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少女は瞳を閉ざさない  作者: 豆内もず
5話 通わない童女

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通わない童女8

「紹介した病院? 市外のでかい病院だけど」

 珠緒は病院に着くとすぐに蒔枝さんの元へと向かった。休憩室でのんびりと時間を過ごしていたであろう蒔枝さんは、迷惑そうに俺達を出迎え、珠緒の質問に対してしぶしぶ答えを返した。

 ほとんど人が通らない廊下には、俺達の話し声だけが響いている。

「私の帰り支度を邪魔してまでそんなことを聞きに来て、何がそんなに知りたいんだ」

「どうせ帰ってすることもないんでしょ。市外の病院ってことは、あの車で三十分ぐらいのところにある病院で合ってる?」

「ああ、そうだよ。それよりだ、私は帰って撮り溜めたドラマを見なきゃならんのだ。決して帰ってすることがないなんてことはないからな」

「はいはい。誰に言い訳してるの」

 蒔枝さんをいなしながら、珠緒は携帯で何かを調べ始める。

 調べものが終わると、彼女は深い溜息と共に肩を落としてこちらを向いた。

「いっつん。落ち着いて聞いてね」

「なんだよ」

「やっぱりかえかえは呪われてない」

「はあ?」

 珠緒の言葉に、思わず俺は目を見開いた。

「どういうことだよ」

「言ったでしょ、呪われている人はこの街から出られないの」

「それはわかってるって」

 またその話かと呆れて返事を返している途中、なぜ珠緒がこの話をし始めたのかを理解してしまい、俺は更に目を見開いて珠緒を見た。

「あれ、ちょっと待てよ」

「気付いたみたいだね」

 ようやく珠緒の不穏な様子について合点が行った。そして蒔枝さんにこの話を聞きに来たことによって、決定打が打たれたということも理解してしまった。

 今日検査結果を聞きに行くということは、既に一度病院に楓は足を運んでいる。市外にある大きな病院、街の外にしっかりと出て行っている。つまり楓は呪われていない。楓に対する俺の考察は、完全に的外れだったようだ。

「上手くいっていると、こんな簡単なことも見落としてしまうんだよ。いいことばっかりじゃないね」

 珠緒は俺の肩をぽんぽんと叩いてから、ふらふらと佳乃の病室がある方向へと消えて行った。頼りにして動いていた俺の考察が空振りに終わったことにより、いよいよ手の打ちようがなくなってしまった。

 これが呪いではないのであれば、楓は本当にどうしてしまったのだろうか。呪いとしか説明できないような症状が、呪いと説明できなくなった今、いよいよ考えが路頭に迷い始める。

「なんなんだ。急に来たと思えば勝手に落ち込んだり、黙り込んだり、こっちまでテンション下がるわ」

 珠緒が立ち去ったことにより二人きりになっていたにもかかわらず、目の前の蒔枝さんを無視していたことに対して、本人からクレームがあがった。

「ああ、すいません」

「何を謝ることがあるんだ」

「いや、ほったらかしにしてたので」

「余計なお世話だよ」

 まだ二度ほどしか会っていないのに、やはりこの女医は俺に対して威圧的な態度をとってくる。

「もう用は済んだのか? 私は帰っていいのか?」

「多分、いいと思います」

「話があるって聞いたからわざわざ帰らず待っていたのに、これでおしまいか」

「えーっと。はい。すいません」

 珠緒の代わりに謝った俺に対し、蒔枝さんはしっかりと舌打ちをした後、踵を返し歩き始める。

 しばらくその姿をじっと見送っていると、蒔枝さんはこちらを振り返りじろりと俺を見つめた。

「な、なんですか」

「いや、止めなさいよ。どう見ても止めるタイミングだろ。お詫びにご飯でもご一緒しませんかのタイミングだろ」

 どうやら彼女と俺は違う文化圏を生きているようだ。俺の人生訓に、今のタイミングで呼び止めるという流れは存在しない。

「いや、でも帰ってドラマを見るって」

「言ってたなそんなこと」

 なぜ他人事なのかはわからないが、話しぶりからして彼女は今暇をもてあましている状態らしい。

「じゃあ飯でも食いに行きますか?」

「やだよめんどくさい」

 なんなんだこいつは。引き止めろといったり、めんどくさいと言ったり、主訴が全くわからない。

 俺が複雑な顔を浮かべている間に、彼女は再び歩き出していた。結局帰っていくのか、本当になんだったんだ。

「なにやってんだよ。ちゃんとついて来いよ」

 今度は振り向くこともせずに、蒔枝さんはそう言った。もう分けがわからなくなってしまった俺は、とりあえず言葉どおり彼女の後を追った。


 病院の時計が午後六時を指し示している。

 待合室では診察を待つ患者がまだそれなりに残っており、がやがやと話し声がもれ聞こえていた。蒔枝さんは目立たないようこそこそと待合室を抜け、かつかつと階段を昇っていく。

