通わない童女4
「十一月二日? 覚えてないな」
顎に髭を蓄えた教諭が、頭を傾けながら日報越しにそう答えた。
「何でもいいの。なにか無いかな?」
「何でもって言ってもなあ」
まくし立てる珠緒に対し、教諭は困り顔を浮かべ髭を指でなぞる。
翌日になり、学校が終わるや否やすぐに楓が通う小学校に足を運んだ珠緒と、それに引きずられるように同伴している俺は、楓の担任である教諭に聞き込みを開始していた。
どうやら珠緒が在学中からいた教諭のようで、彼と珠緒はそれなりに顔見知りらしい。その強みを生かし、珠緒は追求を続ける。
「ほら、いじめが発覚したとか、仲間はずれにされてたとか、給食がものすごくまずかったとか、何でもいいんだよ」
「とはいえもう三ヶ月も前のことだからなあ」
ぱらぱらと日報をめくりながら、彼は過去のことを思い出すように上を向いた。
「そうだな、特に変わった一日じゃなかったな」
思案が終了したように、ぱたりと日報を閉じた教諭は、腕を組んでじろりと俺の方を向いた。
どこに行っても怪しい人物君の称号を返上できないのが非常に辛いところではあるが、この視線にもしっかりと馴れていかないといけない。俺はごくりと息を飲む。
「ほんとに? 時間割は? 行事は? 献立は?」
教諭の返事を聞いた珠緒は、尻込みする俺を他所に教諭に質問をぶつけ続ける。給食に対するこの異常なこだわりはなんなんだろうか。
「時間割もいつも通りだし、行事も何もなかったよ。ちゃんと日報確認したんだから勘弁してくれよ」
教諭は言葉と一緒に溜息を吐き出した。どうやら有力そうな情報は何も持っていないらしい。
「なんだよう。まあいいや、ありがと。ちょっとだけ学校うろつくけど許してね」
言いたいことだけ言って、珠緒は踵を返した。おいという教諭の声を背に、俺と珠緒は職員室を出る。
「さすがにすぐにわかりはしなかったな」
「こんなもんだよ。何ヶ月も前のこと、はっきりと思い出せって言っても無理があるしね。ゆずゆずとか先生の反応見てわかるけど、きっと本人以外からするとそんな大きな出来事じゃなかったんだよ」
逆を言えば、十一月二日の出来事について心当たりがあるのは、他でもない柏村楓自身なのだ。
その本人から伝達の意思が奪われている以上、これが呪いであれそうでなかれ、解決には時間を要するに違いない。
「先が思いやられるな。佳乃が目覚めるのを待たなくて正解だな」
「というかよしのんがいても、多分一緒の動きをしなきゃいけなかったよね」
都塚や垣内のときとは違い、本人に意思がない分、心でも読めない限り出来事を引き出すことは出来ない。確かに佳乃がいても周りへの聞き込みを頼りに解決を図るしかない。
そこまで考えたところで、佳乃がよく言っていた言葉を思い出した。
「あれ、そういえば佳乃は心を読めるどうのこうの言ってなかったか?」
「心を? あはっ。なに言ってんのそんなわけないじゃん」
「えっ」
佳乃が頑なに否定しなかった超能力を、珠緒はあっさりと切り捨てた。もちろん心の底から信じてはいなかったが、こうもあっさり否定されるとは思っていなかった。
「いっつん変な顔」
「酷いことを言うんじゃないよ」
虚を突かれて顔を歪ませていた俺に対しても、珠緒は容赦がない。
「でもまあ、よしのんがそう言っていたなら、あながち間違いとも言い切れないのかもしれないね」
「なんだそれ」
「ううん。なんでもないよ」
意味深な言葉だけを残し、珠緒は跳ねるように楓の教室へと進んでいく。
「なんだってんだよ」
とりあえず言葉を吐いてみたが、誰の返事が返ってくるわけでもなく、俺は跳ねる珠緒を追いかけた。
「なつかしー! 机ちっちゃーい」
跳ねる勢いでそのまま教室に入っていった珠緒は、教室を見回して更に嬉々として飛び回った。珠緒の言うとおり、並べられた机は大人になった俺達からするとミニチュアのように感じられた。
放課後でがらんとした教室に、薄く夕日が差している。
「かえかえの席は――ここだね」
