明かせない乙女
◇
ゆっくりとキャンバスに筆を重ねる。今となっては慣れてしまった油彩の匂いを吸い込み、私は大きく息を吐く。
数日前、女子高生と青年の二人組に出会ったことで、私を取り巻く環境は大きく変化した。
佳乃と名乗る少女は、私と涼が呪われていると言い放ち、ご丁寧に解決方法まで解説してくれた。
試行錯誤の後、結局まだ事態に進展はないけれど、糸口もなかった状況に少しばかり光明が差していた。
改めて、あの少女は本当に不思議だと思う。呪いについて詳しいだけではない。彼女自身も重い呪いにかかっているはずなのに、瞳の奥にはきらきらと光が瞬いているように見えた。不意に訪れた感傷に色を重ね、私は筆を置いた。
あの二人が帰ってから、それほど時間は経っていない。それでも、私はもうすっかりと趣味の世界に入り込んでいた。
上手くなくてもいい、誰に見せるでもない、そんな絵を描きながら考えに耽る。最高に贅沢な時間だと思う。再びキャンバスに向き合った私は、静かに笑みを浮かべる。
そんな贅沢な時間に水を差すように、携帯電話が揺れた。吐息と共に画面を覗くと、そこには父親からのメッセージが映し出されていた。
『あと一時間ほどで近くを通るので、家まで乗っていきなさい。』
絵文字も顔文字もない、淡々とした文章に背筋が伸びる。昔から厳しい父親が、私はとても苦手だった。
気がつけば、父親の厳しさにあてられないように、無意識に行動できるようになっていた。今回で言えば、父親の厚意の押売りに甘えるのが正解だ。
「どうしよう。佳乃ちゃん達に今日はずっと大学にいるって言っちゃった」
誰に対してでもない呟きがキャンバスに落ちていく。こんなとき、涼がいれば愚痴の一つや二つ吐き出せたのに。仕方ない、彼女たちにはまた後日謝ろう。
画材を片付けていると、部屋の入り口を通り過ぎる見覚えのあるポニーテールの影が見えた。私は急いで後を追い声をかける。
「よ、佳乃ちゃん? どうしたの?」
相生佳乃。呪われた少女。いつでも戻ってきていいとは言ったけれど、こんなに早く戻ってくるとは。しかもこちらの声に気づき、立っているのがやっとという形相で近づいてくる。
「よ、よかった……こんなに早く見つかるなんて……」
ぜえぜえと息を切らし、少女はかろうじてそう言った。ひとまず室内に案内し、椅子に腰掛けるよう促す。
「ご、ごめんなさい、走ってきたもので、ちょっとだけ、待ってくださいね」
「そんなに急いで……何かあったの?」
少女が落ち着くのを見計らって、私はゆっくりと声をかけた。呼吸を取り戻した少女は、笑顔で口を開く。
「私達がまだ試していないことを見つけたので、それを伝えようと思って」
「試していないこと? 涼に伝えるんじゃだめだったの?」
ここまで急いで来たのだから、入れ替わる前の私に話があるに決まっている。それでもなぜか私の口は、わざわざ疑問を返していた。
「どうしても稔莉さんに伝えないといけないことなんです」
「私に?」
「涼さんはお父さんを説得しようと行動しましたけど、稔莉さんはしていないんです」
少女はその後も話を続けた。どうやらこの呪いは涼ではなく、私の願いから生まれたものかもしれないらしく、私自身にもアクションを起こしてほしいとのことだった。
「なるほど。私が父を説得すれば、呪いは解けるかもしれないのね」
「その通りです」
困ったことになった。涼が昨日説得したのに、また今日私が同じ行動をしなければならないなんて。
これも困ったことに、一時間後にはしっかりと父親に話す機会が出来てしまう。父はどう思うだろうか。最近ではめっきり聞かなくなった叱責を飛ばされてしまうのではないだろうか。
「理屈は分かったのだけれど、最初に言った通り、私には願いと聞いて思い当たる節はないの」
逃げ道を考えているうちに、私の口からポツリと言葉が漏れた。しまった。これでは駄々をこねているようにしか見えない。
そんな様子を悟ったのか、少女は真面目な顔つきになりこちらを見つめた。
「稔莉さんは、ひょっとして乗り気じゃ無いんですか?」
私の心を見透かしたような質問に、思わず目線をはずしてしまう。それでも少女は私を逃がしてはくれない。