「あの、どこに行くんですか」

 待合室からがらりと変わり人気が減った階段に不安を覚え、俺はたまらずそう尋ねた。

 上階には入院患者しかいないはずだ。蒔枝さんは特に返事をすることなく、佳乃が眠っている三階も通り過ぎ、更に上へと上がっていく。

「えっと……」

「つべこべ言わずについて来い」

 まだつべこべすら言えていない。行き先すらも教えてもらっていない。本当に着いて行っていいのだろうか。

「おお、蒔枝ちゃん。どうしたのこんなところで。小児科は午前診だけでしょ?」

 蒔枝さんに疑念を抱き続けていると、上階から白衣を着た男性が降りて来て、こちらに言葉をかけた。

「葛西先生。おつかれさまですー」

 一瞬ちらりとこちらを見た蒔枝さんは、すぐに男性の方に向き直りそう言った。心なしか、俺と話していたときよりも二トーンほど高い声のような気がしたが、おそらく俺の気のせいだろう。

「まとめないといけない資料があったので、残ってたんですよー。葛西先生は当直ですかぁ?」

「そうだよ。でもラッキーだったよ、こんなところで蒔枝ちゃんと会えるなんて。ご飯行こうって話、考えてくれた?」

「んー。やっぱり二人っきりは恥ずかしいですよぅ。なのでぇ、みんな一緒ならいいですよー」

 気のせいではなかった。なんだこの甘ったるい声と語り口は。先ほどまで俺に向けられていたナイフのような態度から一変し、蒔枝さんはこんにゃくのようにへにゃへにゃと会話をしている。

「みんな一緒かー。まあいいや、んじゃまた誘うからちゃんと参加してね」

「私お酒すっごく弱いんで、ご飯がおいしいところがいいですー」

 目の前の男性は、蒔枝の言葉に骨を抜かれたようにでれでれとした顔を浮かべている。

 違いますよ先生、この人すっごいおっかない人ですよ。頭の中で知りもしない葛西先生に警鐘を鳴らしていると、彼とぱちりと目が合ってしまった。

「ところで、後ろの彼は? まさか……彼氏さん?」

 三十歳を過ぎているであろう医師は、こちらを品定めするような目で見ながらそう言った。あらぬ疑いをかけられている。このご時世に、なんてデリカシーのない人なんだろうか。

「もーちがいますよぅ。道に迷ったお見舞いの方を案内してるんですー」

 蒔枝さんは柄にもなく、大きなリアクションで頬を膨らませている。

「なんだそうだったのか。エレベーターを使えばいいのに、わざわざこんなところを通ってるから逢引かと思ったよ」

「そ、そんなわけないじゃないですかぁ。やだもう、私この手の話苦手なんですよぅ」

「ははっごめんごめん」

 蒔枝さんは、更に柄にもなく恥ずかしそうに顔を手で仰いでいる。蒔枝さんのオーバーな挙動に対して何の違和感も覚えていないのか、彼はこちらにお辞儀と挨拶だけを残し下の階へ去っていった。

