明かせない乙女8
「なにかわかったのか?」
「いや、もう全然。何がなんだかだよ」
大学を出た途端、佳乃はふらふらと自信なさ気な顔を浮かべた。ガールズトークでのトーンとは一転して、沈んだ様子に見える。
「なんだ、意気揚々としていたから、目星でもついているのかと」
「不安にさせちゃだめだと思って頑張ったんだよ。色々と変なリアクションとっちゃったかも。痛い子になってなかった?」
「まあ多少は」
「もう。そこは、いつもと変わらないプリティな佳乃だったぞ、って言ってくれないと」
自分の身代わりに俺のことを痛いやつにするつもりのようだ。さっきの会話よりも、今の発言のほうがよっぽど痛いことに、佳乃はどうやら気づいていないらしい。
「はいはい。で、どうするんだよ」
「どうするって言われても……」
悩む様子の佳乃は、揃った前髪をくるくるといじっている。心なしか、後ろではねるポニーテールも意気消沈気味に見えた。
どうやら感じていた手詰まり感は、気のせいなどではなかったようだ。
「ガールズトークなんてまともにしたことないから、質問を考えるのに必死で、もう稔莉さんがなに言ってたかすら頭に残ってないや」
少し考えた後、頭を抱えながら佳乃が呟いた。あのガールズトークの時に受けた違和感は、俺がその場に馴染めていなかっただけではなく、佳乃自身が慣れないことをしていたせいでもあったようだ。
「じゃあなんでわざわざ色恋沙汰の話なんてしてたんだよ」
「二人にまつわる呪いだから、そこをつつくのが一番かなって思ったの。でもやっぱり、私の読みは間違ってないとしか思えない。佳乃ちゃんはもうパニックフルだよ」
電車の通過を知らせるサイレンが鳴り響く。踏切で足を止めると同時に、佳乃から小さなうめき声が上がる。
こんなはずでは、という恨み言が聞こえてきそうなほど、佳乃はがくりと肩を落とした。
「俺は呪いについて詳しくはないが、それでもやっぱりお前の読みは間違ってないと思うんだよ。二人に降りかかっている呪いの内容的にも、それ以外に原因があるとは思えないんだよな」
「お前じゃないよ、佳乃だよ」
俺の慰めに、佳乃は恨めしい顔でこちらを見る。落ち込んでいてもこの返信は返ってくるようだ。
「あーもうわかんない。いつき君、この踏切が開くまでに何か閃かなかったら、いつき君の奢りでスイーツバイキングね。佳乃ちゃんは甘いものが食べたいのです」
呪詛に紛れて、佳乃はさらりととんでもないことを告げた。慌てて線路の先を確認すると、もう目視できるレベルにまで電車は近づいてきていた。
左右を指し光る踏切のライトが僅かに考察の猶予を表しており、俺は少し安堵した。いや、安堵している場合か。
「はぁ? 無理に決まってるだろ」
「やってみなきゃわかんないよ。ほら急いで急いで」
「くそっ」
にやにやと佳乃は俺を囃し立てる。こんなレクリエーション感覚で財布を軽くされてはたまったものではない。急かされるまま、俺は考えをめぐらせた。
「ずっと一緒にいたいっていう願いと、一つの身体を共有する呪い……」
思いついたことをとりあえず言葉に出す。考えはまとまらない。がたんごとんと一台目の電車が通り過ぎた。左向きの矢印が消える。サイレンは消えない。
昨夜、説得するだけでは解けなかった呪い。別の願いが発端だったのであれば、もちろん説得では呪いは解けない。しかし、他の願いに思い当たる節はないときた。
説得、という形が間違っていたのだろうか。父親に反対されたことが呪いの発端ならば、説得をするという行動はなんら間違った道筋ではないはずだ。
考えが堂々巡りする。これでは同じ場所をぐるぐると回るだけだ。愉快そうにこちらを見る佳乃の先に、小さく電車が映った。
「都塚さんにかかった呪いは、父親を説得することで解けるはずだった」
何度も考えていることを、俺は改めて口に出す。また考えがスタート地点に返ってきてしまった。
都塚稔莉と、何某の涼。二人にまつわる呪い。涼が説得するだけでは、呪いは解けなかった——ん?
