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8月

 俺が入院してから二週間程が過ぎた。

 外を見ると、黒くて分厚い雲が空を覆っていて、今にも雨が降り出しそうだ。


 今では右足以外の怪我はほとんど治り、松葉杖を使えば一人でも歩けるようにはなってきた。

 この間に一人のオジサンと、一人の男の子が同じ病室に入院してきて仲良くなったが、つい先日二人とも退院し、今はまた俺一人になった。


 ゲンは部活終わりにほぼ毎日見舞いに来てくれ、くだらないことを喋ったり、一緒にジュラハンをやったりしてくれた。

 まだ足のことは完全には受け入れられていなかったが、ゲンと一緒にいる時だけは、そのことを忘れられた。


 薫子先輩のペアは、インターハイを準決勝まで全てストレートで勝ち上がったが、準決勝で優勝候補の強豪校のエースと当たり、二時間に及ぶ激戦の末、惜しくも敗れ去ったそうだ。

 だが続く三位決定戦では、相手をストレートでくだし、見事三位入賞を果たした。

 ちなみに決勝戦は薫子先輩に勝ったペアが、これまたストレートで勝利を収め、優勝を手にした。

 準決勝が、事実上の決勝戦だったのだ。

 本当に薫子先輩は凄い人だ。

 それなのに薫子先輩は、病室に来て俺に何度も「すまない、すまない」と頭を下げていた。俺は全国で三位でも十分凄いことなんですよと説得するのに、小一時間ばかり掛かった。


 薫子先輩の引退セレモニー(!?)には、百人以上の薫子ファンクラブ員の女子が押し掛け、最後は特設の大階段(!?!?)で、薫子先輩を取り囲んでの大合唱で幕を閉じたらしい。




 江藤は一度も病室には来ていない。

 どうやら琥太狼先生は、約束を守ってくれているようだ。


 俺は一人でジュラハンをやっていたが、不意に虚しくなり、電源を落とそうとしたが、その瞬間コンコンと扉をノックする音が聞こえた。

 ゲンにしては早い時間だな。しかも最近のゲンはノックをせずに入ってくるので、ゲンではなさそうだ。

 誰だ?

 俺がハイと応じると、扉が開かれた。

 そこに立っている人物を見て、俺は目を疑った。


 それは江藤だった。


「江藤……何で……」

「ごめんね、お見舞いに来るの遅くなって。これ、よかったらフルーツの盛り合わせ」

「あ、ああ、ありがとう。そこに置いておいてくれる?」

「うん」


 俺は内心いろんな思いが入り混じって、何を言っていいかわからなかった。

 江藤はそんな俺の心中を察したのか、ベッドの横の椅子に座ると、ポツリと呟き始めた。


「戸川君が事故に遭っちゃった次の日、私があの空き地でちくわの絵を描いて帰ろうとしたら、近所の知り合いのオジサンに話し掛けられたの。昨日駅の近くで犬の散歩をしていたら、目の前で阿佐北の学生が猫を助けようとしてトラックに轢かれたって。多分その猫はちくわだったと思うって。それを聞いた時、私真っ先に戸川君の顔が浮かんで……」