「答えてください。稔莉さんは呪いを解きたくないんですか?」
「そんなことは……」
「だったら!」
だったら言い訳なんてせずにとりあえず行動しろ、とでも言いたげに少女は声を上げる。どう答えを返せばいいのか、頭の中が混雑し、呼応するように私の言葉は息を止めた。
それを見た少女はポケットから携帯電話を取り出し、おもむろに通話を始めた。
「あ、もしもしいつき君? 稔莉さんは見つかった? そっか。私も四棟を探し終えたんだけれど、まだ見つからないの。また見つけたら連絡するねー」
四棟。まさにこの部屋がある棟である。
どうやら少女は私とわざわざ一対一で話をつけるつもりのようだ。
「嘘ついちゃいました」
少女は悪戯っぽくこちらに笑みを向けながら言葉を続ける。
「さあ稔莉さん。ガールズトーク第二ラウンドの始まりですよ」
ゴング代わりに、少女は持っていた携帯電話を机に置き、真っ直ぐこちらを向いた。
「もう一度言いますよ。呪いが解ける可能性を見つけたので、それをお教えしに来ました。でも稔莉さんはそれを拒否している。なぜでしょう?」
「別に、拒否している訳じゃないよ。ただ気になったから聞き返しただけで」
私の口から出てきたのは、かろうじての言い訳だけだった。言い訳をしているという事実が、自身を更に追い込んでいる気がする。
少女は私の心を読んでいるかのごとく、尋問を続ける。
「やる必要があるのか、なんて質問は、行動を快く思っている人からは出てきません。だから嫌がっているんだなという予想を立てただけです。違いますか?」
「わ、私がお父さんを説得すればいいんだよね。わかったよ、やるよ」
なんとか口を動かした私は、宿題について咎められた小学生のように、慌てて言葉を付け加える。しかしながら、目の前の少女が納得した様子はない。
「もし本当に願いというものに覚えがないのであれば、私達の考えていることはきっと検討違いです。無理をしてもらっても、呪いは解けません。でも、もし隠している気持ちがあるのなら、私はそれが知りたいです。本当の気持ちを聞かせてください。いま稔莉さんが何を考えていて、どうしたいのかを」
演説のように、少女は私に訴えかける。私が渋ったことで、少女はもうちょっとやそっとじゃ納得してくれそうにない。生半可な返答をしても聞き入れてはもらえないだろう。
少女の配慮もあって、ここに邪魔が入ることは恐らくない。少し気が緩んだ私は、自分の中身を整理するように話を始めていた。
「……まとまらないと思うけれど、ごめんね」
きっとこれは、まとまらない話。ゴールのないただの呟き。
「私はずっと、父親が怖かったの。どうすれば父は怒らないか、どうすれば父は喜ぶか、いつしか考えなくてもその理想に叶った行動をとるようになっていた」
これはさっきも考えていたことだ。改めて、自分に言い聞かせるように話を進める。
「だから正直、説得をすることがとても怖い……。父の意思に反する行為をとることが怖い。涼の自由のためにどうしても呪いは解きたいけれど、それと同じぐらい怖いの」
私が父親を恐れていることで、涼の自由を奪っている。父親を恐れないようにするために身につけた生き方のはずなのに、その生き方が呪いのようにまとわり着いている。
そんな私の渾身の吐露に対しても、まだ少女は納得がいっていない様子だった。
「お父さんが怖い、という理由で渋っているのはわかりました」
そんな言葉を発している少女は、やはり間違いなく納得がいっていない。
「稔莉さんは、涼さんに会いたいとは思わないんですか?」
少女の口から、意外な一言が飛び出した。私の行動は、そんなにも呪いを解きたくないように見えたのだろうか。
「何度も言っているけれど、呪いを解きたいというのは事実だよ。間違いない」
「違います。呪いを解きたくないか、解きたいか、なんてことは聞いていません。会いたいか会いたくないかを聞いているんです」
「えっと、何が違うのかしら」
少女の言葉に含有する意味が分からず、まじまじと私は聞き返した。
