隠せない少女15
垣内の様子を見守ることが主となっていてすっかりと本題を忘れていたが、そういえばこの話の大元は呪いを解くことだった。俺と同様にはっとした様子の垣内は、慌てて言葉を発した。
「あっそうですね。思う存分やっちゃってください」
ワンピースをいそいそと袋へと戻した後、垣内は大きく両腕を上に挙げた。
「ふふっ、そんなに大げさなポーズとらなくてもいいよ」
「あ、そうなんですか。いや正解がわからなくって」
「正解なんて無いよ。目を瞑って楽にしてて」
穏やかに微笑む佳乃の言葉通り、垣内は両腕を下げた後、ゆっくりと瞳を閉じた。
「杏季ちゃん。呪いを解くにあたって、私からの確認事項を二つほど」
「はい」
「さっきの袋の中に、ワンピースと一緒におみくじを五枚入れておいたから、呪いが解けたかどうかの確認に使ってね。多分もう、言葉通りの結果にはならないはずだよ」
「あ、ありがとうございます」
どこまでも親切設計な佳乃の振る舞いに、俺はもはや驚きすら感じなくなっていた。垣内も同じことを思っているのか、頷きと謝辞を述べるだけだった。
「じゃあ、二つ目ね……」
歯切れ悪く間を作った後、佳乃は言葉を続ける。
「呪いを解いたら合図をするから、目を瞑ったまま、たまの誘導で神社から出て、まっすぐおうちに帰ること。それから先、何があっても、私が良いって言うまで、私とは関わらないこと。以上」
佳乃の言葉を静かに聞いていた垣内は、少しの間の後、目を開けて佳乃に食って掛かった。
「ちょ、ちょっとどういうことですか。関わるなって、そんなの出来っこないでしょう」
「杏季ちゃん、お目めが開いているよ」
眼前に迫る垣内を、佳乃は静かに静止した。佳乃の空気に気圧されたのか、垣内は慌てて瞳を閉じる。
「説明してください。訳がわかりませんよ」
瞳を閉じながらも、垣内は必死で抵抗の意を示した。それもそのはず、急に突き放すようなことを言われたのだから。
佳乃は動じることなく再び口を開いた。
「私の呪いは人を殺せちゃう呪いなの。今は呪われているから効果のない杏季ちゃんのことも、呪いがなくなったら簡単に殺せちゃうの」
佳乃らしくない鋭い声が垣内の耳に触れる。垣内はピクリと身体をのけぞらせるが、未だ諦めた様子は無い。
「そうは言っても……」
「こればかりは、もうどうしようもないことだからね。諦めて」
佳乃が垣内に言葉を突き刺す。俺がいない間に、都塚との間でもこのやり取りをしていたかと思うと、ぞっとしてしまう。好意を向けてしまいそうな人間を突き放すという行為は、なにより一番佳乃を蝕んでいるはずだ。
刃を向けられた垣内は強く拳を握り、言葉を振り絞った。
「だったら……最初から優しくしないでくださいよ。嫌な先輩でいてくれれば、私だって」
すぐに諦められたのに、という垣内の心の声が漏れ聞こえてくるようだった。少女があえて口にしなかったのは、それが現実になることを無意識に避けた結果なのかもしれない。そんな垣内の想いも虚しく、佳乃は静かに右手を上げた。
「なんてことは無いよ。私の呪いが解けるまでの間、さよならってだけだから」
だから、と佳乃はさらに間を作り言葉を続ける。
「その間、どうか私のことを忘れずに覚えておいてくれると嬉しいな」
垣内が声にならない声を上げたと同時に、佳乃は静かに右手で空を切った。凛と張り詰めた冬の空気は変わらず俺達を包んでいる。
佳乃が静寂を切り裂くように口を開いた。
「終わったよ。あとはよろしくね」
佳乃はそう言って珠緒のほうに視線を向けた。珠緒は溜息を吐いた後無言で頷き、目を瞑る垣内の手を取り神社の外へと促していく。
「ちょっと待ってください。巫女ちゃん先輩、離してください!」