 なるほどな。

 多分そのオジサンていうのは、あの時柴犬の散歩をしていた人だ。

 そして江藤はこの辺で一番大きいこの病院に来て、戸川という高校生が事故で入院しているかを聞き出したのだろう。

 やっぱりあの日、扉の奥に見えた小さな影は江藤だったのだ。

 江藤は扉越しに、俺と琥太狼先生の会話を聞いて、堪らず走り去ったのだろう。

 ただ、だとしたら何故今になってお見舞いに来てくれる気になったのかがわからない。

 いや、もちろんお見舞いに来てくれたことは、とても嬉しいのだが。


「……ねえ戸川君、もしかしてジュラハンやってたの?」

「えっ、うん……そうだけど」

「よかったら、私と一緒にやらない?」

「えっ?」

「実は私も最近ハマっちゃってさ。一応一人でも、デルタトリオンは倒せるようになったんだよ」

「……」


 そういうことか。

 デルタトリオンは最強のモンスターだ。

 俺が知ってる江藤の腕じゃ、一人で倒すのなんて夢のまた夢だったはずだ。

 江藤はあの日、俺の足のことを知って、俺を慰めるために、せめて俺と対等にジュラハンができるようになろうと、文字通り血の滲む様な練習を、今日までしてきたのだろう。

 その証拠に江藤の両手の親指には、例の猫柄の絆創膏が二重に巻かれていた。絆創膏には赤いものが滲んでいる。

 俺は涙が零れそうになるのを、必死に堪えた。


「……そっか。じゃあ二人でデルタトリオンと戦ってみっか!」

「うん!」


 対峙したデルタトリオンは、流石最強モンスターだけあって、王者の威厳が溢れていた。

 先ずは俺が先陣を切って、敵の攻撃を引き付ける。

 その隙に江藤が、敵の弱点に的確に攻撃を叩き込んだ。

 本当に先月とは別人のようだ。

 初めて俺がアドバイスしたことを、忠実に守っている。

 モンスターの動きをよく見てパターンを覚える。

 攻撃よりも回復を優先する。

 大技が来たら防御に徹する。

 口で言うのは簡単だが、江藤がここまでくるのに積み重ねた努力の量を思うと、おもわず水の膜で視界がぼやけた。

 死闘は三十分近く続いたが、俺の攻撃で敵を怯ませた隙に、江藤が頭部に、必殺技の乱れ斬りを叩き込むと、デルタトリオンは断末魔の叫びを上げながら、その場に倒れた。

 画面にはクエストクリアの文字がでかでかと表示された。


「いよっしゃー!!!」

「キャー!やったね戸川君!!」

「ああ!江藤もやるじゃ……」


 江藤は急にシクシクと泣き出した。


「戸川君……ごめんね……私のせいで……戸川君の……」

「……江藤のせいじゃないよ」

「でも……でも……」


 江藤は堰が切れたように、ワンワンと泣いた。

 江藤は何度も「ごめんね……ごめんね……」と、呪文のように繰り返していた。

 ある程度江藤が落ち着くのを待ってから俺は言った。


「江藤……俺が事故った次の日に描いたってちくわの絵、今持ってないか?」

「えっ?持ってるけど……」

「よかったら見せてくれないか」

「う、うん……」


 江藤はバッグの中から、いつものスケッチブックを取り出すと、そのページを捲って俺の前に差し出した。

 そこにはいつもと変わらない、可愛らしいちくわの姿が描かれていた。

 特に怪我もなかったようだ。

 そうか、ちくわは無事だったのか。

 その絵を見た瞬間、俺の心の中に淀んでいた靄の様なものが、サアッと晴れていくのを感じた。


「江藤」

「……うん」

「俺は後悔してないよ」

「えっ?」

「俺は後悔はしていない」

「……戸川君」


 江藤はまた大粒の涙を流しながら泣き始めた。

 だが今度は「ありがとう……ありがとう……」と、何度も何度も繰り返していた。

 俺は心の中で、ありがとうは俺の台詞だよ、と思った。


 俺は今日、報われたのだ。


「なあ江藤……お願いがあるんだけど」

「……ぐすん……なあに?私にできることなら何でも言って」

「ちくわ、俺の家で飼ってもいいかな?」

「えっ?」

「俺の家は小さい家だけど、一応戸建てだからさ。前からペットがほしかったし……ダメかな?」

「……本当にいいの?」

「ああ、でもそれだと江藤がちくわに会えなくなっちゃうか」

「ううん、それは大丈夫。それよりもちくわが元気でいてくれた方が、私は嬉しい」

「そっか、じゃ決まりな。ちくわの様子は毎日スマホで写真撮って、学校で見せるからさ」

「うん。本当にありがとう戸川君」

「こちらこそだよ」


 ふと外を見ると、分厚い雲はいつの間にか消え去っていて、真夏の太陽の光が、サンサンと降り注いでいた。



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