隠せない少女4
「というわけなんだけれど、この呪いの発端になる願いに何か思い当たる節はあるかな?」
ひとしきり説明を終えた佳乃は、垣内に発言を促した。垣内は眉をひそめた後、口に当てた手を離す。
「訳が分からないことばかりですね。そもそも呪いってなんなんですか。相生先輩はなんでそんなに詳しいんですか? あれ、呪われている人には呪いが効かないって言っていましたよね? 巫女ちゃん先輩やお隣のおじさんは、相生先輩と一緒にいて大丈夫なんですか? 巫女ちゃん先輩はなんとなく巫女だから大丈夫なんだろうなとか勝手に思ってますけど、合ってます? お隣のおじさんは死なないんですか? まさかおじさんも呪われて──」
少女は口火を切ったかと思うと、目が回るほどの速さでまくし立てた。
どこから疑問を解消してよいやら分からないが、まず引っかかるところから処理していこうと思い立ち、俺は少女の言葉にストップをかけた。
「おじさんはやめてくれ。徐々にダメージが溜まってるから」
「そこはつっこむところじゃない気がするけどなぁ」
佳乃はそんな俺の様子を見てけらけらと笑っている。なんだ、お前もそう思ってたのかちくしょう。
鋭利な言葉をまくし立てていた少女も、俺の言葉を聞いてさすがに悪いことをしたと感じたのか、再び口を閉ざした。いらない水を差してしまったようだ。
「ごめんごめん、続けてもらって良いよ。なんだったっけ」
話を戻そうとしたものの、話の筋が全く思い出せない。あれだけ長々と話していた少女の疑問は、さらりと俺の頭から抜け出していってしまった。
「こちらこそすいません。お、お兄さん。くくっ。あ、笑っちゃだめですよね」
「笑ってから言うんじゃないよ」
「す、すいません。えっと、お兄さんは呪われてる人なんですか?」
「えっ」
改めて向けられた疑問に対し、回答を模索していると、垣内が続けて言葉を発した。
「相生先輩の呪いが他者に影響あるものなら、お兄さんはなんで生きているのかなって。あ、嫌な意味じゃないですよ。だっておかしいですもん。相生先輩は学校で誰ともしゃべらないし、人を寄せ付けないことで有名なんです。巫女ちゃん先輩と話しているところでさえ、今日初めて見ましたし……あれ、また私ばっかり話していますね」
垣内はそこでもう一度口を塞いだ。話から推察するに、少女の言いたいことはこうだ。
呪いのせいであれだけ人を避けている佳乃が親しげに話をしている人物、すなわち俺は、同様に呪われているのではないか。というより、呪われてでもいないと辻褄が合わない。
確かに言われてみればの話だが、思いの外俺の心には刺さらなかった。
「呪われてるかどうかか。正直俺にはわからんが、今のところ身に覚えはないな」
少女の言葉に返答したとおり、俺自身に降りかかった災難に身に覚えがない。いや、今無職で生活していることも、ひょっとすると呪いのせいだったりするのかもしれない。そうだといいな。答えを求めるように、俺は佳乃を見る。
「なんだねいつき君。私の顔には答えは書いてないよ」
佳乃は頬に指を当てながらそう答えた。相変わらず人の心が読めるような発言をする佳乃だったが、呪いのスペシャリストが持っていない答えを俺が持っているわけがない。
佳乃は垣内のほうに向き直り、少女の問いに回答を述べる。
「おじちゃんの代わりにパーフェクトな回答をすると、この巫女ちゃんと私がお話できるのは、概ね杏季ちゃんの想像通りで問題なしだね」
説明の中でも俺をからかう精神を忘れず発揮している佳乃に対し、俺は壮大な溜息で抵抗するが、彼女は構わず話を続ける。
「あとこのおじちゃんは、私のことを助けてくれるって言ってくれてるから、私がそれに甘えているだけだよ。それ以上でも以下でもないの」
「結局俺は呪われてないって認識で良いのか?」
「ご想像にお任せするよ。都合のいいほうで解釈しちゃって良いよ」
「ご想像って……」
佳乃にはどうやら、これ以上そのことに言及するつもりがないようだ。もう無粋なことはやめておこう。呪いの有無で俺の行動が変わるわけでもないのだから。
「まあそこんとこはそんな感じかな。いろいろと疑問に思っていると思うけれど、思ったことが口に出てしまう呪いがある杏季ちゃんに、一気に考え事を増やすのは酷なことだったかもしれないね」
佳乃が向ける視線の先には、顔色の悪くなった垣内の姿があった。俺たちのやり取りを聞いている間も、少女は律儀に口を手で塞いだままの状態でいたようだ。もごもごと動く様子を見せている手が、少女の我慢を物語っていた。
「今日は一旦おうちに帰って、疑問等々を整理してみない? もしさっきみたいな気になることが出てきたら、メールをしてくれれば良いよ。それなら言葉を我慢して苦しい思いをしなくて済むもんね」
佳乃の問いかけに対して、少女は申し訳なさそうな様子を見せてから頭を下げた。
「相生先輩ほんと優しいっすね。超好きになりました。ぜひまたおしゃ──」
頭を下げた拍子にガードが緩んだのか、少女は佳乃に対する告白を述べ、急いで口を閉じた。
ぺこぺこと何度も頭を下げて携帯を取り出した垣内は、佳乃と連絡先を交換した後、逃げるようにその場を後にした。
「いいのか帰らせて?」
再び三人となった神社で、少女の去り行く姿を眺めながら俺は佳乃に尋ねる。
「いいの。あのままだと疑問ばっかりで一日が終わっちゃうもん」
