通わない童女1
額に痛みを感じ、俺はハッと目を開ける。視線の先にはなじみの無い白いカーテンと、見慣れない医療機具が映った。痛みを感じた額にはガーゼが貼られ、触るとじわりと痛みが広がる。
カーテンで周りが仕切られているので確実ではないが、どうやらここは病院の一室らしい。どのくらいの間眠っていたのだろうか。ぱたりと意識が途絶えてから、時間が跳んだ様に今に至っている。
「いったい、俺は何を……」
誰に答えを求めるでもない俺の声が虚空を飛び交う。カーテンに反射して返ってきた言葉を受け、眠りにつく前の記憶を辿る。
ウズメとかいう神様が現れて、佳乃が倒れて、そこからの記憶がはっきりとしない。そうだ、佳乃はどうしたんだろうか。
きょろきょろとあたりを見回してみても、やはりカーテンが視界を遮っていて全く状況がわからない。
俺はけだるい身体を起こし、ベッドから降りる。カーテンを一枚めくった先に、学校の制服に身を包んだ珠緒が立っており、こちらを見るや否やにっこりと笑顔を向けてきた。
「おや、目を覚ましたんだね」
一瞬身構えてしまったが、神社での不気味な笑みとは違い、朗らかに笑う珠緒の姿を見て、すぐに身体の力が抜けた。
「一応確認しとくけど、珠緒で間違いないんだよな」
「その言い方だと、いっつんも会ったんだね。ウズメ様に」
今目の前に立っているのは珠緒自身だといわんばかりの言葉を返しながら、珠緒は俺を再びベッドの方へと誘った。促されるままベッドに腰掛けた俺を見ながら、珠緒は置いてあったパイプ椅子に腰掛けた。
「混乱していると思うから、順を追って説明するね」
人差し指をピンと立てて、珠緒は説明を始めた。
「ここは見ての通り病院。神社で倒れていた二人をここまで私が運んできたの」
成人男性を含む二人をどうやってここまで運んできたのかはわからないが、どうやら倒れてからすぐにここに連れて来られたらしい。川の時も含めると、珠緒に運ばれたのは二度目になるのだろうか。いや、そんなことよりも。
「そうだ、佳乃は? あいつも倒れて……」
「焦らなくても大丈夫。ちゃんと隣のベッドで眠っているよ」
珠緒が向けた指の先には変わらずカーテンが揺れているが、その奥に佳乃が眠っているようだ。少し安堵した俺を見ながら、珠緒は再び自身に注意を促すように人差し指を頬に当てた。
「今はね、二人を運んできてから丸二日たったぐらいだよ。いっつんは意外とはやく目を覚ましたね」
「二日……」
何が半日もすれば目を覚ますだよ。と俺は心の中でウズメに悪態をつく。
「よしのんは綺麗に受身を取っていたんだけれど、いっつんはなぜか頭から血を流して倒れていたからびっくりしたよ」
珠緒は俺の額のガーゼを少しはがし、傷の具合を確認した後、ガーゼを丁寧に張りなおした。俺はウズメの胸ぐらを掴みそこなったまま、頭を地面に打ち付けていたようだ。
「簡単に覚えている範囲でいいから、何があったか教えてもらっていいかな?」
珠緒の言葉を受け、俺は事の顛末を珠緒に伝えた。ウズメが出て来ていた時の記憶は、どうやら珠緒の中には全く残っていないらしく、うんうんと険しい顔をしながら珠緒は俺の言葉を聞いていた。
「なるほどね」
俺の話を聞ききった珠緒は、そう言葉を発した後、考え込むように下を向いた。
「ごめんね。うちの神様が迷惑かけて」
申し訳なさそうに、珠緒はゆっくりと俺の額のガーゼを撫でた。
「あれが呪いの元凶っていうのは間違いないんだな?」
「そうだよ。うちの神社の守り神様、兼この呪いの元凶様だよ。本当にごめん」
飼い犬の悪さを謝罪するように、珠緒は深く頭を下げた。
「何も珠緒が悪いわけじゃないんだから、そんなに謝らないでくれよ」