何度目かのスタート地点で、自身の認識の中に存在する違和感がちらついてくる。しかし違和感の正体はつかめない。
「一つ質問いいか」
「どうぞ」
「呪いっていうのは、誰にかかってるんだ?」
「そりゃもちろん、二人にだよ。なに? お父さんにかかっているとでも言いたいの?」
返答と同時に電車が通り過ぎた。幸いなことに、右矢印はまだ消えていない。もう一台通過分のタイムが追加されたようだ。ちぇーっという声が佳乃から漏れた。
「二人のうち、どちらに呪いがかかっているんだ?」
「うーん、そこまではわかんないなぁ。話していた通り、こんなパターンは前例がないからね」
違和感の正体が少しずつ顔を覗かせる。状況整理を怠っていたようだ。一つの身体を共有しているだけで、元々は二人の人間ということを、分かってはいても落とし込めてはいなかったようだ。
「でも、願いのことを話してくれたのは涼さんだから、涼さんにかかっているんだと思うけれど」
佳乃が何気なく付け加えた言葉が、違和感の全容を明らかにした。尻尾を見せていた違和感は、あの二人を別々に考えきれていなかった俺自身の思い込みが生み出したものだったようだ。
呪いが涼のほうではなく都塚にかかったものなのであれば、いくら同じ姿をしていたとしても主体が都塚にあるときに行動しなければならないはずだ。もちろん、二人の願いが共通のものであれば、の話ではあるが。
少し道をずらしてしまえばよかったのに、どうしてこんなに簡単なことに気がつかなかったんだろう。全然手詰まりではないじゃないか。
「佳乃、スイーツバイキングはまた今度だ。大学に戻るぞ」
「えーっ」
佳乃の文句と過ぎ去る電車の音を背に、俺は来た道に再び足を戻した。
「ずるいよいつき君! もうちょっとで奢りだったのにー。なんで戻るのさ。私はもう甘味の口だよ!」
ぺしぺしと佳乃は俺の背中を叩く。痛みの薄い抗議に、俺は背中越しに答えを返す。
「まあ聞け。六時まで時間がないから歩きながらになるが説明してやる。あと賭けは俺の勝ちな」
「うそ、冗談のつもりだったのに本当に何か閃いたの?」
「ただの決めうちだからな。あたりゃラッキーぐらいだよ」
「ふふっいいね。ノってきたね」
まるで今までのノリが悪かったような言い草だな。俺は弾むような足取りで付いてくる佳乃に、思いついた解決策について話を始めた。
「今ある材料の再確認だ。昨日父親を説得したのは誰だ?」
「それは……涼さんだよ」
「その通り。説得したのは都塚さんじゃなくて涼のほうだ。どちらに呪いがかかっているかが分からないのであれば、同じ身体だとしても、都塚自身が説得するっていう道筋が残ってるんだよ」
俺の言葉に、佳乃は無言で考えをめぐらせている様子だった。少し間が空いて、佳乃が俺に疑問を返す。
「でも、願いについて聞いたとき、稔莉さんはなにも答えなかったよ。分からないって。呪いに変わってしまうほどの願いに心当たりがないなんて、ありえるのかな?」
「確かにそうだな。ただ、お前が言ってた通り叶えようとしなかった願いが呪いになるなら、すぐさま行動に移せた涼よりも、自覚がない都塚が呪われている可能性の方が高いと思うんだ」
俺は佳乃に対して思いついた内容を伝える。ある程度結論を決め打ちしてしまえば、後から理論など勝手に結びついてくれる。だからあくまでこれは結論ありきの推測に過ぎない。
「お前じゃないよ、佳乃だよ。でも、なるほど。それもそうだね」
「とりあえずそこらへんを本人に聞かないことには話にならない。急ごう」
早歩きの俺に、佳乃は小走りでついてくる。再び大学に到着したのは、校内に設置された時計が十六時を跨いだ頃だった。
「いつでも来いって言ってたけど、どこに行けば会えるんだよ」
大学に着いたはいいものの、肝心の都塚が見つからない。そもそもどこを探せばいいのかさえ分からない。こんなことならば、連絡先くらい交換しておくべきだった。
「と、とりあえず、手分けして探そう」
「わかった。俺はこっちを探すから、見つけたら電話くれ」
走り出す俺に、親指だけを立てて見送る佳乃。たかだか十分程度の小走りであそこまで息を切らしているなんて、女子高生が脆いのか、佳乃が特別脆いのか。そんなことを考えながら、俺は校内の探索を始めた。
大学に慣れていないせいもあってか、都塚探しは思いのほか難航した。しばらくした後、俺は携帯電話の振動で立ち止まる。揺れるディスプレイは佳乃を示していた。
「あ、もしもしいつき君? 稔莉さんは見つかった?」
「いやまだ見つかってない。そっちは?」
「そっか。私も四棟を探し終えたんだけど、まだ見つからないの。また見つけたら連絡するねー」
佳乃は言いたい事だけ言い放って、通話を終了した。佳乃の言葉を頼りに、俺は構内図とにらめっこを始める。選択肢から一棟消えた程度で、状況はほとんど変わらなかった。
それ以降はめぼしい情報もなく、ようやく都塚を発見したのは、探索開始から一時間が経った後だった。