明かせない乙女5
「願い事……」
佳乃の言葉に、都塚は眉を顰めて呟いた。
「佳乃ちゃんはどうして私が呪いにかかっているって分かったの?」
「なんというか、ぴーんときたんです」
あそこまで確信的な語り口をしていたのに、ぴーんときたという恐ろしい表現が佳乃から飛び出してきた。
唖然とする俺とは打って変わり、都塚は少しずつ調子を取り戻してきたようだ。
「そっか。じゃあ私と涼、どっちにその呪いはかかっているの?」
「わかりません。こんなケースは見たことがないので……」
そこまで聞いて、都塚はもう一度思案にふけるように下を向いた。
「呪いを解くために必要な要素は理解したのだけれど、私には思い当たる節がないの。願い事、といわれても、正直ピンときていない」
紙ナプキンをくるくると丸めながら、都塚は申し訳なさそうな顔を浮かべた。既におおよその流れを理解している彼女は、ご丁寧にも次のアクションを提示し始める。
「でも、涼なら何か分かるかもしれない。だから私と涼が入れ替わる十八時まで待ってもらえないかな? 私が活動している時間帯の記憶は涼にはないから、今聞いたことをまとめて書き置いておくね」
やはり俺と比べて都塚の呪いに対する飲み込みは早い。わからないことだらけ、という点においては双方に変わりないはずなのに、都塚からは呪いのディティールに関する質問がほとんど出てこなかった。
一週間を佳乃と過ごしたという俺の知識のアドバンテージは、もうすっかりと無くなっているようだ。
すごいなぁ、とあっさり考えながら、俺は時計を見る。現在の時刻は午後一時ちょうど。まだまだ交代の時間までは余裕がある。ここでのんびりするのも手かもしれないが、あいにく俺のカップに飲み物は残っていない。
「どうする? 時間まで適当にぶらぶらしとくか?」
「そうしよっか。じゃあ稔莉さん、夕方またここに集合でいいですか?」
「いえ、聞かれたくない話もあるでしょうから、私の家に集まりましょう」
「え、いいんですか? ありがとうございます」
都塚から住所を聞き取り、俺と佳乃は喫茶店を出た。
やはり暖房が効きすぎていたようだ。外気は歩くのも億劫になるほど寒かった。寒さで思考が引き締まったのか、徐々に先ほどの問答が思い返された。
「いくつか聞いていいか」
「なにかな、なにかな。何でも聞いちゃっていいよ」
「じゃあ遠慮なく聞くぞ。なにやら俺の知らんお前の設定が山ほどでてきたんだが、詳しく説明してもらっていいか」
「お前じゃないよ、佳乃だよ」
むくれる佳乃は、咳払いをして話を続ける。
「説明かー。ちゃんと全部信じてくれる?」
「ベランダで話しただろ、信じるって。それにもう一人、二人って言った方がいいのか、呪われてる奴が出てきたもんだから、疑う理由も見つからないしな」
「そっか。じゃあ全部話してあげちゃおう」
佳乃はこちらに背を向け、商店街に向かって歩みを進めた。
「私は今まで呪いを解こうと、色々と行動をしていたのです。それはそれはもう、ものすごーく苦労して、毎日必死だったよ」
先を歩く佳乃は表情が見えない分、ジェスチャーを交えながら話を始めた。現状まだ呪いが解けていない様子を見ると、それも徒労に終わってしまったのだろうか。
「そんな中、この町に古くからある神社にね、呪いにまつわるアイテムが納められていることを知ったの」
「アイテム?」
「まあちょっと俗っぽい言い方だけどね。一つは呪いを断ち切る剣、二つ目に呪いを映し出す鏡、そして呪いを遠ざける玉。三種の神器って分かる? まさにあんな感じだよ」
佳乃の説明は、少年期に培ったゲーム脳のお陰で比較的分かり易かった。呪いを遠ざける三種の神器、剣と鏡と玉。要は呪いにアプローチするための不思議な力といったところか。
古い神社にそんなものが奉納されていたのであれば、俺が思っているよりこの呪いの根は深いのかもしれない。
「でも、その三種の神器を手に入れてはいそれで終わり、ってわけじゃないだろ」
俺の問いに、佳乃は静かに頷いた。
「さっき稔莉さんに話をしていた通り、呪いを解く力は自分自身には使えないの。だから私は未だに呪われているってわけですよ」
「だったら、他の人に……なんなら俺でもいいや。それを渡して、お前の呪いを解いてもらえばいいじゃないか」
俺の言葉に振り返った佳乃は、これでもかという程頬を膨らませてこちらを睨みつける。
「だから、お前じゃないよ、佳乃だよ。佳乃はいつき君の脳の容量が心配だよ」
「うるせえ」
なぜか異様に固有名詞にこだわる佳乃は、ご丁寧にも俺の脳容量まで心配してくれている。失礼な話だ。佳乃は俺のつっこみにふふっと笑みを返し、言葉を続けた。
「他の人にね。確かにそうなんだけど、この力を扱えるのは呪われている人だけなの」
呪われている人間にしか扱えない、自身の呪いは解くことの出来ない、呪いを解く力。まるで佳乃に意地悪をしているような凸凹な代物だ。
だとすると、当然のように疑問が湧いてくる。
「それなら最後の最後、呪いにかかった人間が佳乃だけになった時、どうするつもりなんだ?」