「それは、そうかもしれないんだけれど」
ばつが悪そうにする珠緒は、ふうと一息はいたあと、自身の頬をぱちんと叩いた。
「な、何してんだよ」
「なんでもないよ。ただの切り替えだから気にしないで」
しっかりと赤くなってしまった頬を気にすることも無く、彼女はもう一度ゆっくりと息を吐いた。
「五花の呪いって言うのはね、簡単に言うとウズメ様の心臓なの」
「えっ?」
「あ、今から大切な話をするから良く聞いておいてね」
既に最初の言葉をほとんど聞き逃してしまったと慌てながら、俺は唐突に話し始める珠緒の言葉に耳を傾けた。
「呪いが一つ解けるごとにウズメ様の力が弱まっていって、全て解いてしまえば完全に力を失う。歳月が経つと共にウズメ様の力は徐々に戻っていって、そうしてまた五花の呪いが生まれる。これがウズメ様の呪いのシステムなの」
半分聞き逃していた心臓という単語が、ようやく意味を成した。それと同時に、俺が倒れる前にウズメが言っていた、残された力が僅かなのは佳乃のせいだという言葉の意味が理解できた。そういえば佳乃も呪いを解いていけば呪いの拘束が緩くなると言っていたような気がする。
「傍迷惑な神様だな」
「そうなんだけど、この街が大きな災厄もなく平和なのは、実はウズメ様のおかげなの。定期的に呪われた人がでてくることと引き換えに、この街は平穏を保ってきたわけ」
平和の担保というわけか。なおさら迷惑な話だ。勝手な理論に、自身の顔が曇っていくのがはっきりとわかった。俺の表情を受け取り、珠緒は言葉を続ける。
「安心して。ウズメ様を庇うつもりは無いからね。話を戻そうか。呪いを二つ失って、ウズメ様は焦っていると思うの。だからよしのんに接触してきたんだよ」
「……なるほどな」
「ウズメ様は神立の巫女の身体を借りてしか顕現できないから、私がもう少し注意していればよかったんだけれど……」
一瞬暗い顔つきになった珠緒は、ぶんぶんと頭を振って曇りを吹き飛ばした。
「よしのんが眠っている間にも、ウズメ様は着実に新たな呪いの準備を進めると思う。これまでの二人の頑張りが、無駄になっちゃうかもしれない。でも、今のうちに呪いを突き止めて願いを解決すれば、ウズメ様の力を弱まったままを維持できるはず。そうすれば、きっとよしのんも目を覚ますと思うんだ」
そう言うと珠緒はパイプいすから立ち上がり、右手をこちらに向けた。
「よしのんがいないから呪いを解くことは出来ないし、呪われた人を正確に見つけることも出来ない。途方も無い時間がかかるかもしれないし、全部徒労に終わるかもしれない。それでもきっとできる事はあると思うんだ。もちろん協力してくれるよね?」
言いたいことを全て言い終わった様子の珠緒はにっこりと、俺が手を取るのを待つように佇んでいる。なんと強引なことか。情報の波に飲まれぬよう必死でしがみついている俺に対し、珠緒は有無を言わせず協力を仰いでいるようだ。
決意に満ちた揺るがぬ視線が、俺の拒否権を奪っていく。こういう姿勢に、人と関わらないと決意していた佳乃でさえも屈したのだろうか。
「ノーって言っても手伝わせるつもりだろ」
「ノーって言うつもりなの?」
「言わねえよ。わかった。手伝うよ」
俺はしぶしぶといった顔つきを作って珠緒の手を取った。なんとなく言われるがままに動くことに抵抗があっただけで、俺だって佳乃のために出来ることはしたいと思う。こんな強引な手法を取らずとも、もとより俺は今、あの自分勝手な神に一泡吹かせたくてたまらないのだ。
拒否するという選択肢も、情報を精査するという選択肢さえも、今の俺には存在しなかった。
「よろしい。それじゃあこれからのことなんだけれど」
