隠せない少女5
「さてと」
俺を境内の奥まで連れ戻した珠緒は、仕切りなおしと言わんばかりに大きく息を吐いた。寒さで少し赤らいだ唇が、白い息とともに言葉を吐き出す。
「話は聞かせてもらったよ」
「随分と地獄耳なんだね」
「かわいくない言い方だね。巫女耳だよ、巫女耳」
掃除をしていた珠緒と俺たちとの距離は十メートルほど空いていたはずなのに、しっかりと会話の内容を聞かれていたようだ。
新種の単語を発する珠緒は、不思議と先ほどの剣幕ほど怒った様子を見せていない。
初対面とは思えないほどあっさりと距離を詰められてしまった事により、僅かな余所余所しさもすぐに解けていった。
「あー完全にやっちまったよ。最悪だ」
隣にいる珠緒を無視して、俺は頭を抱えて自己嫌悪に耽った。何も出来ないくせに、助けてもらったくせに、偉そうに佳乃に対して説教をかけてしまった。情けない。
唐突な俺の恨み言に、珠緒は愉快そうに微笑んだ。
「おいおいいっつん。初対面の相手に愚痴は勘弁だぜ」
「ああ、悪い。そうだよな。それで? 巫女様はどんなお説教をくれるんだ?」
「あはは。巫女ちゃんはそんなに偉くはないからね。ちょっと二人っきりでお話がしたかっただけだよ」
あっけらかんと答える珠緒は、どうやら本当に怒っていないらしい。
しかし、今この状態でほとんど面識のない俺と二人きりで話がしたいという珠緒の感情が理解できず、そちらのほうが怒っているよりもよっぽど怖かった。
「お話って……俺からは何もないぞ」
「そんなに警戒しなくても大丈夫だよー。よしのんに比べたらよっぽど何を考えてるか分かりやすいと思うよ」
「もう既に訳がわからんのだが」
俺の怪訝な様子を警戒と取ったようで、警戒心を解こうとしているようだが、これは警戒なんて大層なものじゃない。
言葉通り目の前の少女が何を考えているか全く分かっていないだけである。罵声の一つや二つ覚悟していたのに、拍子抜けだ。
珠緒は一呼吸置いて、箒の柄に顎を乗せた。
「ではでは、せっかくだから質問しようか。いっつんにはよしのんが焦っていないように見えているのかな?」
珠緒はマイペースを崩さず俺にそう尋ねてきた。本当にさっきの内容をしっかり聞いていたようだ。
「まあそうだな。いや、でもさっきのは完全に失言だったと思っているよ」
再び先ほどの後悔が浮かび上がる。自身の力不足やら佳乃の境遇への苛立ちに、それらしい理由をつけて、佳乃を責めていた自分が更に小さく見えた。
しかしそんな後悔に対し、珠緒は変わらずあっけらかんと答える。
「いいんじゃないかな。焦っていないように見えたのは事実なんでしょ? 私もそう思うし。言い方は悪かったかもしれないけどね」
「てっきり佳乃の味方をすると思ってたよ」
「なにをおっしゃる。私はいつでもよしのんの味方だよ」
失言について忠言されると思いきや、意外にも珠緒は俺を庇うような発言をした。
しかしどうやら佳乃に対しての恨み辛みがあるわけでもなさそうだ。いったいこいつは何が言いたいんだろうか。
「やっぱり何を考えてるかわからねえ」
「人と人とが関われば、誰しもがその疑問を持つと思うよ。ましてや初対面なんだから。私だっていっつんの本心や気持ちを全て汲み取れるわけじゃないし」
さすがたくさんの人間の悩みを聞いているだけあってか、もっともらしいことを言うじゃないか。しかし今必要なことは、人生訓を聞くことではないのだ。困惑する俺に、珠緒は言葉を紡ぎ続けた。
「同じように、いっつんにもよしのんが何を考えているかわからないと思うんだ。よしのんはいっつんが思っている以上に不器用で、何でも抱え込もうとしちゃうんだよ」
ただの一般論かと思いきや、話は再び先ほどの場面についての考察に戻る。
「それは、なんとなくわかる」
「よしのん言ってたよ。『いつき君はとっても辛い思いをした人だから、私が助けてあげないと』ってさ。自分も辛いはずなのにね。いっつんが辛くならないように、余裕ぶって振舞ってるんじゃないかな?」
似ていない佳乃のまねをしながら、珠緒はそう言った。
俺の時も、都塚の時も、今回の垣内のことも、佳乃は常に他人本位で動いていたじゃないか。そんな佳乃なら、きっと焦っていてもそれを表に出さないようにするだろう。俺は一時の感情で騒いで、佳乃のそういう気持ちを慮ってやれなかった。
今までの佳乃の言動が思い返されて、胸がざわついた。言語中枢がうまく機能しない。押し黙る俺を一瞥し、珠緒は言葉を続ける。
「もっとよしのんは弱みを見せるべきだと思うの。だからいっつんの言ったこと自体は間違ってなかったと思うよ」
「そうか……」
きっと珠緒は別段俺をフォローしようとしているわけではない。本心で佳乃を想ってこう語っているのだろう。
間違っていないと言われたとはいえ、佳乃に刺してしまった棘が抜けるわけではない。
俺の言葉は単に佳乃が焦っていないように見えたから出てきた発言であって、珠緒が話すような内容を考えて発言したわけではない。それだけでも十分に間違ったものだったと断言できる。
後悔を肩に乗せる俺に、珠緒は話を続けた。
「まあそう落ち込みなさんな。今から話す内容は、決していっつんを責めるために話すわけじゃなくて、よしのんのことを知ってほしいという一心で話すことだから、のんびり聞いてね」
前置きをする珠緒の様子から推察するに、どうやら俺は現段階で後悔を済ますわけにはいかないようだ。珠緒は持っていた箒を置き、段差に腰掛けた。
「いいだろう、のんびりと聞いてやる」
俺は精一杯の決意を固め、珠緒の言葉に耳を傾けた。




