明かせない乙女6
都塚との約束の時間になり、俺たちは手渡された住所を元に彼女の家へと向かう。
目的地で目にはいったのは、近所の住宅群の中でも一際目立つ大きさの一軒家だった。
「なんというか、率直に言うと豪邸だな」
「私もそれなりに良い所に住んでると思ってたけど、段違いだね。本当にここであってるの?」
困惑を浮かべながら、佳乃が尋ねる。
書かれた住所に間違いがなければ、この豪邸こそが都塚宅である。俺はもう一度液晶画面に表示された地図と住所を見比べ、佳乃に頷きを返した。
仰々しい佇まいに二人して立ち尽くしていると、ガチャリと玄関が開いた。頑丈そうな扉の奥から、前髪をくくり上げた都塚が現れる。
「どうぞ」
昼間に聞いた都塚の声よりも少し低いトーンで、室内に案内される。室内も外観に違わずとにかく広くて綺麗で、語彙力のない俺には『金持ちの家』という表現しか浮かんでこなかった。
俺たちは無言のまま本人の部屋と思しき場所に辿り着いた。
「適当に座ってくれ」
部屋の真ん中に置かれたテーブルを囲むように、俺と佳乃は腰を下ろした。それを見て、都塚は部屋から出て行った。
「なんか感じ悪いね」
「うん? ああ……」
思った感想を率直に発しながらコートを脱ぐ佳乃に、思わず同意しそうになってしまった。しかしここは俺達のホームではない。
「いや、まあ初対面みたいなもんだしな、あっちとは」
「だったらなおさら感じ悪いよね」
そわそわした様子で、佳乃は俺に耳打ちを続けた。
「広くて落ち着かないね。ドレスコードとかあったのかな? 礼服で来ればよかった。ふふふ」
「お前、邪険にされてるのに嬉しそうだな」
「お前じゃないよ、佳乃だよ。嬉しそうに見える? そうでもないけどなあ。職業病かな?」
嫌われて楽しむ職業なんて聞いた事がない。しかもウインクキラーとやらは間違っても職業などではない。
そうこう考えている間に、再び部屋の扉が開いた。
静かに部屋に戻ってきた都塚は、言葉少なく俺と佳乃の前にコーヒーの入ったカップを置いた。
コーヒーをすすって話の始動を待ったが、どうやら都塚から会話が始まることはなさそうだった。
肝心の佳乃も、目の前に置かれたコーヒーと苦い顔でにらめっこを始めている。やむなく俺は口を開いた。
「えっと、都塚さんでいいのかな」
「それはどういう意味で?」
「都塚さんの中の人って言った方がいいのか、そのままでいいのか、それだけだよ」
「ああ、都塚のままでいい。ややこしけりゃなんて呼んでもらっても構わない」
「やっぱり感じ悪いね」
「聞こえてんぞチビ」
都塚の言葉にむっとする佳乃だったが、この発端は間違いなく佳乃だ。昼間とは様相を変え、前髪を全てくくって上げている都塚は、なんだか顔つきまで変わって見えた。
「はいはい。喧嘩しに来たわけじゃないから。で、都塚さん。話は聞いてもらってるかな?」
「雑多な書置きだけは見た。建前上、一応部屋には通したが、稔莉と違って俺はお前らのことを全く信用していないからな」
なんと書置きされていたのかは分からないが、どうやら彼は俺たちに協力的ではないようだ。
俺がとことん鈍かっただけで、これが呪いなんて非現実的なものを突きつけられた人間の真っ当な反応なのかもしれない。
しかし、いざ嫌悪感を直球で受けると心が痛い。
「信用していないって言うのは、呪いについてって認識でいいのかな?」
「いや、呪いについては疑いようがない。俺と稔莉に起こっている出来事は否定できないし、そいつに呪われた人間が分かるっていうは本当だと思ってる」
「じゃあなにが信用できないんだ」
「お前らのパーソナルについては一切信用していない。好きになった相手が死ぬだと? もしその呪いが本当だったら、ってことを考えると、そのチビが気持ち悪くて仕方がない。横にいるあんたも、なんで普通の顔をしていられるのかがわからない」
都塚はそう言って、コーヒーに口をつけた。吊り上がった瞳が、こちらを品定めするように動いている。
それにしても、長々と失礼な物言いだ。佳乃の言葉を借りるのであれば、本当に感じが悪い。頭に血液が上っていく感覚と同時に、俺の口は動き出した。
「経緯を話すと面倒だから割愛させてもらうけど、俺のことは放っておいてもらっていい。俺が呪いで死のうが、考え無しに横にいることを気持ち悪がられようが、それは知らん。どうでもいい」
あれだけ悪態をついていた都塚は、俺の言葉を聞き黙っている。反論の一つもないなら、頭が冷えるまで喋ってやる。
「ただ、呪われている人間は佳乃の呪いの対象にはならないそうだ。だから佳乃への気持ち悪いって言葉は撤回してくれ」