 去り行く背中を眺め終わり前に向き直ると、蒔枝さんと目が合ってしまう。

 先ほどまで男性医に向けられていたへにゃりとした目とはうって変わり、非常にエッジの効いた眼光だった。

「何か言いたいことがあるなら聞くぞ」

 蒔枝さんから声が下される。段差が生み出す身長差が、更に眼光を鋭くさせる。口を開けば命が終わるかもしれない状況に震えながら、俺は必死に言葉を探した。

「えっと、なんかキャラが違う気がするんですけど」

「見てたのか」

「そりゃ見てましたけど……」

 どうすればあの状況で目をそらすことができるのだろうか。まずいものを見てしまった自覚はあるが、あんなもの避けようがない。

 上がる心拍数と比例して、蒔枝さんの視線の冷たさが増していく。

「んで、どう思った?」

 まずいものを見られたはずなのに、なぜ掘り下げて来るんだよ。くそ、逃げ出したい。

「いや、その……」

 どうせどう転んでも罵声を浴びるのだ。いっそ開き直ってやろう。

「ぶりっこしすぎて結構痛かったです」

 言ってしまった。やってしまった。張り手か罵声か、何かしらが飛んでくるであろうことに覚悟を決め、俺はじっと蒔枝さんの目を見る。

「ふふっ。だよな」

 予想に反して、彼女はさらりと笑った後再び階段を昇り始めた。何がどうなったのかわからないが、どうやら俺の口は正解を導き出したようだ。

 なぜか上機嫌になった蒔枝さんの後に続き階段をのぼっていくと、病院の屋上へとたどり着いた。

 珠緒といい彼女といい、なぜこんな寒い屋上を選ぶのか理由がわからなかったが、鈍い光だけが存在する屋上は、たしかに居心地がよかった。

 蒔枝さんは慣れた様子で歩を進め、高い柵の近くに設置されたベンチに腰掛けた。

「こんなに暗いのによく躊躇なく進めますね」

「昔から悩み事があるとよくここにきてたからな」

「昔から、ですか」

「まあ突っ立ってないでこっち座れよ」

 俺は蒔枝さんの言葉に沿い、ベンチの隣に腰掛けた。俺が腰掛けると同時に、彼女は白衣のポケットから何かを取り出し、俺に手渡した。

 冷たい、何だこれは。目を凝らし見ると、それはどこからどう見ても缶ビールだった。

「え、なんすかこれ」

 彼女は俺の言葉に返事をすることなく、同じものをポケットから取り出し封を切った。弾けた音が鳴り響き、蒔枝さんがこちらを見る。

「晩酌だよ。付き合え」

 言葉と同時に乱暴に俺の缶と自身の缶をぶつけた蒔枝さんは、そのまま缶に口を付け勢いよくアルコールを摂取し始めた。

「ここ病院ですよね」

「そうだけど」

「いいんですかこれ」

「いいんだよ。とっくに勤務は終わってるんだから」

 さらりと言葉を返した彼女は、再び缶に口を付ける。病院で酒という倫理観について問うたのだが、うやむやに答えを返されてしまった。院長の娘が良いと言っているのだ。まあいいか。

 あっさりと欲望に負けた俺は、蒔枝さんに倣い缶ビールを開けた。液体を口に含むと、なんだか懐かしい苦さが口の中に広がる。

 そういえば、佳乃に出会った日以来、全くアルコールに触れることがなかった。泥酔して川に浮かんでいたという記憶がそうさせていたのかもしれないが、飲みたいとも思わなかった。まさかこんな形で禁酒が解かれるとは。