「まあそうだけどさ」
伸びをする佳乃を眺めていると、本当にこんなに悠長でいいのかと疑問に思ってしまう。
呪いのことを知っているはずの珠緒も、お仕事お仕事と言って神社の掃除を始めてしまった。この場で焦燥感を覚えているのは、どうやら俺だけのようだ。
「こう言っちゃなんだけど、もっと危機感を持ったほうが良いんじゃないか」
「うーん。そうかな? 十分焦っているけれど」
「お前さ、高校三年生なんだろ? ほら、大学とか、今後の進路とか、そういうこと考えたら早いうちに全部片付けておいたほうが良いんじゃないか?」
これではお節介焼きのおじさんだ。小学生の宿題じゃないんだから、そんなに簡単に片付くものでもないだろう。
それでもやはり、佳乃の将来を考えるとのんびりとしている暇はないと思ってしまう。無職の俺が言えた義理ではもちろんないが。
「ふふっ。いつき君、お母さんみたい。お前じゃないよ、佳乃だよ」
俺の焦りに反し、佳乃は落ち着いて言葉を返す。少女の余裕が、徐々に俺の苛立ちを生む。
「高校でもだんまり決め込んでるんだろ? 呪いなんてさっさと解いちまうに越したことはないじゃないか」
「そうは言っても、そんなに簡単には進まないんだから、仕方ないでしょ」
「仕方なくったって、もっとやりようはあるだろ」
「それは……」
徐々に言葉がヒートアップしていく。佳乃本人がそれで納得しているならば、それで良いではないか。なのになんでこんなにも腹が立つのだろうか。訳も分からず、感情がなだれ込む。
「だいたい呪いのことだって、俺は最低限のことしか知らされていないぞ。何をどう協力すればいいのかもわからないしな。そもそも俺は本当に協力できているのか? それとも単に俺が四苦八苦しているのを楽しんでるのか?」
あくまで抑えた声で、俺は佳乃を問い詰めた。自身の口から発せられた言葉かどうかあやふやになるほど論理的ではない発言をしてしまった。
そんなこと佳乃が考えているはずもないと分かっているのに、俺は今、確実に佳乃を責める発言をしている。
俺の苛立ちを受け止めた佳乃は、先ほどまでの落ち着いた表情とは打って変わり、珍しくきょろきょろとゆとりのない表情に移り変わる。
「もちろんそんなつもりはないよ。ご、ごめんね、心配してくれているのに私が上手に出来ないせいで苛立たせちゃってるのかな」
常にある程度の余裕をもっていた佳乃が、初めて俺の顔色を伺って動揺しているように見えた。
「呪いのことも、どう説明すればいいかわからなくて、隠すつもりは全くないんだけれど、えっと」
歯切れ悪く、佳乃は言葉を繰り出す。佳乃からすれば、急に逆上した無知な俺に対し罵声の一つや二つ浴びせてもいい状況のはずなのに、今の彼女にそんな余裕はなく、しきりに落ち込んだ様子を見せている。
そんな様子を目の当たりにして、俺はようやくしっかりと自身の苛立ちの正体に行き着いた。
この数日ではっきりと分かったことがある。普段の様子を見るに、ウインクキラーという呪いがなければ、きっと佳乃は周りから愛される少女として生活できていただろう。
それが今や学校では死神と呼ばれ、誰とも話さず、僅かに話せる人間にのみ本来の姿を見せている。都塚のときだって、呪いが解けた後にもっと楽しい人間関係が描けていたはずだ。
そんな不自然な状況が続くということが、俺には許せなかった。加えて言えば、それを知りながらほとんど力になれていない自分に腹が立っていたのだ。
佳乃の将来に暗雲が立ち込めている理由は、決して佳乃自身の行動に起因するものではないし、これは本来佳乃にぶつけるべき苛立ちではない。しかし一度口から出てしまった言葉は、決して心のうちに戻って来ない。
つまるところ、八つ当たりだ。完全にやってしまった。
「ごめんね……。わたし、どういえば伝わるのか分からなくて……」
「あ、いやそうじゃなくてだな」
本心の伝え方を間違いなく間違えた俺は、この場を取り繕う言葉を探す。眺めた空間には枯葉が靡くだけで、場の空気を取り戻す言葉など落ちてはいなかった。
佳乃は変わらず動揺した様子を見せている。いつも通り茶化してくれれば幾分か楽になれるのに、今の佳乃は想像していた以上に落ち込んでいるようだ。
そんななか、遠くで箒を操っていた珠緒が、ものすごい剣幕で近づいてくる様子が目に映った。枯葉が珠緒に釣られ宙を舞う。
頭突きでもされるのかと思ってしまうほどの近さで、珠緒は俺に詰め寄る。箒の柄が俺の肩に突き刺さった。
「ちょっといっつん。よしのんに何を言ったの? うちのよしのんをなにいじめてくれてるのさ」
「いや、えっと」
「いやもえっともないよ! 私は非常にアンガーだからね! お説教だよお説教!」
先ほどまで驚くほどのマイペースさを見せていた珠緒は、箒をぐりぐりと俺に押し当てながら睨みを利かせて更に詰め寄ってくる。
「たま、悪いのは私だから──」
「よしのんストップ。ちょっといっつん借りるね。よしのんは一旦おうちに帰っててくれるかな」
「えっ、でも」
「いいからいいから」
珠緒は抵抗する佳乃の背中を押し、神社の外まで追いやり、帰宅を促した。
こうなってしまってはもう話が通じないと悟ったのか、佳乃はこちらを気にしながらも帰路についていった。呆然とその様子を見つめていた俺は、再び詰め寄ってきた珠緒に腕を掴まれ、神社の奥へと引きずられた。