ここまで喋って、俺はようやく怒りの根源にたどり着いた。そうか、俺は佳乃に対しての悪態に苛立ちを覚えたのか。会って間もない少女のために怒れるほど、俺は彼女に気を許しているようだった。
そんな気を知ってか知らずか、まあまあと佳乃が俺の背中を軽く叩く。不思議と上っていた血が全身へと帰っていった。
フォローをするつもりが、フォローされている気がする。柄にもなく熱くなってしまった。落ち着いて、話をしよう。
「とにかく、俺らを部屋まで通したってことは、信用出来ようが出来まいが佳乃の力に頼らざるを得ないぐらい切羽詰まっているんだよね。だから回りくどいのはやめよう」
感情と共に言葉の温度も下がった。それを聞いて、都塚は大きく息を吐いた。
「そうか。撤回する。失礼なことを言ってすまなかった。呪いが本当なら、俺はそいつに嫌われる振る舞いをすることが正解なのかと思っていたが、影響がないなら無駄に傷つけただけだったな。すまん」
都塚は深々とこちらに頭を下げた。どうやら単に感じが悪いやつでもなさそうだ。色々考えた結果の行動だったのだろう。
というか、やっぱりこれが佳乃の呪いを知った時の普通の反応なのだろう。
「慣れっこだから構わないですよ。さてと、本題に入りましょうか」
佳乃は何事もなかったかのように話を進める。
「呪いを解くためには、願い事とそれに至る経緯が重要なんです。何か心当たりがあれば聞かせてもらえませんか?」
都塚は目線を上に向け、顎に手を置いた。考えているというよりは、言うべきか言わないべきかを迷っているようだった。
昼間の都塚の残したメモに、それと思しき内容でも書いてあったのだろうか。
「聞いたと思うけど、俺と稔莉は付き合ってたんだ」
ようやく心を決めたように、都塚は話を続ける。
「この家を見て分かるように、稔莉の家は金持ちなんだ。一方俺はなんの変哲も無い一般家庭。俺と付き合っているって知った親父さんが大反対でさ。稔莉にはお前なんてふさわしくないって言われちまってな。俺の何を知ってんだって感じだけど」
付き合っているだの、親からの反対だの、大学進学を諦め仕事に打ち込んでいた俺からすると、まさに青春ドラマのように映る話だった。
「当たり前だけど、俺はそこで諦めるつもりなんてなかった」
「当たり前なのか」
つい心の声が漏れてしまった。その呟きに対し、にやりと俺のほうを見る佳乃を無視し、俺は都塚に手を向け続きを促す。
「稔莉と一緒にいたい。そのために何をすればいいか、いろいろと考えていた時期、ちょうど一月ぐらい前だったか、そこから俺たちの異変は始まったんだ。……俺が思いつく願いはそのくらいだ」
コーヒーに口を着けた都塚の様子が、話の終わりを告げていた。
「一緒にいたい、っていう願いが呪いになったってわけですか」
言葉を確認するように、佳乃は言葉を放った。佳乃のやけに確信的な様子が気になるが、でこ出しの都塚の願いは非常にわかりやすいものだった。
親からの反対を受け、それでも連れ添っていきたいという願い。十分すぎる証言ではないか。
「都塚さんたちの呪いって、一緒にいたいっていう願いがある意味叶っていることになるな」
「そうだね」
頭にある内容を整理するため、誰に言うでもなく俺は空間に向けて言葉を発する。
願いが歪に叶い、それが呪いとなると佳乃は言っていた。そして、願いを解消することが呪いを解くためのステップとも言っていた。
「この願い事が発端なら、両親を説得するっていうのが呪いの根っこを取り除くってことになるのか」
俺は佳乃に向き直り、正解を自慢するように問いかける。佳乃は驚いたような顔をした後、にっこりと笑みを浮かべた。
「百点満点だよいつき君。頭を撫でてやろうではないか」
「やめんか」
「盛り上がってるとこ悪いけど、つまりどういうことなんだ?」
俺の頭を弄繰り回す佳乃に向け、都塚が言葉を挟んだ。佳乃は手を止め、一つ咳払いをした。
「簡単に言いますと、涼さんが稔莉さんのお父さんに拒絶されたことで、一緒にいたいという願いが生まれて、それが呪いになってしまった結果、二人で身体を共有することになってしまったのです」
佳乃は両手を重ね、更に言葉を続けた。
「そして呪いを解くためには、大元の願い事を解消する必要があります。今回で言えば、拒絶したお父さんの説得を試みるという行動が必要なのです」
佳乃は心理カウンセラーのように告げる。
簡単とは思えない佳乃の説明を、都塚はピクリとも動かず聞いていた。突拍子もない内容だけあって、理解にも時間がかかるに違いない。
少しの間宙を見つめていた都塚が、何かを整理するように言葉を放った。
「願い事が呪いになるってことは、なんとなくわかったんだが、今話した願い事が呪いの根源じゃないってこともありえるんじゃないか?」