珠緒は俺の手を放し、再びパイプいすに腰をかけた。
「その前にちょっと聞いていいか」
「どうぞ」
「以前にも、こういうことがあったのか?」
「……なんで?」
「いや、随分と落ち着いているように見えるから」
ウズメが現れていた間の記憶がないにしては、慌てた様子も無く話を続ける珠緒に違和感を感じ、俺は質問を繰り出した。
「ああ、なるほど。落ち着いているわけではないんだけれど、確かに前にも一度同じような状況があったね」
なおも落ち着いて見える珠緒は、記憶を辿るように宙を眺めた。
「前にウズメ様が出た時も、こういうことがあったんだよ。五花の呪いが五人に降りかかるって話はしたよね? どのタイミングでそれが起こるかは、ウズメ様の気分と力の残量しだいなの。よしのんと私が出会ってから解いた呪いは、いっつんの知っているものも合わせて六つ。数が合わないと思わない?」
指を一つ一つたたんでいく珠緒を見ながら、都塚と垣内のことを思い出す。俺が知っている呪いは佳乃を含めて三つ。佳乃の呪いが解けていないことを考えると、残り四つ俺が知らない解かれた呪いがあるらしい。
「呪いかかるのは五人じゃないのか?」
「ウズメ様が分け与えられる最大が五つなだけで、全てを解ききる前に新たな呪いが出ることもあるんだよ。つまりね」
珠緒の言葉を整理していると、嫌な想像が頭をよぎり、思わず俺の口が開いた。
「佳乃は、何度か一からスタートさせられているのか」
上手く状況を表す言葉を探し終わる前に、俺は言葉を発していた。
佳乃達によって既に解かれた呪いは六つで、俺と出会ってから解いた呪いが二つ。珠緒は確か、以前神社で残りの呪いを四つだと教えてくれた。俺が佳乃に出会ったのは、五つ全ての呪いがある状態、つまり妨害後のスタートラインのタイミングだったようだ。
推理を深める俺にヒントを与えるように、珠緒が口を開いく。
「何度か、ではないね。私が知る限り呪いが供給されたのは一回。呪いがあと一つになったとき、新たに四つの呪いが生まれたの」
珠緒は右手の指を四本立て、左手の指を二本立てている。
「ウズメ様が現れたのは今回も含めて三回かな。こことこことここね」
珠緒は続けて、折った両手の指を三本くねくねと器用に動かした。どうやらウズメの登場シーンと降りかかった呪いを両手で表してくれているらしい。
「そうか……。佳乃は何度も妨害を……」
ポツリと漏らした自身の言葉で、 俺は理解のピースが埋まっていくのを感じた。
佳乃は呪いを解き続け、あと少し、自分の呪いさえ解ければ終わりというタイミングでウズメの妨害を受けたのだ。そうして一から呪いを解くため尽力し、軌道に乗った今、再び妨害を受けた。状況を理解し、思わず眉間に力が入る。
その様子を見て話が伝わったと悟ったのか、珠緒は話を元の筋に戻していく。
「わかってくれたみたいだね。ま、そういうことで、その時に同じ状況を目の当たりにしているから、ちょっとばかり耐性ができていただけだよ。ちゃんとびっくりもしたけどね。前例通りなら、よしのんも眠っているだけだろうし」
前回と比べると、確かに佳乃が言っていた通りお早い登場だ。佳乃が憤りをぶつけていた理由も、完全に理解できてしまった。それと同時に、より強い憤りがウズメに対して向けられる。佳乃が何をしたっていうんだ。こんなのあんまりじゃないか。
「話を遮って悪かった。これからの話に戻ろうじゃないか」
実情を知ってしまったことにより、俺の中で焦りが湧き上がった。一刻も早く、呪いを解くために動かなければいけない。
「そうだね。よしのんがいない今、とにかく色々なところで話を聞いて、身の回りに不思議なことが起こった人を探さないといけないの。だからまず情報収集をしようと思う」