「こうやってほとんど明かりがない中、アルコールでぼーっとしてくると、嫌なこととか上手くいかないことも、実は大したことないんじゃないかって思えてくるんだよ」

 蒔枝さんが唐突に遠くを見ながら語り始める。

「なにか嫌なことでもあったんですか?」

「いや、別にないけど」

 彼女の言葉に、思わずがくんと肩が下がった。だったら今の話はなんだったんだ。

 いや、落ち込んだ俺の様子を悟ってここに誘ってくれたのか。口は悪いが、案外良い人なのかもしれない。

 蒔枝さんはそれ以上口を開くこともなく、ぼーっと遠くを見つめている。シチュエーションのせいもあってか、時々聞こえる溜飲の音にすらどきりとしてしまう。

「そ、そういえば、お酒弱いってさっき言ってたのに、仕事終わりに飲むんですね」

 沈黙に耐えられなくなった俺は、先ほど男性医と話していた内容を思い出し質問を投げかけてみる。蒔枝さんの鋭い目がこちらを見つめた。

「嘘に決まってるでしょ。まあ強くはないけど、飲めないわけじゃない」

「嘘なんですね」

 あんなきゃるるんとした様子で嘘をついていたのかと考えると、目の前の彼女がよりおっかなく見えた。

「あのお医者さんのこと好きなんですか?」

「は? なんでそうなるんだよ」

「いや、すごい豹変っぷりだったので」

 こんな軽口を叩けてしまうなんて、アルコールの力は本当に恐ろしい。デリカシーの欠片もない俺の発言に、蒔枝さんは特に嫌がる様子もなく淡々と答えを返した。

「病院内って派閥とかいろいろややこしいんだよ。だから適当に愛想振りまいてるだけだ」

「全然適当じゃなかったですけどね」

 どっちが素なのかわからなくなるほど、蒔枝さんは徹底してぶりっこだった。本当に、目を瞑りたくなるほどに。

「というか最初に会ったときから僕に対してはかなり棘がありましたけど」

「なんで私がお前に媚を売らないといけないんだ」

「どういうことですかそれ」

「そういうことだよ」

 俺に対しての棘の説明は、なんだかよくわからない表現として繰り出された。初対面から愛想を振りまく必要がないと判断されるほど侮られる風貌をしていただろうか。

「なに、深い意味はないさ。佳乃達の関係者ってことで、気を使う必要がないと判断しただけだ」

 蒔枝さんはそういった後、缶ビールを口に傾けた。気を使わない相手には粗暴になるのであれば、なおさら初対面ぐらい気を使って欲しかったものだが、最初からあのぶりっ子で応対されるよりも幾分かマシだったのかもしれない。

「そういえば、珠緒たちとはいつから知り合いなんですか?」

「……呪われてからだよ」

 ふと口から出た俺の疑問に対し、蒔枝さんは再び遠くを眺めながら答えた。

「あれ、でも呪われてたのってお父さんのほうなんですよね」

「なんだ聞いたのか。そうだ。呪われていたのは私のパ――父親だ」

 蒔枝さんの缶ビールがかしゃりと音を立てて軋む。

「その時に助けてもらったんだよ。関わる様になったのはそれからだ」

 取り繕うように、慌てて彼女は言葉を付け加えた。なんだかかわいらしい一面が見えたような気がして、俺は思わず笑ってしまう。

「なに笑ってるんだよ」

「いや、パパって言いそうになってたんで」

「気付いてたんなら早くつっこめ」

 蒔枝さんはばつが悪そうに頭をかいた。恨めしい表情がこちらを覗く。

「す、すいませんって。いいじゃないですか可愛らしくて」

 珠緒が彼女を軽くあしらう理由が少しわかった気がする。棘まみれな言動のせいで気がつくのが遅れてしまったが、意外と隙の多い人なのかもしれない。

 俺は隣から浴びせられる恨めしい視線が未だに消えないことに焦りを覚え、急いで新たな話題を用意した。

「え、でもお父さんが呪われていたのに、何で蒔枝さんまで知り合いになったんですか?」

 歯軋りが聞こえてきそうな顔つきを浮かべていた蒔枝さんは、一呼吸おいてまた冷静な顔つきに戻った。

「父親の呪いのせいで、私は家から出られなくなっていたんだよ」

「どういうことですか?」

「私の父親は、私を家から出したくない、と願ったんだ。それが呪いになって、私は家から出られなくなった」

「えっと、じゃあ呪われていたのはお父さんだったのに、蒔枝さんが影響を受けていたんですか?」

「そうなるな」

 なるほど。願い事によっては、本人以外に呪われたような現象が起こることもあるのか。いや、都塚達のときもそうだったじゃないか。都塚が呪われていたのに、一番実害を受けていたのは他でもない安中涼のほうだった。

