9月
夏休みが明けて二学期の初日。
俺は緊張した足取りで、教室へと一人で歩いていた。
地獄のリハビリを耐え抜いたおかげで、何とか松葉杖なしでも歩けるようにはなったが、まだ普通に歩くことはできず、ヒョコヒョコとした不格好な歩き方になってしまう。
恐らくクラスのほとんどの人が、俺の怪我のことは既に知っているだろうし、みんなからどんな目で見られるのかを想像すると、怖くて自然と歩調がゆっくりになってしまう。
ただクラスの前まで来ると、自然と肝が据わった。
フウッと一つ深呼吸をすると、あくまで自然に教室の扉を開いて中に入った。
すると、クラスのみんなが一斉に俺のところに駆け寄ってきて、「大丈夫か?」であるとか、「助けが必要ならいつでも言えよ」等の温かい言葉を、次々と掛けてくれた。
本当に俺はクラスメイトに恵まれてるな。
このクラスでなら俺は、これから待ち受けているであろう数々の困難も、乗り越えられると思った。
江藤とゲンも、そんな俺の様子を、遠巻きに見ながらニコニコしていた。
江藤には約束通り、一昨日から俺の家で飼い始めた、ちくわの写真を見せた。
江藤は画面越しの元気なちくわの姿を、とても愛おしそうに見つめていた。
チャイムが鳴って教室に入ってきた琥太狼先生は、俺の方を見ると一瞬だけニカッと笑った。
俺はそれに、同じくニカッと笑って返した。
その日の放課後。
俺とゲンはテニスコートに向かって、人気のない裏庭を歩いていた。
今日から俺はテニス部に復帰することになっていた。
といっても、練習に参加できるわけではない。ただ、フェンス越しでもいいからみんなを応援する等して、少しでもみんなの役に立ちたかった。
それが、俺のことを支えてくれたゲンや、薫子先輩への、せめてもの恩返しだ。
ちなみに薫子先輩は、あれだけ盛大に引退セレモニーを開催しておきながら、今でもほぼ毎日テニス部に来て、コーチの仕事を買って出ているらしい。一度、ゲンが薫子先輩に「受験勉強は大丈夫なんですか?」と聞いたら、「志望校の過去問をやったら、全科目百点だったから大丈夫だ」という答えが返ってきたらしい。
つくづくあの人はとんでもないなと思っていると、突然後ろから「オイ」と声を掛けられた。
振り返ると、そこには一塚達、ヤンキー三人衆がいやらしい顔つきで立っていた。
「……何だよ」
「お前よお、何でうちの学校に来てんだよ?」
「はっ?」
「うちの学校は普通科の学校だぜ。障害者は障害者用の、相応しい学校に通うもんなんじゃねーのか?」
「障害者……」
その瞬間、俺はハンマーで頭を叩かれたかの様な衝撃を感じた。
障害者。
そうか、俺はもう障害者なのか。
もちろん車椅子の人等と比べれば、軽度だとはいうものの、社会的な括りで言えば、間違いなく障害者に分類されるのだろう。
俺は、自分の足元がガラガラと崩れ去って、奈落の底に落ちていくかの様な感覚に囚われた。
「うわあああああああ!!!!」
「!ゲン!」
ゲンが突然咆哮を上げながら、一塚に殴り掛かった。
一塚はゲンの渾身の右ストレートを喰らうと、グエッというカエルみたいな声を出して尻餅をついた。
ゲンは一塚に馬乗りになり、何度も一塚の顔面を殴った。
「ゆるさない!!お前は絶対にゆるさないぞおおおお!!!!」
「……ゲン」
「オイ!お前ら何やってる!!」
「!」
琥太狼先生がこちらに駆け寄ってきて、ゲンを無理矢理一塚から引き剝がした。
先生は俺達の様子を見て、ある程度状況を察したようだった。
ゲンはまだフウフウと息を荒くしながら、一塚のことを睨み付けていた。
先生は一塚に言った。
「オイ一塚」
「あっ?何だよ」
「ダッセーなお前」
「ああっ!?んだと!!」
「一年生の中じゃ番格のお前が、トーシロの小森にボコられて、そんな盛大に鼻血垂れ流したって知れ渡ったらどうなるだろうな?俺も昔ワルだったからわかるぜ。恥ずかしくて、もう学校来れないかもな」
「何が言いてーんだよアァ!?」
「見なかったことにしてやるから、サッサと失せろって言ってんだよこの三下が。それとも今から俺とヤるか?俺は別に教師なんて、クビになっても構わねーんだぜ」
そう言って先生は近くの校舎の壁を裏拳で殴った。
頑丈なはずの壁に、ビシィッと大きな亀裂が走った。
マジかよ。
先生ならデルタトリオンも素手で倒せるかもな。
「あっ、やべぇ、またあのハゲ~にどやされる……」
「くっ!このバケモンが……オイ、いくぞお前ら」
「あっ、待ってくれよイッチャーン!」
バツが悪そうに去っていく一塚達の背中を、俺はぼんやりと眺めていた。
ゲンはやっと落ち着いてきたのか、虚ろな目で自分の右手を見つめていた。
「先生、ありがとうございます。ゲンが停学にならないように、気を遣ってくれたんですね」
「いや、俺は別にそんなつもりはなかったぜ。ただ単に俺は、ダセェやつが嫌いなんだよ」
「はは、そうですか」
厳ついチンピラ教師のツンデレなんて、どこに需要があるのだろう。
「ゲンもありがとな、俺の代わりに怒ってくれて。でも、もうあんな無茶はしないでくれよ」
「閃ちゃん……」
「そうだぞ小森、やるからには、バレねーようにやれ」
「先生!」
「戸川、お前もこれからは、自分の旦那の手綱は自分でしっかりと握っておけよ」
「だから俺は、ゲンの嫁じゃないですって」