目的の場所を見つけた珠緒は、失礼しますと小さくつぶやいた後、楓の席であろう椅子に腰掛けた。
「何か分かりそうか?」
「いや全然。座っただけでわかるほど私の巫女力は高くないよ」
巫女力という意味不明な指標をもってしても、現状からは何も読み取れないようだ。
珠緒はそのまま楓の机の中身を漁ったり、教室内をうろついたりしたが、何も発見できなかったのか、ふうと息を吐いた。
「まあそんなに簡単に見つかるわけないよな」
動きが止まった珠緒から目線を外し、俺も教室内を歩き出す。黒板には明日の日付と日直が書かれていたり、教室後ろの壁には『卒業』という習字が並んでいたり、なんだか懐かしい気持ちになった。
「そうか、あとちょっとしたらこの子達は卒業なんだな」
会ったこともない生徒に思いをはせ、俺は習字に並んで掲示されていた時間割に目を通す。
出来事が起こったであろう日は、たしか水曜日だった。国語、体育、算数と、水曜日の時間割に当てはめられた文字列を眺める。
学期が変わると時間割も変わるのか等々、既に思い返すことができない記憶を探ったが、やはり何も思い出すことができず俺は考えることをやめた。
「うーん。やっぱり教室見るだけじゃ何もわからなかったね」
教室を見て回ることに飽きた様子の珠緒は、そんなことを言いながらチョークで落書きを始めている。
「さすがに怒られるぞ」
「消せばばれないよーだ」
黒板に描かれていく気持ちの悪いキャラクターを眺めながら、マイペースな珠緒に思わず笑いがこみ上げてくる。
「なんかさ、お前とか佳乃と喋ってると、呪いなんてほんとはないんじゃないかなって気分になってくるよ」
笑いながら話しかける俺に対し、珠緒はムッとした表情を浮かべた。
「いっつん。私には珠緒って名前があるんだよ。今度お前って言ったらこめかみを突くからね」
手に持ったチョークをこちらに向けながら、ムッとした表情のまま珠緒はそういった。なるほど、珠緒は佳乃に比べて随分と攻撃的な手法を取ってくるらしい。なごやかな雰囲気をかもし出していたはずが、途端に冷や汗を背中に感じた。
「き、気をつけるよ」
「分かればよろしい」
再び黒板に向き直った珠緒は、先ほどの続きからキャラクターを描き始める。
冷や汗を拭いながら珠緒の背中を見ていると、ふと黒板の横に貼られている集合写真が目に入った。
近くで見てみると、ピアノに並んで三列ほどの列を作った生徒達の写真だった。様子を見るに、どうやら合唱コンクールの際に撮られた一枚のようだ。
一人一人の顔を見ていくと、ほとんどが笑顔で写っている写真に、一際目立った表情をしている二人が映った。二列目の真ん中に並ぶ少女とピアノの前でたたずむ少女、偶然にも俺が知っている二人だった。
「おい珠緒、これちょっと見てくれよ」
「なんだね急に」
「いいから、見てみろって」
「命令口調はちょっといただけないなぁ」
小言を言いながらも、珠緒はチョークを置き、写真の前へとやってくる。
「体育館だ、懐かしっ。合唱コンクールかな? 私も頑張って歌ってたなー」
「いや、そうじゃなくてさ、ここだよ」
感傷に浸る珠緒の注意を写真に向け、違和感のある二人を指差す。
「お、かえかえとゆずゆずじゃん」
二列目に並ぶ楓と、ピアノの前にたたずむ柚子の姿を目視し、珠緒が言葉を続ける。
「なんでこんなに不思議な顔をしてるんだろうね」
珠緒の言葉通り、楓は無表情を保っており、柚子の方は今にも泣きそうな表情をして楓の方を見ている。
「日付が十二月になってるから、楓ちゃんの方は感情がなくなった後だとしてだ。何でこっちまでこんな顔してるんだろうな?」
「そりゃまあ、大の仲良しがこんなことになってたら、素直に楽しめないんじゃない?」
珠緒は楓と柚子を交互になぞりながら仮説を立てた。
それもそうか、とあっさりと納得してしまった俺は、この写真も大したヒントにならないことを悟り、大きく溜息を吐いた。そんな溜息と同時に、教室の風がふわりと動く。