呪いが解けるということは、自ずと私と涼が再び会えるということなのだから、そこに何の違いもないはずだ。
「うーん。なるほど。じゃあ質問を変えましょう」
少女は詰め将棋のように、じりじりと求める答えへの道筋を立て始めた。
「もし呪いにかかっていなかったら、稔莉さんはお父さんに反対された後、どういった行動をとっていましたか?」
考えもしなかった、呪いにかかっていなかったらの話。
もし反対されていたあの時にそのまま時間が進んでいたら、私はどうしていただろう。考えをめぐらせる。
「そうね。きっと諦めていたんじゃないかな」
意外と簡単にたどり着いた答えが、自然と私の口から発せられた。
「父親の反対を押し切るという選択肢は、きっと私にはなかったと思う」
そうに決まっている。たかだか説得だけでこんなにも渋っている私が、あの状況で抗うという道を選んでいたわけがない。
私の出した答えに対し、少女はようやく何かが腑に落ちたような顔をした。
「ようやく合点がいきました。ありがとうございます」
その言葉とともに、少女は再びきらきらとした笑顔を取り戻した。しかし、やっぱり今はこの笑顔が痛い。少女は笑顔を一度伏せ、大きく深呼吸をしてからこちらを見つめる。
「会ってたかだか数日の小娘が言うことなので、癇に障ったらすいません」
ニコニコ笑う少女は、あまり聞きたくない前口上を述べた。もう一度息を吸った少女は、再び口を開いた。
「願いのことを話したとき、稔莉さんは覚えがないと言っていましたよね?」
「ええ。覚えがないから、そう答えたのだけれど」
「あのとき私は、稔莉さんにも心当たりはあるけれど、事情があって話せないんだと思っていました」
少女は一呼吸置き、ゆっくりと話を続ける。
「けれど、今の問答ではっきり分かっちゃいました。稔莉さんには、本当に覚えがなかったんですね」
分かりきった事をいまさら、と内心呆れながら、私は少女の言葉に耳を傾け続ける。
「稔莉さんは、気づいていないんです。というより、気づかないようにしていたんです」
少女のいい回しが回りくどいのか、はたまた私の勘が鈍いのかは分からないけれど、何を意図した発言なのかまったく私には理解が出来なかった。
しかし、理解が出来ていないはずなのに、なぜか続きを聞きたくはなかった。困惑する私に、少女は優しく微笑んだ。
「私が稔莉さんの呪いを解いてあげます」
そう言って立ち上がり私に近づいてきた少女は、座っている私の頭をふわりと抱きしめた。甘い匂いにくらりと感情が揺れる。
「な、なにを」
「稔莉さんには、気づかないふりをしている感情が、きっとたくさんあるはずです。お父さんのことを気にして、自分の感情を押し殺すことが、稔莉さんはとっても得意なんです。けれど、今回はそれが出来なかったんですね」
少女の全てを理解したような慈愛に満ちた態度に、理由もなく涙が出そうになった。自分の感情を押し殺すなんて、当たり前の話。それが私の生き方だ。
好きな物だって、嫌いな物だって、父親に合わせるよう割り切って生きてきた。涼のことだって、父親を理由に簡単に割り切れているのだ。
そうに違いないはずなのに、大事な引き出しを開けられているような不安感が私の中で蠢く。
「父親に反対されて、それでも好き同士一緒にいたいと思う気持ちを、私は悪いとは思いません」
だめだ、やっぱりそうだ。このままでは突きつけられてしまう。目の当たりにしないといけなくなる。見たくない『自分』を。
「稔莉さんはきっと、自分が思っている以上に涼さんと一緒にいたいんですよ」
混線する思考を纏め上げる前に、少女は私にそう言い放った。
そんなわけがない。確かに呪いは解きたいけれど、私は父親に逆らってまで一緒にいたいとは思わない。
これは少女の妄言だ。私の考えとはちがう。それなのに、少女の言葉に対して私の喉は詰まる。
それは違うという一言を言いたいだけなのに、喉の詰まりがそれを阻害する。そんな私を抱えたまま、少女は言葉を紡ぎ続けた。
「呪いに変わってしまうほど強い願いなのに、気づかないふりをしたんです。気づかないふりをしていることすらも忘れてしまうぐらいに」
