《第9話 浮上》
「……わっぷ」
アムットが外に飛び出すと、桶の水をぶっかけられたような勢いで雨と風が襲いかかってきた。
アムットは、キャプテンハットを飛ばされないように手で押さえつけながら、二人の姿を探す。
「あの二人は何処にいるのよ!」
豪雨はアムットの視界を遮り、ほんの数メートル先も見えないほどだ。その時、彼女の耳に声が聞こえてくる。
「おーい船長さんじゃねえか。何してるんだ」
声がした方を向くと、シルトと右冴姫が雨具も着用せずに甲板の上に立っている。
マントとフードで身体を守る少年の方はまだしも、女エルフの方はあの不気味顔が見えた棒を肩に掛けたまま、雨に打たれていた。
「貴方たちこそ何してるのよ。こんな雨の中。早く中に避難して……うっ」
近づいて気づいたのだが、右冴姫の着ている着物が濡れて、エルフの無駄な肉のない美しい肢体に張り付き、何とも言えない色っぽさを醸し出していたのだ。
アムットはそれを見た途端、顔が赤くなるのを自覚して、慌てて首を振って冷静に務めようとする。
しかし、冷たい雨の中でも、身体の中が熱くなるのを抑えられなかった。
「船長さんこそ早く避難しな。この雷雨の中にいたら、風邪引くぞ」
「私より、貴方たちこそ大丈夫なの?」
「船長殿。儂らは風邪など引くことはないのじゃよ。それよりも、早く船内へ避難した方がいい。間も無く、雨と雷に紛れて……来るぞ」
「来るって何が?」
アムットの質問にシルトは何も言わずに、じっと海面を見続ける。彼女もつられて海を見つめるが、風に翻弄された波が踊り狂っているだけだった。
暫く見ていると、波の一部に違和感を感じる。
「あそこの波……なんか変だ」
相変わらず帽子を押さえながら、海のある一点を見つめる。そこは僅かであるが海の下から押し上げられるように海面が盛り上がっているように見える。
「ほう。よく分かったのう。正解じゃよ」
「えっ?」
「あそこから出て来るぜ」
「出て来るって何がよ」
右冴姫は凶暴で残忍な笑みを口元に浮かべてこう言った。
「決まってるじゃねえか。この海域で船を襲い続けている元凶だよ」
それに同意するように、彼女が持つ棒がカタカタと音を立てて震える。
アムットには、棒が笑っているように思えた。
そして、それが合図となったのか、盛り上がっていた海面がさらに盛り上がり、一瞬海水の山が出来上がったかと思うと水が裂けて、中から一隻の船が現れたのだ。
あれを船と言っていいのだろうか。海の底にいたせいか、貝や海藻が絡みつき、三本あるマストのうち二本は根元から折れ、残った一本にはボロボロになった帆が申し訳程度に張り付いている。
船の横腹には無残な大穴が開いていて、とても波の上に浮かんでいられるような状態ではない。
海中から現れた幽霊船は、動けない《優雅に泳ぐ人魚号》に音もなく近づき左舷に横付けしてきた。
距離が近くなったことで、朽ち果てた船の甲板に多数の人影が見受けられる。
「誰か乗ってる……こっちに来ようとしてるわ」
「船長さん。早く中に入れ。そして扉を封鎖して誰も入れるな。招かれざる客がやって来るぞ!」
甲板中央に後退し、右冴姫はアムットを手で後ろに下がらせようとする。
「貴方たちは逃げないの」
「船長殿。奴らの相手は儂らの仕事。早く逃げるのじゃ。でないと死ぬより辛い未来が待っておるぞ」
「ちっと、遅かったようだな」
「えっ」
右冴姫の言葉で、幽霊船の方を見ると、そこにいた人影たちがジャンプして、船と船の間を飛び越え、こちらの甲板に次々と着地していく。
「な、何……あいつら、人なの?」
アムットは、次々とやって来る彼らを、驚きで目を見開きながら見つめていた。
海賊船からやって来たのは、人間……の骨であったのだ。
人骨達はボロ切れとなった服を纏い、あちらこちら空いた穴からは骨が覗いている。
それぞれの手には、刃が欠けひび割れた剣や斧などを持っていた。
(骸骨達が持っている武器、酷いものね。全然手入れがなってないわ)
パニックに陥ったアムットの思考は一周回って変に冷静になって、そんなことを考えていた。
「おっと後ろに下がりすぎだ」
「ひゃん」
いきなり右冴姫の左腕が自分の腰に回って来て、アムットは少女みたいな声を上げてしまう。
「いきなり何よ……嘘!」
抗議しながら後ろを振り返ったアムットの目には甲板の手摺に手をかけるびしょ濡れの白い骨の手が映っていた。
骸骨達はいつの間にか右舷側に回り込み、海からわずかな船の突起を使って登って来たのだ。
逃げるチャンスを失ったアムット達三人は甲板中央で、多数の骸骨達に囲まれてしまう。
(いったいどうすれば……)
アムットが、どうやってここから脱するか考えていると、海賊船から一枚の板が伸びて来て、《優雅に泳ぐ人魚号》と繋がる。
その板を渡って、ゆっくりと新たな骸骨が現れたのだ。