一の味方と思われる童女に感謝をしつつ、俺は厳重に口を閉じて流れる会話を聞き取ることに集中した。
「元気っていうのは、とてもたくさん動くの? とてもよく喋るの?」
「うーん……どっちもです」
「それが急に喋らなくなったと」
「……」
きょろきょろと様子を伺うように、柚子が頷きを返している。これでは今までの流れと同じではないか。
「柚子ちゃん、だったかな? 君はどう思う?」
「はえ?」
急に自身のことを聞かれた柚子は、不思議な返事をして背筋を伸ばした。蒔枝さんの質問タイムが続く。
「楓ちゃんがこうなってしまって、悲しい?」
「悲しい……です」
「元に戻って欲しい?」
「戻ってほしいです」
「みんなが元に戻らなくていいと思っていても?」
「……?」
調子よく答えていた柚子の口が止まる。言葉を探しているというよりは、質問の意味がわからないといった様子だった。
それもそのはず、蒔枝さんの質問は楓を元に戻すためのものとは思えない質問なのだから。俺ですらなぜ蒔枝さんがそんな語り口をしているのか良くわからなかった。