この場を逃せば佳乃との間の何かが切れてしまうと悟ったのか、垣内は律儀に瞳を閉じたまま大声で抵抗している。そんな声に対しても、佳乃は一切の反応を示さなかった。
徐々に小さくなっていった垣内の声は、しばらくの後、完全に聞こえなくなった。
空風が強く吹き、佳乃のポニーテールを揺らす。
「いいのかよあれで」
場が静まり返り、ようやく口を開けた俺は佳乃に問いかける。俺の言葉を聞いたことで我に返ったように、佳乃は静かにその場にうずくまった。
「いいのかな」
下を向き膝に顔をうずめながら佳乃は答えた。
「都塚さんのときもこんな感じだったのか?」
自身が見ていない都塚の呪いを解いた場面を想像して、俺は再び佳乃に問いかける。
「多分こんな感じだったと思う」
「慣れっこって言ってた割に、随分とお疲れの様子だけど」
佳乃はすくっと立ち上がり、俺のほうを見上げた。
「慣れっこだよ。ほらもう元気!」
先ほどまでの垣内を見ているようだ。明らかに大丈夫じゃない様子を誤魔化して振舞っている様にしか見えない。
「もっと自分らしく思いをぶつけていいんだよって、そういえば誰かさんが言ってたっけ」
先ほどの佳乃の言葉をそのままそっくり借りて、俺は佳乃の背中を叩く。乾いた音の後、佳乃はゆっくりと息を吐き出した。
「意地悪だなー」
「そのままそっくりお返ししてやるよ」
「……そうだね。なんだか今日は疲れちゃった」
これ以上隠し立てしていても仕方ないと察した佳乃は、斜め下を向いてつぶやいた。がくりと首を垂れる少女は、気丈に振る舞っていただけで相当なダメージを受けているようだった。
「お疲れさん。やっぱりお前はすごいよ」
「お前じゃないよ、佳乃だよ。はあ……疲れた。いつき君。甘いもの食べにいこう。たまも連れて」
佳乃は本当に疲れた顔をしながら、俺のポケットから財布を抜き取った。これは暗にお前のおごりで飲みにいくぞ、的な展開なのだろうか。言われなくてもそうするつもりだったのに、本人から打診があると少し興が削がれてしまう。
でもまあいい。今日ぐらい、甘いものと佳乃の愚痴をたんまりとたいらげてやろう。示し合わせたわけでもなく、二人同時に伸びをしたところで、垣内の搬送を終えた珠緒が境内に戻ってくる様子が見えた。
「おかえり。ごめんね、あんな嫌な役をさせちゃって」
開口一番に佳乃が珠緒に謝罪を述べた。佳乃の気持ちを俺よりも理解しているであろう珠緒は、あの提案を断ることも出来なかったに違いない。佳乃のために、佳乃が辛くなる行動に協力せざるをえない珠緒の立場を想像して、少女二人が抱える呪いにまつわる重さをひしひしと感じた。
そんな珠緒はふらふらとこちらに近づいてきて、にやりと笑った。それは俺がこの数週間で見たことの無い不敵な笑みだった。
「いやぁ酷い酷い。去り際のあやつの顔ときたら、もうこれは見ておれんかったわ」
けたけたと笑いながら話す珠緒の声は、珠緒の声であるはずなのになぜか違和感があった。心を撫でられているような声に、不快感すら芽生えてくる。
立ち居振る舞いで何かを見抜くなど、普段の俺には到底出来ない芸当であるが、目の前の珠緒が珠緒に見えなかった。
「お前、誰だ」
不気味な感覚が俺の口をついて飛び出た。見知ったはずの人物に対して、俺は今何の確認をしたのかすらよくわからなかった。珠緒は俺の言葉にふふんと鼻を鳴らし、再びけたけたと笑い始めた。
「お前じゃないよ、珠緒だよ、とでも言っておこうかのう。ははっ傑作じゃ」
高笑いを続ける珠緒は、もうどう見ても俺の知っている彼女ではなかった。救いを求めるように佳乃の顔を見ると、こちらも今まで誰にも向けられなかった憤りの表情をしていた。
「随分とお早い登場だね」
高笑いを続ける珠緒をにらみつけながら、佳乃はそう言った。