「そこは大丈夫だよ。呪いが残り一つになったとき、私の呪いにも終止符が打てるの」
「なんでそんなことがわかるんだよ」
「呪いの数が少なくなればなるほど、呪い自体の力は弱くなるんだよ。最後の一つになるころには、もう剣の力がなくても、願いの根さえ取り除けば呪いは解ける……らしいよ」
教材を頭の中で思い浮かべているかのように、佳乃の言葉は借り物じみていた。
「らしい?」
「まぁこの話は全部、神社の巫女ちゃんに聞いた話だから、私が最後の一人になったときにまた大騒ぎすることになるかもしれないね」
佳乃は再び前を向いて、足を商店街へと向けた。
要するに、呪いを解く力を有している佳乃が自身の呪いを解くためには、他の呪いを全て最後の最後まで看取らねばならないらしい。
「じゃあなんだ、呪いを一つ一つ解くことが佳乃の呪いを解くための道ってわけだな」
「その通り。ご理解いただけましたかしら」
最後の一人、なにも佳乃がその役を引き受ける必要はない。
しかしながら、そんな当たり前の感情を押し殺して損な役割を担っている佳乃に対して、他の誰かに任せればいいんじゃないか、という無粋な質問を再び吐くことは出来なかった。その代わりに疑問が芽吹く。
「なんで最初からそう説明しないんだよ」
「うーん。正直な話ね、すごい迷ってたの」
「何をだよ」
佳乃はぴたりと立ち止まって、ゆっくりと宙を仰いだ。それに合わせ、俺もゆっくりと足を止める。
隣に見えた佳乃の顔は、悲しいような困ったような、複雑な様子だった。
「いつき君を巻き込んでしまって、本当にいいものかどうか」
自分はこれだけの大義を背負っておいて、まだ人の心配をしているのか。というか、ここまで巻き込んでおいて、まだそんな心配をしているのか。湿った空気に似合わず、俺はにやりと笑ってしまった。
「なんだそんなことか」
「そんなことって、意外と大事なことなんだよ。君は何も知らず不思議に迷い込んできたアリスちゃんみたいなものなんだから、元の世界に戻れる保険は欲しいところでしょ?」
宙を仰いでいた佳乃がこちらを見つめる。俺の肩ほどにまでしかない小さな身体で、佳乃はきっとまだまだ見えない荷物を抱えている。それを黙って見捨てられるほど、俺は非情ではない。
「手伝うって決めたときから、もう腹はくくってるさ。今のけ者にしようったってそうはいかないぞ」
「もういろいろ話しちゃったから、申し訳ないけれどそんなつもりもないよ」
「それでいいんだよ。途中で逃げ出しもしないし、協力しろといわれたらすすんで協力する。会って日の浅い人間だから信用もへったくれもないだろうが、気軽に頼ってくれればいい」
急に恥ずかしくなった俺は、急いで佳乃から視線を外し青い空を眺めた。
都塚に対して、こんなケースは始めて見たと佳乃は言っていた。もう大体の呪われた人間の見当はついているのかもしれない。もしくは一人でいくつもの呪いを解決してきたのかもしれない。
呪われた人間には呪いが発動しないのであれば、俺の力なんてなくとも呪いを解く道筋を立てることも可能なはずだ。
しかし佳乃は俺に協力を仰いだ。よりによって退職という幻想世界とは程遠く濃い現実に塗れた俺に。きっと、多少なりとも心細いのだろう。
まだまだ言葉が足りないような気がして、俺はもう一度口を開いた。
「お前が俺を慮って蓋をしたいくつかの隠し事も、今すぐに全てが公になることはないかもしれないが、少しずつ紐解いていってくれればそれでいい。もう俺から急かすことはしない。だが要らない気遣いはなしにしよう。約束だ」
長々と、少々格好をつけてしまったかもしれない。だが我ながら最高の言葉を発する事が出来た。満足感、しかしとてつもなく恥ずかしい。俺は特に用事もないのに空を眺め続けた。
「いつき君……」
隣でこちらを眺める少女は、きっと感動で続く言葉も出なくなっているはずだ。
「だから、お前、じゃなくて佳乃だよ」
ところがどっこい、見事に空ぶっていたようだ。恥ずかしさで震える俺を見て、笑いながら佳乃は小指を差し出した。
「約束、わかったよ。私はいつき君を信じる。いつき君が私を信じてくれるならば、包み隠さず、私のことを伝えるよ」
俺は佳乃のほうを見て、ゆっくりと小指を結んだ。佳乃はぶんぶんと手を振った後、「やくそくー」とにこやかに言いながら小指を解いた。
「まずはひとつ、都塚さんたちの呪いを解くためにがんばるか」
「えいえいおー!」
大きく片手を高く上げる佳乃に対し、俺は微笑みだけを返した。一緒にやるべきだったのか、いやでも恥ずかしいし、なんてことを考えていると、佳乃がそのまま大きく伸びをした。
「あーたくさんしゃべって疲れちゃった。いつきくーん、私はアイスが食べたいなー」
「自分で買え自分で。しかもこんな寒い日にアイス食うのか」
「アイスに季節は関係ないよ。いつき君はきっとか弱いJKにアイスを恵んでくれる、優しいお兄さんだってことを、私は信じてるよ。ほらほらいこいこー」
腕を引っ張る佳乃の勢いに押され、俺達は商店街へと向かう。
その後、寒空の下、幸せそうに奢りのアイスを頬張る佳乃を見て、俺は苦笑いを浮かべながら約束の時間を待った。