都塚の言葉に、自身の中にあった疑問点がくすぐられる。確かに何が根っこになっているかなんてわからないのに、それにしては佳乃は断言的である。
質問をぶつけられた佳乃は、指を口元に置き、うーんと少しうなってから言葉を返した。
「もちろん違うっていう可能性もあります。でも、呪いは願い事が歪に叶った結果なんです。いつき君も言っていましたけど、歪にでも一緒にいたいという願い事は叶っていると思いませんか? 道筋がすっきりとしたので、私、結構自信ありですよ」
ふふんと鼻を鳴らした佳乃の言葉に、都塚は眉をひそめて腕を組んだ。俺はコーヒーを口に含み、考え込んでいる都塚に視線を移す。
歪とはいえ、叶っているものは叶っている。つまり呪いとして起こっている現象から、なんとなく願い事が予想できるわけか。
「願いを叶えてやろう、ただしお前達は一生会えないがな!」と言いながら都塚の周りを羽ばたく悪魔を想像して、俺はげんなりしてしまう。
呪いというのは、どうやら思った以上に傍迷惑な奴らしい。ぶんぶんと頭を振り妄想をかき消すと、ふと悪魔が隣に座る佳乃のほうに蠢いた。
いやいや、今はそれよりも目の前の呪いだ。俺がもう一度頭を振って悪魔を追い出していると、都塚が何かを決意したように言葉を放った。
「なるほど。大体分かった。考えていても仕方がないな。とりあえずは俺が稔莉の親父さんを説得すりゃいいわけだな」
「そういうことになりますね」
「その親父さんってのは、いつ頃帰って来るんだ?」
俺は言葉を発しながら腕時計に目を向ける。時刻は午後七時を少し過ぎたところだ。
「仕事が忙しいのか、この一月で五回ぐらいしか帰ってきてねえんだよな。時間もバラバラだし。稔莉に相談すりゃすぐにでも会えると思うが」
都塚は頭をかき、ふうと一息はいた。今更ながら、都塚稔莉の姿で言うこの台詞に違和感があるな。そんなことを考えていると、部屋のドアが叩かれる音が聞こえた。
都塚の返事に対し、母親と思わしき人物が扉を開け顔を覗かせる。
「稔莉、誰か来てるの?」
「うん、友達」
友達というには無理があるメンバーに、母親は怪訝な顔を向ける。
「そんなことより、お父さんが帰ってくるらしいから、ちゃんとした服を着ておきなさい。お友達にも、そろそろ帰ってもらいなさい」
なるべくこちらに目を向けないよう、母親はそう言い放ちそそくさと部屋を去った。
父親が帰ってくる、願ってもない展開だ。
「とのことだ。すまんが今日はここまでだ」
「ナイスタイミング、だね」
俺に向け親指を立て、佳乃が立ち上がりコートを羽織った。つられるように俺もコーヒーを胃に流し込む。
「じゃあ涼さん、私たちはそろそろお暇します。怪しいお友達は早めに退散したほうがよさそうですし」
立ち上がろうとした俺の足は、借り物のごとく硬直していた。痺れた足に身体をふらつかせると、けらけらと佳乃の笑い声が聞こえた。恥ずかしさを隠すため、俺も続けて口を開いた。
「じゃあこの話の続きはまた明日にでも。もう一人の都塚さんには、また昼ごろに大学に行くと伝えてくれ」
「わかった。さっきの話、信じていいんだな。俺は今から帰ってきた親父さんを説得する。そうすれば呪いは解けるかもしれない、間違いないな?」
「あくまで推測ですから悪しからず。なにせ私はチビで信用のないやつですから」
「根に持ってんなチビすけ」
「チビすけじゃないです、佳乃です」
思っている以上にこの二人の相性は悪いようだ。昼間流れていた都塚との落ち着いた時間が嘘のようにいがみ合っている。
「はいはい終わり終わり。とりあえず都塚さんは親父さんを説得してみてくれ。やらないよりはやったほうが絶対にいい。俺らを信用するしないは別として、やれることがあるならさ」
「わかった。じゃあ稔莉にも今日のことを伝えておく。また明日、事の顛末を聞いてやってくれ」
そういうと都塚は、玄関まで俺たちを見送り、帰っていく俺たちに無言で深々と頭を下げた。
先ほどまでの強い言葉に反して、下がった頭は弱弱しく見えた。
自分の親ではない相手に、娘だと思われながら話をする。彼の苦労は相当なものだろう。ましてや彼自身の生活も失われてしまっている。
「思っているよりも、ちゃんとしたやつなのかもな」
「呪いにかかった人は、いろいろと余裕が無くなっちゃうしね。今日のこと、全部が全部涼さんの素の部分だとは思ってないよ」
俺が都塚をフォローした言葉だと受け取ったのか、佳乃は笑いながら答えた。俺の目には比較的落ち着いた様子に見える佳乃も、きっと全てが素の部分ではないのだろう。
外に出た途端、暗さと寒気が二人を襲った。手をこすりながら眺める十二月の空には、少し欠けた月明かりだけが映し出されていた。