「な、なんでそんなこと。そもそも私にかかった呪いだとは決まってないんでしょ?」
ようやく通った喉からは、もはや悪あがきともとれる抵抗の言葉しか出てこなかった。
「ふふっ。それは確かにそうですね。でも、不自然ですよ。願いがないっていうのも、会いたいっていう簡単な言葉が出てこないことも。稔莉さんは、涼さんのことが嫌いなんですか?」
少女の問いに対し、私は無言を返した。それを問いに対する否定ととったのか、少女は話を続ける。
「稔莉さんが涼さんと一緒にいたいと思う気持ちは、お父さんからすれば認められないものなんでしょうね。だから稔莉さんは無意識に避けていたんです。お父さんに反する『自分』の感情と向き合わずに済むように。伝えましたよね? 呪いは叶えようとしなかった願いから生まれるんです。全部の辻褄が合いませんか?」
少女にここまでしゃべらせてしまった後に、ようやく理解させられてしまった。気づかないようにしていた、気づきたくなかった、気づいたらもう抑えこめない、大切な気持ちを。
いままでどんなことでも簡単に割り切れたのに、涼のことは割り切れなかったんだ。割り切れないくせに必死に気持ちに蓋をして、父親の理想に叶う人間であろうとしたけれど、その反面、呪いに変わってしまうほど、涼と一緒にいたいと思ってしまっていた。
呪いはそんな無自覚の好意を逃がしてはくれなかったようだ。
「だめだよ、こんなわたし……」
私は自身に芽生えた『自分の感情』を押し込めるための最後の抵抗を吐く。なにがどうだめなのか、自身でもよく分からなくなっていた。
「だめじゃないです。もっと自分を大切にしてあげてください。お父さんの理想がどうであれ、涼さんのことを大好きな稔莉さんを、私は助けたいんです」
少女の眩しい暖かさが、私の理性に止めを刺した。こうなってしまっては、もう止まらない。
「いいのかな……」
「いいのです」
「きっと怒られるし……」
「私がちゃんと慰めてあげます」
「でもそれでも呪いが解けなかったら……」
「ちゃんと解けるまでお付き合いします」
「……」
「言い訳は終わりですか?」
「――うん」
出来る限りの抵抗は、少女にあっさりと静められる。父親の呪縛は、見事に少女に絆されてしまった。
「じゃあ最後に、私からもう一度質問です。稔莉さんは、涼さんに会いたいですか?」
先ほどの納得のいっていない顔とは違い、今度は晴れやかな笑顔で少女は私に尋ねた。今なら少女の質問の本意がしっかりと分かる。
「……私は、涼に会いたい。」
無意識に無視していた、無自覚の気持ちに気づいてしまった私は、呪いの事なんてどうでもよくなるぐらい、涼に会いたくて堪らなかった。
「私の話を聞いてくれて、大切にしてくれて、ちょっと頭が固いところもあるけれど情に厚くて、困ったときにはいつでも力を貸してくれる——」
「うんうん」
聞かれてもいない内容を話し始めている。これはもはや、少女の言ったとおりガールズトークだ。そんな乙女思考にも、少女は優しく頷く。
「そんな涼が好き、大好き。一緒にいたい、離れたくない」
父親に反対されてから抑え続けていた感情を、ついに言葉にしてしまった。好き、大好き、会いたい。内側から泉のように湧き上がる、好きという感情が止まらない。
恥ずかしい。こんなにも私は恋をしていたのかと、恥ずかしさがこみ上げてくる。
「そこまで言われちゃうと、本人じゃない私まで照れちゃいますよ」
少女はにやりと笑い、私の頭に頬をすり付けた。
「でも、素敵です。なんてロマンチックで乙女チックなんでしょう。今の稔莉さんには、なんだかチューしたくなっちゃいます」
さらりと流せないような発言をする少女に、私は思わずひるんでしまう。それを悟り、少女は静かに笑った。
「冗談ですよー。涼さんに怒られちゃいますし」
少女はそういって私を抱きしめていた手を解き、ふらふらと先ほどまで座っていたいすに再び腰掛けた。その表情は、喜びよりも安堵に近かった。
この部屋に入った段階では、彼女自身もこうなることをきっと予想していなかったのだろう。
私自身ですら気がつかなかった私の感情に気づいて、しっかりと踏み込んできた少女に対し、改めて感心してしまう。