 ふと何かが閃きそうな感覚が頭をよぎるが、ふわりと消えて行った。

「おうおう。自分から聞いといて無視とはいい度胸じゃない」

 ふわりと消えた考えを追いかけていると、隣に座る蒔枝さんがこちらを覗き込んでそう言った。

「ああすいません」

「謝って済むなら警察は要らないんだよ」

 ぺしり、と額にでこピンが飛んでくる。条件反射で身を後ろに引いたが、驚くほど痛みがないでこピンだった。

「何か考え事か?」

「まあ、そうですね」

 呪いの話をしたことによって、先ほどまでの呪いに対する沈んだ気持ちが蘇ってくる。俺は少し迷った後、楓の呪いの顛末を彼女に話した。

 話の間、彼女は大きくリアクションをすることもなく、聞いているのかいないのかも定かではない様子でちびちびとビールに口を付けていた。

「結構あたっていると思った予想が覆されて、ちょっと焦ってるんですよね」

 事の顛末を話し終え蒔枝さんを見ると、彼女はこちらをとろんとした表情で眺めていた。直前までとの表情の違いにどきっとしてしまう。

「あの、聞いてましたか?」

「長いよ話が」

 ものの三分程度説明を入れただけで、あっさりとした苦情を述べられてしまった。自分から聞いておいていい度胸だという言葉をそのままそっくり返してやりたい。

「そうだな。お姉さんからアドバイスできることがあるとすれば、予想なんてものは外れてなんぼだよ」

「そうなんですけどね」

「一個の推測に支配されると、少し道を外れただけで慌てふためいてしまう。んぅ。そんなときは、もう一度ゆっくりと今ある情報をまとめて、諦めず推測をたてるしかないんだ」

 人差し指を立てながら語る蒔枝さんは、酔いが回ってきたのかゆらゆらと揺れながら言葉を説いていく。

「だからぁ、悩んでる暇があったら、しっかりーと、落ち着いて次の手を考えればいいんらよ」

「らよ?」

「うるせえ」

 ぴしり、と再びでこピンが飛んでくる。かわしてもいないのに、彼女の指は俺の前髪を掠めるだけだった。缶ビール一缶でここまではっきりと酔いが目に見えるとは、酒が弱いといっていたのは本当の話なのかもしれない。

「とにかく、がんばるといい。暗い顔をされると、こっちまで気分が悪くなるんだから」

 蒔枝さんは、ふんと唇を尖らせてそっぽを向いた。お酒の力によって、随分と表情が豊かになっている。酔っ払いからの激励ではあったが、今の腑抜けた俺には十分すぎる激だった。握った缶に力が入る。

「ありがとうございます」

「やめろやめろ。感謝されることはしてない」

「いや、でも、ありがとうございます。なんか元気が出ました」

 先ほどは推測でしかなかったが、目の前の彼女は間違いなく俺を励ますためにここにやってきたのだ。口は非常に悪いが、言葉にこめられた思いやりを感じ、なんだか旧知の知り合いと喋っているような気分になった。

 先ほどのぶりっ子同様、普段の口の悪さは、悪い人のフリをしているだけなのかもしれない。

「ぶっちゃけると、最初は口の悪いおっかない人だなって思ってましたけど、まっきーさんいい人ですね」

 勝手になれなれしくなった気持ちが、言葉として口をつく。屈託のない俺の言葉に、彼女は立ち上がりこちらに指を指した。

「何がまっきーさんだ。わ、私はいい人なんかじゃない」

「いやでも、ここにつれてきてくれたのも、俺が暗い顔してたからですよね。お酒もそんなに強くないはずなのに、わざわざ励ますための口実に……」

 彼女がこちらに向けていた指がわなわなと震え始める。そのままなぞって顔を見ると、薄暗いのにはっきりとわかるほど顔を赤らめている蒔枝さんの表情が映った。

「ばっ、馬鹿が。別にお前のためにここに来たんじゃないぞ」

「つ、ツンデレ……?」

「だーれがツンデレだ! 馬鹿! タコ! マヌケ!!」

 ぶんぶんと揺れる指先に呼応して、蒔枝さんの語彙力が低下していく。なんて面白い生き物なんだろうか。凍てつくような視線を携えていたはずの彼女が、目の前で子どものように動いている。

 お酒の力なのか、はたまたこれが彼女の地なのか。そこのところは定かではないが、もう彼女に対して怖い人という印象は抱けなくなっていた。

「もういい! 帰る! これ捨てといて!」

 手に持った缶ビールをベンチに置き去り、蒔枝さんは出口の方へと去っていた。

 出口近くでふぎゃんという怪奇な声とがんという鈍い音がが響いたが、すぐに足音は消えてなくなる。転んだのか、ぶつけたのか、彼女のプライドもあるだろうから、聞かなかったことにしよう。

 残された缶ビールを持ち上げ、俺もベンチから立ち上がる。あれだけ酔った様子だったのに、蒔枝さんの缶はまだまだしっかりと重みを残していた。

「お酒、本当に弱かったんだな」

 励ましを与えてくれた彼女に感謝の念を抱きつつ、俺は佳乃の病室へと向かった。

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