珠緒はパイプいすから腰を上げ、大きく深呼吸をする。
「それじゃいっつん。私は一足お先に商店街で聞き取りでもしてくるぜ」
「ちょっと待った。俺も行く」
憤りやら焦りやら、いろいろな感情が渦巻いていることもあってか、じっとしていられなかった俺は、珠緒に続きベットから立ち上がった。その瞬間、ふわりと全身の血が下がっていく感覚が身体を襲い、俺は再びベッドへと流れ込んだ。
「あははっ。二日も寝ていたんだから、まだ身体は気持ちほど本調子じゃないみたいだね。ゆっくりと準備してくれていいよ。着替えもしないといけないだろうし、先生に許可も取らないといけないからね」
反論しようにも、情けない自身の醜態に言葉が出ず、俺は珠緒の言葉通りゆっくりとベッドから立ち上がった。そそくさと部屋を後にする珠緒を目で追い、外出の準備を始める。
「というわけで、外出許可をくださいな」
外出準備が済み部屋を出ると、廊下では珠緒が医師に対して気さくに交渉を行っていた。初老の穏やかな顔つきの医師が、珠緒の言葉を聞きニコニコと頷いている。
背後まで近づいた俺の気配を感じた珠緒が、こちらに向き直った。
「あ、手続きさえすれば、いっつんは退院していいってさ」
「えっ」
あまりにあっさりとした雰囲気に、思わず崩れそうなった。
「んじゃいこっか」
「お、おう」
促されるまま、俺は珠緒の後に続き廊下を進む。初老の医師はニコニコと手を振りながら俺達を見送った。
「なんだ知り合いだったのか」
「知り合いも何も、あの人は元呪われた人だからね。なにかと融通を利かせてくれるんだよ。よしのんのことは、あの人に任せていいよ」
珠緒はさらりと衝撃的な言葉を吐いた。
「呪われていた人だと?」
「そうだよ。ここの院長さんね。今はもう普通の人だから、特にいっつんに説明は要らないでしょ」
「そりゃそうかもしれんが」
「よしのんが眠っている今なら、呪いが解けた人たちに協力を仰ぐのも手だと思うよ。ずっちゃんにはもう声をかけてるから、情報があれば教えてくれるってさ」
ずんずんと進む珠緒の背を追いながら、自身の交友関係で頼りにできそうな人物を思い浮かべる。
退院手続きを済ませ、商店街にたどり着くまでに思いついた人物は、結局都塚と安中の二人だけだったことで、自身の交友関係の狭さが明るみになり少し落ち込んだ。
「さてと。とりあえず私は片っ端から声をかけていこうと思うけれど、いっつんはどうする?」
商店街は夕刻近くということもあってか、学生や主婦と思わしき人たちでにぎわっていた。
どうすると問われたが、せっかく二人もいるのだから手分けをした方が良いに決まっている。俺はさっそく聞き込みを開始しようとしている珠緒に一声かけ、逆サイドから商店街を攻めることにした。
聞き込みを開始したものの、漠然と悩み事は無いですか、と聞いて回ったところで、怪しまれて敬遠されることがほとんどだった。
数少ない悩みについての返答も、呪いかどうかの判別のつかないものばかりで、これは確かに途方も無く時間がかかる作業だ、と思い知らされる。
馴染みの土地だけあって、小学校の同級生なんぞもちらほらと見かけたが、情報を持っていないばかりか、お前誰だっけと言わんばかりの視線を向けられたことも、俺の心を寒くさせた。幼き縁というのも、なかなか薄情なものだ。
そんなこんなで時間だけが無常に過ぎ去り、気がつけばもう夜も近い時間帯となっていた。反対側を攻めた珠緒の聞き込みに期待をしつつ、俺は溜息交じりで商店街のタイルを眺め歩く。
「あら、よく会いますね」
聞き覚えのある声が聞こえ、俺は顔を上げた。声の先には元呪われた乙女、都塚稔莉の姿があった。