「お二人がちゃんと会えるように、私も全力を尽くします」
こちらを強い目で見つめる少女がとてもたくましく見えた。瞳にかかった私の前髪を、風がふわりと持ち上げた。
「ありがとう佳乃ちゃん。なんだかすっきりした。まだ父親は少し怖いけれど、絶対に説得してみせるよ」
少女に比べると弱々しい私の意思表示が、アトリエに並んだキャンバスに染み込んでいく。
「いえいえ感謝には及びません。私もお二人の幸せにお力添え出来たならなによりです。……まあこうなるきっかけをくれたのは、いつき君なんですけどね」
少女は手を目の前で振り、きっかけの張本人という男性に電話をかけ始めた。
「あ、いつき君? 稔莉さんが見つかったから今から言う場所に来てねー。すぐだよ、急いでね」
少女は悪戯っぽく笑いながら居場所を告げ、電話を切った。
この二人の関係も、今思えば非常に奇妙なものだと思う。私はもう少し目の前の少女のことが知りたくなり、試しに尋ねてみることにした。
「どうして佳乃ちゃんは、山上さんが呪いで死なないって信じているの?」
言ってみた後で、酷な質問をしてしまったことに気付く。お互いそれで納得しているのだから、それでいいではないか。自身の興味本位を呪っていたが、そんな気を知ってかしらずか、少女はあっけらかんとした態度だった。
「大丈夫ですよ。死なないって本人が言ってるんですから」
電話越しと同じように、悪戯っぽく話す少女は、少し考えた後に言葉を付け加えた。
「ただそうですね、強いて言えば、今私が稔莉さんとお話出来ている理由と同じですね」
少女はさらりと言葉を放った後、本人には内緒ですよ、と口の前に人差し指を立て、更に悪戯っぽい表情をした。どうやら少女だけが知っている二人の関係性があるようだ。
ここで私の中に新たな疑問が芽生える。
「えっと、例えば私の呪いが解けたら、私は佳乃ちゃんの呪いの影響を受けるようになるのかしら?」
「そうですね、その通りです」
少女は少し考え込み、ふうと息を吐いてから短く返答する。
なんということだろう。せっかく打ち解けることが出来たのに、私は少女に何もしてあげられないのかと、もどかしい気持ちになった。
「佳乃ちゃん。あなたが呪いで人を好きになれなくても、私はもうあなたのことが好きになっちゃった。だからね、私達の呪いが解けても、何かあったら絶対に助けるからね」
少女の今後のことは、きっと少女が決めること。だから私は、私のスタンスだけを少女に伝えることにした。
「稔莉さん……。ありがとうございます」
少女は私の言葉を聞き、にっこりと感謝の意を述べた。感謝するのは、こちらのほうなのに。
少女は携帯を一瞥し、ぱちりと手を叩いた。
「さあ湿っぽいのは終わりです。これからいつき君がここに来ますが、私がさらりとあしらいます。稔莉さんは、お父さんをなんとしてでも説得してきてください。明日、いつき君に内緒で、学校を抜け出してここに来ます。そこで私が呪いに止めを刺しますので」
少女は急いで今後の予定について話し、私に携帯電話の連絡先を渡した。
その数分後、私を探して必死になって大学中を走り回っていた青年が、あっさりと少女に連れ去られていくのを確認し、意を決する。
そろそろ父が迎えに来る時間だ。涼にはさらりとメモを残しておこう。私の身体を自由に出来る最後の機会だぞ、とでも書いておこうか。
重大な任務の前なのに、なぜだか愉快な気持ちになる。思い立った私は、目にかかる前髪をゴムでくくり、いつも涼がしている髪形の模倣をした。願掛け、というほどでもないが、愚痴を聞いてもらえない分、背中ぐらいは押してもらおうと思う。
荷物をまとめ、大学から出ると、見慣れた黒い車が私の帰りを出迎えていた。いよいよ私が私のために父親と相対するときが来たようだ。額を撫でる冷たい風と、開けた視界が覚悟を後押しする。
ドアを開けて乗り込む車の空気が温いと感じることができたのは、きっと少女が父親の呪縛という呪いを解いてくれたからだろう。
私はゆっくりと息を吸い込み、他でもない、「自分」の話を始めたのだった。